その想像力によって支配される。



 夏だ。夏至の日を目前に控えた夏の日差しは強く、オレ達を殺す気なんじゃないかと思うくらい焼き付けてくる。これからまだまだ暑くなるんだと思うと嫌気がさす。…なーんて考えてるオレ、実はクーラーのガンガン効いてる教室で授業なうなわけですが。
 前の席のなまえちゃんは設定温度18度に身体がついていかないのか、セーターを着ながら居眠りと板書を繰り返している。授業は世界史。古代ローマの変遷とか宗教とかそんなん。
 彼女は、ど真ん中1番前の席だというのに、少なくとも授業の3分の1以上を睡眠に費やしていた。欲に負けて寝ては起きてみんなよりも随分遅れて消されそうな箇所の板書を写していき、ちょっとでもわからなければ授業がどんなに進んでようが関係なく先生に質問をする。寝てるくせに割といい質問をするもんだから、先生からの評価は高い。不条理だ。だけども、質問するたびに授業が戻るからオレ達としても都合が良かった。どう考えたってテスト範囲は狭い方がいいに決まってる。
 本日もなまえちゃんは眠たげな声で先生に質問していた。聞く限り、顔も寝ぼけ眼に違いない感じだ。


「先生、そこの…325年のニケーア公会議のとこ……アリウス派のイエスに人性があって神性がないっていうのはわかるんですけど、アタナシウス派の人性と神性が同質で一体ってどういうことですか?ネストリウス派の両性論とどう違うの?」

「ん?…ああ、これね。アタナシウス派とアリウス派ではイエスを神性を帯びた特別な存在としてみなすのか、神さまのお告げを聞いた人間としてみなすのかという点で決定的に違うんだけど、その観点で考えるなら、ネストリウス派はアタナシウス派の中の一派の考えられるっていうのはわかる?」


 なまえちゃんが頷いた。


「アタナシウス派ではイエスは父の神、つまり創造主であり、地上における肉体を持った人間であるけれども万物に先立って生まれた子なる神でもあるため、創造主がこの世界に作り出した万物には含まれていません。」

「三位一体?」

「そう。アタナシウス派の両性論を簡単に言ってしまえば、イエスは人間の肉体を持って生まれた神ってことです。もともと神さまで人間なんです。ところがネストリウス派はイエスはもともと人間として生まれ、次第に神性を帯び三位一体の存在となったと主張したために425年のエフェソス公会議で異端とされたんですね。」


 先生が黒板に書いていた教派ごとのイエスの性質理解についての表をただ写していたオレはわからないことすらどこかわからない状態だ。たぶん後でノートを見返しても【アタナシウス派、両性論、同質で一体】とか【アリウス派、神性×、人性◯、異端】とか【ネストリウス派、両性論、神性と人性は分離、異端】ってことしかわからないんだろう。つまり単語が繋がった話にならない。歴史教科がひたすら暗記の科目になる原因が垣間見えた気がした。
 オレと同様に板書を写す機械と化していたのであろう女の子たちが後ろの方で、最終的に神ならなんでもよくね?と言葉を交わしたのが聞こえる。これを耳聡く拾ったらしい先生は、僕等からしたら細かいことなんですけどね、と少し苦笑した。


「これは彼等にとっては実に大きな問題だったんです。なぜなら……なんだと思う?…じゃあ栗田さん。」

「聖母マリアの信仰に関わるから?」

「その通り。ネストリウス派やこちらに書いてある単性派では、イエスの母、マリアは、単なる普通の女性にすぎませんが、アタナシウス派では、神性の子を産んだ特別の存在とみなしているのでマリアも崇拝の対象になってるんですねえ。」


 体を少し前のめりに頷きながら聞いているなまえちゃんに先生が、とりあえずアタナシウスとネストリウスの両性論はわかった?と尋ねる。うーん、なんとなく。となまえちゃんが正直に答えると、彼は、そもそも三位一体自体がキリスト教会で理解することが難しいから理解するんじゃなくて信じましょうって言ってますからね、なんとなくでもわかったら上出来上出来。と言う。それじゃ他に質問ある人?と教科書を持ち替えた瞬間、チャイムが鳴って、先生は、あ、終わっちゃった。と教科書を閉じた。
 先生が教室から出て行き、生徒達もロッカーへと教科書やら図表やらをしまいに向かう。そんな中、なまえちゃんは席に座ったままだったから、教科書をしまいに行くついでに彼女の机を覗き込んだ。


「げ。」

「ん、なに?」

「字ィ細けー、きれー。なにこれノート?こんな字小さくて読めんの?ぎゅうぎゅうじゃん。」

「読めるよ!わたし、1単元1ページで収めたい人なの!あっ、ちょっと黒板まだ消さないで!告白録周辺!」


 今日の日直が黒板を消そうとしたのをなまえちゃんが引き止める。ついでに、りょた邪魔。と前にいたオレを追いやってきた。オレの見る?と言えば、マジで?助かる!やっぱ消していいや!と調子よく笑顔になるのでいただけない奴である。なまえちゃんはオレが渡したノートを開いた瞬間、汚ねえ!と声を上げて笑った。


「涼太っ、字が小学生…っ、きたなっ、顔綺麗なのに字汚い!モデルなのに…っ!」

「うっさいな!モデル関係ねーし!」

「わたしは字の綺麗な人がすきだ!」

「お前の趣味なんか知らねーよ!読めればいいんだってこういうのは!」

「テスト勉強のときに字の汚さに集中力奪われそう…っ、」

「もう返して!」

「それは困る。」


 急に真顔になったなまえちゃんは、単性論派の項目を板書の内容だけでなく、山川の一問一答や図表の内容も含めて書き込んでいく。

【単性論派/非カルケドン派:イエスの神性のみを認め人性は否定したため451年のカルケドン公会議にて教皇レオ1世により異端となる。アタナシウス派も単性論派もともにキリスト両性論を認めていながら、アタナシウス派が人性と神性は同時にあるが「混ざらず、変わらず、分かれず、離れない(=カルケドン信条)」としたことに対し、単性論派が人性と神性は融合し、「唯一の本性」となっている、という主張を崩さなかったからである。しかし、イエスは神であり、人間ではないという考え方は非常にシンプルで理解が容易であったため、コプト教会としてエジプトや東方世界へ伝播した。】

 オレが【単性論派、神性◯、人性×、異端】で終わってたものはなまえちゃんの手にかかると超絶長文と変わり果てるらしい。しかもちょっとムカつくことにわかりやすい気がする。
 加えてコンスタンティノープル、アンティオキア、エルサレムといった古代ローマの主要都市の位置関係も図表のコピーを切り貼りして示しているし、用語集の語句の重要度によって文字色を変えているんだから、もはや執念なんじゃないかと錯覚しそうだ。しかも、暗記のために用語は全部赤い下敷きで消える色だ。五賢帝の相関図や暴君で知られるカラカラ帝が実は全属州の自由民にローマ市民権を与えたとかならまだしも、カラカラっていうマントみたいなのをいつも着てたからカラカラ帝と呼ばれるようになったっていう情報、いるの?って感じ。オレなんか三位一体って聞くたびに何故か組体操が出てくるっていうのになんだこの差。


「あー、おわったい。次なんぞー?」

「水泳。」

「うそ!」

「そんな驚くことじゃなくね?」

「朝、体操教室でいつも行ってるジムで2キロ泳いできちゃった…。」

「理由が女子じゃねー。」

「うっさいな。」

「だから寝てたんだ、背伸びないのに。」

「ほんとうっさい!」


 立ち上がりと同時にオレの鳩尾をグーパンする。それを予期していたオレは腹筋を固めて待っていたのでダメージはゼロだ。なまえちゃんは、硬っ!と叫んで右手を摩っていた。


「あ、ノートありがとう。」

「はいよ。」


 なまえちゃんと共に教室を出る。渡されたノートをじっと見つめながら、なまえちゃんって、実は頭いいよね。と呟くと、フツー。と、返ってきた。いやフツーはねーよフツーは。だってアンタ6月の中間、たしか242人中46番とかじゃなかったっけ。まあ上の上じゃねーけど、オレにとっては十分頭が良い部類だ。なまえちゃんの纏う雰囲気からあんまり勉強のできないイメージがある。頭悪そうっていうよりかは、ぼけっとしてるから。だから、まあテスト前に負けた方がお昼を奢るという条件で勝負を仕掛けたんだけれど、見事返り討ちにされたのはいい記憶だ。おかげさまで給料日前にマジバでクオーターパウンダーとビッグマジバーガーのセットを奢らなきゃならなくって財布が寂しくなったっけ。あんときは、お前どんだけ食うんだって思ったなあ。
 まあなんにしろ、彼女が自分の頭の出来をあまりにも何でもないことみたいに、せいぜい中の上くらいだね。というもんだから、暗記科目、あの短時間で9割暗記できるんなら前からやればいいのに。と呟いてやった。なまえちゃんは下校時刻の早いテスト期間中、帰ってお風呂に入った後3時から6時まで爆睡、夕飯を食べてから8時から2時の間だけ勉強するのだ。テスト勉強が6時間で終わるっていうのが不思議でならないんだけど、事実良い点数を取ってるんだからなんとも言えない。まあその分、努力系の科目は悪いみたいだけど。

 ロッカーに筆箱やらノートやらを突っ込んでから水泳セットを取り出し鍵を閉める。入学した当初は、教科書なんてみんな持ってんだから鍵をかける意味なんて…と思っていたけれど、最近その鍵のありがたみがわかってきた。モデルを始めてからというもの、物の位置がよく変わっているのだ。それだけならまだしも、ちょっとしたものがなくなっているケースも頻発している。なんとなく入れてた使ってない鉛筆だったり付箋だったり、本当に取るに足らないようなものだけど、やっぱりきもちのいいものでもないしエスカレートしても嫌だから鍵をかけてみた。なまえちゃんに、面倒くさいとか言って鍵かけないからじゃん。と呆れられたからである。とりあえず、今のところ特に問題は起きていないので一安心といったところ。


「オレ、三位一体って言葉がもうすでにわかんなくて世界史絶望しか見えない。親子なのに両方自分な上に人間の肉体持っておきながら神に作られた存在じゃないって…意味わかんねー。むしろなんでなまえちゃん理解出来んの。」

「理解できてないけど、なんていうかあれ。神さま分裂するんじゃないかって思ったらすんなり納得できた。」

「は?」

「ピッコロさんみたいな感じ。」

「言い直されてもわかんないって。」


 ほら、ドラゴンボールの!と彼女は言うが、よくわからん。魔貫光殺法は知ってるけど。オレが首をひねったままでいると、なまえちゃんはうんうん悩んでうまい説明を探していた。そうしてやっぱり、だからピッコロさんなんだって。と口を尖らせる。


「えっとね、父なる神がまず世界を作る前に子なる神を作るでしょ?」

「うんうん。」

「その作るっていう工程が分裂だったら、創造神による被造物ではないじゃん。」

「なぜ。」

「分かれただけだもん。」

「うんうん。」

「この時点で父なる神=子なる神の式が成立するでしょ?」

「分裂だもんね。AとA'的な。」

「そうそう。で、父なる神は世界を作ります。人間ができました。人間界の方に子なる神を送りたいので子なる神に人間の肉体を持たせます。これで子なる神の性質に、人間っていう性質が含まれます。だから子なる神は父なる神でもあり、人間でもあります。OK?」

「おおお、おおおおお!!!なんか!わかった!気がする!!!!」


 すげえ!となまえちゃんを褒めると、ふふんと彼女は鼻を鳴らして喜んだ。べ、別にすごくないし。わたし、こういうの考えるのすきなだけだし。とすこしつっけんどんに言う彼女の足取りは軽い。照れ隠しだ。なまえちゃんは案外褒められ慣れていないらしい。


「これでオレの赤点への道は一歩遠のいた。」

「そんな心配してたの。大丈夫大丈夫。三位一体の意味がわかんなくてもアタナシウスと三位一体が繋がってれば点は取れる。」

「取れてないから世界史絶望しか見えてないの。」

「りょたが絶望的なのって世界史だけじゃないじゃん。」

「そんなこと…っ!……なくはないけどぉ……それはひどい。」

「わたしは数学と英語がいやだなあ。なんでできないのかもわからないくらい苦手。」


 覚えたやつがそのまま出ないからかなあ。短期で詰め込められないのがダメなのかなあ。そもそも努力っていう言葉の響きが嫌いな時点でダメかあ。とまあ、わたしの活躍を篤と見よとかなんとか豪語していた人と同じ人間には見えないようなやる気のなさだ。あと1週間もないうちに大きな大会が立て続けにあるって聞いたけど、デカい大会に出るような人が努力嫌いってどうなの。


「わたしの嫌いな言葉トップスリー、努力、継続、忍耐でファイナルアンサー。もうたぶん一生この3つは不動だと思うね。」

「それ割とクズめな人が言うやつ。」




長くなるので分けた。
title by Raincoat.
20150108
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -