世界が違うってのはこっちの台詞だ。 『次の記事行きましょうか!朝日新聞からです。“女王健在!意地の4連覇!”』 卵焼きがポロリと箸から溢れた。篤と見よ。とオレに威勢良く啖呵を切っていた彼女の活躍は圧倒的なものだった。漸く残暑も落ち着いた9月下旬の朝のことだ。1番目の姉が、ちょっと涼太汚いんだけど。と眉根に皺を寄せてオレを批難するが、右から左へと抜けていく。あまりにもテレビをガン見するオレを不思議に思ったらしい。姉ちゃんは、涼太?と首を傾げてオレの視線の先を辿った。 『この栗田選手なんですが、体操の世界じゃ相当有名だそうで、なんでもこの国際ジュニア体操競技大会、10歳で初出場してから負けなしみたいですよ〜。』 「あ、この子知ってる。」 「えっ、なんで?」 「パパが読んでた今朝の新聞にも載ってたもん。」 『得意の床、跳馬、平均台で他の追随を許さない得点をおさめて数々の国際大会を総ナメなんだとか。今大会も種目別と個人総合はもちろん、個人競技でのトランポリンで優勝。1人で5冠をおさめた、まさに天才少女なんです。』 「…すごいよねえこの子。13歳で世界のトップかあ。てかアンタと同いじゃない?同じ日本人として誇らしいわー。」 「……。」 「ちょ、涼太味噌汁!味噌汁こぼしてる!」 「うわっ!ふきんふきん!」 私に命令とか偉くなったなお前!と言いながらもティッシュ箱を投げつけてくる。5枚ほど素早く取って応急措置をしてからシャツに染みがないか確認した。シャツは無事だったけれど、スラックスは見るも無惨に濡れている。まあ、洗濯できるやつだしそろそろ衣替えの時期だから冬服の方でも出せば問題はないだろう。それにしたって朝からついてない。 「どうしたの食い気味に見て、味噌汁こぼしたりなんかして。見惚れたとかそんなこと言わないでよね。普通に喋ってるだけなんだから。」 「いや、別に見惚れてたわけじゃねーけど。友達だったから、話は聞いてたけどこんなニュースになる程だとは知らなかったというか。」 「は?友達?」 「前に言ったじゃん。栗田さんって人と仲良いよって。」 「知らない知らない。アンタの交友関係とか興味ないし。つーかそんなん普通わかんないでしょ。てか、えっ、じゃあねえ、サインもらって来てよサイン!友達なんだからさあ!」 「サイン求める友達なんかいねーよ!」 こんなニュースが流れてるんじゃ、なまえちゃんの周りは暫く騒がしそうだ。なまえちゃん、そういう時だけちやほやされるの喜ぶどころか嫌がりそうだなあ。 テレビ画面ではなまえちゃんの昨日の演技が流れていて、アナウンサー達が素人なりに絶賛していた。まあ、でもたしかに、すごく綺麗だ。いつものすっとぼけたなまえちゃんはどこにもいなくて、緩急の際立った動きはどこか色気みたいなものを放っている。 「(ポカーン、って…感じ。)」 画面にマイクの突き出されたなまえちゃんが現れた。どうやら表彰式の後のようで、首に金メダルを下げて大きな楯を手にしている。自分の友人が画面の中でマイクを向けられているというのは、なんとも信じがたい光景だ。 『優勝おめでとうございます!』 『あっ、えっとありがとうございます!』 『今日の栗田選手、緊張を感じさせない素晴らしい演技でしたね!さすがに4度目になると緊張も程よいスパイスと言ったところでしょうか?』 『いいえ全く。緊張で開会式前は吐くかと思いました。』 『えっ?』 『プレッシャーに弱いんです。』 『それにしては堂々とした演技でしたね。演技前に気分を落ち着かせる前に何かしたんですか?』 『全力で緊張してから、開き直りました。まあいっかって。自分は誰にも期待されてないから大丈夫だって思うんです。』 『みんな期待していると思いますよ。』 『大会前に言われちゃってたら、今頃落下してますね。』 『そんなことないと思いますよ。ところで、今年の3月に大怪我をして3ヶ月近く療養リハビリをしていたそうですが、聞くところによると随分回復が早いんだとか。』 『お医者さんにも驚かれました。治るのが早いっていうよりも、元に戻るのが早いって。』 『どこを怪我されたんですか?』 『お腹と頭と右肘と左脚ですね。』 『それにしてはブランクを感じさせないですね。療養中は何かしてらしたんですか?』 『足の骨折が治ってからはプールで歩きまくってました。腕が治ってからは毎朝2時間泳いでから学校行ってますね。』 『それが今回の優勝に繋がったんですね。今回の大会を振り返って、今の気持ちはどうですか?』 『苦手な段違い平行棒がもう少しなんとかなったらなあと思います。あとはお腹空いたと疲れたと眠いって思ってます。』 『そうですか。帰ったらゆっくり休んでくださいね。今日はありがとうございました!おめでとうございました!』 『ありがとうございます。』 VTRが終わると、アナウンサーは口々にすごいですねえ。だとか、インタビューに答える姿ももう既に風格を感じますね。だとか言っていた。風格っていうよりか、本気で食欲と睡眠欲しか考えてないって感じだったけど。 テレビでは最後に、本当に怪我明けなのかと思うほどブランクを感じませんねえ。こういう国際的な大会に日本の子供達が活躍してるのを見ると今後が楽しみですね。と締めくくってなまえちゃんの話を終えていた。 「ねー、涼太サイン!」 「だから嫌だって!あーもうごちそーさまでした!」 「あっ!ちょっと!」 テレビから振り返った姉ちゃんがあんまりにもしつこいから、素早く自室へ駆け込んでスラックスを履き替える。歯磨きを終えて飛び出すようにして家を出れば、姉ちゃんは、ケチー!と手をメガホンにして声を張った。近所迷惑だからホントやめてと心底思った。 「(にしても、なまえちゃん、全然雰囲気違ったなあ。)」 大会の前日もなまえちゃんは学校に来ていたけれど、あんなに堂々とした演技をするようには到底見えなかった。むしろ逆。というか、時間が経つにつれて声が固くなっていたように思う。その日最後の6時間目の授業になったときには、なまえちゃんは席にいなくなっていて、放課後にはなまえちゃんの幼馴染みという3人に、アイツ消えやがった!と搜索される始末だ。色黒のオレよりも背の高い男子に、オメーたしかなまえの友達だったよなァ?アイツ何時からいねえの?と怒りに満ちた顔で尋ねられたときは割と本気で勘弁してくれと思ったものだ。オレが素直に6時間目からだと答えると、ある程度目星がついたのか、入口付近にいた桃色の髪をした女の子に、さつきィ!いつもンとこだ!と叫んで駆け出していたのは記憶に新しい。たぶん、オレが思うに、なまえちゃんは大会直前になると蒸発する癖があるんじゃないかと。いつものところってあの人言ってたし、元々、結構緊張しやすそうな気はあったし、常習犯に違いない。でも、どうやって演技前までに精神状態を戻せたんだろ。どうしたら、あそこまで集中力を引き上げることが出来たんだろ。 些細な疑問に頭を抱えながら学校に向かう。いつもはオレとのコンタクトを試みる女子がゲリラ戦よろしく待機しているというのに、今日の昇降口はやけに人が少なかった。予想はつく。なんてったって昨日の今日だ。男も女も関係なくなまえちゃんに群がっているに違いない。 教室の扉をガラリと開けて、おはよー。と声をかける。予想通り、なまえちゃんの席の周りには人集りが出来ていた。女子の何人かがオレに気がついてこちらに寄ってくる。 「おはよー!今日のニュース見た?なまえちゃん!出てたよ!」 「あー、うん、見たよ。うち朝日だから新聞にも載ってたし。」 「すごいよねえ!あっ、でも黄瀬くんも運動神経いいよね!」 「たしかに!大体のことは1回見たら出来ちゃうし。」 「まあ、悪くはないけど……それが何?」 オレが眉を顰めると彼女らは戸惑ったように吃って、いや、その、ああいうのも出来ちゃったりするのかなって。とこちらを向いた。うーん、と少しだけ考えるフリをする。 「できないんじゃない?なまえちゃんの技自体は出来なくもないかもだけど、そっくりそのままは無理。オレが言うのもアレだけど、なまえちゃんめちゃくちゃレベル高ぇよ。」 「やっぱそっかー。まあ4連覇するくらいだもんねえ。すごいよね。」 「てか小4で世界っていうのがすごい!」 すごいすごいと繰り返すその子達は、2人で勝手に盛り上がってキャーキャーと騒いでいた。オレが相槌を打つまでもない。オレがモデルとして初めて雑誌に載ったときもこんな感じだったように思う。物珍しいんだ、なまえちゃんが。世界で1番だと世界に認められた女の子が。それがどれだけ難しいことなのか、ちゃんとはわからなくても物凄いことであることくらいはわかるから。 人集りを掻き分け、なまえちゃんの後ろにある自分の席につく。席替えのとき、いつもオレもなまえちゃんも目が悪いことを理由に、真ん中の列の前から1番目と2番目をもらっているから、ずっと変わっていない。実際のとこ、オレの視力は2.0はあるんだけど、まあそこは嘘も方便ということで。 兎にも角にもオレとなまえちゃんは相変わらず前の席の人と後ろの席の人なわけなんだけれども、いつも集られていたのはオレの方だったから、彼女はいつもこんな感じだったのかと少し同情した。背の高いオレと違って、低いからもっと大変だったことだろう。挨拶は、なんだかなまえちゃんの周りが忙しなく質問しているから気が引けて、やめた。 オレが教室に入ってから20分もすれば、担任がやって来て、ホームルームを開始する。前の席のなまえちゃんはじっと顔を伏せていた。寝たふりなのかガチ寝なのかはよくわからないけれど、ピクリとも動かない。なんにしろ、今日は月曜日だから1時間目はロングホームルームか自習か全校集会だ。昨日のなまえちゃんのこともあるし、この後すぐにアリーナに移動するんだろうな。 担任の橘センセーが、今日1時間目全校集会だからホームルーム終わったら全員アリーナなー。と気だるげに言うのを聞いて、やっぱりなとペンケースを机の中にしまった。時間があるうちにもう1度なまえちゃんと話そうとしていたクラスメイト達は、机に突っ伏したままの彼女を見て、諦めてはそれぞれアリーナへと向かっていく。同じクラスで仲のいい佐伯くんと沖さんがこちらにやって来たので、なまえちゃんはオレが起こしとくし先に行ってていいよ。と伝えておいた。 「なまえちゃーん、もう起きたら?教室誰もいねーよ。」 「……バレてた。」 「うん、バレてた。オレにはね。なまえちゃん、ガチ寝する時絶対頬杖ついてんもん。」 「確かにそうかも。よく見てらっしゃる。」 「後ろからだと丸見えですし。」 むくりと起きたなまえちゃんは両手を上げて体を伸ばす。これから集会でしょー?やだなー。とのっそり席を立ち上がった。 「いいじゃん、表彰なんて一瞬だろ?自習じゃないだけマシ。」 「大会の表彰は嬉しいけど、学校の表彰は好きじゃないんだもん。」 「なんで?同じようなもんじゃん。てか同じじゃん。」 「違うよ全然。フッツーに恥ずかしいもん。」 疲れるし…。と呟いたなまえちゃんはいつもより幾らかげっそりしているように見える。まあそりゃそうか。大会明けなのに、いつも静かなはずの周りが自分以上に興奮して口喧しく話しかけてくるっていうのはそれなりに負担になるんだろう。 「あ、そういや大会の前の日、なまえちゃんの幼馴染み探してたけど大丈夫だった?」 「めちゃくちゃ怒られた。」 新幹線ギリギリだったから。とかったるそうに首を回したなまえちゃんは口をぼけっと開けて大欠伸をした。表彰終わったら、また囲まれんのかな。というもんだから、まあそうでしょ。と返せば、梅干しを口に入れたみたいな顔をする。 「なにその顔。」 「まじかよって顔。」 「いいじゃん、みんなに囲まれるのこういう時しかないんだから。」 「よくないわよわたし何回、緊張した?って聞かれなきゃいけないの。何回、今日テレビ見たよ!って言われなきゃいけないの。」 「あ、今日テレビ見たよ。」 「あ、どーもどーも。」 文句を言う割にけろりと返すんだから別にそういう話で絡まれるのが嫌というわけではないらしい。単純に同じことを繰り返されるのがうんざりといった感じだった。 ついでに、そういや姉ちゃんがなまえちゃんのサインほしいって駄々こねてきた。と伝える。すると案の定、えー、と眉の間に皺を寄せた。 「わたしサインとか持ってないから無理。」 「持ってたらいいの!?」 まさかの変化球に思わず勢いよくそちらを向く。急に大声を出したオレに吃驚したなまえちゃんはギョッとした顔でオレを見ていた。 「え、まあ、キリなかったら嫌だけど、1人だけだし。サインないけど。」 「なまえちゃんがよくてもサインないんじゃ、結局無理かー。まああの人割とミーハーだし、いっか。」 「りょたのお姉ちゃんがりょたとわたしが友達だって証拠がほしいだけなら写メでよくね?」 「なるほど。」 綺麗に撮ってね。と言いながら変顔をキメる彼女に、なまえちゃんのソロなら持ってるからいらね。と返すと、えっ盗撮。となまえちゃんが言う。そんなこと言ってるけど、お前が勝手にオレの携帯弄って自撮りしまくってるだけだからな。勝手に撮って、オレのメモリ食い尽くしてるくせに盗撮とは酷い言いがかりである。 「ていうかソロ写だったら証拠にならないっしょ。」 「そういえば。」 「よし、顔並べて。」 「お前がしゃがまないと無理だろが。」 バカにしてんのかと言いたげななまえちゃんの顔の傍までオレも顔を寄せて、何顔する?何顔する?とうるさい彼女に、フグ。と言ってからシャッターを押す。ピロリロリーンと可愛らしい音とともに、見事に頬を膨らませた間抜けな写メが撮れた。もうちょい撮っとこ。となまえちゃんが言うので、暫くそうやって角度を変えたり表情を変えたりしてバシバシ写メを撮っていると、お前ら何やってんの?と言うと声が廊下に響く。橘センセーだ。 「仲良いのはいいけど、もう集会始まってっから。栗田名前呼ばれてっから。表彰者抜きで表彰してんだぞ全校生徒は。」 「やべっ、」 「えっ、うそ!」 「こんなしょうもねえことで嘘吐くかバカ。」 ほら走れバカ共。と顎でアリーナ側を指され、オレ達は駆け出した。肩で息をしてアリーナに入り、そのまま表彰を受ける彼女が注目の的になったのは言うまでもないことで、まあほんの少しは彼女自業自得だと思う。けれども、あのインパクトある入場のおかげで教員達の記憶にすっかり刷り込まれたのか、授業中、事あるごとに当てられたり、体育で無意味にマット運動に授業内容が変更され、見本にされたりしていたときは流石にかわいそうだなと思った。 title by 金星 20141111 |