うすよごれている



 二次試験会場は、ヌメーレ湿原とは打って変わって、木々の合間から陽が射し込むような明るく乾いた森だった。ピスカ森林公園というらしい。名前がわかったところで現在地が把握できるわけでもないからどうでもいいんだけど。
 森林公園の一部は少しだけ開けていて、大きな三角屋根の建物が建っていた。で、わたし達受験生はその前で待機しているのだけども、中から大型猛獣の唸り声とも受け取れる音が響いているっていうのが現在のハイライト。わたしの予想では、@動物の唸り声、A動物の鼾、B動物のお腹の音の三択になっているわけだが、内2つは食い殺されかねないので希望としては2番目の寝てるというのに一票入れておく。

 さて、わたしとゴンくんの知り合いの男の人を担いでここまで来てくれたヒソカは建物から程近い木の根でわたし達を下ろしてくれた。ありがとうは言えなかった。“殺してくれてありがとう”なんて、わたしにとっては、そうそう容易く口にできることじゃない。
 ただ、それとは別に見限られないでよかったと安堵はした。してしまった。自分でも都合のいい奴だとは思うけれど、正直なところ、それくらい自己中心的に生きなければさっさと死んでしまう。言い訳ばかりで自分でも嫌になる。でも事実は事実だ。


「あ、あの、水、いりますか…?お口濯ぐだけでも、あの、いいんで」

「ん?ああ、ありがとな、お嬢ちゃん」


 ヒソカに殴られた彼の名はレオリオというらしい。彼によると、医者を目指しているのだという。まあ当たり前だけれど聞き覚えのある話だ。そんな彼に名前を問われ、答えるのに少し迷ったが、最早ヒソカだけではなくゴンくんもキルアくんも知っていることなので名前を隠すのは諦めた。メイン張ってる人ばっかに名前知られて、わたし、きっと死亡フラグ立てまくりなんだろうな。うーん……さすがに自意識過剰過ぎかしら?
 そこらへんに生えていたヨモギっぽい葉を2、3枚手折ってくちゃくちゃにしてから木の根本に座り込んでいる彼の手に押し付ける。擦り傷とかじゃないから効くかどうかわからないけど、何もしないよりかはマシだろう。打撲は微妙だけど、深く裂けている左の二の腕には使えるだろうし。
 レオリオさんの顔を覗き込みながら、「眩暈とか、目がチカチカするとか、ないですか?」と手を振りながら訊ねると彼は、「大丈夫だ。問題ねェ」と腫れた唇の両端を上げた。


「言ったろ?これでもオレは医者志望なもんでよ、自分の状態はオレが一番よくわかってる」

「ならいいんですけど、結構えげつない吹っ飛び方だったんで……」

「フッ飛んだ?オレ、吹っ飛んでこんなケガしたのか?」

「…え?(あまりの衝撃に前後の記憶失ったんかな)」

「つーかなんでケガしてんだ?なんか湿原に入った後の記憶があやふやなんだよな」

「(失ってんな)」

 「ってえなあ。こりゃ吹っ飛んで転んだだけじゃねえな」


 頬の晴れ具合を自分で触診している彼に、「まあ、覚えてないならその方がいいんじゃないですかね」と口にしながら目を反らす。ゴーグル越しの視界なので反らそうが反らさまいが関係ないのだけれど、何か聞かれたときにとてもじゃないけど平然と嘘は吐けない性分だから。これは兄も弟も同じで、弟に至っては正義感だけが取り得と言ってもいいくらいである。状況によっては嘘も方便かな、と考えているわたしとは少し違う。

 「とりあえず、」とレオリオさんに前置きして、「意識に問題なさそうなので、わたし、あの人のとこ戻りますね」と立ち上がる。「お大事に」と手を申し訳程度に振れば、「おう、サンキューな」と振り返えされた。彼はここにいる人の中では数少ない普通の感性を持っている人ように感じる。


「彼の様子はどうだった?」

「…どうだったも何も、あなたに付けられたら傷以外は何ともないですけど。殴られてちょっと記憶障害出てますけど」


 レオリオさんから離れてすぐにヒソカは見つかった。奴の薄気味悪い雰囲気や視線はわたしの感覚にすぐ引っかかるから、見つけるのにそう時間はかからない。「扉の上の楔型文字、なんて書いてあるの?」と問えば、「『本日正午二次試験スタート』楽しみだなあ」とだけ返答された。お昼時に開始とか、お腹を空かせた肉食動物と戦う線が濃過ぎて笑えない。何が楽しみだよ。人死んでんだぞ楽しくなんかねえよ。

 G-SHOCKを見れば、午前11時57分。始めは些細な事過ぎて気付かなかったのだが、わたし自身は時計の時間をこちらの世界には合わせていない。にも拘わらず、ヒソカに時間を聞けば1分たりとも針はズレてないし、iPodもiPhoneも微々たる時差すら見せないのだから、なんだかちょっと怖かった。なんでかわからないけれど、こっちの世界に馴染もうとしてるんじゃないかって思えて、心底気持ちが悪い。


「きたきた」

「ん?」


 ヒソカがやけに弾んだ声で呟くものだから、「何が?」と尋ねながら視線を追う。「ゴンっていう、キミよりも興奮させてくれる子」などと目を細め、先程私が立っていた方向を指差した。すると、少々焦った顔をしているゴンくんと厳しい顔をした金髪美人がレオリオさんの名を呼びながら駆け寄る。あのパツキン、美少女かと見紛う程女性的な顔立ちをしていたけれど、吃驚する程胸がなかったのでたぶん男の子だろう。肩幅もちょっとあるし。何て名前だったかなあ。彼も確か知ってたはずなんだけどな。
 そこまで考えてから、ふと冷静に頭を抱えた。凄い普通に聞き流しちゃったけど、あれ、え?ちょっとまて。まてまてまて。今こいつゴンくんを“興奮させてくれる子”って言わなかった?え?性的対象?わたしより、とも言ったよな。わたしより興奮するって?異性のわたしですら小6だか中1だかの子に性的興奮どころか恋愛的動悸すら生まれないんだけど。お前なにエキサイトしてんの本能壊れてんの?
 ぶるりと勝手に寒気を感じて二の腕をさすった。


「おっと、漸くスタートらしい」

「(テント張りながら言うなばか隠せ)」


 ゆっくり、焦らすように扉が開いていく。引き戸みたいな引手があるくせに開き扉らしい。「いやあ、何が待ちかまえてるのか緊張するね。怖いなあ」などと思ってもなさそうな言葉を口にするヒソカに、わたしはあなたの方が怖いです。と口を閉ざしたまま白眼視した。彼はそんなわたしの思弁に気付いているのかいないのか(たぶん前者)、こちらを向いてニコリと微笑んでから舌舐め摺りしたので、何がどうしてそんな行動に至ったかは知ったことではないけれど、もう本当に怖いったらない。自意識過剰だったらいいんだけど、狙われてるよ。獲物と性的対象が両立できるとか、とんだ性癖だよ。


「どお?お腹は大分空いてきた?」

「聞いての通り、もーペコペコだよ」


 扉の奥にいたのは、2人掛けソファに座った細身の女性と、その奥に開脚で地べたに座っているかなり太めで大柄な男性だ。男の方はTシャツジーパンというオシャレもへったくれもない出で立ちだったけれど、女性の方の格好は、編み上げブーツにデニムホットパンツ、黒ブラと鎖帷子(くさりかたびら)みたいな黒い網状の短い半袖で非常に刺激的で目に眩しい。年始にその格好っていうのがまあまず問題視すべき点だとは思うんですけどね。

 それはさておき、獣の唸り声とも取れる音の正体はと言えば、男性試験官の腹の虫だった、というのが現時点でのハイライト。予想の外れた周りの受験者達は少し戦意を削がれていた。
 どうやら審査員の二人は美食ハンターとかいうやつで、二次試験も料理なんだと彼らは言う。一発目の試験が体力勝負なのに対して随分な落差だ。ハンター試験なんて言うもんだから、てっきりもっと戦闘系の試験ばかりなんだと思ってた。なんていうか、モンハンみたいな。あとはハンターって言ったら長靴ブランドって感じ。


「ねえ、美食ハンターって何?ハンターっていくつかの類型に分かれてるの?」

「探求するものの数だけハンターの種類も分かれるのさ。トレジャーハンターなら宝、賞金首(ブラックリスト)ハンターなら犯罪者というみたいにね」

「美食を探すのになんでハンター?」

「世界中のあらゆる料理や食材を探すのに禁止区域なんてものが障害になるんだけど、ライセンスを持ってたらそういうのは一切関係なくなるから。美食を求めて自分が一流料理人になったりする輩だから、美食のために手段は選ばないってやつだろ」

「ふーん………え?ちょっと待って。一流料理人なのあの人達。あの女の人、今、あたし達二人を満足させる食事用意しろって言ってましたけど。一流料理人を満足させる料理って、は?バカじゃないの?」


 試験官2人が出した試験を要約すると、太い方の試験官が指定する料理を調理、彼の審査に合格した人のみ女性試験官が指定した料理に取りかかれるとのこと。つまり2回審査があるってことらしい。しかも試験官が満腹になった時点で試験終了という曖昧過ぎる制限時間。もっと目に見える形にしてほしい。
 料理の種類云々はともかく、一流料理人を満足させるという途轍もない課題にしゃがみこんで頭を抱えていると、太い方の指定メニューが公表された。


「豚の丸焼き!!オレの大好物!」

「(それ料理じゃない)」

「森林公園に生息する豚なら種類は自由!」

「(しかもやっぱ屠殺から)」

「それじゃ、二次試験スタート!!」


 試験官の合図で受験者が一斉に走り出す。しゃがみこんでいたわたしは眼前に迫った受験生の膝蹴りを思い切り食らった。鼻血出るかと思った。しばらく悶絶してから立ち上がると既に周りには誰もおらず、完全に出遅れている。試験官の2人も受験者が散ったのを見て、「あんたも性格悪いわね」何て言いながら顔を緩めていた。


「ビスカの森に生息する豚は、たった1種類だけでしょ?」

「世界で最も狂暴な豚、グレイトスタンプ。大きくて頑丈な鼻で敵を潰し殺す!!逃げ遅れれば自分が豚の食料になっちまうぜ!!」


 なっちまうぜ!!じゃねえよ怖すぎるよ。行く気完全に削がれたよ。
 そうは言っても、ここでリタイアしては、不合格ついでにそのまま置き去りにされて次の試験会場に向かわれるってケースも可能性としてはなくはない。ぐずぐずする鼻を啜って建物内に設置された調理台から柳葉包丁を拝借した。刃渡30センチ程度で剣代わりにするには少し心許ないけど、普通に考えて生身で世界一危ない豚と渡り合える気がしないし。
 リュックは邪魔だから調理台に置いて、念のため、試験官に包丁を持ってっていいかと尋ねると、まだいたのかと驚かれたが、了承を得た。森へ突き進むとお目当ての豚は他の受験生がもう戦っていたからすぐに見つかった。命の危険を感じ取った豚達が暴れまくっており、受験生が逃げ惑っている。先程試験官が口にしていた鼻は大きくて見るからに硬そうだったし、実際、受験生を追って突撃した木がメキメキと音を鳴らして折れていったところを見ると殺傷能力は申し分ない模様。唖然だ。


「あっ、利子!その豚、頭が弱点だよー!」


 大きな声の方へ顔を向けると、たった今豚を仕留めたらしいゴンくんが左手をメガホンのように口に当ててこちらに手を振っている。その拍子にわたしの存在に気付いた豚が、他の受験生を追い回すのを止め、わたしの方へと頭を向けた。背後から、こう、ガバッと行くつもりだったのに誤算すぎる。少なくとも真正面から挑むつもりなんてこれっぽっちもなかったのに。


「げっ!」

「危ない!」

「利子!直前で避けて頭を攻撃するんだ!」

「(そんな器用なこと出来んわ!)」


 豚が声を上げて突進してくる。まだ若いのか、ゴンくん達が持っている豚より数回りは小さいけれど、それでもわたしよりもよっぽど重そうだ。体高は1メートルといったところだろうか。後ろに木や壁はないから押し潰されることはないだろうが、口元の牙は刺さったらそれなりに痛そうだ。
 意を決して、包丁の柄を咥える。豚が鼻でわたしを吹っ飛ばそうと姿勢を下げた。待って、待って、あともう十数センチというところで右に避け、豚の耳を鷲掴む。左足で踏み切って背に飛び乗ると、途端に前足を上げた。脹脛と腿で締め上げ、腹筋を使って体を起こして耐えると今度は後ろ足を振り上げる。彼にしたら渾身の力なんだろうが、眞魔国で乗らされた牡馬に比べればなんてことはなかった。
 ゴンくん達が何か叫んでいたけれど、風を切る音で何も聞こえない。どうせ急所を教えてくれてるんだろうな。なんて思いながら、暫くバタバタと振り落とそうとする動きにしっかりついていく。足の力を上手く使って壁を作って会場へと誘導し、引き摺って行けそうな距離まで来たところで包丁を両手で逆手に持った。転げ落ちないように足はしっかりと豚の体を挟み込む。


「(ごめんね)」


 掌にじんと重たい感覚がやってきて、豚が甲高い声をあげた。刺しただけじゃ漫画や映画のように血飛沫なんてものは出てこず、豚は再びバタバタと暴れる。肩甲骨のすぐ傍。位置は悪くない。刃先がまだ少し浅いところにあるんだろう。掌を柄の先に当て、ぐっと押し込めば、豚はとうとう動きを止めた。
 勢いよく崩れ落ちる体に足を挟まれ思い切り引き抜くと、彼の目と目が合う。彼の背に刺した包丁を引き抜くと血が頬にまで飛んできた。ヒソカがわたしを捕らえた男の腕を切ったときと同じだ。ドクンドクンと心臓が脈打つたび、下草が赤く染まる。頬の血を指先で拭い、剣先を払って血液を空へ飛ばした。言葉なんか話せないはずの彼の目が物言いたげに光っていて、ゆっくり力を失っていく。消え入る前に指先で彼の瞼を閉ざし、首の頸動脈を素早く切った。血抜きはすぐにやらないと美味しくなくなってしまう。本当は逆さ吊りの方がきちんと抜けるのだが、いかんせん筋力と気力が全く足りていない。
 血液を抜いている間に会場から塩と胡椒を持ってきて下味をつけ、ついでに持ってきた大きめのボウルに外した内臓を全て入れていく。周りは随分と人が増えてきて、太めの男性試験官の前に出来上がった豚の丸焼きを頭の上に掲げて列を成していた。一体いくつ食べられるのかわからないけれど、早く焼いてしまわないと。

 傍で別の受験者が火から豚をあげて走っていく。火はまだ豚の脂で勢いよく燃えている。急いで試験官の元へ向かって、消し忘れたのであろう。本当ならば火事になるところだったって注意するとこなんだろうけど、ありがたい。火を起こすところから始めるだなんて時間が惜しい。
 幸運なことに、さっきの人は石を積んでかまど型にしてから棒を豚に刺し、炙っていたらしい。おそらく炙るのに使ったであろう棒は傍に転がっていた。棒を豚に突き刺し火にかけ、かまどの一部となっていた一番大きな石を豚の腹に押し込む。熱さで思わず声が漏れた。
 触れる前から熱気は伝わっていたけれど、押し込んで支えることの熱いこと熱いこと。パーカーの袖で包んで熱を通しにくくしたかったけれど、火が燃え移ったりなんかしたら、それこそ惨事だ。掌はじゅうじゅうと音を立てていて、もはや熱いを通り越して痛みしか感じない。


「(けど、開いたとこ、真横向いてるし、離したら石が落ちちゃう。……あの試験官の前も随分と長い列が出来てる。これ以上、遅れをとったらダメだ)」


 眉間に皺を寄せ、歯を食いしばっているうちに全体がこんがりときつね色になっていた。全身の肉質が豚トロ状態なのか思ったよりも火が通るのは早い。五分を少し過ぎたくらいだろうか。少し乱雑に豚を下ろし、刺さったままの木を支点に肩に担ぐ。体脂肪率が高いのか、重さは担げないほどじゃない。お父さん2人分って感じ。掌はもう水膨れが出来て限界だったから手首で枝を抑えた。豚の脂が頭のみならず、パーカーをベタベタにして物凄く不快だ。こんなことならもう一枚ずつぐらい着替えを買っておけばよかった。
 最後尾に並んで試験官の実食を待つ。「二人が“おいしい”と言えば合格」と言っていたから、てっきり実食は味審査の試食程度に済まされるものと思っていたが、どうやら早とちりだったらしい。1頭1頭、ガチ食いである。わたしまであと30人程間にいて、すでに食べ終わっているっぽいのが30人程度。最後尾というより最後なのである。わたしなりに頑張った。頑張ったけど無理だ。落ちたわ。あと30頭食べるとか消化器爆発する。40頭超食べてる時点でもう割と身体の構造バグってるけど。


「うん、おいしい!これもうまい!うんうんイケる。」

「(いやいやいや、)」

「これも美味。」

「(お前マジか。)」


 わたしの豚の骨が骨の山に投げられ、カランと軽快な音がなる。目をぱちくりとさせ、骨の山から試験官に視線を戻すと「皮がきつね色でパリパリなのに、ちゃーんと中まで火が通ってるの、キミだけだったね」と言われ、長いゲップを浴びせられた。風圧で金色の髪が靡く。なんだろう。褒められてるのに、あんまり気分がよくないんだけど。
 彼はTシャツに収まりきらない腹をポンと掌で叩くと満足気に舌で口周りを舐めた。


「あー、食った食った。もーおなかいっぱい!」

「お、お粗末さまでした……」


 やっべーよハンター試験。意味わかんねーよ。ハンターって対象物を狩猟(ハント)するからハンターって言うんだってわかってたけど……、わかってたけど美食にハンターってワードついた途端、マジで食材殲滅レベルで食べるのね。
 試験官の胃袋に戦慄しながら、受験者集団の方へと戻っていると、いつの間にか用意されていた銅鑼の音と女性試験官の「終ー了ォー!!」という声が響いて心臓が跳ねた。彼女は審査基準に不満があるのか、ごたごたと何か物申していたが、通過したものは仕方がないと通過人数を宣告するとともにもう一度銅鑼を鳴らした。

 さてさてさて、問題はここからだ。いや、まあさっきの試験もその前の試験もわたし的には大問題だったんだけど、これからも一体何の課題が出るかによってわたしの生死が左右される。両手は火傷を負ってるし、さっきみたいに軽々しく豚の丸焼きとか言われたら結構本気で泣ける。試験官の方も「あたしはブハラと違ってカラ党よ!!審査もキビシクいくわよ!」っつってるし、次凶悪獰猛生物選びやがったらホント、お前ら、勘弁して。


「二次試験後半、あたしのメニューは……スシよ!!」


 何かの聞き間違いだろうか。今、寿司って言った?あれここ地球じゃないでしょ?まさかスシっていうモンスターの丸焼きとかいうオチかなんかですか?
 周りのみんなも途方に暮れた顔をしていて、なーんだわたしだけじゃないのね。と少し安心する。少なくとも有名なモンスターではないようだ。スシがわからず騒めくわたしたちを見て、ふふん、と試験官が笑みを浮かべた。


「ま、知らないのもムリないわ。小さな島国の民族料理だからね。」

「(おやおやおや?)」


 試験官の言葉にムクムクと希望が生まれ始める。「ヒントをあげるわ!!中を見てごらんなさーい!!」という声で先程わたしが忍び込んだ建物内が解放された。必要最低限の水道と各種包丁が取り揃えられていると試験官が言う。


「(こ、これはもしや本当に……?)」

「スシに不可欠なゴハンはこちらで用意してあげたわ」

「(スシキターーーーー!!!!!!!!)」

「そして最大のヒント!!」

「(うおお、まだあげちゃうのかヒント!すごいな!太っ腹だな!)」

「スシはスシでもニギリズシしか認めないわよ!!」

「(神は死んだ)」


 なんだそれ。全然ダメじゃん。軽々しく握り寿司とか要求すんなよカッチカチに握んぞ。ただの寿司なら家庭向きのがいっぱいあるのになんで職人系TOP10入り確実の握りを選んじゃうかなあ!しかも!よく考えたら!ここ!森!
 試験官のスタートの合図でみんな一斉に調理台に向かって調味料を覗き、スシを想像する中、わたしはお酢と砂糖、それから塩を耐熱ボールで混ぜ合わせた。砂糖は溶けにくいから、前日に混ぜておくといいんだけど、仕方ない。それを済ませてから別の調理台のご飯が入っていたお(ひつ)に被せられた桶を、手が痛いものだから帽子のように被せて外へと爆走した。
 しかしながら、わたしは特段運動が得意なわけでも足が速いわけでも持久力があるわけでもない。足が遅いわけでもないだけマシだが、やはりすぐにへばった。最初の勢いはどこへやら、ゲッホゲッホと噎せながらトボトボと森の奥へと進む。試験官も鬼ではないらしく、森に入って間もないうちに川にぶつかったのが唯一の幸い。が、わたしの求めるポイントはここではない。川沿いを歩いて上流へと上がっていく。


「お!おおー!一か八かだったけどあったぁー!滝っていう程、滝じゃないけどちょっとした段差と浅瀬!軽い渓流みたいになってるんだなあ」


 ここに来てすぐ、周りを見て年始ということには気付けた。それと同時に、日本の真冬の寒さでもないことは肌身で感じていた。今もそうだ。さっきまで火にあたっていたとはいえ、制服にパーカーという薄着でも丁度いいくらいだ。体感では中秋といったところ。日本で言えば、秋鮭が美味しい季節と同じくらいの気温なのである。
 美食ハンターだかなんだか知らないが、寿司に川魚を合わせようとしてる時点で試験としてだいぶ狭き門だ。川魚なんて生で食べようもんなら寄生虫にパラサイトされて病院行きほぼ確ですからね。それでもいいっていうならいいんですけどね。


「(それでもわたしは鮭を狙うんですけどね!!)」


 動きにくいからと油で塗れたパーカーを脱ぎ捨て、ついでに洗ってしまおうと水に浸して少し大きめの石で重石をする。手がビリビリと痛んだ。下を向くたびにはらはらと落ちてくる髪を後ろでくくり、セーラー服のスカーフと黒タイツ、それから視界を邪魔するゴーグルをこの際外して水を張った桶とともに岸に置いた。そこまで奥地でもないけれど、みんな初めにぶつかる所で釣るだろうからそこまで見られる心配もないと思うし。
 ローファーを脱いでザブザブと川に入っていくと指先が痺れる冷たさに襲われる。秋の気温と言っても、やはり水温はぐっと冷たい。火傷した両手を浸すと、痛みで沁みるものの放熱されていく感覚が心地いい。なんというか、浄化されてく気分……なんて思いながら、そろそろ魚を探そうと水底を覗き込む。下を向いて瞬きをしないでいるとコンタクトが落ちそうだ。やっぱりわたしの真下には稚魚レベルの小魚しか泳いでないっぽい。まあそうだろうなと段差の近くに目をこらすと少しサイズの大きい何尾かがパシャパシャと水の上を跳ねていた。もう本当に、わたしってすっごく冴えてる!
 その場から、そろりそろりと摺り足で静かに前進して、身をかがめる。丁度岩陰が腰を折ったわたしと重なってて、わたしの存在をいい感じに誤魔化していた。堰を登ろうとわたしの足元の向こう側とこちら側を行き来する魚が漸く全速力でこちらに向かってきている。腹は赤くて口先はしゃくれ気味。よしばっちこーい!


「うわっ!」

「え?」

「す、すまない!」


 突然の声にスカート下から様子を伺うと、誰かに謝られた。上下白の細身の長袖着ていて、上から青地に黄色の刺繍が入った布を被っている。瞬間的に、あ、ゴンくんと一緒にいた人だ、と思い出す。顔美しいのにおっぱいえぐれてる人だ、と。
 そんな美しい人が顔を隠し、謝って、さらには「他意はないんだ」などと弁明をし始めるから、思わずわたしの背後に誰かがいるのではないかと顔を上げて周りを確認してしまう。


「あのぅ……誰もいませんよ?」

「え?」


 恐る恐る顔をあげたその人は、近くで見てもまあよくぞここまで整ったなというくらいに端整な顔立ちをしていた。しかもまだ恥ずかしいのか、わたしから目を逸らしたままで、それがまたなんとも言えない気持ちにさせる。所謂、伏目ってやつですわ。顔の端整さで言えば、うちのヴォルフとタメを張るくらいだから、その破壊力と言ったらない。世の中不公平なものである。女のわたしにこそ、その美しさをくれたっていいんじゃないの。


「いや、キミであってるよ」

「わたし、なんかしでかしました?」

「むしろ私が悪かったというか、その、下着が……」

「ああ、パンツ」


 わたしが呟くと彼はその端整な顔を逸らしたまま、真っ赤に染め上げ、「そうだ」と頷く。これが男だというのだから本当に、世の中不公平だ。もういっそ、ちょっと胸のえぐれた女の子として生きていった方が世界を平和に導くのではと思う程である。


「まあパンツぐらいいいんですよ。中身さえ守られてればね。昨今危ないですから、生きていれば割と十分っていうか」

「だからといって恥じらいをかなぐり捨てるものでもないだろう。ここは血の気が多い輩ばかりだ。女性なら、なおさら気をつけないと」


 不意のジェントルワードに思わず口篭る。コンラートが言いそう、なんて思っていると、こちらに来る直前に起きたことまで想起してしまい、視線が下がって口がへの字に曲がる。その姿を見た彼が再び謝った。


「気分を悪くさせたかったんじゃないんだ。ただ、あの格好で一体何をしていたのかと思ってだな」

「何をってそりゃもちろん二次試験を……あっ、鮭!」

「サケ?」

「狙ってたのに忘れてた!」


 水面に顔を近付けて確認するも、既に時遅し。当たり前だ。恥じらい云々の話をしてる時点でとっくに駆け上がっていただろう。無念。後ろで金髪の人が「だから女性がそんな格好を……」とか何とか言っているが、最早貴様に構っている暇などない。彼がここにいるということは寿司が少なくとも魚を素材に出来ることを知っている人間が他にもいる可能性が高い。彼自身がその知識を持っていた人物だとしても、たぶんゴンくん、キルアくん、レオリオさんあたりには教えていそうだ。見た限り仲が良さそうだったし、他人のわたしにすら心配する人物だ。情に厚くないわけがない。
 別にね、いいんだよ知られるのは。寿司の素晴らしさが異世界レベルで広まるのは誉れ高いことだし、日本人として鼻が高いしね。でも今回は、違う世界の人類であるはずのわたしが知っていて他の人が知らなかったことが即座に明かされてるっぽいこと。つまり奇跡的なハンデに巡り会えたっていうのに、一瞬で亡き者にされてるわけ。時間も惜しくなるわけ。
 かといってさすがにこれ以上パンツを晒して目を汚させるわけにもいかないので、裸足のまま岩で出来た段にあがる。常に水に当たっている部分はぬめりがあって少し不安定だったが、乾いた部分に上がってしまえば問題なかった。むしろ日向に当たっていて柔らかな温もりが足底から伝わってくる。そこにしゃがみ込み、腕をダラリと下げた。少し離れた段差では先程の彼が飛び跳ねる鮭(っぽい魚)を何尾か既に捕らえていた。早過ぎだろ。わたしも、と意気込んだところで早くも魚が水面から現れる。驚いて「うわ、」と声が漏れたが、魚の側面から左手で岸の方へと叩くとポテッと魚が地面に落ちた。ラッキーパンチ。これぞ熊の鮭獲りver.利子。掌は火傷も相まってヒリヒリしたが、特に事なきを得ている。「やった!やった!」と軽い足取りで乾いた岩の上を越え、魚を桶に入れた。口先は長くて尾鰭がくの字に曲がってる。オスか、これはツイてる。
 その後も数分で5尾程、ポンポンと獲れてしまい、桶が持てなくなりそうなので引き上げる事にした。スッと立ち上がると、ずっと同じ姿勢でいたからか背中と脹脛がピリピリと痛む。うんと伸びをすれば、真っ青な空が見えて、なんだかちょっといい気分だ。こーんないいお天気に過酷な試験だなんてバカバカしくなっちゃうなあ。


「じゃあ、わたしはこれで」

「随分と反射神経がいいな」

「ああ、マリパで鍛えてましたからね」

「まり……ぱ……?」

「あっ、……や、今の忘れてください。はは、はぎゃ!?うわっ、なになになになに!」


 思わず口が滑って、いっけね。こっちにはマリオパーティどころか任天堂もないのか。何があって何がないのか全然わかんないなあ。なんて思って、振り向くと目が合ってヘラヘラ笑う。すると、途端に彼の目が丸くなり、ザブザブとこっちに来たかと思えば、力強く肩を掴まれた。えっ、なに?


「生き残りがいたのか。」

「はっ?なにが!」

「誤魔化さなくていい、私もクルタだよ。可哀想に。試練も受けれなかったのか。緋の目になっている」

「え?え?クルタ?ひのめ?」

「キミのその赤い瞳だ。世界7大美色のうちの1つでな、マニアの中では非常に価値の高いものなんだよ。緋の目は私達クルタ族だけが持っていて、興奮すると赤く染まる。普通なら緋の目を自身で制御出来る者だけが外に出れるんだが、キミは……」

「いや、わたしこれは常にこうでして」

「常にだと?……まあ、あの惨劇を目にしたらそうなるのも無理もない。だからゴーグルをしていたのか……賢明だな。いつも緋の目とは、さぞかし生き辛かったろうに」

「あー、まあ目には困ってますけど……(真っ黒で漢方薬扱いされて)」


 どうやら彼はわたしを自分の一族と勘違いしてるらしい。お互い名前を知らないのは事件のショックによる記憶喪失ということにされ、“改めて”名乗られた。ので名乗った。同じ一族どころか会ったのも初めてだというのに(しかも確実に)改めてっていう言葉の違和感が半端じゃない。一体、記憶喪失を引き起こしても無理はないって思える惨劇とは。“生き残ってたのか”って言葉から推測するに全滅系しか思い浮かばない。漫画に乗っていた気がするけど、もう何にも覚えちゃいないし。老化って言うほど歳食ってないんだけどなあ。地球年齢では一応17歳なんだけどな。


「ええと、クラピカさん、わたしそろそろ行かないと間に合わなくなってしまうので」

「ああ、そうか。わかった。それより敬称なんてやめてくれ。丁寧語もよそよそしいだろう?」

「あー…、まあ、慣れたら、追々」


 慣れて仲良くなって死亡率高める前に元の世界に帰る方法を見つけるつもりだけど。でもあんまりないがしろに言葉を返す事も出来なくて、苦笑いを返す。川から引き上げたパーカーを絞って足を拭き、タイツとローファーをさっさと履いてゴーグルを付ける。バレたのがクラピカさんでよかった。彼には悪いが同じ一族と思ってくれるなら、彼がわたしが思っている通りの人であれば、わたしの目について特に他の場所で言及することはないだろう。それはありがたい。
 ぺこりと会釈をして建物へと戻っていく。


「さて、まずは酢飯からいきますか」


 先ほど合わせ酢を作っていた調理台に立ち、蓋をされた桶を開ける。良い粒立ち。匂いだけでお腹空くわ。そう言えばお昼食べてないなと思いながら合わせ酢をお米にかける。煮物でもなんでもそうだが、食べ物なんてものは熱いうちに味付けをして、熱が外に逃げるときに味が染み込むのだ。先ほど別の調理台から桶をとったのは自分のご飯を冷ましたくなかったから、という自己中心的理由からなのである。
 リュックの中からうちわの代わりにと下敷きを取り出し、パタパタと仰ぎながら米粒を潰してベチャベチャにしないようしゃもじでお米を切り混ぜる。下敷きはたぶん前回眞魔国に忘れたやつをコンラートが入れてくれていたんだろう。走ってる時は勉強道具マジ邪魔とか思ってたけど、今になってそのありがたみを感じるとは思わなかった。


「(手、痛いけど、さっき冷やしたし、ちょっとマシになった気がする)」


 ある程度冷ましたらとっとと切り上げ、先程獲ってきた鮭に手を伸ばしかけてから、はたと手を止める。そう言えば、缶詰と卵、あったんだと思い出し、リュックから取り出した。幸いにも卵は布系の物に包んでいたから割れていない。調味料を改めて確認してみたら、お寿司に必要なお酢、砂糖、塩だけでなく酒やみりん、ポン酢、ケチャップ、マヨネーズにオイル系、薬味やハーブ、スパイス類まで揃っているではないか。なんだこの空間。全部揃ってやがる。うちのキッチンかよ。
 卵は3つ全て溶いて、少しだけ卵液を残して出汁巻きに、缶詰は鯖の味噌煮はしまってシーチキンとコンビーフをそれぞれお皿にあけてマヨネーズと和える。これでネタ3つは出来た。本当なら色の異なるネタが5つあると見た目が華やかになるのだが、この場でこれだけ出来れば十分だろう。あとは本日のメイン、鮭(っぽい魚)の身と魚卵ではなく白子。テレビでやってたときは捌いてポン酢つけてて、「鱈の白子は市場に出回ってるんですけど、鮭のは足が早いから珍味なんですよ。しかも産卵期で栄養溜まってて美味しいんですよー」とか言っててわたしも食べてみたかったんだよなあ。
 ただ、イクラや数の子の味付けをしたことはあるが鮭の白子は触るどころか生で見るのも初めてだ。ビタビタと跳ねる魚を押さえつけて、柳刃包丁の切っ先で脊髄だけ切り離しておく。柔らかな腹を裂けば、内臓とともに白い物体が2つ現れた。めっちゃ美味しそうだったから狙ってみたんだけど、寿司にするの勿体無いくらい眩い。雲丹みたいに軍艦にした方が良さそう。
 お櫃に桶を被せ、その上にネタ4品と水、ポン酢、チューブの山葵、細く切った海苔を乗せてガミガミと受験者に怒鳴っている試験官の方に向かう。


「今度は握りが弱い!!持って崩れず、食べてほぐれるのがシャリなの!あんたのは酢飯!!次!」

「あのーぅ……」

「なんなのそのバカでかい入れ物は。あんたあたしのヒント見てないどころかさっきのハゲの作り方すら聞いてないわけ?」

「ここで握ろうと思って。海苔湿ると美味しさ半減なんで」

「ここで握るって?」


 先程までの血の昇りようはどこやら、「ふーん、やって見せてよ」と途端に冷静になる。超怖い。なんなの、料理の専門学校でもないのになんでこんな視線でプレッシャーかけられないといけないの。怖過ぎて「プロじゃないんでご飯持っただけで重さわからないですし、力加減もよくわかんないんで点数甘めでつけてくださいね」と申し訳程度にお手柔らかに的なことを言ってみたが返事はなかった。息詰まりそう。

 テーブルにネタを揃え、右手側でお櫃をあける。よく考えたらネタ的に山葵いらんかったわ。袖をまくって右手の中指と薬指、左手の掌に水をつける。


「わたしお寿司やさん行ったら、まず初めにガリ食べてからコハダか〆鯖を頼むのが好きなんですけど、あいお待ち。……サッパリしてて始めに持ってこいっていうか。あ、これツナマヨですー。変わりダネ用意してみましたー。……あ、それでね、ここ川しかないじゃないですか。鯖とかコハダとか無理じゃないですか。そもそも酢締めしないといけないし。あいコンビーフ。……だからどうしようかなーって思ってて」

「ちょっと待て」

「え?」


 喋りながらポンポン出していたら止められて、あ、やべ、唾飛ぶから話しながら握るなとかそういうやつかな。うわー、まずったぁー。なんて思っていたら、違った。「あんた握って何年?」と問われて固まる。何年って程握ってたわけじゃない。6歳の頃に知り合いの超金持ちでハードワーカーの米国籍のおじさんが「寿司が食べたい」って言うから、喜ばせたくって作ってたら、一時期あの動きを真似するのにハマっちゃったっていうそんだけの話。かっこいいよねえ『ヘイお待ち!』なんつってね!ね!まあでもホントそんだけなんだけど。
 まさか試験官が驚くなんて予想外で、ちょっと嬉しい。苦笑しながら「職人さんに比べたらクソみたいなもんですよ。あ、醤油はガリにつけてネタにこぼしてくださいね、軍艦なんで」とは言ってみたものの心の中では満更でもないどころか超絶有頂天になっちゃうわたしは本当、引くほど素直だと思う。


「へぇー、意外とおいしいじゃない。確かに握りは弱いけど、火傷ってことで多めに見てあげる。あたしこういうキワモノ待ってたのよねー。これコンビーフでしょ」

「ご飯にと思って買ってました」

「幸いしたのね」

「で、これがメインなんですけど……」

「なにこれ」

「ポン酢でどうぞ」

「いやなにこれ」


 白子の軍艦に試験官が疑いの目を向けまくるので、「そう言えば、さっきおいしいって言ってましたっけ?わたし合格ですね。海苔が湿っちゃうんでわたしが食べてもいいですか?」と手を伸ばす。おもくそ叩かれた。火傷にまで響いたし「これ食べるまであんた不合格」とか言われて泣きそう。絶対今の勢いで言ったよあの人。


「えっ、なにこれ!すっごいおいしいんですけど!牡蠣のようなクリーミーさにポン酢がよく合ってる。なにこれ!」

「白子です。鮭の。というか鮭みたいな魚の。鱈の白子なら天麩羅でよくあるんですけど、知りません?」


 はしゃぐ試験官に尋ねると思い当たる節があるのか「あー、言われてみればそうかも。豚の睾丸とかは食べたことあるけど、魚の精巣を、しかも川魚の生のやつを食べたことはなかったわ」と脳内に蓄えた味の記憶と照らし合わせている。一方わたしは「一般流通してないですからね」などと真面目に返答するものの、昨日の晩御飯なに食べたかすら忘れるときあるわー。と空を見上げ、雲の流れをぼけっと眺めた。


「いやー食った食った。作り方がバレた時点で川魚は出されると思ってたけど、まさかそこで肉と精巣とはあたしも吃驚だったわ」

「寄生虫いるから身はやめました」

「なるほどね。あんた見た目によらずよく知ってるじゃない。ま、ここ川は水質がちょっと他の川と違うから天然物でも寄生虫いないんだけど」

「え」

「あったりまえでしょ!じゃなかったらこんな試験、こんな場所でやらないわよ。」

「なるほど」

「腕は中の上だし、素材のポテンシャルを最大限引き出せてるかって言われれば絶対に違うけど、あんたの国の文化とあんた自身の知識、あんたなりの料理へのこだわりと機転、食べる側への配慮は十分誇っていいわ。っつーことで43番、合格ね」

「やった!」


 まあそんなこんな晴れて合格をもらったので、るんるん気分で自分の調理台に戻る。残った食材はお昼にしてもいいとのこと。酢飯には白ごまを更に足して、ツナマヨとコンビーフを入れたおにぎりに。そのおにぎりを咥えたまま、残った卵液でもう一度出汁巻きを焼きあげた。おにぎりを手で持ち、出来上がった出汁巻きを棒状のまま齧る。これがもう丁度いい半熟加減で、頬がパンパンに膨むほど詰め込んだ。わたしは今、幸せを噛み締めている。
 もぐもぐしながら、合わせ酢の入っていた耐熱ボウルをサッと洗って塩水を張る。桶に残っていた魚のうち、雌をまな板にあげて腹を開いた。1粒1粒が大きい筋子が見え、思わず感嘆が漏れる。こんなん、もう、赤い宝石やで……。
 筋子を塩水にさらし、汚れを落としながら筋とイクラを手早くほぐすこと3回。綺麗なツブツブがボウルを埋める。少しの間塩水に浸し、その間に鮭を簡単に刺身にする。頭は鰓周辺の鎌の部分だけ残し、塩を振ってオーブンに突っ込んだ。ここの部位は切り身に出来ない切りにくい部分なので敬遠されがちだが、その実、鰓を常に動かし続ける部位でもあるため脂が乗って非常に美味しいのである。実家にいるときはよくママにせがんだっけなあ。
 シンクの下に蓋つきの中サイズのガラス瓶をいくつか見つけたので5つ程取り出し、そのうちの1つに料理酒とお醤油、めんつゆ、みりんを入れて混ぜ、先ほどのイクラを詰めて蓋をした。2つ目には蜂蜜、お酢、塩、砂糖、オリーブオイル、胡椒を混ぜいれ、切り身を入れてから側面と一番上にローズマリーを差し込む。3つ目にはオリーブオイルと塩、胡椒を混ぜ、先程と同じように切り身を入れてから、今度は月桂樹(ローリエ)を差し込んだ。これでとりあえずイクラの醤油漬けとサーモンのマリネ、オリーブオイル漬けが出来た。保存食だし、明日以降になったら暫く美味しく食べれるだろう。
 残りの瓶の片方には、チューブのおろし生ニンニクとオリーブオイルを混ぜ入れて蓋をし、もう片方には、醤油、みりん、酒、チューブのおろし生姜とニンニク、胡椒を全て目分量で適当に混ぜたものを詰める。前者は食べ物を炒める時に、後者は食べ物に下味をつけたいときに重宝出来るのだ。これから何が起きるとも限らないし、ちょっと荷物は多くなるけど食べ物はあるだけ困らない。
 しかしこれだけモノを作っても余るのが鮭の身だ。1尾が中々に大きいのに、2尾も切り開いているので使い切れないこと使い切れないこと。生きている残りの4尾は川に返したけれど、1.5尾分も残ってしまっている。これはちょっと勿体無い。とりあえず、刺身になっているものは全てマリネにしてしまい、残りの1尾を焼きあがった鮭鎌2切れを貪りながら見つめる。どうしよう。仮に何かを作ったとしてももうリュックには入らないし、胃になんかもう切り身1切れ分の隙間もない。うんうん悩んで、跳ねるように席を立つ。あ、クラピカさんにあげちゃえばいいんじゃん。ゴンくん、キルアくん、レオリオさんの3人も知り合いっぽいし、一気に消化できる。


「クラピカさん、今いいですか?」

「あ、利子だ。クラピカと友達だったの?」

「さっき知り合ったんですよ」

「利子は私と同じクルタの人間だったんだよ、ゴン。いつも目が赤くなってしまっているからゴーグルをつけているんだ」

「へぇー。オネーサン素性隠してるわ、骸骨運んでるわだったから、オレてっきりもう少しヤバい人だと思ってた」

「(その割には随分と疑いの眼差しが突き刺さるんですけど)」

「で、一体どうしたんだ?まさか魚が苦手というわけでもないだろう」

「魚が余っちゃったんで、お裾分けに。」


 サーモンのマリネをクラピカさんに差し出しながら、「ご飯食べようと思って余った魚で作ったんですけど、食べきれないし、瓶には入らなくって。内臓とか下処理だけ済んでますからそのまま捌けば使えますよ」と桶に冷やしておいた鮭を桶ごと押しやる。いい出荷先があってよかった。「じゃ、これで」と踵を返すと、「ちょっと待った」と引き留められる。丁度レオリオさんが皿を手に審査から戻ってきたようだ。お皿には白身魚のお寿司が乗ったままだった。


「魚が余ったって、ご飯食べようと思ったってそりゃつまりあんた……」

「合格したの!?」

「え?はい。え、な、何か問題でも……?」

「ありまくりだよ!オレなんか見てみろ!手さえつけられてねえ!」


 キルアくんが口笛を吹く。マリネをつまんで「単にセンスの差だろ。だってこれ普通にうまいもん」と初めて剣のない言葉を口にした。どうも味が気に入ったらしく、まあまあハイスピードで口に入れていっている。


「じゃあさ、利子、オレ達に」

「悪!!おなかいっぱいになっちった」


 建物内にあっけらかんとした声が響き、ゴンくんが「えっ!?」と試験官達を見た。会場がざわめき、女性試験官が結果報告にと電話をかけ始める。どうやらハンター試験を取りまとめているハンター協会とやらもこの試験形式で合格者1名は計画外だったらしい。ここから聞くに、揉めているようだった。もともと気が強くて我も強そうな人だったから大変そうだ。


「だからー仕方ないでしょ!!そうなっちゃったんだからさ!……いやよ!!結果は結果!やり直さないわよ!!……報告してた審査規定と違うってー!?なんで!?はじめからあたしが“おいしい”って言ったら合格にするって話になってたでしょ!?」

「それは建前で、審査はあくまでヒントを見逃さない注意力と」

「あんた黙ってなー!!」


 大変そうだ。
 彼女も彼女でテスト生の中に課題料理を知る人間が存在したこと、あろうことかその人間が他のテスト生に作り方をバラしてしまったがために注意力や観察力を問うはずの試験が破綻してしまったことを怒鳴りながらも訴えている。


「味覚審査も少しは厳しくしたのも確かよ。でも、それでも通った人間はちゃんといたんだっつーの!!とにかくあたしの結論は変わらないわ!二次試験後半の料理審査、合格者は1!!よ!」


 毅然とした言葉に会場が再びどよめいた。「マジかよ」と呟くレオリオさんに固唾を飲み込むクラピカさん、ゴンくんとキルアくんは静かに成り行きを見守っていた。


「(これ、マジでわたし1人だけ?試験ってまだあんのかな?1人で試験挑むとか死ぬ気がする。結構ガチめに)」


 ヒソカとの約束は期間を設けてなかったから、たぶん狙ってる人と戦えるようになったその瞬間までってことで認識してるけど、そう言えばあの人が落ちてわたしが受かるっていうパターンを考えていなかった。わたしが落ちたらハンター協会に保護してもらおうと思ってたけど……、うーん、盲点。
 今後を憂いて溜息を吐くとキルアくんが訝しげにこちらを見た。「あ、なんでもないっすよ」と言おうと苦笑したところで爆音が鳴り響き、大袈裟にも肩が跳ねる。音源の方に目をやると、ツーブロックの長い部分を金に染め上げ、後ろで1つに結んだ男が立っていた。「納得いかねェな」と青筋を立てて言うあたり、どうやら彼が目の前の木製の調理台を拳でぶち破ったらしい。一次試験といい、二次試験前半といい、どうもここは血の気の多い人が溢れていていけない。
 まあでも確かに、彼の気持ちもわからんでもない。今回の試験は最終的に作った料理の技術に文句をつけ、味を審査していた。ハンターがどういった職業なのかいまいちピンと来ていないけれど、あれ?これ調理者資格の試験だっけ?と思うことはわたしでも多々あったし。


「オレが目指しているのはコックでもグルメでもねェ!!ハンターだ!!しかも賞金首ハンター志望だぜ!!美食ハンターごときに合否を決められたくねーな!!」

「(うーん……)」


 テストの合否をめぐって言い争う2人を尻目に「ハンターって目指すものによって偉さとか強さとか上下するもんなの?」と隣にいるキルアくんに尋ねる。ご飯の恩とは凄いもので、先程まであれだけ冷たい態度だったキルアくんが「オレもなんとなく受けてみただけだからわかんないけど」という前置きをして「普通はないんじゃねーの」と返してくれた。ぶっきらぼうだけれども、ちゃんと会話が成立している。なんでも賞金首ハンターだの美食ハンターだのトレジャーハンターだのは、そのハンター個人にそういう傾向があるっていうのを示すだけなんだって。偉いかどうかは協会の地位で左右されるけど、凄いかどうかは個人の功績をホテルみたいに星で表すらしい。強いか弱いかは「それこそ個人差あるだろ」とのこと。


「犯罪者を狙うから賞金首ハンターに強い人が多いのは確かだけど、美食ハンターだって試験受かんなきゃ目指さないんだから強い奴は強い奴だと思うよ。ていうか、むしろ賞金首ハンターこそ、弱い奴は死んでくってだけで、全体の母数考えたらホントに強い奴ってたぶん一握り以下だね」


 キルアくん曰く、ハンター自体、権限で言ったら警察組織が一個人になったみたいなものだから、1番それらを行使出来て、尚且つ英雄になりやすい賞金首ハンターは自ずと人気が集まるらしい。何より1番金稼げるんだって。ほほう、それは確かに憧れる。
 わたしもお金ほしいなあ。こっちじゃ使えるお金限られてるし、いつ帰れるかもわかんないし。欠伸をしながら考えていると、「ふざけんじゃねェー!!」という怒鳴り声と破裂音がする。顔を上げると大きな塊がビューンと飛んで行って2階の窓を突き破っていった。でっかい虫だなーと思っていたら、さっきの男の人だった。
 ブハラ、と呼ばれる男の試験官が平手打ちで吹っ飛ばしたらしく、ソファの背もたれの裏で包丁を手にした女性試験官に「余計なマネしないでよ」と小言を言われている。


「だってさー、俺が手ェ出さなきゃ、メンチ、あいつを殺ってたろ?」

「ふん、まーね」


 まただ。こっちの人達はいつだって簡単に“殺す”という言葉を使う。その言葉に特別な意味合いなんてないみたいに。
 口をギュッと固く結ぶ。ま、いいけどね。関係ないし。何かをわたしから感じ取ったらしいキルアくんと目が合い、なんでもないですよ、と言うように首を振った。

 気付いたら、女性試験官、もといメンチさんがソファの裏から出した4本の包丁でジャグリングを始めていて、周りの受験生を圧倒していた。彼女曰く、やはりどのハンターを目指すことが強さに影響するわけではないらしい。ハンターであれば武術の心得があるのは当然で、“たかが”と言われた美食ハンターだって、食材を求め猛獣の巣に入ることもあれば、密猟者を見つければ捕らえることも少なくないのだと言う。


「武芸なんてハンターやってたら、嫌でも身につくのよ!あたしが知りたいのは未知のものに挑戦する気概なのよ!!」

『それにしても、合格者1はちと厳し過ぎややせんか?』


 突然聞こえた拡声器のようなものを通した声に、怒りに震えていたメンチさんがハッと我に返る。皆が慌てて建物の外に出て行き、ぼけっと突っ立っていたわたしは二次試験の前半のように突き飛ばされて尻餅をついた。どんくさいなあ。もたもた腰をあげようとすると、不意に右脇から誰かに立ち上がらせられる。「あんた、さっきからちょっとヘン」とそう言ったのは、先程までわたしを訝しげに眺めていたキルアくんで、そう言ったっきりさっさと外へ出てしまった。よくない、よくない。パチンと頬を叩いて気を立て直す。カルチャーショックを受けていてどうする。殺生なんてどこでだってある話だ。わたしだってさっき豚も魚も手にかけたじゃないか。

 1人遅れて外に出るとロゴ付きの飛行船が停まっていて、みんながぞろぞろとその中へ向かって歩いていた。集団から少し離れたところにクラピカさんを見かけ、状況を尋ねる。どうも先程の声はハンター試験の最高責任者のネテロという人のものらしく、直に試験のやり直し申し立てをしにきたらしい。結果、未知のものに挑戦する気概を示すことを審査基準に設定し、審査員実演のテストが仕切り直されるみたいだ。課題はゆで卵。試験場所はここから少し離れた山でするから、飛行船での移動するんだって。



「着いたわよ」


 飛行船に揺られて約40分。そう言われて降り立ったそこは完全なる崖。山の一部だけ剣撃が入ったようにぱっくりと割れていた。先刻、ブハラさんに殴られた男の人が真下を覗き込む。


「一体…下はどうなっているんだ?」

「安心して。下は深ーい河よ。流れが速いから落ちたら数十q先の海までノンストップだけど」


 そう言ってブーツを脱いだメンチさんは「それじゃお先に」と崖から飛び降りた。受験生が慌てふためく中、ネテロさんと思しき年配が「マフタツ山に生息するクモワシ。その卵を採りに行ったのじゃよ」とのんびり言う。クモワシという鳥類は谷の間に丈夫な糸を張り、卵を吊るすことで陸上生物から守るという生態を持っているらしい。ネテロさんは、糸に掴まって1つだけ卵をとり、岩壁をよじ登ってくるだけ、とわけもないことのように言ってくれる。


「よっと。この卵でゆで卵を作るのよ」


 メンチさんが嬉しそうに帰ってきた。とんでもねーよこれ。わたし高所恐怖症だけど、そうでなくともチビるわ。さっき合格しててよかったー!


「あー、よかった」

「こーゆーの待ってたんだよね」

「走るのやら民族料理よりよっぽど早くてわかりやすいぜ」

「(お前らもか)」


 死ぬのが怖くないのとか、殺すのがどうとか、この人達にはきっと通じないんだろう。わたしが彼らと違うからおかしいっていうのは、それこそおかしな話な気がしてきた。だってこんなとこノータイムで飛び降りれるなんて常軌を逸してるし、わたしはそっち側じゃない。とにかく、ここは頭の痛くなるような世界で、わたしはそれでも必死に掻い潜って生きていかなきゃいけない。外がどんなところなのかもわからない。


「利子も食べる?」

「あ、ゴンくん。ありがとうございます。でも、いいや。わたしがとったものでもないし」

「えー、そんなのいいのにー」

「人から貰ったものは口にしてはいけませんってきつく言われていまして。ごめんなさいね」

「もしかしてオネーサン、結構お嬢様?」

「まさか。確かに最近、普通がよくわからなくはなってますけど、金銭感覚はまともですよ」


 試験が終わるまでに上手く生きていく術を覚えなきゃ。




20151222
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