08
保健室に着いて、私をベッドに座らせてくれた後、安原くんは私の眼が腫れないようにと、氷水をビニール袋に入れ、備え付けのタオルを巻いてから、私に渡してくれた。
お礼を言って受け取り、私は早速それを瞼の上に当てた。タオル越しに感じる氷水特有の冷たさが、心地好かった。
暫くはお互いに沈黙を守っていたけれど、唐突に安原くんは口火を切った。

「…坂内さんは、ヲリキリさまを知ってますか?」
「……うん。やったこともあるし、一緒にしたじゃない」
「そうでしたね。愚問でした。それじゃあですね」
「うん?」
「坂内さんは、ヲリキリさまの発生ルートが何処か、知ってますか?」

確信を持ちながら尋ねてくる安原くんに、内心、流石は越後屋。と呟いてみるが、口には出さない。発生ルートが何処か、なんて知らないけど、発生させたのは誰か、なら私は知っている。
それとなく聞いてる癖に、核心をついて来るから、安原くんは本当に侮れないと思う。

「……発生ルートは、一年と美術部からなんです」

無言でいる私に、何を思ったかは知らないけれど、安原くんは言いにくそうに声を搾り出した。
多分、何となく想像はついているんだろう。私は、少しだけ口元を歪めた。

「ねえ、安原くん」
「…はい」
「あのコックリさん、変わってるでしょ?」
「そう、ですね」

一つ一つ、言葉を選びながら、私は暗闇を見詰める。頭の中はまだ落ち着かないけど、氷水のおかげか、どこと無く冷静さは取り戻していた。

「トモ―――智明が、ゴーストハンターを目指していたのは知ってる?」

突然の話題転換に、安原くんが僅かに首を傾げるような雰囲気が伝わってきた。けれど、私は気にせずに返事を待つ。
安原くんからの返事は、そう待たずに返ってきた。

「はい。それも、有名、でしたから」
「……うん」

良い意味でではないのは百も承知だったから、それはお互いに濁した。

「トモがゴーストハンターを目指していたのは、勿論トモが興味を持ってたのもあるんだけど」
「はい」
「……目指していた理由の半分は、私の為でもあったの」
「坂内さんの、ため、ですか?」

小さく頷いてから、私は深く息を吐き出した。トモと家族以外に私の話をしたことがないから、随分体が強張っていた。
安原くんは、茶化すでも誤魔化すでもなく、ただ静かに私の言葉を待っているようだった。

「私ね、とっても耳が良いの」
「耳、ですか…?」
「そう。と言っても、かなり離れた場所からでも人の声が良く聞こえるという訳じゃなくてね」
「はい」
「人じゃないモノの声がよく聞こえるの」

僅かに息を飲む声が聞こえて、私は苦い笑みを浮かべた。今、安原くんの表情が見えないのは、私にとって何よりの救いだった。

「確かに、多少人よりは耳は良いけどね。それ以上に、眼に見えないモノの声は、良く聞こえるの」

小さい頃は、あまりにも世界が五月蝿くて、ずっと両耳を塞いで部屋に篭っていた。そんな私を気味悪がって、両親や親族は私を嫌煙したし、医者もお手上げだと私を見放した。

「小学校には辛うじて通っていたけど、虐めにあってて、あんまり教室には居なかったなあ」

クスクスと笑いながら、私は昔を思い出す。安原くんが、今私をどう思っているのか聞きたかったけど、敢えて聞かずに居た。今はただ、私の話を聞いていて欲しかった。例え、その結果に得るものが拒絶であっても。

「そんな時にね、トモが言ってくれたの。私が聞こえない筈の声を聞く原因を解明してみせる、って。医者じゃ治せないなら、ゴーストハンターになって原因を究明してみせる、って」

勿論、当時はゴーストハンターなんて知らないから、トモはお化けの研究者って言っていた。それでも、幼稚園生ながらに逞しく言うトモに、私は嬉しさが込み上げてきて、わんわんと大泣きをして、トモを困らせてしまった。まさか、小学生の私が幼稚園生のトモに慰められる日が来ようとは、思いもしなかった。あれはいい体験だったと思う。

「それからは、二人で図書館とか本屋に行っては、オカルト系列の本を読みあさったなあ」

たまに辞書を引いたり、図書館のスタッフに言葉の意味を教えてもらいながら、私とトモは手当たり次第に本を読んだ。お互いに怖がりだから、本を読むときは手を繋いだりして、必死に似た症例はないか探した。

「結局、今だに似た症例を取り上げた本には出会ってないし、原因も分からないけど、トモが解明しようとしてくれる姿勢が、凄く嬉しかったの」

ふふふ、と零れた笑みに、安原くんが静かに、坂内くんは優しい人だったんですね、と言ってくれた。想定外の言葉に驚いて、思わず笑みは引っ込んだけれど、安原くんの優しさにまた頬が緩む。

「トモがいてくれたら、何も怖くなかったの。トモがいてくれたから、私は苦しくなかったし、幸せだったのに…」

さっき見た、トモがどす黒い塊に飲み込まれた姿を思い出す。途端に溢れ出す涙を、タオルに染み込ませながら、私は唇を噛んだ。僅かに乱れた呼吸を、ゆっくりと押さえ付けて整える。

「トモに、ヲリキリさまを教えたのは、私、なの」
「……坂内さんが?」
「こんなことなら、私、ヲリキリさまなんて教えなきゃ良かった…!」

認めたくなかった。でも、否定も出来なかった。私が教えた呪詛が、トモを殺した。二度も、殺してしまった。タオルが吸い取れなくなった涙を取り零し、頬に濡れた感触が走る。悔しさと後悔ばかりが脳内を占めていて、耐え切れずに私は唇を噛み締めた。僅かに、血の味がした。

「ごめん、ごめんなさい…っ」

誰に謝っているのか、自分でも分からなかった。ただ、ベッドに腰掛けた安原くんが、優しく私を抱きしめて、宥めるように背中を叩いてくれた事だけは覚えていた。


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