『あの、えっと、オレ、なまえサンのことが好き、なんスけど、』


 落ち着かなかったらしい右手を頭の後ろに、彼が真っ赤になってそう口にしたのは確か半年程前のこと。いつも友人や後輩に大きな声で吐き出される尖った言葉や荒っぽい雰囲気は鳴りを潜めていて、真っ赤頬とそれ以上に真っ赤な耳が印象的だった。詰まりながらも懸命に言葉にしようとするその姿は、獣と称されているらしいというのが信じがたくなるようなもので、まるで恥ずかしがり屋の仔犬みたいだと、その時のわたしは呑気に考えていた。
 出会ったのは彼が高校1年生のときで、大体3年くらい前。わたしは大学1年生で、彼の友人の両親が切り盛りしている大きな旅館で住み込みのバイトをしていた。2つ年の離れた弟よりも年下で、雇い主の友人で、まあつまり弟のように可愛がっていたわたしにとっては割とグレーゾーンの存在だったわけである。それでもOKしてしまったのは、彼が初めてちゃんと告白したらしいというのとわたし自身もこんなにハッキリと逃げ場なく言われたのが初めてだったこと、それから、なんとなく可愛いなってときめく程度には母性本能のような何かをくすぐられたからだと思われる。今でも、これだっていうような理由はない。なんとなくだった。付き合ったことなかったし、彼氏いるの作らないのなんで作らないのって部活でよく弄られたから、まあ練習ってことで。なんて、端から見れば、完全に恋心を愚弄した脳内サミットだ。しかも、わたし3月には横浜の実家に戻るし。東京で会社勤めになるから。たぶん、そうなると自然消滅かなあ、とかなんとか勝手に考えてすらいる。静岡の大学に通っている彼とは物理的にもっと離れるから、統計的に見て自然消滅の確率が高いし仕方ないと言えば仕方ないのだけれど、改めて考えると非常に身勝手な話だなあ。

 パソコンを目の前に頬杖をついて、どうしたもんかとうんうん唸っていると爪が掌に少しだけ食い込んで、ピリッと痛みが走る。手の甲をこちらに向けて両手を広げて眺めるとパソコンの奥にいた友人、堀あゆみは怪訝そうな顔をした。うぅん、随分伸びたなあ、爪。


「なまえさあ、大分伸びたなあ、爪。」

「ね。わたしも思った。部活辞めてから2ヶ月も経ってんもん。長かったよねえ。」

「ほんまそれ。自分のためのバイト削って馬のために部活のバイトして、部活のせいで単位落として何やってんねやろって何度思ったか。」


 堀の言葉にケラケラ笑いながら同意して、部活に時間取られ過ぎて、引退したらしたで何にもない日をどうやって過ごせばいいか未だにわかんないんだよね。と爪先を弄る。長かったなあ。でも短かったなあ。と彼女はちぐはぐな言葉を静かに吐き出した。矛盾しているのだけど、その通りだと思う。長かったけど、短かった。つらいこととか、しんどいこととかの方が圧倒的に多かったはずなのに楽しかったことの方がずっとずっと思い出せるのは何故だろうか。


「あ、それでいいや。」

「なにがやねん。」

「来月の卒部会の答辞。」

「ああ。何カタカタやってんやろと思たらそれか。早ない?」

「ギリギリに作って喋りながら、あれ?なんか文おかしくない?って思うの嫌じゃん。」

「せやんなあ、うちも考えやんな…。」

「うちの部ってさ、ギリギリで生きるの好きな人多いよね。ゴマちゃんとか、去年卒業しちゃったけど原田さんとかリアルフェイスかっての。堀もそうなの?」

「うちやって余裕持ちたいけど!卒研がまだ終われへんねんもん!なまえ卒論は!?」

「年始に終わらした。卒論の登録単位6あるから、秋学期は講義取ってないし、ちょう楽。住み込みさせてもらってるとこのバイト、4年間入れてなかった分めっちゃ入れてるもん。」


 うあぁ…。と頭を抱える彼女を尻目に自分なりの答辞を打ち込んでいく。面倒だとは思うけれど、短く終わらせるのはなんだか嫌だった。4年間で1番時間を費やしたのだ。生き物を扱うから休みなんかあるわけがない。犠牲にしたものが多過ぎて、無難に、後味良く終わらせるのはなんだか違って、さっきから文字を打っては消しての繰り返しだ。
 そういやさあ、と堀がまた口を開いた。時間ないんじゃないのかと思いながら、何さ。と視線を上げる。堀は元々は賢いから、本気出せばすぐ終わるんだろうな。


「彼氏とはどうなったん?名前、たしか荒北くんやんな?フェイスブックで友達やで、うち。横浜に戻るってもう言うたんやろ?」

「ここ来る前に言おうと思って、とりあえず卒部会に出るって話したら不穏な空気になって、その後の追いコンも出るしオールするから家来んなって話したら拗ねた。」

「なにそれむっちゃかわいいやん。」

「わたしに会うためだけに箱根に来るんだよ?無駄過ぎ。」

「いやかわいいだけやん。」

「そうじゃなくて。別に毎週来てほしいって頼んでるわけじゃないんだから、好き勝手しとけばいいのにって話。あの人、工学部で部活やってるだけでも時間キッツキツなのに、なんかわたしが束縛してるみたいでいやなわけ。」

「なんやそれ。でも工学部はヤバイな。ようやるわ。」

「でしょ?家いたって意味ないよって言っても、うっせって言われるしさあ。しゃーないじゃんね、堀も奈良に帰るんしょ?みんなとも暫くは絶対会えないんだから別れ惜しんだっていいじゃん。」

「そうやけども。」

「で、拗ねたから、話してない。」

「いやいやいや、早よ話したらな可哀想やって。」

「就活中もどこどこ行ってきたとかって話は坊ちゃんにしてたから、まあわかるかなって。」

「テキトー過ぎやろ。」


 早よ言わんな、直前になればなるほど言い出しにくくなんで?とわたしの頭にチョップを繰り出す。知ってるよ、そんなこと。だから自然消滅かなって思ってるんだってば。わかってはいるんだよ。口をへの字に曲げて、なんか色々我慢してるなってわかってたけど、戻るってことは言わなきゃいけないなって思って言おうとは思ったよ。追い打ちかけるみたいで、むしろとどめ刺すんじゃないかって思ったけど、口を開こうとは思いました。そうなんです、開けなかったんです。
 思い出すだけで顔が熱くなって、うわヤバ。と手を頬に当てた瞬間、顔赤いで?何があったん?と堀に顔を覗かれる。や、あの子、拗ねたまま置いてきたから気になっただけ。と頬を掌で揉み込むようにして誤魔化していると、ふうん。と彼女の視線は自分のパソコンに戻った。


「(押し倒された、とか、言えないよなあ。ていうか、恥ずかしいし、あんま、話したくない。)」


 時間にしたら3時間くらい前になるだろうか。言わなきゃ、言わなきゃと自分の心を宥めながら彼の肩を軽く叩いたら、突然手首を引かれ、口に噛みつかれたのだ。あんまりにもいきなりだったし、まさぐられ始めたのに焦ったわたしは、まあ怒った。当たり前だ。
 気付いたら彼は顰めっ面を赤くさせて、正座をしていた。ジーパン越しでもわかる程度には膨らんでいる恥部を隠しもせず、シたい。と言われた時にはどうしたらいいかわからなくなった。彼は良くも悪くも本音しか言わないのだ。
 わたしには弟がいたし、いい大人だし、別にそういうのが不潔だとかっていうわけじゃない。22にもなって馬鹿げているかもしれないけれど、わたしはそういうことをしたことがなかったから、なんだか恐ろしいものに思えていたし、痴態を晒すのがどうしても嫌だったのだ。それに、もうすぐもっと離れてしまってやがて終わるんだろうと思うと、してもなあ。という気分になる。空しくなるだけなんじゃないの?
 結局、そのときは、無言で逃げてしまったけど、やっぱり悪いことをしてしまったかもしれない。我慢させ過ぎたのかもと思うと、彼への同情と自責の念が頭の中でぐるぐる回った。あの時の荒北くんは、初めてわたしに告白したときとよく似た顔をしていた。たぶん嫌われるのを覚悟してるくらいの勢いだったんじゃなかろうか。すごく可愛かったなあ。あんな状況じゃなかったら犬のように撫で回しただろう。どうしたもんかなあ。このままお預けはかわいそうだ。我慢するの、すごく辛いって聞いたことがあるし、世間からみたらとてつもない苦行なんだろな。わたしに会うためだけに毎週時間とお金を費やさせて、ほんとに縛り付けてるみたい。それにも拘らずわたしは何もしてあげられないのはどうにも申し訳ない。ギブアンドギブになってる。
 どうやって彼から首輪を外して野生に返そうかなどとと考えてながら、別れた方がいいのかなあ。と呟く。堀が、それは無理やと思う。とパソコンに目を向けたままクスクス笑って、直後に堀の家のチャイムが鳴った。
 なまえ出てー。と堀に頼まれたもんだから、堀の学部の友達だったとしてもわたし知らないぞと思いながら、はぁい。とドアを開ける。真冬の寒さが身に沁みた。空はすっかり暗くなっていて、ザアザアと強い雨の音がしている。目の前にいるのはついさっきまでわたしと顔を合わせていた彼だった。


「どうしたの。びしょびしょで、捨て犬みたいな顔しちゃって。今1月だよ?」

「…なまえサン傘持ってってなかったと思って、持ってきた。」

「それはありがたいけど…、なんで傘持ってんのに、」

「じゃ、そんだけだから。気をつけて帰って来いヨ。」

「あっ、いやちょっと待って。わたしも帰る。」

「ハァ?」

「話したいことあるし、丁度よかった。」

「え…、」


 切れ目がちの瞳を大きく瞬かせて戸惑う彼を余所に、なんかよくわかんないけど荒北くん来たし帰るー。と堀に伝えてパソコンをキャスキッドソンのトートバックに押し込む。何故だか嬉しそうに笑っている堀に、またね。と言って玄関を出ると、話ってなんだヨ。と彼は沈んだ声で口にした。やっぱ、放置したの引きずってんのかな。やだな、すごく言いにくい。


「え、いや、ええと、わたし3月に横浜の実家戻るからっていう……。」

「は?」


 面食らった顔をして、そんだけかよ。と荒北くんは傘を開いた。えっ、うん。と答えてからその中にお邪魔する。一瞬だけ当たった雨粒は結構冷たかった。


「だって、時間ないのに毎週こっち来るから一応伝えとかないとなって思ってさ。何その反応。」

「別れ話かと思った…。」

「別れたいの?」

「ちっげーよ!いきなりっ、その、迫ったから…なまえサンに嫌われたかと思って…。」

「わたし嫌いって言ったっけ?」

「逃げたじゃねぇかよ。泣いてたし。」

「あ、ごめんごめん。あー、えっと、そう、うん、吃驚しただけ。まあちょっと怖かったけど。わたし、免疫なくって。」


 めんどくさいでしょ。とへらへら笑うと荒北くんは厳しい顔をした。別れたいなら、本当に別れていいんだよ。と続けると、だから違ェっつってんダロ。と更に機嫌の悪い顔になる。


「あのさァ、なまえサンがオレの体調とか部活とか単位とか気にしてくれんのは知ってるし嬉しいけどォ、ちゃんと考えた上で来てマスカラ。」

「……なんだ、そうなの。」

「なまえサン、無謀なことするバカ嫌いっつってたじゃん。」

「そうだけど、なんで知ってんの?いつ言ったっけ?」

「オレが高1んとき。」

「覚えてないわー。」


 デショーネ。と溜息を吐きながら、彼はわたしの手を絡め取る。なんだなんだ。わたしの心配損じゃんか。わたし、完全に弟が受験失敗したときと重ねてたよ。
 少しだけ握る力を強くしたら、爪先に何かが当たってすぐに緩める。握っていない方の手を、堀んちにいた時のように翳して眺めると荒北くんが怪訝そうにこっちを向いた。


「何してんのォ?」

「いや、なんでもない。刺さったら痛いだろうなって思っただけ。」


 わたしの言葉が、暗に何を意味しているのかすぐに気付いたらしい。ゴホゴホと噎せこんで涙目になっていて、なんだかちょっとかわいらしい。


「いいよ、別に。今日くらいは。」

「そう?ならそうする。」

「明日、オレが切ってもいい?」

「お好きにどうぞ。」



語尾カタカナなのは苦手だし、漫画しらないから申し訳程度にしたら、もとより皆無な荒北らしさを失った気がする。
日記で話してた住み込み大学生と荒北の話。
タイトルはどっかのサイトで見かけたんだけどメモるの忘れたので見つけたら明記します。
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