textbook | ナノ

 きみがわらうとね、せかいもほら、ほほえむの。

 かのじょがそう言って、そのながい髪の毛をゆらした。マロンのそれがかぜに舞って、ふわりふらりと空気の中をおよいでいる。おどることを楽しんでいるかのようにステップをふんで、優雅にせかいとあそんでいる。その様子に目をほそめれば、かのじょはあおく澄んだ海のなかへと足を入れた。
 「つめたい」真冬の海水はもちろんつめたい――そんなこと、かくごの上だろう。ぼくは、かのじょのことばに何もこたえなかった。「ね、つめたい」どうやら反応をもとめているらしい。こちらに視線をむけて、じっとみつめるように言ったかのじょは、ぼくのことばを待っているようだった。

「……それは、つめたいとおもう」

 なんと、おもしろみのない。
 そうおもったが、おそまつでどうしようもないこのあたまでは、わらいを誘うようなことはなにひとつおもい付きやしなかった。しかたない。言いきかせて、「かぜひくよ」と注意くらいはしておく。そのセリフに、ふ、と消えるような笑みをうかべたかのじょは、しずかにぼくから視線をそらした。
 ずきん、胸にいたみ。こっちをみて、とこころはさけぶのに、ぼくの口はなにをもつむがない。こっちをみないで、とからだが悲鳴をあげるのに、ぼくの手はかのじょをつかもうとする。すなおじゃないなぁ。かのじょにバレたら、そう言ってわらわれそうだ。

 でもまぁそれよりもぼくは、かのじょが言ったさいしょのセリフのほうが、きになるんだけどな。そうは思うけれど、さっきのどういう意味なの、ときいたところでこたえてくれそうにないことはよくわかっている。わかっていながらきいてみたけど、やっぱりこたえてくれなかった。くそう。
 あきれたように笑みをこぼしたら、海がちいさくゆれたのがわかった。よわい日差しが水面をなで、おだやかにゆらゆらとしている。すり抜けていくような音は、もの悲しさをかんじさせてもおかしくないにもかかわらず、なんだかひどく安心させた。

「ね、この海は、だれにつながっているんだろうね」
「え、だれ、に?」
「うん、だれにつながってるんだろ」
「どこに、じゃなくて?」
「ん」

 ごめん、ちょっと意味がわからない。言えば、ぼくのふしぎそうな表情に気がついたらしい。くす、とまた笑みをこぼして(けっしてバカにするようなものではなく、もっとやさしくあまいもの)、「そうだねー」とあいまいなつなぎ。きょとん、と目をまんまるにしていれば、かのじょが「あのね」と声を発した。
 ――海は、セカイなんだよ。
 しずかに、そう言う。海は、世界。どういうことだ。さらにわけがわからなくなって、「なにそれ」とぎもんをすなおに声にだす。ついでにかおも、ゆがめて。「そういうときはすなおね」おもしろそうに言われてまたむっとしてしまったが、かのじょのことばの意味をさぐるほうがぼくの意識をさそっていた。

「海と陸のわりあいが7:3とかそういうこと?」
「なにそれ」
「え、しらないの」
「しらない」
「がっこうでならったよ」
「しらないよ、そんなの。なに、がっこうでならったとか。おもしろくない」

 ぐさぁ。おもしろくないと言われたことがむねにつき刺さったけれど、気にしないように心がけて、いつものように笑みをうかべる。うかべようとして引きつったから、かのじょがこちらを見ていなくてよかった、なんて今度はあんしんしてしまった。

「海はね、せかいなの。すべてのいのちの、すべてがここにある」
「はぁ」

 ふしぎなことを言うのはいつものことだが、今日も今日とてなにを言っているか理解できない。あいまいにうなずくが、かのじょはそんなぼくの様子に気がついているようだった。証拠に、しかたがないなというようなかおで見られている。いや、しかたがないだろ。
 そうおもいながらも、理解しようとがんばっているのはきっと、かのじょのことがすき、だからなのかもしれない。惚れたよわみ、ってやつなのかなぁ。ぽんこつのあたまを働かせながら、その意味をかんがえていく。けれど、いくらかんがえてもおもうのだ――やっぱりこれは理科的なものではないだろうか。

「すべてのいのちは、うみからうま」
「だめ、いわないでっ」
「れ、……へ?」
「いっちゃだめ! ばか、いっちゃだめ!」

 ぼくのところまで走ってきて、ものすごいいきおいで口をふさがれた。かのじょの手がくちびるにあたって、場に不釣りあいかもしれないけれど、ちょっとどきっとする。しかし、そんなものはいっしゅんのうちに消えていく。浮かんだぎもんのほうがつよかったのだ。
 「なんでだよ」不満をあらわにしてそうたずねれば、ぼくのくちから手をはなしたかのじょは「ことばにしちゃ、だめなんだよ」言いながら、泣きそうなかおをするのだった。おもわず首をかしげれば、「ほんとおもしろくない」と言われてまたかおが引きつる。

「ことばって、ひとになにかを伝えるのにべんりでしょ」
「え、うん」

 いきなりのことにすこし戸惑いながら、かのじょもそんなまじめなことをかんがえられるのか、なんてすこし失礼なことをおもう。じゆうきまま、マイペースに生きるかのじょはぼくのあこがれだが、あまりにその様が顕著で、たまに遠いひとのようにかんじることがあった。
 いまのかのじょは、どちらかと言うとぼくにちかい。そのことを実感して、むねの奥にあたたかなものが宿るのをかんじる。理論派のぼくとはちがって、かのじょはとても感情をたいせつにする。直感や本能にしたがって生きるかのじょが、ようやくじぶんといっしょの空間にいるような気がしたのだ。

「でも、ことばはこわい」
「え?」
「ひとそれぞれの経験から、それのもつ意味は多様化する。あるていどの意味はおなじだけれど、生きた環境がねじまげる」
「う、うん」
「ことばって、いろんなものによって左右される。とてもあいまいでよわいんだよ」

 かのじょは泣きそうなかおをしながら、そんなことを言った。「でもね」逆接でつなぐ。なにを言いだすのだろうとすこしの期待と、理論をかかげられているはずなのにどこかかのじょが遠くおもえることへの不安が、こころのなかでない交ぜになってさけび出したいきぶんにさせられた。

「ちからはおっきくて、にんげんを惑わせる。そしてにんげんは、ことばに溺れる。魅せられて、とらわれて、じぶんという存在をあいまいにさせる」
「……」
「そういうのってなんだか、海とことばがにてるなっておもわせない?」
「ほ、ほう」

 ぐるぐると思考をくりひろげる。理論派のぼく、とさっき言ったけれど、なんどもなんども連ねているように、ぼくのあたまはいいものではない。むずかしいことを言われたって(いや、これはかんたんなことなのかもしれない)わかるはずがないのだ。
 それでも、ぼくは理解をやめない。かのじょの思考の海のなかに、ぼくもはいりこみたいからだ。じゃないと、遠くなる。かのじょという存在が、ぼくの手をはなれてすり抜けていく。その感覚がぼくののどの奥をつまらせるから、ひっしに追いもとめるのだ。

「でも、ちがう」

 ちがう――なんだ、ちがうのか。
 にている、と言われたからそのぶぶんをさがしていたというのに、完全にさがしきるまえに逆のことを言われて、ぼくはポカンとするしかない。思考が、おいつかないんだけども。ばかにやさしい説明をしてほしいものだ、とけっきょくかのじょのせいにする。
 「どうちがうの」聞いたら、かのじょはしずかに目をつむった。その様子を、じっとながめる。ながいまつげが影をつくる――それがなんだか、とてもさみしいきもちにさせてくる。とたんに目の奥があつくなって、どうしようもなくかのじょを抱きしめたくなった。

「ことばに帰ることはできない。ことばは、にんげんを突き放す」
「え?」
「やさしく抱きしめてくれるのは海だけだよ。ことばなんて、……」

 言いよどむかのじょがめずらしくて、じっとながめてしまう。かのじょでも、ためらったり戸惑ったりすることがあるんだなぁ。いまさらな感想をいだいて、じぶんがかのじょのことをあまり知らないという事実を実感する。くやしさに手をにぎりしめてみたけれど、きもちは下がってしまういっぽうだった。
 「だから、なにもいわないで」
 つなげられたことば。そうして、ようやくかのじょの言いたいことを理解した。ずいぶんとながい説明だった――思いながらぼくも海のなかに足をいれ、そっと目をとじる。ことばに出さすにかんじろと、かのじょは言っているのだろう。いのちの芽吹くばしょを、かんじるのだ。

 ことばにした瞬間、そのおっきさがくずれおちるから。

 ことばはとてもすばらしい。言わなければつたわらないことだってたくさんある。ことばがほしいとおもうことだって、ことばのたいせつさを説くことだって、たくさん。けれどことばに頼りすぎて、ぼくたちはことばというもの無しではどうしようもなくなった。
 存在意義がなんだ、生きる意味がどうだ。それをかんがえて「ことば」にして、明確なものでなっとくできなければ、ぼくたちは存在さえゆらがされる。ことばだって大したものじゃないのに、ことばだってあいまいでよわくてもろいのに、ぼくたちはそいつに寄りかかってしまうのだ。

「かんじることって、とてもたいせつなの」
「うん」
「かんがえることだって、もちろんたいせつだよ。でも、ことばにすればするほど、あいまいさを持つものだってある」
「うん」
「言霊みたいに、口にすることで意味をもつときもあるけれど」
「うん」
「でも、ことばはとても、こわい。わたしは、ことばが、……」

 口ごもってしまったかのじょが、それからなにかを言うことはなかった。けれど、くるしそうに寄せられたまゆがとてもかなしげで、その表情がかのじょのきもちをもの語っているようだとおもった。
 きっと、ことばはよわいと言うかのじょがいちばん、ことばのつよさを感じているのだろう。海は、なにもいわないもんね。そうおもいながら、水が足をつつみこむ感覚を得る。なるほど抱きしめられている。そんな気にさせられた。

「……ねぇ」

 かのじょから、こえがした。目は閉じたままで、耳だけすませる。なにを言いだすのだろう。おもいながら、またいつものように期待と不安をのせて、「なあに」とへんじをするのだ。

「おやすみ」

 え――ふしぎにおもって目を開けば、かのじょはまた海のなかにはいり、目をつむっていた。え、ねるの。びっくりして声をもらすが、かのじょからのへんじはない。なんだよ、なんかさみしいじゃないか。「ねぇ、ちょっと」呼びかければ、かのじょのくちがうっすらとひらくのがわかった。

「……きみがわらうとね、せかいがほほえむの」

 せかい、というのが海だというのならば、海がほほえむということか。言われたことを整理して等式をつくりあげたら、すこしだけまんぞくした――ものの、やっぱり意味はよくわからなかった。ごめん、やっぱ意味わかんない。言えば、ふ、とかのじょがわらう。
 その瞬間、だった。海が音を立てて、ひときわつよく波うった。ざぶん、いきおいのよい音が、ぼくの聴覚をのっとる。そして、ハッとした。ざわつくこころ、なきたくなるような感覚。なんだろう、これ。どくどく、とぼくの心臓はいつものよりはやくうごく。

 ――ああ、もしかしたら。
 けっしていわないけれど、かのじょにはぜったいに、いわないけれど。こころにおちてきたものは、自分のなかでおおきく意味をもっていく。かんじたそれはあまりにつよくて、ぼくのうごきをうばい去ってしまったんだ。

 きみがわらうと、せかいは、なきはじめる。





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▼一之瀬ゆん by 或る日、ぼくは彼女を喰った






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