鞘を眞王陛下に



 あんたには早過ぎた。今、こうして生きているのだって奇跡なくらいです。
 来るべきじゃなかった。死んだ奴らの前で甘たったれたこと言わんでくださいよ。意味ある戦いのためにオレ達はここに来たんじゃないでしょう。全部、オレ達の名誉のため、あの方の自己満足のためだ。確かに気持ちはわかります。わかりますけどね、オレ達は下っ端だ。だから命令があればどこにでも行って戦わなきゃいけないし、どんな相手でも斬り伏せなきゃいけない。意味なんか考えちゃいけません。それは一介の兵士のすることじゃない。そういう規律だとか、大義名分がなきゃ、オレ達はいずれ戦場に帰れなくなっちまう。オレ達がしなきゃなんないのは、忠誠を示すことだ。国家に、眞王に、全ての民に、自らの命をもって。だからオレ達は、何を犠牲にしても振り返ってはいけないし、足を止めちゃあいけません。上の指示に従うことだけがあの人のお望みだ。それこそ仲間の命を踏みつけてでもね。でもあんたは違う。今はなくとも、近い将来、立派な地位が約束されてる。だから、来るべきじゃなかったんだ。むしろ切り捨てることに慣れなきゃいけない。あんたがこうして手を血で汚す必要なんかどこにもなかったんだ。
 そんなことないって?ははは、本当にそうお思いで?じゃあ聞きますがねえ、どうしてあんたはここに来た?

 なんでこんなことをしようと思ったんですか?



***



「利子、起きないね」

「そーだな」


 ゴンが、カウチに寝かされ額に濡れたタオルの置かれた利子を眺めて呟いた。オレ達は先の試練で50時間分を今いる小さな部屋で過ごさなきゃいけなくて、ここに入ってからすでに半日経っている。利子を見つけたのは結構序盤だったから、だいたいこいつは丸1日くらいこのままってことだ。
 はじめ見つけたときは死んだんだと思ってた。手前の瓦礫に埋もれて死んでたオッサンは、誘拐した奴を監禁、強姦してから調理して食ったって奴だったらしいし、ボケッとしたあの女がイーブンでも勝てるなんて思ってなかったから。それに、腹に穴が開いてるどころか中身引きずり出されて、ちゃんと食い散らかされてた後だったし、肩の刺し傷や切傷単体でも普通の人間だったら、普通に致命傷ものだ。そりゃ死んでるって思うだろ。実際、あの勘のいいゴンだって駆け寄って言葉を失ってたし、自称医者の卵のオッサンも「こりゃもうダメだな」って言ってたし。クラピカの「生きてる。死ぬはずがない」って言葉がオッサンを突き動かさなきゃ絶対に放置してた。そのクラピカの言葉も、同じ一族の仲間が死んでほしくないっていう願望の顕れだっただけで、クラピカが現実逃避みたいなことを言わなかったら、本当にあいつは死んでたんだろう。まあ、実際はクラピカが早とちりしただけで、一族でもなんでもなかったわけだけど。

 利子は今、カツラもコンタクトもすっかり取り払われた状態だ。オッサン曰く、異様な高熱で、少しでも体を楽にしてやらないといけないらしいから、締め付けるようなものは一応、全部取っ払って、傷の目立つ体は清潔なタオルで拭いてやった。もちろん半日前の試練で信用の全くない2人のクソジジイは除外した上でだ。
 その後、一応独学で外科的治療を学んだらしいオッサンの手によって小腸と腹部、肩の刺し傷や肩から脇腹にかけての裂傷は縫い合わされ、ズル剥けだった両手は軟膏が塗られた後、丁寧に包帯が巻かれた。出血量が半端じゃなかったから失血死の可能性もあったけど、ゴンが利子の血液型を知っていて、なおかつ同じだったのは不幸中の幸いだ。足りない分全てをゴンの血液で補ってしまってはゴン自身も危険になってしまうから、必要最低限の量だけ空の補液パックに採血し、利子に輸血した。緊急だったし、煮沸殺菌等はできなかったが、まあゴンのことだから変な感染症も持っていないだろう。


「なんで利子は変装してたのかな」


 ゴンの発言に部屋が静まり返る。確かにゴンは世間知らずというか、ちょっと変わったところはあったけど、さすがにこれには驚いた。レオリオやクラピカはさておき、先程からオレ達の仲間割れを狙っていたオッちゃんまでも目を丸くしている。世間から割と隔絶されて育ったオレも、デブな方の兄貴がやけに詳しくて、ウンザリするほど聞かされたから、文献みたいなのは読んだことないけど、ある程度は知ってる。クラピカが怪訝な顔で身を乗り出した。


「まさか魔族を知らないのか!?」

「あっ、魔族は知ってるよ。魔獣とか魔物とか、魔ってつくもの全部がそうなんだって。くじら島でも童話で聞いてたもん。悪い奴を4つの入れ物に封じ込めた物語。それと利子がどう関係するの?」

「彼女がその魔族だ」

「えっ、」

「ちなみに言及すると、この世界の魔のつくもの全部が魔族なんじゃなくて、魔のつくもの全て魔族の眷属や所有物だと言われている」


 ゴンが“眷属”という聞きなれない言葉に首を傾げるとクラピカは「簡単に言えば、家来ってことさ」と丁寧に答える。ゴンは「へー」と納得した後、「でもなんですぐわかったの?」と疑問を投げかけた。答えは簡単、利子が、髪と眼、両方が黒い、所謂双黒だったからだ。
 黒い髪と黒い眼っていうのは特定の地域や人種を除くと、オレ達の世界じゃ結構珍しい。黒髪はまあ、たまーにいるにはいるけど、特に黒眼は中々拝めない。一般的に言われてる黒眼っていうのはせいぜい焦茶か灰色だ。つまり、あり得ないレベルで稀ってこと。しかも兄貴の話じゃ双黒は魔族の血を引く者からしか生まれないし、魔族の中でも滅多にいないんだと。オレも昨日利子を見るまで、単なる戯言だと思ってたくらいだ。兄貴のこと、脳味噌をアニメに侵されたピザオタだと思ってバカにしてたし。


「……いいかゴン、よーく聞け。あの子の珍しさのレベルってのは、他とはわけが違ェんだよ。魔族の存在自体伝説級だ。双黒っつーのは言わば、伝説中の伝説。しかも黒は喪と不吉の色ってことで、身につけんのはバカか意気がったガキか堅気じゃない奴ぐらいだぜ。だから、この子の目を見た普通の人間の思考は、本物か、偽物かであって、魔族以外の何かには行着かねえ」

「隠していたのは恐らくその双黒だな」

「珍しいから?」

「それもあるが、双黒は万病を治し、不老不死の秘薬になるという話もあるんだ。まあ、こういった話は大体根も葉もないデマなんだが、珍しさも相まって喉から手が出るほど欲しがる人間はいくらでもいるんだろう」


 実際腹食い破られてたしな。あ、でも、相手が相手だから関係ないか。兄貴に言ったら引くほど狂喜するんだろうなー。サブカル大好きだからホルマリン漬けにしたいとか言いかねねーし、絶対言わないけど。
 ぼーっと利子を眺めていると、利子の眉根に皺が寄った。未だクラピカに質問責めをしてるゴンがそれに気付く様子はなかったから、面倒くさいけど利子のタオルを水道で濡らしに行く。熱に魘されてるってのもあるんだろう。でも、オレはなんとなく、悪い夢を見てるんだろうな、と思った。受刑者とはいえ、人1人殺してるんだし、たぶんそうだ。オレは、見たかどうかさえも覚えてないけど、初めての殺しが、少なくともいい気分じゃなかったことくらいは覚えてる。
 戻ってきて、ペタンとタオルを戻しているとクラピカがゴンやオッサンに何か冊子のようなものを見せているところだった。


「見たところ、こちら文字は魔族の中でも貴族の使う書体だな。もう1つの文字はわからないが、ジャポン出身と言っていたから、そちらの文字だろう。恐らく彼女は魔族の中でも相当高位にある。双黒の者は、王政を敷く魔族の国でも貴族以上の位を持つと言われているしな」

「何見てんの?」

「利子の手帳!」

「おま、それは、あんまよくないだろ。プライバシー的にアウトだし」

「うん、だからあとで利子には謝るつもり。でも気になるところがあってさ、2人に見てもらってたんだ」


 ほら、と差し出されたのはA5サイズの薄っぺらい手帳だ。確か昨日の夜も、オレが声をかけるまで利子はこれに何かを書き込んでた覚えがある。読めない文字は全部無視してページをめくると、少し違和感を感じた。


「これ、年がおかしいのは国の違いだとしても、9月以降の予定、全然書いてない」

「そうなんだ。しかも1月のところは、ほら、さっきクラピカが言ってた魔族の文字と変な文字が1日から昨日まで書いてあるでしょ。これってつまり」

「つまり?」

「……何かがあるってことだと思う」

「……」

「へへへ」


 つまるところ、何かがおかしいんだけど、それがなんなのかはわからないってことなんだろう。だからって、別に調べるほどのことでもないと思うけど。オレ達に関係ないし。ゴンには手帳はしまっておいた方がいいと促し、自分は本棚から適当に本を引き抜く。テレビも漫画もないこの部屋の唯一の娯楽だ。


「それにしても、利子って変なものばかり持ってるね。骸骨の頭に、この箱!ボタン押すとテレビみたいに画面が映って、ほら、触ると動くよ!」

「あんまり触んねー方がいいぜ坊主。そのお嬢ちゃんの持つ物のどれくらいが魔のつくものか知らねーが、基本的に魔族の所有物は」

「ちょっと待って」


 オッちゃんが遠くから窘めようとするのをゴンが遮る。ゴンの視線を追うと、先程見せてきた頭蓋骨がカタカタと1人でに動いていて、ゾッとする。生きてんのかこれ。ゴンはそんな頭蓋骨に耳を当てて「この骨、なんか人の声が聞こえるよ」と呑気に言っている。


「もしもしー」

『……イスト……たいが見つかっ……』

「もしもーし、聞こえますかー?」

『……声が、……下、こちらの……から通信……』


 なんだこれ。骨と会話を試みる友人の姿は異様な光景だった。でも確かにゴンの言う通り、小さくノイズ音と人の声、それからいくつかの足音が聞こえる。


「きーこーえーまーすーかー?」

『繰り返さずとも聞こえている』


 突然ハッキリと聞こえ出した声は、こちらが戸惑うほど腰に響く低音だった。骸骨がどういう仕組みなのかはわからないが、繋がってる先の奴はゴンに対して何かしらの不信感を持っているのか、所属や場所、名前を威圧的に尋ねている。まるで尋問をしているような勢いだ。


「しょぞくへーか?」

『……質問の仕方を変えよう。貴様は誰で、その骨飛族の骨をどこで手に入れた?』


 ゴンの答え方に、明らかに自分の仲間でないことを感じたのか、声の雰囲気がより厳しくなる。全く話に加わっていなかったはずのオッちゃんがゴクリと固唾を飲んでいて、そんなビビるもんでもないだろと思ったけど、オッちゃんにとっては声だけでもそれぐらいの圧迫感があるんだろう。
 隣の利子がまた唸る。そのせいでタオルがズレたから、あーもう、と手を伸ばした。すると、前触れもなく利子の目が開く。


「やっと起きたのか。おいゴン、利子起き」


 突然、利子がオレの手を振り払い、その手首を掴んで壁に叩きつけた。は?と思考が固まる。だってさっきまで寝てたし、弱ってたし、昨日割と仲良く喋ってたし、攻撃してくる意味がわからない。なんにしろ、すぐさま体勢を立て直して、腹の痛みに一瞬だけ動きを止めた利子の両腕を壁に縫いつけた。動きを止める必要性がありそうだからっていうのもそうだけど、弱いと思っていた奴にしてやられてカチンときたからだった。油断していた上に不意をつかれたとは言え、ちょっとムカつく。


「てめっ、いきなり何しやがる!」


 眼前の利子に怒鳴りつける。利子は、挙動不審に周りに視線を泳がし、必死になってオレの腕から逃れようとした。呼吸は浅く、咳き込んだかと思えば、口端から血を流している。
 背後で「利子が起きたんだけど、暴れてるんだ!」とゴンが頭蓋骨に話しかけた。と思ったら「キルア、少し待てば落ち着くって」と呑気なことを言い出した。おいふざけんな、こいつオレを殺す勢いだぞ。
 さすがに止めに入らねば、と思ったらしいクラピカとオッサンがやってきて、オッサンは医者の卵よろしく利子の顔を両手で包み、「大丈夫」とか「落ち着いて」とか「ゆっくり息を吸うんだ」とか、静かに声をかける。


「今、どこにいるかわかるか?あんたの名前は?」

「……っは、……わ、わかる。わかる……わたしの名前は、利子、渋谷利子。今はハンター試験を受けていて、三次試験を受けていて、場所は……そう、トリックタワー」

「オレの名前は?」

「……えぇと、えーっと、その、顔がめちゃくちゃ腫れてた………………あれ、自己紹介しましたっけ?」

「したわ!結構序盤に!レオリオだレオリオ!」

「あ、そうでしたね、そうでした……。ちょっと色々なことがありすぎてド忘れして……、なんでみなさんここにいるんです?あれ?キルアくん何この手」

「『何この手』じゃねーよ!おめーが」

「利子ー、そんなことより電話来てるよ!あっ、電話じゃないや。なんていうんだろ、これ」


 落ち着きを取り戻し、すっとぼけたことを抜かす利子に怒りの矛先を向けようとしたところ、ゴンに阻まれて失速する。首を傾げる利子は、ゴンの「ほんぼるてーるきょーって人から」という謎の言葉に今まで見たことがなかったくらい大きく反応を示した。オレがパッと手を離すと、痛むらしい腹部を押さえながら、フラフラと部屋の中心にあるテーブルに置かれた頭蓋骨に向かっていく。頭蓋骨を手に持つと、倒れこむように部屋の隅に寄った。出来るだけ話を聞かれたくないようだが、こんな狭い部屋じゃ聞かないようにする方が難しい。


「あー……グウェン?元気?」

『貴様、骨牌(かるた)を持ちながら何故連絡を入れなかった』

「骨牌っていうかこれ普通に骨サイズ……(ちょうキレてるこわい顔見てないのにどんな顔してるかわかるよ!)」

『大きさなど聞いていない。理由を釈明していただきたいと申し上げているのだ、殿下』


 部屋の隅で利子が骨に向かって必死に謝っている。真っ青な顔は貧血だけが原因ではなさそうで、“グウェン”と呼ぶ相手にしどろもどろに現状を説明していた。
 盗み聞きした(と言っても、ここにいたら普通に聞こえるが)情報を噛み砕いて整理すると、わかったのは以下5点。

 1.魔族の国、眞魔国から利子の故郷に戻ろうとした際、敵に襲われたこと。
 2.急襲と相俟って手違いでハンター試験の1番最初の会場であるザバン市に何故か辿り着いたこと。
 3.利子の予想に反して、こっちでも双黒が狙われていたこと。
 4.逃げているうちにハンター試験(利子曰く「なんか意味わかんない資格試験」)に紛れ込んでしまったこと。
 5.利子自身も帰り方がわからないし、そもそも現在地がわからないこと。

 頭上からタライが落ちてきたような衝撃が走った。おいちょっと待て、お前それただの迷子じゃん。初めて出会った伝説との遭遇理由が“本人の迷子”という事実に呆れ返る。絶滅危惧種みたいなもんなのに、それでいいのか、と。


『人間の土地か、先程の少年も……』

「人間人間。……あー、ごめん、今気付いたんだけど、髪も目も、全部黒いまんまだ。隠してたんだけど……」


 利子が手櫛で髪を梳きながら「でもなんもされてないから、たぶんみんないい人だと思う。今の所ね。この場にはわたし含めて6人いるんだけど、何にもない。大丈夫」と続けた。“グウェン”はゴンから利子が負傷していることを聞いたのだろう。彼女の怪我の具合を尋ねたが、利子は、恐らく相手に見透かされていることを見越しながらはぐらかし、オレ達に助けてもらったのだと言っていた。それを聞き、“グウェン”は溜息を吐いてから、利子の捜索隊をすぐに迎えにあがらせる旨を伝える。すると、利子はさっきまでのダラけた感じが嘘のように、凛とした声で断った。


「それはいい。たぶん無理だ。知ってる国ならいざ知らず、全くどこかも知らないしね。それより3人は大丈夫なの?有利はちゃんと戻れてる?」

『それが……陛下とウェラー卿は行方不明、グレタが今朝保護されたところだ。教会でウェラー卿のものと思しき左腕が。私とヴォルフラムが確認した。飾り(ボタン)から卿のものと推測している』

「遺体が出てこないだけマシか。コンラートに限ってそんなことはないと思うけど。フォンクライスト卿の遺体はもう見つけた?」

『ああ。安心しろ。矢の毒が回らないよう自ら仮死状態になっている。一任したアニシナ曰く、矢尻に塗られていたのはウィンコットの毒だとか。現在、存命中のフォンウィンコット家直系で最も血が濃い者の召喚を命じているところだ』

「わかった。引き続きフォンクライスト卿の件はフォンカーベルニコフ女史に一任を。それから陛下とウェラー卿の方だけど、わたしはいいから、2人を最優先に。敵の鎧と火筒は一瞬だけしか見えなかったんだけど、シマロンの剣と装飾が似ていた。参考程度でいいからウルリーケにそちらの方も合わせて所在の確認をこまめにとらせて。捜索隊の方の編成は?」

『もうすでに派遣済みだ。殿下、他に指示は?』

「ちょっと、嫌味?畏まらなくていいって。とりあえず、グウェンの方が判断早いし慣れてるだろうから後は任せる。特に思い当たることはないけど、有利が国内にいないことはこれまで通り国内外隠し通してちょうだい。城下に不安を感染させてはいけないし、外に弱みを見せないように。見つかったら、出来るだけ早く保護して。わたしのケースがあるから、海の外で見つけた場合はドゥーガルドの高速艇を使っていい。王不在の間は、例外なくシュトッフェルが前に出てこようとすると思うけど、絶対阻止ね阻止。交渉が必要になったときでも、出来るだけ穏便に。陛下は争いがお嫌いだから」

『最善は尽くそう。それと、グレタが酷く落ち込んでいるから、何か言伝をしてやってくれ。私から伝えよう』

「そうだな……わたしは生きてるから、他の2人もきっと生きてるって言ってあげて。コンラートは腕が立つし、有利は人によく好かれる質だから心配いらないよ。大丈夫。わたしは、とても遠いところにいるみたいだから、いつ帰れるかわからないけど、出来るだけ早く帰れるようにするよ」


 利子は、何やら難しい話を、髪の毛を弄りながら友達と話すかのように交わし、最後は、連絡はいつでも取れるようにしてほしいと言ってから、話を終わらせていた。利子が、頭をわしゃわしゃと掻きむしって唸ってから溜息を吐き、壁を使って立ち上がる。立ち上がったはいいものの、傷口が痛いのか、高熱に堪えきれなくなったのか、血が足りなくて気分が悪いのか、途中で挫折して座り込んだ。あーもう、どうせ移動したって話は聞こえるんだ。痛いんだったらわざわざ移動しなくったっていいのに。
 あいつの変な強がりに、ちょっとばかりイライラする。助けてやらなくちゃなあ、って立ち上がると、オッちゃん以外の3人も同じことを考えていたようで、顔を上げた利子は嬉しそうに、恥ずかしそうに笑った。ゴーグルがあったら、きっとわからなかったろうな。


「わたしの名前は、渋谷利子。こちらだと利子=シブヤかな。偉大なる眞王とその民たる魔族に栄えあれ、ああ世界のすべては我等魔族から始まったのだということを忘れてはならない。創主たちをも打ち倒した力と叡智と勇気をもって魔族の繁栄は永遠なるものなり……」

『(なんだいきなり)』

「王国、通称眞魔国、第27代魔王補佐及び代理を務めさせていただいております」


 国名かよ。
 利子は、床の上で正座をし、両手と額を床につけた。恐ろしく洗練された土下座である。とんでもない肩書きの人間に(魔族だけど)「この度は屍寸前のわたくしの命を救っていただいた、その慈悲深き御心に深く感謝させていただきたくとともに、わたくしめの素性を今後も内密にしていただきたく。つきましては、わたくしめが無事帰国後、心ばかりではございますが、贈り物を……」なんて土下座をされると、なんだか居心地が悪くなる。しかも尊敬語謙譲語のオンパレードで言ってる意味半分くらいわかんねーし。まあ要するに、助けてもらったことはありがたいけど、自分の種族や立場は人に触れ回るなってことだわな。どうやら利子はこっちの世間じゃ、そんなこと言ったって信じてもらえないことを知らないらしい。


「言うわけないよ!だって友達でしょ?助けたのだってそんなわざわざお礼言ってもらうためじゃないし」

「そうだぞ利子。確かに私はお前を同門だと思って、余計に助かってほしいとは思っていたが、そうでなかったとしてもその気持ちは変わらないよ」


 ゴンのこういうところは、恥ずかしい奴だなと思うけど、すごいなとも思う。綺麗事を本気でそう思って言ってくるから、なんだか難しく考えている自分がバカバカしく思えてくるのだ。利子も「それよりその喋り方、何とかならない?言ってる意味、ちょっと難しい……」という言葉に「あ、そうですよね、難しいですよね」と戸惑っている。さらに「そんな丁寧な言い方しなくていいのに」と言われて苦笑していた。オレのときとは大違いである。
 そんな中、わざわざ足並みを崩してくるのがオッちゃんだ。壁にもたれながら、ヘラッと笑う。


「オレはいるぜ、心ばかりの贈り物。そうだな、お前のことを黙っていたらくれるんだったな。双黒ってのがどれくらいいるのかわからねーが、オレは口が軽いからなあ。気をつけないと滑らしちまいそうだぜ。」

「いや、オッちゃん利子に対してなんもしてねーじゃん」

「トンパ、お前、とんでもねェクソ野郎だな」

「同感だ。貴様は誇りというものはないのか」


 その言葉にはっきりと「ない」と答えるオッちゃんに、2人がさらに激昂した。ゴンは「喧嘩はやめようよ」とオロオロし、利子は呆れたような困ったような、参ったなあとでも呑気に言いたげな顔をしている。どういう対応すんのかな、と観察していれば、リュックから下着を素のまま取り出して、覚束ない足取りのままシャワーのある部屋まで消えていった。え?お前これを全部放棄?


「で、どうなんだお嬢ちゃん」

「利子ならさっき風呂行ったけど」

「なんだと!?」

「いや待て、あいつ今風呂入ったら傷口ひら」


 オッサンが全部言い切る前に短い悲鳴があがった。慌てて風呂場の扉を開くと目の前にいたのは裸の利子、ではなく宙に浮いたいくつかの透明な球体。利子はバスタブの縁に両腕を乗せて火傷でぐちゃぐちゃになっている右手の人差し指だけ立てており、その脇に先程カルタと呼んでいた頭蓋骨が置いていた。湯船に浸かってる割に平然としてるのはいいとして、何この超常現象。


「え、背中を流してくれるサービス?」

「なに言ってんのお前」

「いや冷静につっこんでますけど、あなたがもう少し歳とってたら訴訟ものですよ訴訟」

「訴訟ってお前が悲鳴あげるからだろ!?つーか!その!話し方!」

「あーもう、いきなりは難しいんですって。じゃなくて難しいんだってば。着けてたはずのブラジャーがなくなってると思って吃驚したの。そんで、さっき怪我がどうのっていうので外してくれたっていうの思い出して解決したのー」


 立てた人差し指で小さく円を描きながら「別に放っといていいのに。部屋の外じゃあるまいし、襲撃される心配もないのに」とほんのり笑う。「……やさしいのねえ」見透かすような瞳に、カッと顔が熱くなった。宙では球体達がゆっくりと漂いだす。シャボン玉を見ているような気分だ。
 利子の言葉を優しくないと否定して、言葉を続けようとしたところでゴンがひょっこりと顔を出した。「わあ」と歓声をあげて利子を見る。


「水が浮かんでる!魔族って魔法が使えるんでしょ?ミトさんが言ってたもん!これがそうなの?」

「そうです。あ、じゃなくて、うん、そう。魔法じゃなくて魔術って呼んでるけど」

「ああ、だからあんた、あの大男倒せたんだ。飛行船のときもその魔法使って追っ払えばよかったのに」

「あの時は使えなかったん、……使えなかったの。さっき骨牌で通信できたから、もしかしてって思って、今初めてできたとこ」


 どうやら人間の土地で魔法、もとい魔術を使うのは困難で、できたとしても恐ろしく疲労が溜まるらしい。なんでも魔族に従う要素が少ないからなんだと。傷から少しだけ溶けた利子の血液がお湯に混じって、ようやくこの程度、らしい。傷を治すこともできると言っていたが、「こんなんじゃ炎症を抑えるくらいしかできない」と利子が溜息を吐いていた。まあこの程度と本人は言ってるけど、だいたい2リットル分の水は意のままだし、膿んで壊死するのを防げるってことだろ。それって十分すごいんじゃないの。


「オレからしたら、すごすぎるってくらいすごいよ!」

「じゃあ眞魔国で有利が使う魔術見たら卒倒だね」

「(あっ、待てよ……?それより今初めて魔法が出来たって言ったよな)」

「ユーリ?」

「さっき言ってた今の魔王さま。わたしの弟が王さまやってんの」

「(ってことは、あの大男を、このぽやんとした女が、身1つで殺ったってことだ)」

「あっ、そうか!だから、ほんぼるてーるきょーさんが“でんか”って言ってたんだね!そう言う意味だったんだ」

「フォンヴォルテール卿ね。王さまの子どもだったり女姉弟はそう言うね」

「(ちょっと信じらんねーな)」


 オレが悶々と考えていると利子が「あ、そう言えば」と声をあげる。立てていた指先をこちらに突き出し、指先に何か見えないかと尋ねたきたのだ。正直言って、何を言っているのかさっぱりだ。ただ空中に指を立てているようにしか見えない。ゴンと2人、“わけがわからない”という顔をしていると、利子は「あ、気にしなくていいよ。大したことじゃないし」と苦笑して、オレ達に外へ出るよう促した。
 部屋に戻るとまずオッサンにどうだったかと聞かれる。素直になんでもなかったと伝えると「そっちもだが、そうじゃなくてだな」と言う。2択でもあるのかと首を傾げたけど、昨日の試練を思い出して何となく言いたいことはわかった。


「医者の卵のくせに怪我人相手にゲスいことばっか考えてんじゃねーよ!」

「ばっ、仕方ねーだろ!自然の摂理ってやつだよ!」


 オレの言葉でクラピカが事態を把握したらしい。鋭い眼光を放ってオッサンを叱りつけ始めた。オレ達も半ばオープンな覗きをしたようなもんだったけど、状況が状況だったし、年齢的に本人が気にしていないようだからという理由で面倒くさそうなお小言はパスしたらしい。子ども様々だ。
 テーブルのすぐ奥に座るオッちゃんと目が合う。半ば脅しみたいな言葉は利子に歯牙にもかけられてなかったのに、まだ心は折れていないらしい。チラチラと風呂場へのドアを確認しては、苛立ったように頬杖をついて溜息を吐いていた。


「あいつに発破かけるのやめといた方がいいぜ」

「ん?ああ、別に戦おうってわけじゃないさ。403番と違って戦闘向きじゃなさそうだしな。野郎を殺ったみたいだが、偶然か誰かに手を出されたかだろ」


 オッちゃんは、一次試験のヒソカの投げたカードがサルに刺さったとき、利子は1番受験生からかけ離れた反応していたことを根拠に、人を1人殺せるような度胸があるようには見えないと言う。確かにそうだ。オレだって、今でさえちょっと疑ってる。
 気づかないふりはしていたが、飛行船で2人の男を殺して図らずもこいつを助けたとき、こいつは確かにダメな顔をしていたから。オレ達みたいな暗がりで生活してる人間を受け入れたくないという顔をしていたのだ。そんな奴が、堅気ならまだしも、それなりに人を殺してきてここに入ってるような受刑者を殺れるとは到底考えられない。考えられないけど、でも、実際問題、相手は死んでる。余計な割り込みがあった形跡はなかった。あの男がどういった野郎なのかはわからないが、それなりに場数を踏まなきゃそう容易く勝てるような体つきでもなかった。でも死んでる。だったら利子が殺ったと考えるのが妥当だし、利子が、本当にあの男を殺したとするなら、以前から複数回に渡って人に手を掛けた可能性がある。
 最初はオレも疑ってたけど、あいつが、あいつの国の人と話してるのを反芻していたらすんなり腑に落ちた。利子は、きっとどうしたいか、したくないかじゃなくて、どっちの方が費用対効果が高いかで考えてる。割り切れるのだ。自分がなんとかすればいいことならそうするし、国がかかってくるなら尚更だ。利子の存在を知らしめるってことは、利子の仲間の存在も巻き込む可能性があるってことだろうし。オッちゃんを殺して得られるメリットと殺さなかった時に発生するデメリットを天秤にかけたとき、どう考えても殺した方がいい。


「だから、戦う戦わないじゃなくてさ、あいつを刺激するようなこと自体がよくないんだって。あんただって死にたくないだろ?利子だって殺しは嫌みたいだし、お互いそっとしておくのが1番だと思わない?」

「オレが死ぬのが前提みたいな言い方だな」

「そりゃね、あんなの殺ってるんだぜ?マグレ当たりなんか絶対無理だし、口止めするより口封じの方が手っ取り早いしね」


 オレと似ているようで全然違う。殺しに対して感覚が麻痺してないのに、何も強要されていないのに、自分が嫌だと思う方に自ら飛び込むことを自分で強いている。要領の悪い奴だ。オレみたいに何かを殺すことなんて、最早息をするのと同じくらい自然で、当たり前のことにしてしまえば、なんとも思わなくて済むのに。どうでもいい奴なんかに共感する無意味さにさっさと気付けばいいのに。可哀想な女だ。
 そう思う一方で、まだ命がなくなることに関して敏感でいられることがちょっとだけ羨ましかった。もうオレにはないものだから。
 飛行船の中でゴンと話していて感じたことだけれど、ゴンと比べてオレはずっと感性が乏しくて、感情の揺れが少ないらしい。家業の方じゃその方がずっと精神的に健康でいられて、危険から素早く逃れられるっていう利点だったんだけど、ゴンを見ていたら、どうやらそれがとても無意味で、もったいないことのように思えたのだ。だから、あの女を見てると昔の自分を見ているような気分になるし、オレのようにはならないで、ともどかしくなる。利子に限った話じゃないんだろうが、要は、あいつとってのよくないものを取っ払ってやりたくなったのだ。


「死人に口無しって言うだろ?」


 オレが少し挑戦的に(けしか)ければ、オッちゃんは引き攣った笑いを浮かべた。どうやらオレに殺られると思って漸く怖気付いたらしい。利子の放つ雑魚感に気が大きくなるのはわかるけど、死にたくねーなら早めに止めときゃいいのに。
 まあなんにしろ、兎にも角にもこれで一安心だ。利子は変に葛藤しなくていいし、オッちゃんは死なずにすんで、オレ達も三次試験の運命共同体の1人を失う可能性を回避できた。オレって結構気の利くいい奴なのかもしれない。
 どっかりと座って本棚にもたれる。テーブルに置かれた利子の腕時計(手当てするときに回収したのだ)によると朝の10時前になるらしい。外界と遮断されているから時間感覚が狂いそうだ。
 風呂場に繋がる扉が開き、利子が出てきた。「すっきりしたあ」と言う割に顔は少しだけ疲れを見せている。風呂上がりだからか肌はほんのり赤味があったが、爪先から髪の先まで湿り気は一切なく、セーラー服も破れてはいるものの汚れがなくなっているから本当に風呂上がりかと疑いたくなる。きっと魔術とやらを使ったのだろう。魔族に従う要素が少ないとかなんとか言ってたくせに、そんな無駄遣いしていいものなのか。


「レオリオさん、一応傷診てもらっていいですか?」

「……おぉふ」


 クラピカに怒られていたオッサンが目の前に座った利子に目を向け、目に涙を浮かべて感激していた。なんでだ。クラピカもオレと同じことを思っていたのか、「どうした?」とオッサンに尋ねている。なんだなんだ、女とまともに会話するのが久しぶりとかそういうんじゃないだろうな。


「聞いたか?今、『レオリオ“さん”』って言ったんだぜ?『レオリオ“さん”』って。オレは今猛烈に感激している。お前らにない年上への礼儀と礼節を感じた」

「オッサンにオッサンって言うことのどこが間違ってんの?」

「それを礼儀に欠けるっつってんだよ!」


 遠くから投げかけるとオッサンが立ち上がって反論してくるから笑える。利子が困った顔をしていて、クラピカがオッサンに「レオリオ、人間の見た目年齢の5倍が彼らの実年齢だよ」と呼びかけた。一瞬、オレの耳がぶっ壊れたんじゃないかと思ったけど、どうやらそうでもないらしい。ゴンもオッサンもオレと同じ顔をしていた。


「じゃ、じゃあ利子の見た目は大体オレと同じくらいだから、かける5ってことは、えーと」

「先に言いますけど60じゃないです」

「あー、丁寧語使っちゃいけないんだー」

「年上が勝手に使うのはいいんですー」

「オレがダメって言ったらダメなの!レオリオにもクラピカにもそういう遠慮みたいなことしなくていいんだからね!」

「あ、はいごめんなさい」


 利子弱いな。
 2人とも話が違う方へすっ飛んでいくのは、あーB型って感じするけど、同じBでも押しの強いBと弱いBで差があるみたいだ。利子がコホンと咳払いをして「わたしは見た目年齢12歳だとは思っていませんし、あっ、じゃなくて……思ってないし、見た目年齢5倍が実年齢っていうのは生粋の魔族だけなんですよ……だよ」と話の筋を引き戻す。オレは、年齢どうこうより、本当に出会った人間にすぐタメ語を使うのが苦手なんだってことしか頭に入ってこなかった。最早、そのまま丁寧語の方がすんなり内容が入ってきそう。


「わたしは混血だから純血の魔族とは成長の早さが違うんだよ。少し老いが早くなる」

「少し、とはどれぐらい違うんだ?」

「色々あるから一概には言えないなあ。人によってはただ長生きなご老人だったり、青年期が長くなったりするみたいだけど」

「利子はどうだったの?実は物凄くおばあちゃんだったりする?」

「こらゴン、女性にそういう尋ね方は失礼だぞ」


 クラピカが窘めると、利子は気にしなくていいとヘラヘラ笑った。なんでも、魔族の人生はとても長いから年齢にこだわらないんだとか。飛行船でババア呼ばわりしたら、まあまあ怒ったくせに、と思ったが、よく考えたらあれは単なる悪口だと気付いて口を挟むのはやめた。


「わたしは魔族の血が濃く現れた方だから7歳までは人間ペースで、その後緩やかに遅くなったよ。実家のある世界と眞魔国のある世界とじゃ時間の流れが違ってて、年の数え方も違うから実家の方じゃわたしは17歳だし、眞魔国の方ではわたしは37歳」

「37!?レオリオよりもずっと上なの!?」

「(ほんとにババアじゃん)」

「ずっと、というか、ほとんど倍だな」

「なんでオレ基準なんだよ!オレだって世間的には青年なんだぞ!」


 利子の説明の仕方にちょっと引っかかったが、それ以上に実年齢37歳のインパクトが強過ぎて細かいことはかき消えてしまった。オッサンが何やら騒いでいるが、その顔で10代と言われても現実味がないのが現実だ。ちなみに、最初に会ったとき、オレは利子に向かって、年齢を鯖読んでるんじゃ、って言ったんだけど、利子的には嘘をついていないのに図星でもあったからドキッとしたらしい。なんじゃそりゃと思ったが、よく考えたら利子からしたら年齢を疑われることは魔族だと疑われることとニアイコールだ。魔族というものの存在がどれほど浸透しているのかわからないのだから、当然の反応だろう。


「まあ、君達からしたら37はおばさんなのかもしれないけど、わたしからしたら12歳なんて幼児だからね。年の数え方を一括りにしちゃいけない。犬や馬の4歳と人間の4歳を比較するようなものだよ」


 さすが年齢を重ねているだけあってわかりやすい例えである。利子は「二重生活のせいでわけのわからない歳の数え方になってるだけだから、一応わたしの中では17歳が本来の年だと思うことにしてる」と加えてオッサンに掌を向けた。驚いたことに、ぐちゃぐちゃに膿んで皮の剥けていた掌はもうそこにはない。完全に元通りとはいかないものの、ある程度傷は浅くなっていて、赤味も引いている。魔術を使って炎症を抑えたとは言っていたが、こうも治るものなのか。これにはオッサンも目が点である。


「治癒魔術でできる限りのことはしたんだけど、これ以上魔力を使ったら死んでもおかしくないからできなくって。これってやっぱり薬塗っておいた方がいいかな?」

「魔族ってのは化物かなんかなのか?」

「やだな。細胞が元気出るように応援するだけだよ。だから即座に完全治癒みたいな超次元的なことはできないんだけど」

「十分超次元的だっちゅーの。……スゲーな、魔族ってのは。混血でこんなに使えるんだったら生粋の魔族ならもっとすごいのができそうだぜ」


 簡単に手当を始めるオッサンに利子は「そんなに変わらないよ。最近は魔力の弱い人も増えたみたいだけど、特別強い人以外はどんぐりの背比べだし」と答える。どれもこれも兄貴から1度は聞かされた話だ。確か、人間との混血は、得てして魔術が使えないんだったか。魔術が使えるか使えないかっていうのは、その人自身の魂が魔族のものであるかどうかにかかってると聞いている。純血の魔族は大半が魂も魔族のものであるらしいけど、稀にそうでない場合もあるらしい。そういう人は魔術は使えなくて、混血の多くは“そういう人”に当てはまるんだって。

 利子が、今度は胴の傷を診てもらうためになんの抵抗もなく上の服を脱いだ。一瞬だけ左肘に大きな薄茶色い肌が見えて眉を顰めたが、すぐに真っ赤な下着が目に入って慌ててそらす。顔に似合わず過激な色である。オレにとっては刺激的な視界だったけれど、意外にもオッサンはちゃんと真面目に取り組んでいた。本当に意外だ。
 「よくもまあ本当にこんな傷で死ななかったよなあ。ちょっと治ってるしよ」と感想を漏らすオッサンの言う通り、チラと見える利子の傷は掌のものとは違ってまだ痛ましさはあるが、手当をした直後のような生々しさは見られない。


「オレが外的できるようなことはないから鎮痛剤と抗生物質だけは飲んどけよ」

「ちょっとだけ持ってるし、それから飲む」

「あとブラジャーだと傷に擦れてよくねーから、ここにいる間だけでもやめときな。包帯なら大量にあるからサラシ代わりに使っていいしよ」

「あざ」


 利子は包帯を受け取ると慣れた手つきで傷口にガーゼを当てながら包帯を巻きつけていく。肩の刺し傷はガーゼとテープだけで保護し、袈裟斬りの痕は何周か包帯を巻くだけで終わった。
 利子は、自分の処置が終わるとオッサンに応急処置用の針と糸を借りて、自身の衣服の破れたところを塞いでいく。服の色と糸の色が全く違うから継接ぎなのは誰が見ても明白だ。利子も試験が終わったら服を処分する前提で縫い合わせているのだろう。直すというよりかは、とりあえず繋げるといった縫い方だった。そうは言っても、縫い物みたいな庶民がやりそうな作業をやる必要のない高貴な身分にしては異様に手際が良かったけれど。


「そう言えば、利子、熱高かったけど今は平気そうだね」

「39度直前くらいまでなら動けるからね」

「すごいや。それも魔族だと普通なの?」

「いや?フラフラするけど割といけるなーと思って動いてるだけ。いつもみんなに死ぬほど怒られるんだけど」


 言い終わった瞬間、利子はオッサンによってカウチに沈められた。当たり前だ。毒は効かない体質のオレですら、さすがに高熱が出たらダウンするし。そもそも極端に免疫下がったときくらいしか熱出ないけど。


「利子、今日の分の朝ごはんが来てたからそれ食べてから寝た方がいいよ」

「え」

「ゴンの言う通りだな。眠いなら今寝てしまってもいいが、胃に何かしら入れておかないと薬も飲めないだろうし」

「いや、その」

「おいおい病人に普通の飯食わせんな。ただでさえ消化器少しなくなってんだからよ」

「あの、わたし」

「白米、オートミールにしてくるぜ」

「おかゆな。……じゃなくて……もういいや」


 先走る3人に利子は引き止めようとしたが、挫折していた。そう言えば、利子は他人から個人的にもらったものを口に入れるなときつく言われているんだったか。二次試験の最後にそんなことを言っていたような気がする。
 国での立場が立場だし、きっと服毒の可能性があったんだろう。うーん、でもこっちに来てまで突き通す必要性ってあんのかな。今は立場なんてあってないようなもんだし。あ、でも“魔族”で“双黒”なら話が違うのか。オッちゃんみたいに無差別に薬盛る奴の存在も考えたら、それくらいの用心はするに越したことがないのかも。オレ、毒とかヤバ目の薬とか全然効いたことないから、そういうのに対してあんまり危機感がないんだよなあ。

 オッサンが出来上がったおかゆを持ってくる。利子はスプーンで十二分に水分を含んだ米を掬い、固唾を飲んだ。まあそうだろう。言ってしまえば、利子にとってオッサンだって“知らない人”だ。助けてもらったから信用しかけてはいたんだろうが、長年の習慣や習性は中々覆せない。「へー、オッサンって料理できたんだ」と言いながら近付き、スプーンにパクリと飛びつく。


「なにこれ、味しねー」

「おかゆだからな。なんでオメーが食ってんだよ。腹減ってんなら、おかずが残ってっからそっち食え」

「やだなー、毒味だよ毒味。見た目よくてもとんでもねー味だったら可哀想じゃん」

「ちゃんと味見してから出してるわ!」


 冗談めいたオレ達のやりとりに、きょとんとしていた利子の目尻が下がる。ゴンが唐突に「それにしても、本当に生きててよかったね」と利子に笑いかけると「ありがとう、ございます。ほんとうに」と誰に向けたわけでもない言葉が淑やかに放たれた。




title by クロエ
20160221
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