責めてくれ、ボロボロになるまで。 初めて、血の海というものを見た。あいつに突き飛ばされ床にぶつけたケツが痛くて、いってーな。とぼやきながらも顔をあげると、何も考えられなくなった。栗田なまえの血は、オレが思い描いていた血液よりもずっとサラサラとしていて、とめどなく広がっていく。なまえは、アームの根元から落ちてきたゴールの下敷きになっていた。たぶん、どっかが突き刺さっていたのだ。気が動転して、何から見たらいいのかわからなかった。血が出てて、足と腕が変な方向に向いてて、なまえはピクリとも動いていない。 「(しん…っ、)」 サッと血の気が引いて、慌てて駆け寄る。ケツの痛みなんか、もうとっくにわからなかった。なまえは、幼馴染のさつきよりかは短い付き合いだけれども、それでも他の奴らよりかはずっと仲はよくて、さつきとは1番仲良くて、さつきはあいつがだいすきで、ひろだって、 「(こういう時、どうしたらよかったんだっけ。)」 逃げたかった。逃げて、見なかったことにしたら、明日にはなにもなくなってるんじゃないかと思った。けど、すぐさま、そんなんじゃダメだと、頭を振る。脳みそを必死に回して、とりあえず名前を叫んだ。ゆさぶって意識を確かめようとして、手を止めた。たしか、こういう時は揺らしたらいけなかった気がする。首が亜脱臼してたら、衝撃受けただけで骨外れて、死ぬかもしれないから。保健で1回だけ、言ってた。 1度、ふぅ、と息を吐き出してから、鎖骨を軽く叩いて名前を呼んだ。反応は見られないから、見たまんま意識はないんだろう。そっと首筋に親指を当てると、とくん、とくん、と弱いけれども確かに脈動を感じる。口元に近づけた耳からは何も聞こえなかったから、息は、してない。けど、生きてる。泣きそうだった。鼻をすすって少しだけ目をこすっていると、なまえが眉根をよせて目を開けた。なまえ、大丈夫か!?と声をかけたが、それには反応しなくて、くるしそうに口をパクパクとしている。聞こえるのは、ヒュッ、ヒュッと短い息の音だった。おまえ、息、できねえのかよ。 「っ今、先生呼んでくるから!待ってろ!いいか、絶対死ぬんじゃねえぞ!」 自分のせいで大怪我したら、結構しんどいよ。と、ずっと昔、ヒロが困った顔で笑ったのを思い出した。今更、その言葉の重みを理解するなんて、本当にそんな目にあってようやく気付くなんて、オレはどうしようもなくバカだ。なまえが、体操できなくなったらオレはどうやって謝ればいいんだろうか。 *** 「あ、だいき。おつかれー。」 翌日、なまえはもうとっくに目を覚ましてると聞いてさつきに引きずられるようにして病室まで顔を出した。ちゃんと謝るまで出してやんないんだから!と1人あいつの部屋に閉じ込められたオレはいつも通りの間抜けな顔で間抜けな言葉を投げかけてくるなまえに拍子抜けする。正直、なまえの顔を見たくなかった、さっきまでは。顔を合わせたら、あの怪我を見たら、きっとまざまざと責められているような気分になる気がしたから。昨日の夕方、なまえは手術することになって、あいつの親が来たときは、もう思わず泣いてしまったくらいには罪悪感でいっぱいだった。申し訳なさで押しつぶされそうだった。手術室の前でぼろぼろと泣き出す俺をなまえの母ちゃんは、自分だって心配なんだろうに、大丈夫大丈夫、なまえは強くなるように育てたからね。心配ないよー。とオレの背中を撫でてくれて、さらに泣いてしまった。 「…おまえ、けが、大丈夫なのかよ。」 「なんか手術したらしいね。流動食ドロドロだし無味だしやる気なくすわ。」 「いや、そうじゃなくて、」 オレがぽつりと問うと見当違いの答えが返ってきて、少しだけもどかしい。気にしてないフリをするのはなまえの十八番だけど、もう5年近く一緒にいるのだ。オレが気にしてるのをわかって、どうでもいい感想を使って、どうでもいい話題にすり替える気だ。バカでもわかる。 ごめん。と呟いたら、なまえは静かに口を閉じた。うつむいて、三角巾で吊ってない左手をキュッと握る。あのさ、とオレを呼ぶ声は震えていた。 「体操は、やめた方がいいって言われた。」 「え…?」 胸の奥がえぐり取られるみたいな感じがした。オレのせいだ、オレがバカなこと考えたから。と冷や汗がじっとりと出てきて気持ちが悪い。オレが硬直しているとなまえは焦ったように、いや、ケガのせいってわけじゃなくて、わたしが猿手だから。と腕を見せて苦笑した。 「猿手って、おまえ、机に手ェ着いたときクルクル回るだけだって前言ってたじゃんか。」 「関節が柔らかすぎて、床に手着くときポキンって折れちゃうかもなんだって。脱臼だって、癖ついちゃうとすぐ抜けるようになるから。」 向いてないんだって。知ってたけどね、猿手なのは。知ってて気をつけてやってたけどね。すきだけど、向いてないって言われちゃったら、どうしたらいいかわかんないよねー。 左手が、なまえの前髪をくしゃりと握って顔をさらに見えなくする。治るには治る、けど、前よりは動きにくくなるって。脱臼だけじゃなくて、右腕の骨、ぐしゃぐしゃになったから。今、ボルト入ってるんだよ。そう言ってなまえは深く息を吐いた。めんどくさいな。なんて、いつもはあんまりしない、出てきそうになる自分の中のもやもやをもう1度自分の中に戻す吐息だった。だいき、と少し低い声でオレの名前をなまえが口にする。 「オレのせいで、とか思ってるならぶん殴ろうと思うんだけど、どう?」 「えっ、そ、れは、」 的を得過ぎてて動揺する。なまえのグーパンは鳩尾狙ってくるし殴られるのは嫌だけど、でも、仕方ないだろ。もしかしたら、ヘラヘラしたその面の下でオレのことを恨んでんじゃねーかって思ったら、やっぱ不安になるよ。お前をそんな風にした張本人のオレが、何様のつもりでお前に声かけろっていうんだ。オレだって、なまえがオレのせいでケガをしたって思う奴じゃないってわかってる。けど、仮に、お前に責める気持ちがなくたって、オレはお前がどこかで恨んでんじゃねーかって負い目を感じるし、なによりオレはオレを許せないだろう。それに、なまえはオレのせいじゃないって思ってるとオレがみとめたら、それはお前にしたことを軽く見ようと逃げに走ってるってことだろ。 だんまりしていると、ゴッと鈍い衝撃が後頭部を襲った。視線を上げると、右腕のギブスをおろしたなまえがドヤ顔で笑っている。いや、おま、おい、まず声かけろ。 「お前なあ、」 「無言は肯定とみなした!だから殴った!文句あんのか!やるかこら!」 「やんねーよ。つーかお前折れてるんじゃねーのか。」 「痛み止めなう。ギブスなう。あ、でも待ってちょっとジンジンするかも。」 「バカじゃねーの?」 本当に拍子抜けだ。体操やめろって言われたってセリフから、そういうフリなんじゃないか思うくらいなまえはピンピンしていて、今だって何事もなかったみたいにケラケラ笑っている。オレやヒル魔にからかわれてるからみんななまえを気の弱い奴と思いがちだけど、実は、本当のところの芯はいつだってブレない強い奴なのだ。たまに出る頑固なところとかだってそうだ。みんなが無理だっていうほど、あいつはやる気になる。 「謝らないでよ。」 ひとしきり笑うと、なまえはスッと真顔になってそう言った。まるで、わたしがみじめみたいに見えるじゃん。とニヤリと笑ってオレを見つめる。こいつは本当に、ふざけたフリして人が傷つかないように要求を伝えるのがうまい。ようやくオレの顔の筋肉ごゆるんで、少しだけ笑えた。 「お前が友達でよかった。」 考えに考えた結果、考えに考えたことを省いたり付け加えたりしたのにまだちょっと納得いかない。 実はなまえは、後頭部を打った瞬間、その衝撃で1度心停止しているという設定。 title by alkalism 20140425 |