幻影 | ナノ

夕陽が部屋を照らし、ハンジの茶髪がよりはっきり濃く色付いていた。短く息を吐いたハンジにエレンは何も答える事が出来ない。返す言葉が見つからず目を泳がせて考える。「大変でしたね」そんな一言で済む話ではなかった。
初めてリヴァイという男に"同情心"を持った。雲の上にいるような人物であった彼が急にただの人間に思えて仕方がない。一人の女に夢中になるような、そんな男だとは夢にも思っていなかった。だからといって、リヴァイの威厳は何一つ崩れる事は無く心の奥底では彼を尊敬して止まない。
彼が愛した女とその女を壊した男が調査兵団を去るまで話は聞いたが、彼女らがどこに行ってしまったかは聞いていない。エレンはその疑問を口に出そうとするが、俯向くハンジの様子がいつもと違う事に気がついた。泣きそう、なのか。大丈夫ですか、なんて軽い言葉は口には出さず少し咳払いをする。我に返ったハンジは顔を上げていつものように笑った。きっと、エレンに話す事でメイとの思い出が蘇り、枯れたはずの涙が溢れそうになったんだろう。

「どこに、行ったんですか」

「それはエルヴィンにしかわからない。聞いても教えてくれないんだよ。」

「だから兵長は探し続けて……」

てっきりその二人に会いに行ってると思っていたエレンは驚いた。まさか探しに行ってるなんて。
ハンジの話を聞く限り、彼は少しばかり意地の悪いの人間だった。気持ちを伝えず逃げて傷付けて、離れると追いかける。思わせ振りにもほどがあるだろう。が、口には出さずエレンは下唇を噛んだ。

「好き過ぎて、狂ってたんだろうね。」

「兵長が…」

「いや。メイもリヴァイもどっちも。」

好き過ぎるのにどうして離れるのか。その疑問が浮かぶのは当たり前の事だろう。話を聞いた者は誰しもがそう思う。エレンの考えていることがわかったのか、ハンジは小さく頷いた。

「お互いがお互いの事を考え過ぎた結果だね。」

正直意味がわからないの一言だった。大人というものはこんなにも面倒くさい恋愛をして楽しいのだろうか。兵士ではあるがまだ子供であるエレンには、全くわからない話だった。好きなら好きでいいじゃないか、大人はそうはいかない。
追って追われて恋に焦がれて傷付き傷付け合う。本当はエレンも憧れている。溺れるほどの恋愛に興味がある。
メイ、とはどんな人物なんだろう。リヴァイという男をこんなにも溺れさせるような、寛大な女なんだろうか。

「でも、もう遅いよ。」

目の色を急に無くしたハンジがポツリと呟いた。誰に向けた言葉なのか、どんな意味が込められているのか。エレンには全くわからなかった。







ハンジを加えたリヴァイ班が夕食を食べ終えた頃。その場にいなかった一人が丁度帰って来た。扉を開けたリヴァイの顔はいつも通りであり、メイと出会えなかったことはすぐにわかった。何も話さずスタスタと歩いてきたかと思えば、いつものリヴァイの席にドカッと腰を下ろす。

「兵長、夕食は…」

「食う」

ペトラは頷いてリヴァイの分の夕食を取りに行った。その様子にハンジは吹き出しそうになる。みんな何も聞かない、その理由は人それぞれだろう。

「リヴァイ、エレンには話したよ」

エレンはぎょっとした。勝手に過去を話されてあのリヴァイが怒らないはずがない。顔色を伺うがいつもと同じ、無表情だった。そしてその目はハンジに向けられる。

「そうか。」

ほっとしたような、少し残念なような。残念といってもエレンは決してマゾヒズムではない。尊敬するリヴァイの反応ではないからだった。その様子にまたハンジは吹き出しそうになる。ハンジはリヴァイがこうなることを知っていて、エレンに話したことを伝えたのだった。リヴァイはメイを探しに行った日、少しばかり弱くなる。その変化に気付いているのはハンジ、恐らくエルヴィンもだろう。
ペトラが食事を持って戻ってきた。それを何ともない様な顔で食べ始めるリヴァイだが、内心では悔しさが支配していた。どこにいる、何をしている。そんな疑問がグルグルと頭を回り、吐き気がした。食欲も無く、パサパサしたパンが憎い。手を止めたリヴァイに全員の目線が集まる。

「食い終わったならさっさと寝ろ」

「まだそんな時間ではありませんよ」

時刻は午後九時。小さな子供がやっと布団に包まる時刻。グンタの反論にリヴァイは何も言わず、パンを押し込む。味がしない、不味い。リヴァイの目つきが鋭くなり、エレンは息を飲んだ。

「早く寝た方がいいのは、リヴァイじゃない?」

正論だった。ハンジはリヴァイがひどく疲労しているように見えた。リヴァイの大きな舌打ちにハンジ以外は無意識に背筋を伸ばした。これ以上兵長を刺激しないでくれ、と誰もが思う。明日の訓練が、清掃が厳しくなってしまうからだ。
リヴァイが食事を終え、紅茶を淹れて飲んでいた。誰も知らないが紅茶を全員分淹れたのは償いの意味が込められている。訓練の指導を放ってまで女を探しに行くなんて、普通に考えれば"兵長"として失格だ。威厳もくそもないだろう。

「オレは……」

紅茶に口を付けず下を向いていたエレンが口を開く。全員の視線が集まった。

「兵長について行きます」

その強い視線にリヴァイとハンジは面白いと思った。巨人になる事が出来るだけでも人間離れしているというのに、思考まで人間とは思えない。伝わっていると信じて本心を言わず逃げて今になって追いかける、ハンジの話にはリヴァイについて行こうと思う言葉など一つも無かった。ハンジは声に出して笑う。

もしも、もう少し早くエレンが調査兵団にいたのなら未来は変わっていたのかもしれない。メイが兵団を去らずここにいたのかもしれない。その可能性を考えるほどリヴァイはまた吐き気がした。気持ち悪い、その一言だった。

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