知られたくない。



 少なくはないオレの友人のうちの一人、栗田なまえは、それはそれは理性的な人間だった。よく言えば冷静、悪く言えば冷めていると言ってもいいその性格は小学校を入学したときから大人のそれと変わらない。
 今回、彼女へのいじめに関して、加害者と被害者のどちらに問題があったのかと言われれば、間違いなく加害者側に問題があるだろうけれども、彼女の淡々とした反応もその一因になったように感じる。あまりの反応のなさに意気消沈するどころか、むしろ憤りが募るのだ。自分達の存在すらも無視されているかのように感じてしまって。

 それから、なまえは非常に辛抱強く温厚であった。大輝に対してはある程度怒ったりするけれど、元々彼の行った行為を許した上で咎めているというだけだ。本気で怒っちゃいない。彼女はまるで、怒りという感情が欠落しているかのようで、一定の不満やストレスが溜まると怒りをすっ飛ばして泣きに走るのだ。ただ、そのストレス耐性の容量がデカすぎて、泣いたところを見たのは今回、桃井に気付かれたときと、転んで爪が剥がれ、みんなに心配されたときの2度だけである。
 さて、穏やかで我慢強いとは言ったけれども、彼女が全くの人畜無害というわけではないし、やられっぱなしというわけでもない。怒ることもある。今回のことに限って言えば、関わりたくないし面倒だけれどもこのままでいても現状復帰の見込みはなさそうだと桃井に焚き付けられ、仕方なしにやり返したという流れらしい。結果、桃井がなまえのいじめに気付いてからは、案外、呆気なかったように思う。
 いじめの行為に対する徹底的な無視っぷりからもわかる通り、もともとなまえ自身、反抗心はもっていたから、備えあれば憂いなしと被害の数々を写真に収めては報告書のワードを打ち出しを毎回行っていたらしい。だからこそのあの冷静さが生まれるのである。可愛げのない小学生と言ってしまえば終わりだけど、彼女はそれくらい根性が座っていたし、頭がよかっただけのことだ。

 現在、桃井になまえのことが発覚してから1週間は経っている。あの日の翌日、桃井の提案により数々の被害を告発することが決定された。同日に大輝から、今日、なまえはトイレに呼び出されるだろう。との情報を伝えられた桃井はいつどこで仕入れたかもわからないボイスレコーダーをなまえに渡した。なまえは、大輝の言っていた通り呼び出され、雑巾を絞ったバケツの水をかけられるもレコーダーは濡らさずきっちり録音して戻ってきた。それから毎日呼び出されては水をかけられるというローテーションを1週間繰り返したわけだが、なまえは泣くこともなく、ただ淡々と彼女達の行為を受けて立った。夏前だから寒くはないんだけど、臭いんだよなあ。と笑いながら文句をぼやくことはあったけれど。
 それよりも大変だったのは大輝の方だ。なまえのいじめは知らないというていで、という話だったのに、なまえが濡れて帰ってきたときは、大丈夫かと心配するどころか、お前さ、何やってんだよ!そうやってボケボケしてるからそうなんだよ!ヘラヘラしてったからそうなるんだよ!笑ってんじゃねえよ!と怒鳴ったのだ。何かあったのかと声をかけるだけだと思ってたオレや桃井の読みが甘かったのかもしれない。大輝はすぐに、言い過ぎたと謝ったけれど、なまえは未だに少し引きずっている。多少なりとも精神的にくるいじめはなんてことない顔で無視できるくせに。
 だいきはいつでもまっすぐだ。なまえは大輝の謝罪のあとすぐにそう鼻をすすった。それを聞いてオレはすぐに桃井のことを暗に言ってるのかもしれないとピンときた。なまえが、桃井が受ける予定だった悪意を代わりに受けているのだというのを大輝から聞いたのは、桃井がなまえにボイスレコーダーを持たせたのと同じ日だった。大輝がオレに、その話をさつきにするべきかと聞いたから、本人に聞いた方が絶対にいい。それを聞いてから大輝がいいと思ったことをした方がいいよ。と返した。答えは、絶対ダメ。だったそうだ。もうすぐ終わるんだから、さつきは知らなくていいんだよ。意味のない話になるんだから。そう言った声は、今まで見たことがないくらいまっすぐで落ち着いた声だったと大輝は言っていた。


「昨日、どうだった?」


 朝一番、席に座ったまま体をなまえの方に向けてたずねると、勝訴。とだけ返された。なまえは一昨日の放課後、桃井とともにユーエスビーメモリとかいうのを先生に渡したらしい。昨日の帰りの会はさっさと切り上げられ、複数人の生徒だけ居残って事情聴取、という流れだったようだ。お母さんとかも一緒に来て謝られたけど、全然パッとしなかった。となまえは言う。


「なんだろ。嫌いなら嫌いなままでいいのに、あんなことしてごめんねとか昨日の今日で言われてもねえ…。あぁ、うん、そうなんだ。それで?ってかんじ。」

「それはなまえが変に取り繕おうとするのが嫌いなだけだろ。言ったことは意地でも譲らないしさ、なまえはコロコロ意見変える人きらいじゃん。」

「えー、そうだけどさあ、いやでも、友達からやり直させてとか言われたときは寒気がしたね。」


 だってさ、あれだけやっておいておいそれと友達になるわけないじゃん。ぺらい友情なんか邪魔なだけだし。と肩をさするなまえに、それ本人達に言ったの?と訪ねる。もちろんノーだったけれど、ボコボコにされて、簡単に友達になれるほど馬鹿でもお人好しでもないというようなことはハッキリ伝えたらしい。なまえはふざけたように、わたし連れションする意味がわからないんだよね。と頭の後ろで手を組んだ。手のひらには包帯がくるくると綺麗に巻かれている。桃井の作戦を開始してから三日目の朝、机の中にカッターの歯が入っていたらしい。


「ケガ、大丈夫なの?今年の夏休み、でかい大会出るって聞いたけど。」

「うん、まあね。でも切り傷と打撲くらいだし、まあそれまでには治すよ。大したことない。」

「そうだといいけど。」


 オレが疑いの目を向けて言うと、なにその目!と非難される。大したケガだとは思うけど、応援してる。はやく治るといいな。と上を向く。なまえは、大したことないけど、はやく治さなきゃいけないなあ。と同じく上を向いた。窓側の蛍光灯がチカチカしてる。先生に言わなきゃな。


「ひろ。」

「なに?」

「わたしね、ホントに一人で大丈夫だって思ってたんだよ。本当に。気付いてほしくなかったし、気付く前に大会で優勝して、お前達のやることなすこと意味がないって言ってやろうと思ってた。」

「でしょうね。」


 だってなまえ頑固じゃん。オレが呆れたように笑うと、割と自覚してる。根性も曲がってるし、性格もよくはないし。となまえは開き直ったように笑った。バカだな。お前、性格はいいよ。割と。思ってることをそのまま言うことが性格いいってわけじゃないんだから。黙っておいた方がいいときもそりゃあるよ。そう言おうかと思ったけれど、変にフォローするのが少しだけ気恥ずかしくなって、ふーん、気付かなかった。とあまり興味がないフリをする。性格がよくったって悪くったって関係ないって風に伝わればいいな、なんて。
 あのね。なまえが目を少し泳がせた。恥ずかしいけれども、大切なことを話すときにはいつもそうしていたような気がする。


「たぶん、やっぱり、無理だったと思う。ひとりじゃ、きっといつか泣いてたと思う。心配してほしくなかったのに、だいきに怒られたとき、ちょっと安心した。そりゃこわかったんだけど、やっぱりうれしかった。ほんとうに安心したんだよ。」


 いつもより下がった目尻で、いつもより気の抜けた顔でへらりと笑った。なまえは、関係の遠い人にはあまり弱いところを見せたがらない。他の人だってきっとそうだけど、彼女は人一倍隠したがったから、なんだかオレまでうれしくなって、そっか。と口元が緩んだ。
 ひろ。となまえがもう一度オレの名前を呼ぶ。他の人に話しかけるような堅い声じゃなくて、大輝や桃井と話すような柔らかくてゆったりとした丸い声。わたしにとってあなたは周りよりもちょっと特別なんですよと言われてるみたいだ。本人に聞けば、そこまで仲良くない人と話すときは緊張して声が堅くなって愛想が悪くなるんだそう。きっとみんなに俺達にするみたいな話し方をすれば、渡辺達みたいなことをする人はうんと減るんだろう。


「ひろ、気付いてくれてありがとう。わたし、知られたくないのに気付いてほしかったみたい。おかしいよねえ。」

「……いや、別に、おかしくないと思うよ。」


 なまえ、オレだって同じだよ。なまえとは全然違うけど、同じ気持ちだ。どうしてだろうね。




一応いじめ編おわり。中身あんま書いてないからあれだけど、一応3年の秋前から4年の夏までやられてたので一年近く辛抱してました、という設定。
title by 彼女のために泣いた
20140321
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