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 本当のことを言うと、会いたくて会いたくて仕方がない。すごく子供っぽいかもしれないけれど、会いたくてたまらないのだ。だけど、それを言うことができないのは、わたしが素直でないからなのと、「年上」であることにこだわっているからなのだろう。

 例えば仕事をしていても、彼に会いたいなぁなんて考えてしまうし、上司に怒られて落ち込んでいるときだって、「お前なら次は大丈夫やろ」なんて笑顔で励ましてくれる姿を思い浮かべてしまう。ついでに頭を撫でながら、「お疲れさん」と言って心を癒してくれるのだ、と。
 年下なんて大嫌いだと思っていたわたしだったが、案外付き合ってみればなかなかにして幸せなもので、恋人という関係性を保っているのももう長い。うん、こればっかりは予想外だったりもする。年下というだけで毛嫌いしていたけれど、どっちが年下なのか分からないほど彼はしっかり者だった。

 何年経っても女の子は乙女なのよ、なんてよく言われるものだが、確かにそうだと実感せざるをえない。これだから恋愛感情というのは厄介なのだ。大人という年齢を無視して、一気にわたしを子どもに突き返す。大人になりきれなくさせるのは、いつだってこの恋愛感情さまなのだから。

「七夕やのに、なぁ」

 七夕なのに会えない。これは意外にも今のわたしには精神的につらいものがあった。
 二十歳すぎた社会人ともなれば、イベントや記念日を気にするような青春時代必須の若々しさなんていうものは、いくぶんかなりを潜めている。七夕だから会おう、なんていう子どもみたいな理由では、会いたいことの理由づけには不十分ではないかと感じるほどに、わたしはもう大人だった。
 しかし、まったく気にしないほどのドライアンドクールにはなれず、中途半端に諦念と期待と失望とを抱いている状態だ。つまるところ、自分自身でも自覚済みなほどに面倒くさい心境だった。いや、なんて言いますか。ホンマに面倒。まるで大人と子供の狭間で行き来している男子高校生のようだと思う。

 とは言っても、背伸びしなければならないほどの年齢であるのだ、という枷があるぶん、高校生よりわたしの方がずっと深刻だし、そもそも背伸びをする必要のないほど自然に「そうでなければならない」あたりが、わたしに求められる義務であるのだけれど。

 学生時代は七夕をそこまで気にしてはいなかったし、恋人行事としては、クリスマスやバレンタインの方が何倍も重要だったと思う。正直、七夕への願い事は「金持ちになれますように」とか「単位貰えますように」とかそんなものだった。恋人とこれからも幸せに――みたいなことを願わなかったこともないが、会いたいという感情が沸き起こることはなかった。
 けれど、社会人になって時間がとれなくなった今、「せめて七夕だけでも」なんて気持ちが芽生えてしまっているのだ。
 どれかのイベントでくらいは会いたい。そんな気持ちだった。確かに、わたしの学生時代の恋人は同じ学校、同じ学年だったこともあって、遠距離恋愛に悩んだこともなければ特に時間のすれ違いがあったわけでもなかったから、会いたいなんて感情が起こらないのは当然だったのかもしれない。

 それが、社会人になったというのに、イベントごとを気にしてため息まで出てきてしまうとは。大人げない。はぁ、と息をついて、パソコンで疲れた目を揉み解す。目薬どこにあったかな。化粧ポーチから目薬を取り出して、ぽつん、と両目に滴を落とした。あー、疲れる。今日の精神的疲労度、半端ないっす。

「一条さん、ちょっとそこのチラシをパンフレットにしてくれます?」
「あ、はい、分かりました」
「途中まで清水さんがしてくれはったから、それ参考にして」

 27にもなって、なーに女々しいこと考えてんねやろ。
 先輩にあたる社員さんに言われた「そこのチラシ」を見やれば、山積みになった書類が存在感をドドーンと主張していた。これが現実ですよねー……。清水さんの先例を確認しながら、同じようにパンフレットを作り上げていく。なんか一気にやる気をなくしているけれど、公私混同はするべからず。
 気持ちを切り替えるようにして、作業に没頭した。

 職場から少々歩いた先に、飲み屋街がある。そこに、「いつもの場所」にあたる行きつけのバーがあるのだ。オシャレで落ち着いた雰囲気のそこには、就職してからというものとてもお世話になっている。なんとか作業を終わらせたわたしは、残業にならなかったことに安心感を抱きながら、そのバーへと足を進めた。
 そっと夜空を見上げ、パラパラでしか確認出来ない星に息を吐く。朝は激しい音を響かせる雷雨だったが、夜はどちらかと言えば晴れの部類のようだ。とは言っても、先ほど言ったように星はまばらにしか存在しておらず、天の川なんていうものは確認できない。頬を撫でる生ぬるい風に眉を顰め、汗が出るのを感じてハンカチで拭った。

 それがまた憂鬱な気持ちに拍車をかけたが、あまり気にしないようにして、素早くバーの中に入店する。どこに彼女はいるのだろうか。「彼女」とは飲み仲間であり、良き相談相手でもある幼稚園からの大親友のことだ。長い付き合いなため、遠慮なく愚痴を言える気兼ねない存在だった。
 キョロキョロとしながら姿を探せば、彼女らしき後ろ姿を確認した。
 お、髪の毛短くなってるやん。長くて綺麗な黒髪を一つにまとめている印象の強かった彼女は、今では肩につくかつかないかぐらいのセミロングになっている。「なんや、新しい男でもできたんか?」開口一番に、からかい気味の口調で彼女の背後からそんなことを言えば、「せいかーい」と口角をあげて振り向いた。

 続いて「おまたせ」と言えば、「お疲れ様〜」とゆるい答え。机の上にはグラスが置かれており、中身はすっかり終わりを迎えそうな状態だった。わたしが来るまでにけっこう飲んだな……。呆れながら、いつものことなので「モスコミュールお願い」とバーテンに頼む。
 「新しい彼氏についての情報はよ」これは聞いてやらなければ――そんな使命感と好奇心に駆られつつ、そう問いかければ、彼女は新しい彼氏について色々と聞かせてくれた。どうやら結婚を前提にお付き合いを始めたようで、喧嘩はたまにあるものの順調らしい。ええやんええやん。ニヤニヤしながら、話を聞いた。

「な、それよりさ、2ヶ月会ってへんのやっけ」

 突然の話題転換にびっくりしたものの、今日の話題はこれである。言われた台詞に若干の寂しさを思い出しながら頷いた。今日はこのことについて聞いてほしくて、彼女を呼び出したのだ。さっそく本題に入ったことに少しドキドキしながら、「2ヶ月はけっこうきついー……」と愚痴った。
 「猛アタックで告ってきたんは向こう。けど、ハマってんのは完全コッチやな」
 図星で何も言えません。苦笑いだけで返した。正直、「27の良い大人が」なんていう意識が強いわたしには、恥ずかしさからか、なかなか本人に寂しさを伝えられないのだ。距離が特別遠いわけでもないのに会えないのは、仕事の忙しさが原因だと分かっているというのも、言いづらさを促進しているかもしれない。

 LINEはたまにしていたが、やっぱり会いたいという気持ちの方が強かった。むしろ、LINEをして連絡をとりあえばとりあうほど、会いたい気持ちに拍車がかかっていた。もはやLINEなんて送るものかと中断しようとしたが、それもできなかったのは、どこかで彼と繋がっていたいという乙女心が働いたからだ。
 可愛いところあるやーん! なんて自分を慰めようと思ったものの、あまりにもの乙女思考に、自分で反吐が出そうになっているのだからどうしようもない。もう5年も付き合っているというのに、こんなにも彼のことで乙女になれるのだから、恋愛とは恐ろしいものである。むしろわたしキショイ。

 彼はとても賢い人だから、恥ずかしいけれど、わたしが寂しいと思っているのは分かっているのだろう。だから、彼からLINEが入ってくることが多い。連絡無精なはずなのに彼から連絡がくるのは、わたしが年上であることを気にしていると分かっていてのことでもあるだろう。

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