遅刻少女は怒らない。


 
 4月、桜舞い散る春。オレは、御年帝光中学校に入学した。5日前のことである。昨日は結構遅刻ギリギリの時間に登校してしまったので、今日は始業時間の30分前には新しい席に着いて鞄を机の横のフックにかけた。流石に入学早々遅刻して目をつけられたくはない。席はほぼど真ん中の列の前から2番目で、完全に寝たら一発アウトだろう。授業受けなくても頭良かったら別なんだろうけれど。
 オレが教室に着いた途端、待ってましたとばかりに同じクラスの女子が集まる。オレの人生は常に春だ。目立つのはすきなので不満はない。ただ、5日目ともなるとそろそろ面倒臭い感はある。女の子の、おはよー!という元気な声やオレへの質問だったり遊びのお誘いだったりをそれとなく返す。その話、昨日もしたし、朝だしうるせーし、いい加減飽きてくれ。なんて、ナルシストと思われたくないし間違っても口には出さないけれど半分くらい本気で思う。そらチヤホヤされんのも悪くはないんだけれども、なんていうか、オレも人間だから気分の上下があるっていうか。とりあえず今日は気分乗らない日。
 ダラダラと周りの子の話を聞いて、当たり障りなく笑って返事を返していれば、相対して時間もダラダラと過ぎていく。非常に無駄だ。だからと言って、やりたいこととかやらなきゃいけないこととかはないんだけど。
 ガラ、と教室の扉が開いて、おら席着けー。と担任の橘が閻魔帳を手に教室へやってくる。わらわらと蜘蛛の子を散らすようにみんなが去った。後ろからの視線が緩くなって、ようやく少し息が抜ける。オレの真後ろの席の生徒、つまり、オレの出席番号の次の子、栗田さんとかいう人は、入学式からずっと来ていないのだ。
 オレの名前が呼ばれて間延びした声で返事をすると先生は栗田さんを呼んだ。もちろんそいつはいないので返事はない。下の名前はなんて言うか忘れたけど、同じ小学校だった奴からの噂によるとなんらかの事故にあったらしい。小学校の卒業式にも出られなかったって話。へー、そりゃ大変だ。とその時は返したけれど、遠い国の事件のような感覚だった。まあ、知人以下の他人なんだからそんなもんだろう。結論を言うと、オレの真後ろの席は長らくガラ空きだったので次第にその子の休みの間はクラスの女の子が無遠慮にも座るようになっていったというだけの話である。ちょっとだけ可哀想。


「栗田以外全員いるな。えーと、じゃあとりあえず今日は午前授業で午後から身体測定だか、」

「ちょっと!やめてよ!」


 先生が出席を取り終わって今日の連絡事項を伝えようとしたとき、廊下に声が響いた。放せばかぁ!と少し切迫した女子の声に、うっせーな!テメーが階段無理とか言ったからやってんだろが!とキレる男子の声。中学生になってまだ1週間も経ってないオレのクラスメイト達は、おそらく付き合っているであろう顔の見えない2人の会話に胸を膨らませている。そんなことを知る由もない廊下の2人は、あっ、前ダメ前ダメ!とか、注文多いんだよオメーは!とか、いや、あんたが遅刻するからじゃん!わたしは4時半に起きてましたー!とか言い合っている。声はすぐにやんで、先生が何事もなかったかのように、今日午後、身体測定だからなー。と教室の後ろの方を見た。みんなもオレもつられて後ろを向く。右腕と右脚にギブスを巻き、松葉杖を携えた小柄なポニーテールの女の子が気まずそうに顔を引き攣らせて中に入ってきた。


「す、すみません…。あの、ちょっと足折れてるんで、友人に自転車で送ってもらおうと思ってたんですけど、その友人が寝坊しちゃって…。」

「わかったから座れ。入学早々遅刻はやばいぞお前。」

「はい明日から自力で来ます。」


 お前、そこの空いてるとこな。と先生がオレの後ろの席を指差して言うと、あ、はい。すみません。と学校指定のサブバッグを邪魔臭そうにしながらカタンカタンとこちらにやってくる。じっと見ていると目があって、栗田なんとかさんはそっと会釈をした。右足を骨折しているのに同じ側の腕もギブスをはめているから、ちょっと動きづらそう。前を向き直すとちょうど栗田さんがちゃんと座れたようで、はぁー…と息を吐くもんだからなんだか少し緊張した。休み中、後ろに勝手に座ってた子はみんなぺちゃくちゃと喋っていたから気づかなかったけれど、案外席の幅って狭い。
 ホームルームが終わって先生がいなくなると、また教室がざわめきだす。廊下にある自分のロッカーから1限の教科書を取りに行く奴、新しくできた近所の席の友達と話し出す奴、誰にも話しかけれなくて机に伏せる奴と様々である。オレは、栗田さんが朝の子達みたいなタイプじゃないといいんだけど、と危惧していた。そんな祈りも虚しく、トントンと背中をつつかれる。どうでもいいけど、そこ、くすぐったいからやめてくんないかな。


「ごめん、席変わってほしいんだけど。」

「えっ?」


 ちゃんと聞き取れなかったのかなと思ったらしい栗田さんは、申し訳ないんだけれども、あなたの席とわたしの席とを交換してほしいのです。とゆっくり繰り返した。他の子みたいにオレに関するあれこれを聞いてくるか、自分のことをペラペラ喋るのかなと思っていたオレが恥ずかしい。


「いいけど…変わってんね、前行きたがるとか。」

「黒板、見えにくいから。」


 なんか文句でもあるの?とでも言いたそうな雰囲気を笑顔で隠して、ありがとう。と言いながら机に手をかけた。この人、地味な顔して割と隠すの上手いタイプだなあ。笑顔はまるで自然なのである。
 松葉杖を置いたまま、左手と左足を使って机を動かす。器用にやるもんだと感心したけれど、さすがに黙って見ているだけというのも若干の良心の呵責があったので、オレやるよ。と立ち上がった。座って見ていたときも小さいとは思ったけれど、立ち上がると栗田さんの小柄さが更に際立ってわかる。オレ、172だけど、頭2つ分くらい違う気がする。オレを見上げた栗田さんは、きょとんとしてから、ありがとう。ともう1度笑った。さっきのふわりと笑う感じじゃなくて、なんて言うか、ぱあって溢れてきたって感じの笑顔。きっとこっちが本物なんだろうな。
 オレの机を後ろ移動させてから、栗田さんの机を持ち上げる。栗田さんは片足でケンケンしながらオレの鞄を運んで、オレの席のフックにかけた。やけにバランスを取るのが上手い人だ。立ち姿に不安を感じさせない。栗田さんの鞄を横にかけていると朝話しかけてきた女の子達がやってきて、涼太くんと栗田さん、席交換したの?と声をかけてきた。


「あ、えっと、うん。」

「涼太くん背高いし、栗田さんちっちゃくて黒板見えないもんね。かわいい。」

「かわいくは、ないよ。」

「えー、かわいいよー。」


 身長いくつ?と問うそいつに苦笑しながら、142センチくらい。と答える。ピッタリ30センチ差だ。ちゃんと立ったら肩より少し下に頭あるのか。なんて考えていたら、周りの子達が並んでみて並んでみてと嬉々とした顔で盛り上がる。いやいや、オレ達アンタらのおもちゃじゃねーし。と思いながら栗田さんに目を向けると少し戸惑った目と合う。オレの顔色を伺うような目をしていたので、まあ別に断る理由がないしなあとオレから、どれくらいだろー?と近づくと栗田さんは、肩よりはないと思うけど。とぴょこぴょここちらに来た。跳ねるたびに1つにまとめられた髪が揺れる。彼女は隣ではなく、オレの前に並んだ。白い旋毛がよく見える。腕を乗せるのにちょうど良さそうな肩の位置だった。


「わっ、ちっちゃ!大人と子供みたーい!」

「大人と子供って…。」


 さすがに栗田さんに失礼じゃなかろうか。オレは男で背が高いってだけだから別にコンプレックスってわけでもないし、いいけど、背が低いのって性別関係なく気にしてる人は一定数いるだろう。なんだかオレを持ち上げるために彼女達が栗田さんを使っているような感じがして居心地が悪くなる。
 栗田さんの表情を見ようとしたら、ちょうどあの子達が、私はどう?とか言って栗田さんを押し退けたので叶わなかった。栗田さんは人知れず机に身体をぶつけて、何事もなかったかのように自分の席に戻る。あの子達のせいで栗田さんからのオレの印象が悪くなるのはなんだか嫌だった。仮にもこれから1年一緒のクラスなわけだし、席は前後だし、静かだし。あの子だってオレと、というかこのクラスの誰かとは仲良くなりたいとは思ってるはずだ。じゃなかったら、あれだけコンプレックスに突き刺さる言葉を言われてニコニコと無害を主張しないだろうし。
 人がまたはけてから、自分の席に座って前の席で教科書をペラペラ捲っている栗田さんの背中をつつく。大袈裟なくらいビクリと動いて、少し笑ってしまった。


「え、な、なに。」

「転んでたから大丈夫かなと思って。」

「ああ。うん、まあ大丈夫。」


 ちょっと焦ったけど。と腕をさする栗田さんに、なんか、ごめん。と謝る。どうして謝るの。と彼女は首を傾げた。オレだって、別にオレのせいだとは思ってないけど、まあ、あの人達、オレに話しかけたかったみたいだから。そう答えると、目をまんまるくした栗田さんは嬉しそうに口の端っこをゆっくりあげた。


「なんで笑うの?」

「ごめん、ええと、黄瀬くんが友達とちょっと似てたもんで。」

「へえ……あれ、オレ名前言ったっけ?」

「下の名前はさっきの子達が言ってたよ。わたしはネームプレート見ただけだけど。」


 なるほど、確かにこの学校の机の前と椅子の背もたれの裏には入学年度の入ったネームプレートが貼り付けられていたっけ。ぽかんとしていると名前を勝手に見て、呼んだことにオレが気分を害したのではないかと思ったのか、あー…気を悪くしたらごめん。と栗田さんはちょっと気まずそうに唇を噛む。別にそういうわけでもないんだけどな。さっきの子なんて、オレ、名前知らないのに最初っから涼太くんだし。オレだって割と馴れ馴れしい方だし。


「いや全然大丈夫。ていうか今まで名前言ってなかった方がおかしいっしょ。オレ、黄瀬涼太。栗田さんは……なまえって言うの?」

「いかにもふつうって感じの名前でしょ。」

「そうかなあ。よくわかんないけど、いい意味持ってそう。」

「名前負けしちゃうけどねえ。黄瀬くんは爽やかな名前だ。」


 オレに媚びてる風もなく、さらっと彼女はそう言って笑う。こういう人、割とすきかもしんないな。ちゃんと人との距離を推し量ろうとするような静かで賢そうな子。大人しめな子って、今まで暗い感じがして声かけづらくってあんまり絡んだことなかったけど、栗田さんは割合朗らかな性格をしてそうだ。何より、オレをすきにならなそうな態度に好感が持てる。今日初めて会ったけど、そういう意味ではめんどくさくなさそう。安心できるかも。


「オイ、なまえ。」

「あ、だいき。」


 1時間目が始まる直前になってガラガラと前の扉が開いた。肌の黒くて背の高くい男子生徒が栗田さんの名前を呼んで近づいてくる。下手したらオレよりデカイかもしれない。栗田さんは、だいきのせいで遅刻したじゃんか。と不機嫌そうな顔を隠しもせずにそう言う。マジでうるせーなお前。送ってもらっただけ感謝しろよブス。とそいつは馴れ馴れしく栗田さんの頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。仮にも女子に向かって散々な言い様なんだけど、ブスなりに感謝はしてますぅー。と慣れたように返す栗田さんの雰囲気から、きっと仲がいいんだろうなと思った。


「感謝ついでに現国の教科書貸してくんね?お前今日初めて来たから全部あんだろ。」

「忘れたの?」

「昨日家で名前書いてたらそのまま置きっぱにしてた。」

「バカなの?しぬの?」

「お前が死ね。」


 その仲の良さは、たぶん、きっと、相当良さそうだ。普通じゃ許されないであろう冗談を一通り交わして、じゃあ帰り迎えにくるわ。なんて言って彼は自分の教室に帰っていった。


「今日送ってくれたのもあの人?」

「あ、うん。小学校おんなじなんだ。」

「イケメンじゃん。」

「うん。しかもいい奴だよ。小学校のときは結構モテてたみたい。」

「へえー。」


 あの人が閉めた扉を眺めながら生返事を返す。栗田さんとは仲良くできそうだったんだけどなあ。でも栗田さんには1番仲がいい奴がいて、そいつにはオレはたぶん及ばない。そう考えると、栗田さんと仲良くなることが途端にどうでもいいことに成り下がってしまった。オレ、別に友達には困ってないはずなんだけどな。と視線をそらした。
 なんだかせっかく見つけたとても手になじむ石を誰かに奪われたみたいな気分だ。




中学編開始しました。
よくわからなくなってしまった。いつものことだけれど。
title by 彼女のために泣いた
20140504
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