変わらないでいて。



「だいき!」


 何かがくるくると回りながらオレの頭上を越えて行った。昔よりかは大きな音が響いてなまえが着地した。バスケ部のアップ中の、蒸し暑いときのことである。何人かが顔を上げてギョッとしていた。そりゃそうだ、オレ達がいるこの第1体育館はバスケ部専用だし、つーか第2まではウチ専用だし、加えてアイツは小学生から着ている真水色のレオタードだ。みんなからしたら、なんでいるのかわかんねーし、中1にしてはちょっとデカいおっぱいが目に毒なんだろう。これでブラジャー嫌いとか言ってしないで学校来るんだから殴りたい。バカかお前。
 オレが、んだよ。ここバスケ部以外出禁だぞ。と気だるげに視線を上げると、なまえは何もない左手で、何もない右腕をパァンと叩いた。あれ、お前、そういや今日初めて会ったんだっけ。


「完治!」

「……。」

「まだ、跳べる。」


 どうだ、と言わんばかりのドヤ顔で、なまえは長くなったポニーテールを揺らした。オレがアイツをじっと見たままでいると、何か言うことはないのかって言うみたいに眉を顰める。言うことは、たくさんある。言いたいことはもっとあった。言うべきことは、全然見つからない。
 言葉を探して、口を開けたり閉めたりしているオレをなまえはじっと待っていた。


「…よかった、治って。」

「ふふん、だいきに1番に見せたろと思って、今日お昼までサボったったわ。」

「どうせ昨日病院行って、ギブス取っていいって言われたから嬉しくて朝から教室行ってたんだろ。」

「あら、バレてる。」


 当たり前だろ、何年一緒にいると思ってるんだコイツ。なまえのふざけた口調で、泣きそうだったオレの瞳から一気に涙が引っ込んだ。感動してたとかそういうわけじゃねーけど、本当に、治ってよかったって本気で思ってたのにお前のせいで台無しだ。


「おら1年!」

「っひ、」

「第1体育館はバスケ部専用だ!体操部は第3行け!」


 うちの主将がなまえの存在に気付いたらしく、こちらに怒号を上げる。すると、なまえはすぐに自分のことだと気がついたようで、虹村センパイが最後まで言い切る前に、お邪魔しましたっ!と動物番組でよく見るガゼルみたいに弾む駈歩で逃げ帰って行った。一応、悪いことをしているという認識はあったらしい。去り際にさつきに向かって一緒に帰ろうと大声で叫んでいたが。
 何やってんだ。と溜息をついてアップに戻ると、青峰、お前なぁ。と主将が怒りを露わにしてこちらにやって来た。マジかよ、オレ関係ねーのに。アイツが勝手に来ただけなのに。


「あの子が勝手に来たっぽいから今回は見逃すけどよ、部活終わったらちゃんと言っとけ。」

「了解ッス。」

「あと、来るとしてもあの格好でくんなっつっとけ。」


 やっぱ目ェつくよなあ。レオタードがそもそもエロいし。水着みてーだし。
 気のない声で、あー…、はい。聞かないと思うんスけどね。と返せば、聞いてもらわねーと困るんだけどな。と頭を掻いて元の場所に戻った。昔っからその格好でうろちょろすんなっつってるけど、聞いた試しねぇからまあ無理だろう。


「青峰。」


 どうしたものかと頭を悩ませていると、突然声を掛けられ、あ?と少し態度の悪そうな声が出た。相手がセンパイでなくて、オレと同じく1年にして1軍入りした赤司征十郎でよかった。赤司は、鋭い目をしている割に案外穏やかな性格の男なのだ。


「さっきの子は彼女か何かか?」

「違ぇよ。さつきと同んなじで幼馴染。っつっても、小2からだけど。気になんの?」

「少しね。随分と不揃いなバランスだったから。特に右腕がよくないな。」


 そっちかよ。と心の中で毒付く。彼女かどうかなんて訊くから、てっきりそういう意味かと思ったわ。
 ケガでもしていたのかと尋ねながらレイアップを始める赤司にオレは驚きを隠せず、少し吃りながら肯定を示す。


「なまえを知ってんのか?」

「小学生の頃、新聞で見ただけだよ。同い年の女の子が世界で闘ってると聞いて、とても感銘を受けた記憶がある。」


 新聞読んでんのかよ、お前。通りで同い年とは思えない風格を感じるわけだ。オレとか新聞とかテレビ欄とコボちゃんしか読んだことねぇわ。自分を省みていると赤司は、うちは少し特殊でね。とクスクス笑った。一頻り笑うと、そうか、ケガか。と言って目を伏せる。


「もったいないな、いい選手だったのに。」

「“だった”って、まだアイツは体操やめてねーけど。」


 まるで選手生命が終わったみたいな言い方をするもんだから、ムッとして言い返した。そんな言い方したら、なまえが今頑張ってる意味がないみたいじゃねぇか。アイツは跳べるって、そう言ってたんだ。
 オレが気分を害したことに気付いたらしい赤司は、すまない。と軽く頭を下げる。そうだな、言い方が悪かった。と苦笑した。


「栗田さんはそのうち、左手首を痛めると思うんだ。」

「ハァ?なんで。なまえが折ったのは右腕だし、肘だ。全然違ぇよ。」

「庇っているんだろう、きっと。オレにはそれがよく見える。」


 そんなにぎこちなく見えただろうか?そりゃ、怪我明けなんだからブランクはあるだろうけど、それを込みで考えても目立った違和感はなかった。なかったんだけど、赤司の妙な真剣さに圧され、少し不安になる。アイツは、この手のことになるとオレが気に病まないようにってふざけたことを口にして、悔しいのとか、悲しいのとかを紛らわそうとするから。過ぎたことは変わらないけど、でも、そういうのはもう見たくなかった。
 しっかりテーピングをして、過剰練習(オーバーワーク)には気を付けさせるといい。赤司はそうオレに告げてドリブルを再開する。1、2、3のリズムでステップを踏んだ後のレイアップは教科書みたいに綺麗なフォームだった。



***



「おつかレンコン。」


 部活が終わって、自主練して、それから部室で着替えを済ませてから昇降口にダラダラと向かう。日が長くなったとはいえ、8時を過ぎればもう真っ暗だ。扉の傍にはすでに着替えたなまえが背もたれて携帯を弄っていて、こちらに気付くと一言添えて右腕を上げた。
 出し抜けにしょうもないことを言うもんだから、呆れて一気に気が抜ける。視線を下げると、ヤツの両腕にはそれぞれテーピングされているのが見えた。ピクリと体が揺れる。


「あれぇ、峰ちんの友達ー?」

「でっ!?あっ、うわ、」


 オレの背後から顔を出したのは、オレと同様、1年で1軍入りを果たした紫原敦だった。この時間帯ともなれば、強豪帝光バスケ部部員と言えど、残る人数は限られてくる。紫原は、練習が嫌いだ面倒だとぼやく奴ではあったけれど、生来持った負けず嫌いのせいか限られた人間のうちの1人だった。身長は、オレよりも優にデカい。
 そんな紫原に高い高いをされるが如く、急に持ち上げられたなまえは身体を縮こませて思考を停止していた。突然の巨人の襲来と強襲に頭が働かんらしい。そんなことに気付かない紫原は、今日うちの体育館来てたでしょー。キャプテンに怒られて、バカだねぇ。とまるで猫に話しかけているみたいだった。うーん、南無三。


「紫原、降ろしてやれ。固まっているのだよ。」

「えー、じゃあヤダ。」

「なっ!」


 ヤダとはなんだヤダとは!子供かお前は!と長い下睫毛を震わせて緑間真太郎が声を荒げた。ちなみにこいつもオレとおんなじ。つか、むしろここにいるみんなそう。1年で1軍で、自主練しないのは荒い言動の目立つ灰崎祥吾くらいだった。
 紫原と緑間に挟まれたなまえと言うと、気まずそうにオレに視線を送っていた。まあそうなるわな。自分を挟んでというのはともかく、自分を持ち上げたまま言い争うとか中々ねーもんな。お前、実は人見知りだもんな。


「あ、あのう…、」

「なに。」

「脇、痛いんですけど。」

「あらら、ごめーん。」


 なまえがおどおどと伝えると、紫原は素直になまえを解放した。自分との対応の差に少し頭に来たらしい緑間がギャンギャンと何かを言っている。騒がしい奴らである。
 いつもあんな感じなの?となまえが問うてきたが、いつもあんな感じだ。紫原のマイペース具合に緑間がイラついて喧嘩、みたいな。緑間も結構なマイペースだけど。
 なまえに、ほっとけほっとけ。と言っていると、昇降口に2つの足跡が響いた。何をやっている。といつもの毅然とした態度でそう言ったのはコーチから呼び出されていた赤司だった。後ろにはさつきもいる。赤司の登場に、2人は少し離れてから、なんでもないと口を揃えた。ならいい。と赤司は言ったけれど、たぶん何があったかわかった上で言っているんだろう。赤司は周りがよく見える奴だから。


「なまえ、お待たせ!他のバスケ部員も一緒にいるけど帰ろ。」

「んー。」

「このちっちゃいの、桃ちんの友達ー?峰ちんとも今日話してたくない?」

「なまえとは小2の頃からずっと一緒だよー。」

「へー。」


 栗田です。栗田なまえです。C組です。とビビってるのが見て取れるほど堅苦しくて片言な自己紹介とお辞儀をする。あのなまえが、小学生のときはあんなに非社会的だったなまえが頑張って喋ろうとしてるのが本当に面白い。その輪に赤司や緑間も加わってなまえは更にテンパっていた。いつもよりも1オクターブ声が高い。いつの間にかなまえは、あっ、と声を上げた紫原に、腕置くのにちょうどいー。と後ろからのしかかられて、ちびっこい体に紫原のバカみたいな巨躯の全体重をかけられていた。それでフラつかないのがアイツの女子らしさのなさを表している。むしろ、たぶん紫原ですら背負って歩ける気がする。伊達に鍛えていない。


「なまえちん、スゲー力あんね。」

「はあ、まあ、兄の方が大きいので。」

「なまえ、ムッ君と話すのもいいけどそろそろ帰らないと、とらちゃんが迎えに来ちゃうよ。」

「それはいや。」


 さつきが声をかけると、別に紫原と話していたいわけでもないなまえは、帰ろ帰ろ。と紫原を引き摺っていく。どんだけお前意に介してないんだ。
 なまえの人見知りもあってか、集団で帰っているというのになんとなく静かだった。けれども、さつきがぺちゃくちゃと喋っているうちに少しずつなまえも砕けた喋り方になっていった。これが距離感を計り終わった合図だというのに気付いたのは小6のときのことだ。相性が悪くなければ割とすぐにこうなるし、合わなければ作り笑顔のまま空気みたいに存在感を消すのだ。今回はどちらかといえば悪くない方だけど、普通の範囲内のようだった。チームメイトと友人がギクシャクするのを見るのはあまり気分のいいものじゃないだろうから、ちょっと安心だ。前を歩く紫原となまえとさつきの凸凹具合にちょっと笑えた。


「栗田さん、1つ尋ねてもいいかな?」

「?
どーぞ。」

「手首にテーピングをしてるけど、どうかしたの?捻ったとか…。」


 オレと並んで歩いていた赤司が前のなまえに訊いたのはオレもさっきから気になっていたことだった。赤司が部活中にあんなことを言うもんだから、もしかしたら、を考えると気にせざるを得なかったのだ。


「あーこれ。これねえ、今日柔軟したときに左手首が変な感じしたからなんかなる前に予防しとこうと思って。」

「右は?」

「バランス崩したくないっていうのもあるけど、わたし結構無意識に庇う癖があるって先生に言われたの。だから。」


 過剰練習も絶対禁止って言われてるし。わたし結構自分の体過信しちゃって限界見誤るからね。まだイケそう!って思ったらやめろって。
 唇を尖らせてそう答えるなまえに赤司が静かに目を丸くしていた。なまえがこんなにも自分の体の状態を、感覚的にとは言え正確に把握しているのが予想外だったらしい。逆にオレは強張っていた口元が緩やかに解れていった。そうだ。なまえが、栗田なまえたる所以はその恐ろしいほどの客観性だった。人間関係も自分の思考も身体状況も等しく外から見れるのがなまえで、なまえの1番の強みなのだ。オレはとんでもなく思慮の深い赤司の予想の範疇を超えたなまえをなんとなく自分のことのように誇らしく思った。


「あ、」


 コンビニの前を通り過ぎるところで紫原が声をあげた。お菓子買いたい。と誰かに相談する間もなくスタスタとコンビニに入って行く。オレも人のこと言えた方じゃないけれど、こいつはマジでマイペースだ。どうせまいう棒だろ?部活終わりの水分欲してる時によくまあそんなもん食おうと思えるよな。ねーわ。
 同じく協調性を欠片程度にしか持ち合わせていないなまえも、わたしアイスー。と後を追った。紫原の言動に少しげんなりしていたオレは、アイスはありだな。と店内に向かう。緑間が、いつもこんな感じなのか。とさつきに尋ねると、さつきは、2人共気分屋だから片方のときもあれば2人のときもあるよ。とめんどくさそうな声で答えていた。
 店内に入るとアイスコーナーにいるはずのなまえが雑誌のとこにつっ立って、何やら男物のファッション誌の表紙を熱心に見ている。なんだなんだ。お前そんなもん見るようになったのかと揶揄いに向かえば、あと1歩というところでなまえが振り返った。


「だいき!写メ撮って!」

「ハァ?なんだよそのモデル好きだっけ?ちーかお前モデル知ってたっけ?」

「友達!」

「冗談は顔だけにしろよ。」

「冗談は肌の黒さだけにしてよ。早く。」


 携帯を無理矢理押し付けられたもんだから、カメラを起動させないで連絡先を開いてやった。名前なんだっけ?と尋ねるとさすがのなまえも違和感を感じたらしい。黄瀬涼太だけど……ちょっと勝手に中見ないでよ。と携帯を攫っていく。カメラを起動して、お前は撮影ボタンを押すだけでいいのだ。と芝居染みた声でオレに念を押した。
 はいチーズ。のオレのやる気のない声とともになまえが表紙の金髪と同じ様な表情を作って顔の横に雑誌を持ってくる。同じ様な表情といっても顔の作りに雲泥の差があるから残念としか言いようがない。表紙のデルモはつり目でパッチリ二重だけどなまえはたれ目だし奥二重だ。無理あるわ。
 オレが携帯を返すとなまえは写メを確認して、指被ってんじゃん。と少しの文句を垂れてから、まあいいやとメールに添付して送っていた。アイスを買って袋を破り、アイツがそれを口に含む。アイツの携帯がうるさくなった。


「あ、もしもし?見た?見た?……ちょっと、似てないってそんなん知ってるわ。りょた顔だけはいらんほどかっこいいし。は?何喜んでんの?お世辞でもなんでもなく事実を言ったまでだけど。…えー、買わないよ。記念写メだけですぅー。冷やかしメールですぅー。ターザン載ったら買うわ。…ん?これから撮影なの?はー、すごいねえなんかすごいモデルっぽい。…わたし?部活帰りー。ほら、だいきとさつきってわたしの幼馴染みが入ってるバスケ部の人と帰ってるよー。体操部…は、まあ、うん。ぼちぼち。それはまた明日話すわ。あっ、呼ばれてんじゃん。…いや行けよ。仕事だろうがよ。…うん、うん。わかったって。だいきとさつきいるから大丈夫だって。うっさいな。あーはいはい。はーい。じゃねー、お仕事頑張ってねー。」


 ちょっとほっこりした顔でなまえが通話を切る。さつきが隠しきれない笑みを湛えて、彼氏でも出来たのかと突撃しに行くと何でもないように否定した。友達だよ、新しい友達。ほら、みんなが部活始まったときに誰かと一緒に帰れって言ってたじゃん。その誰かだよ。ってそう言ったけど、そうなんだろうけど、納得できない。アイツが、人一倍人見知りで言葉足らずで臆病で隠したがりなアイツが、オレ達のいないところで繋がりを作っていってることがなんだかすごく気に入らなかった。




title by 金星
20141107
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