だって気負わないから。


「うおお、やっと1日がおわた。長かった。」


 深い溜息をついてなまえちゃんがドサリと椅子に座り込んだ。胸ポケットからシャーペンを出して、筆箱に戻す。ほんの半月前まで鞄を開けるのでさえもたついていたのに、片腕生活にも慣れたのか今ではチャックの開閉だってお手の物だ。
 グラウンドの砂埃ひどくて、口の中気持ち悪い。と舌を出す彼女に無言でいろはすを差し出すと、わあい。さすが!とキャップを開けてミネラルウォーターを口に含んだ。教室の後ろの方にいる女の子達の悲鳴が騒がしい。原因は、勿論オレの飲み物の回し飲みだろう。あとはオレによるなまえちゃんの名前呼び。
 オレが名前で呼ぶ女の子なんてなまえちゃんくらいしかいないから、色々思うところがあるんだろう。実際のとこは、初めて一緒に帰ったときに名前で呼んでいいかと聞いたら、どうでもいい。と返って来たので勝手に呼んでるってだけなんけれども。なまえちゃんもなまえちゃんで、ふざけて口にしたオレの名前を少し縮めた“りょた”という呼び方が意外にも気に入ったらしく、フランクに呼ぶから波紋を呼んでいるのだと思う。彼女からしてみれば、沖伊澄を“すみ”と呼ぶのと、佐伯千歳を“サエちゃん”と呼ぶのと大した差はないんだろうけど、女子の世界って怖いって姉ちゃん言ってたからなあ。
 オレが頭の中でそんなことを考えていると、机に上半身を任せたなまえちゃんに向かって沖さんが、くらえ!下痢ツボ下痢ツボ!と脳天を人差し指で刺激し始める。うわあっ!と悲鳴を上げねなまえちゃんは、猛烈な勢いで嫌がった。女子中学生ってこんなに下品でいいのか。という佐伯くんのぼやきに激しく同意である。なんだこいつら。


「ちょっと!わたしお腹弱いんだからやめてよ!なんで下痢ツボ押すの!」

「なまえは日向で動き回る辛さをわかってない。」

「すみは毎回見学レポート書かなきゃいけない辛さをわかってない。ちっともわかってない。」

「この時期からは生命に関わるんだぞ。」

「それ引き合いに出されたらどうしようもないんですけど。」


 こっちだってここ最近ずっと女子はソフトボールだし、男子ハンドだし、ネタ尽きたよ!絞り出したよ!と沖さんに食ってかかった。一方、沖さんはというと、相手にする気がないのか、ふーん、へー、たいへんだったねー。えらいえらい。と目も合わせず棒読みで廊下へ出て行く。今日使った教科書とグラウンドシューズをロッカーにしまうんだろう。すーみんマジ悪魔。となまえちゃんは呟いた。


「体育、そんな暇なん?」


 佐伯くんが尋ねると、そりゃね。となまえちゃんは唇を尖らせる。


「暇過ぎて教室で授業受けてたひろにジェスチャー送りまくってたら原センに怒られるし、違うクラスのはずのだいきが偶然見てて爆笑してるし、面白くないったらない。」

「お前今日怒られてたの、田中とコンタクトとろうとしてたからなの?ジェスチャーで?バカだろ!」

「サエちゃんはひろの理解力なめてる。」


 どうやら、佐伯くんはなまえちゃんの幼馴染の1人とチームメイトらしい。友人を過大評価するなまえちゃんに、部活始まって半月経ってないのにわかるわけねーじゃん。と呆れた。
 廊下から沖さんと共に担任も教室に戻ってきて、帰りのホームルームが始まる。うちの担任の橘センセーはさっさと終わらせるタイプだから、プリントを配って終わりになった。日直が号令をかけ終わると、みんなそれぞれの部活に向かっていく。
 オレ達も教室の外に出るとなまえちゃんが、ちょっと待って。とロッカーに教科書を詰め始めた。沖さんと佐伯くんは遅れたらマズいからとそこで別れる。校門の外へ出るとなまえちゃんは大きな欠伸をした。学校で電池を使い切ったらしい。こうなると喋るのもいつもよりもっとゆっくりになるし、口数自体も吃驚するくらい減る。彼女なりのスイッチのオンオフがあるらしいというのは、この間気付いたことだ。なまえちゃんの家に着くまで一言も話さないときも少なくない。初めは全然わからなくて場のやり場に困ったものだけれど、これが気を許してることなんだとわかったら、なんだかちょっと嬉しかった。
 もう一度、なまえちゃんが大きな欠伸をして目を擦った。今日はそうとう眠いらしい。


「眠いの?」

「うん。体育んとき日焼けしたからかも。」

「怒られたあと、爆睡してたっしょ。」

「うわ見られちゃった。」

「見ちゃった。」


 目をこするなまえちゃんに、それ目が傷付くから良くないらしいよ。と伝えると、知ってるんだけど、家着く前に寝そう。と両方の蟀谷を親指で刺激する。彼女によると、夜中までポケモンの厳選してたとかなんとか。個体値がどうのとか言われたけど、正直よくわかんなかった。彼女は割とゲーマーというか、オタクだ。とりあえずわかったのは、どう考えても自業自得だろうということだ。そう言えば、今日の英語のとき、プリント送ろうとしたら爆睡してたからオレが渡辺センセーから受け取ったんだっけ。
 身長伸びないよー?とからかえば、体操は小柄なのが普通なんですぅぅうー。となまえちゃん。開き直ってるような言葉を返すくせに、踵が普通のよりもちょっと高めのローファーを履いてるところが案外すき。嫌なときは嫌ってハッキリ言うから、こっちも距離感が掴みやすいし。


「そういやさあ、」

「…ふぁあい?」


 オレがふと新しい話題を思い出して口を開くと、なまえちゃんは大きな欠伸をしながら返事をした。こいつ、帰って風呂入ったら速攻寝るつもりだ。


「オレ、モデルやるかもしんない。」

「ふぅうう……、…ん?」


 聞き流した言葉がどこかおかしいと気付いたらしい。息を吐き出すような口のままこっちを向いて、なんて?と眉を寄せる。モデルやるかも。ともう一度繰り返すと、ぱちぱちと目を瞬いた。


「ごめんちょっとなんかモデルやるかもって聞こえたんだけど。」

「目、覚めた?」

「…なんだ冗談か。」


 信じちゃったじゃん。りょたの顔で言われると洒落にならん。となまえちゃんが左手を頬に押し当てる。オレの顔面偏差値が平均よりもかなり高いことはなまえちゃんからしても認めざるを得ない事実らしい。当然、ブスとか言われるよりも気分がいいので、調子に乗ってるなんて思われない程度にヘラッと笑った。まあ、なまえちゃんがあまり顔の良し悪しを気にする人ではないから、オレも素直に喜べるわけなんだけど。


「いや?冗談ではないかな。」

「なんでまたそんなことに。この間まで小学生だった人がモデル?っはー。」

「なんか姉ちゃんが勝手にオレの写真を事務所に送ってたらしい。」

「あるんだ、そういうこと。」


 なまえちゃんは、すごーい。と月並みな感想を漏らした。それから、えー、じゃあやるの?モデル。とオレに目を向ける。正直な話、写真撮られるだけでお金もらえるのは魅力的だけど、どっちでもよかったから、やるかやらないかの判断材料にでもしようかとなまえちゃんに報告してみただけなのだ。なまえちゃんはどう思う?と軽い気持ちで尋ね返せば、彼女は、ええっ?とちょっと困った顔をした。


「別に今、学校以外にやることないんなら、やってみたら?何事も経験だし、モデルなんてそう滅多に出来るものでもないし。」

「スゲー他人事みたいに言うじゃん。」

「他人事じゃん。」

「そうだけどぉー。」

「なに?モデルなんてやらないでよ!涼太が遠い人になっちゃう!って言えばよかったん?」

「うぅん…、」

「?」

「なまえちゃんが言うと気持ち悪い。」

「クソ。」


 脛で脹脛を蹴られる。いてっ!と条件反射で声を上げるが、実際はそうでもない。なまえちゃんが筋トレと称してパワーアンクルをつけていても加減してくれているから。彼女も悪態をつくものの、特に怒っているわけではないのだ。本気で怒ったとこなんか見たことないけど。足癖が悪くなれる程度には、彼女の足も丈夫になったらしい。


「いつから仕事始まんの?」

「さあ?オレまだ合格通知的なの受け取っただけだし。」

「えー、じゃあ6月まではなしね。」

「なんで?」

「6月には腕使えるって言われたから、体操部の練習に混じろうと思って。」

「自己中か!オレ完全に都合のいい男じゃん。」

「そうなんです。用済みなんです。」


 冗談なのはわかってるけれど、あまりにもはっきりと言うものだからカチンと来て、じゃあ事務所に電話して明日から仕事受けてみよーっと。とズボンのポケットを漁る。なまえちゃんは、うそうそ!ごめんて!と焦ったようにオレの右腕にしがみついて、ちょっとだけ鼓動が速まった。すきとか、そう言うんじゃないのに、なまえちゃんの周りよりも少しばかり発育のいい胸が当たっちゃったから。チラリと彼女を見たら、なんにも気付いてないらしく、とりあえず!6月までは!ねえ!と腕にぶら下がったままだ。オレが勝手に意識しただけだけど、なんにも気にしてないのはなんかちょっとムカつくなあ。


「どうしよっかなー。はじめちゃおっかなー。」

「えー!えー!まだいーじゃんかー。」

「なまえちゃん、何か言うことは?」

「6月にしよう。」

「違うそれじゃない。」


 あー、オレすごい傷付いたのになー。傷付いた、あーもう傷付いた。と態とらしく胸を押さえてなまえちゃんに目をやる。これで謝ったら、普通に6月からにしようかなと思ってのことだった。まあ、謝らせたいわけでもなんでもなく、ただそう言って彼女をからかうのが楽しいだけだからやってるんだけど。
 なまえちゃんの眉間に皺が入ったのを見て、あ、ちゃんと嫌な顔してるの初めて見た。と少しだけ固まる。え、なになに、怒ってんの?


「さみしいじゃん。」

「え?」

「1人で帰んのさみしいじゃんって!」

「あ、そういうこと。」


 オレが1人納得していると、他にどういうことがあるって言うの。と顰めっ面のままだ。いや、その、とオレは考えていたことを伝えるべきがそうでないか悩む。


「…6月までは始めねーよ。部活始まっても、たまにはオレと帰ってくれんならね。」

「えっ、マジで?」

「うん、マジで。」


 なまえちゃんが、わあい!と一歩前に飛び出た。木曜日はねえ、教員会議がないから部活ないよ!とこっちを向いて、くしゃりと笑う。わたしの活躍を篤と見るがいいよ!ってふざけたように口角を上げたなまえちゃんに、さっきまで拗ねてたくせに、調子がいいんだからなあ。と苦笑した。まあ、裏表のないなまえちゃんの拗ね方は嫌いじゃないんだけどさ。




なまえはペンギン系女子。
20141014
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