きれいだね。あなた、ほんとうに。



 なんでそうなんのかわかんない、なんて、不平を本気で口にしたことはない。体操競技での失敗にしても、友達と思っていた人たちからの予想外な仕打ちにしても、理不尽な叱咤にしてもそうだ。他人に自分の不満を押し付けるのとか失敗を押しつけるのとかは苦手だったし、我が家では基本的に言い訳は禁止だったから、いやだった。そういう考えにいたることはなかった。だって、結果には原因があるんだから自己責任でしょ、そんなの。だから、わたしはどういう経緯でそのような行為をされたのか疑問には思っても、結局自分でぼんやりした解答を割り出して、自分がどういうことをしたから技を失敗したんだとか、相手が不愉快に思ったんだとか推測して、なんとなく相手の気持ちを理解しようとしたりして、ゆるやかに、まあ、そうなるよなあ。と1人勝手に納得するのである。
 自分の中では、この考え方は割と悪くない思考回路だと思っていた。だって、自分の失態やされた行為や置かれた環境にイライラすることがなくなるわけだから、変に口論することもなくなるし自分と相手との間にいやなあつれきも生まれない。こと、人間関係だけに関して言えば、一生適度な距離を保てるし、気にしさえしなければ無関係性さえ作り出せる。それでちょうどよかった。それがよかった。

 わたしが、世間一般ではいじめと呼ぶであろうものを受けているとさつきに知られた日、その日の帰り道、わたしはさつきにわたしの考え方を、少なくとも全面的にはいいものではないと否定された。さつきが言うには、ある意味、わたしは諦めていて、周りに期待していないらしい。少し顰めっ面をしていたから、たぶんわたし以上にわたしの受けた悪意に胸を痛めているのだと思う。へらへらしないでよとわたしを叱るその震える声をわたしは別にやさしいとは思わなかった。さつきにとってはたぶんそう思うことが普通だし、わたしもさつきと立場が逆転したらそんな風になるんだろうと思うから、やさしいと思うことはなんとなくさつきへの冒涜な気がするのだ。

 まあ、とにもかくにもわたしの考え方は悪くはないけれどよくもないと言われたのである。わたしは、ただ、本当につらいのかどうかすらわからないだけなのだけど、さつきはそれを火傷に例えた。神経まで焼け焦げちゃうと、痛みすら感じないのよ。そう言ってわたしの部屋まで上がっていって、わたしのパソコンの前に座ってこれからの作戦を練りはじめるのだ。わたしがこっそりしたためておいた画像や文章データを泣きそうな顔で一通り見ると、わたしをぎゅっと抱きしめて、あともうちょっと頑張ってね。と呟いた。なんだか心臓が変な風にひしゃげた気がして、ちょっと苦しい。あ、わたし、さつきの言う通りかも。ちょっとくらいはつらかったのかも。なんて他人事のように自分の声が頭の中で響いていた。わたしは、他の人のことはよく見るようにしていたけれど、自分のことをあまりちゃんと見ていなかったのかもしれない。自分でしかわからないもののはずなのに、さつきの方が言い当てる。

 翌日、さつきはどこから聞き出したのか、なまえ、たぶん今日あの子たちに呼び出されると思う。と言ってわたしに手の平には少し収まらないくらいの四角い機械を手渡した。なまえなら本当は呼び出しされても行かないかなと思ったし、そっちの方がいいんだろうけど、と眉をひそめる。こんな顔させてるのも、わたしのせいなんだよなあと思うとなんだか申し訳なくなった。
 わたしがそんなことを考えて黙っていると、なぜかさつきは、あ、いや、嫌ならいいの!これが一番手っ取り早いだけで、他に方法がないわけじゃないと思うし!と焦る。たぶん、わたしをこれ以上いやな目にあわせたくないと思ってくれているのだ。痛いことされなきゃいいな。とボイスレコーダーをポッケに突っ込むと、ごめんね。ってさつきが呟いてどきりとした。俯くさつきのかおをじっと見ていると今度は、こんな方法しかなくて、ごめん。と謝る。バレたかと思った。さつきが、自分のせいだなんて言い出すのかと。わたしが、いいよ。確実に追いつめた方が、ずっと安全だし。と笑うと、さつきはいきなり泣き出して、無理しなくていいからね。なんて言うもんだから、本当に、まるで戦争に行くみたいだと思った。



***



「ちょっと、聞いてんの!?」


 ばちん、とほっぺに平手打ちを受ける。確かにぼうっとしていたけれど、聞いてるよ。と返す前に殴るんだから理不尽なもんだ。わたしは、わたし達は今、体育館にほど近い三階の女子トイレにいた。わたしが知る中で1、2を争うくらい人気が少ない場所である。近くにあるのは体育館と保健室とグラウンドくらいで、しかも教室のあるエリアからかなり遠回りしなければ辿り着けない。1度3階にあがってから2階に降りて、また別の階段で3階まであがらなければならないという仕様なのだ。トイレなんて各階に設置されているのに、誰がわざわざこんなところまで来て使おうものか。

 お昼休み、わたしはさつきに言われた通り例の4人に呼び出された。相川フユミ、岸田マユコ、高木カナ、渡部サツキ、みんな3年生の頃は割と仲良くしてた子達だ。そのうちの2人はだいきがすきで、残りの2人はひろがすきという少し不思議な構造で、わたしはなんで仲良くなれたのかちょっとわからない。ただ、クラスの半分くらいの男の子がさつきのことをいいなと思ったり、すきだと思ったりしていたように、クラスの半分くらい女の子はだいきかひろがすきだったように思う。小学生なんてスポーツができたら人気者になれたし、人気者がモテるのは当たり前のことだし、小学生じゃ特に顕著だ。性格とか学力とか功績だとかは二の次で、顔と能力でヒエラルキーが形成されていく。子供は残酷だなんてよく言ったものである。
 まあなんにしろ、4人全員見事にわたしの友人がすきなうえに、その友人には男子に人気の顔から性格までかわいさでつくられている女の子が幼馴染みポジションというチート設定まで有しているのだから嫉妬しないわけがない。敵を発見した彼女らは更に絆を強固なものにした。
 はじめは誰がかっこいいだのこんなことしてくれただの、かわいらしい話を交わしていたはずなのに、いつからか隣に並ぶさつきの話にすり替わっていた。わたしもそうだけど、と口を挟めば、なまえはいいの。と決まって返された。4人の中で勝手に話が盛り上がって、とうとうついていけなくなった頃、さつきを無視しようという話が出た。わたしもそれに誘われて、もちろんわたしは断った。結果、標的はわたしに移ることとなった。それ自体に興味はない。初めて上履きが泥だらけで靴箱に入っていたときは、なんでが頭の中でぐるぐる浮遊していたけれど今はもうない。わたしの言い方が悪かったから、わたしの方が邪魔に思えたんだろう。さつきの方がかわいいし、さつきの方がやさしい。さつきの方がみんなから好かれてる。そんな子に勝てるわけないもんね。だったら自分よりも劣ってる子にストレスぶつけた方が楽だもんね。むなしいだろうな。

 へらへら笑って、いたいな。聞いてるよ。と頬をさすると、だったらさっさと言えばいいのに。なんてフユミちゃんはそう言った。笑ってんじゃねーよ、ムカつくんだよ。と渡部サツキは不意にわたしのお腹を蹴る。ちょうど鳩尾にあたって、苦しくてトイレのタイルにうずくまると、きったねー!ついでに床なめてきれいにしたら?なんて嬉々とした声が響いた。するわけねーだろ。とは口に出さずに、顔を上げるとまた殴られそうな気がして、げほげほとずっと悶えてるフリをする。そうしているとわたしが起きあがるのを待つのに飽きた渡部サツキは、あんたさ、口答えかシカトかのどっちかじゃん。やめてほしかったら普通うちらの言うこと聞くくね?ってわたしのわき腹を蹴り始めた。1人が始めるとみんな気が大きくなるのか、次々と手を出し始める。
 渡部サツキは持ってくることを禁止されてる携帯電話で動画を撮ってるらしく、はやく顔上げろよ。と催促した。ストラップのつけすぎでジャラジャラとうるさいそれを女子トイレの個室でクラスの女の子に見せびらかしていたのは記憶に新しい。渡辺サツキは、そのちょっと前に、家のガスが止まった!と貧乏なことを自慢するような子で、だから携帯なんかよく持てるなあと思ったし、わたしは実はそれをコンプレックスだからこそひけらかしてるんじゃないかと考えていた。心のどこかで、きっと同情していたのだと思う。みんながまだ持っていないものを見せることで、あるいは先生の言うことを無視することで自分の地位を誇示しようとしている姿はどうしようもなく哀れだったし、馬鹿馬鹿しいと思ったし、なんだか情けないとも思ったし、わたしの理解できない世界に住んでる人達なんだなとも思った。
 3年生の頃、さつきの新しくかってもらったばかりのきれいな装飾のついたえんぴつを盗んでは周りに自慢していたのだってそうだ。さつきは物をそうそうなくさないきっちりとした子だったけど、残念なことにえんぴつに名前を書いていなくて、渡部サツキはそれをいいことにさつきと同じ名前をさつきとまるきり同じえんぴつに油性ペンで書き込んだ。それ、私も持ってたよ。なくなっちゃったけど…。なんてさつきが言ったときは、これ、ママが買ってくれたから。と脈絡なく不愉快さを露わにしていた。今思えば、まあ、そういうことだったんだろうと納得がいく。みんなは知らない。さつきのえんぴつは、ただ単にどこかでなくなったことになってるから。
 わたしが渡部サツキを否定的に見てしまうのは、人のものを盗むなんて悪いことだと、許せないと正義感を振りかざしたかったからじゃない。ただ、人のものを盗って、あげくその盗った本人の前でのうのうと私物自慢してる姿がたまらなく胸くそ悪かっただけだ。人の泣きそうな顔見てさ、よく平気で笑ってさ、うそつけるよね。さつきが泣きそうになったとき、満足そうに笑ったあの顔、あの時は言わなかったけどすごくブスだったよ。見ていて気分が悪くなるから、さっさと消えればいいのにって思ってた。その時点で見て見ぬフリしたわたしも相当いやなやつだけど。
 他の3人も本当に馬鹿だ。基本的に汚いことは三人でやって渡部サツキは高みの見物してるんだよ。最後の最後で、先生、あたしはやってない。って言い張るために。
 たぶん、わたしがこんなことをされるようになったのは、そんな思考が態度や視線に現れてしまったからかもしれない。ていうか、きっと、そう。わたし、そういうときこそ顔に出やすいみたいだから。嫌な子だな貧乏って可哀想だなと勝手に上から目線で彼女を見ていたのだ。今はそれを、少しばかり後悔している。特に同情なんて、渡辺サツキにとっては一番不愉快なものだったのだと思う。そもそも誰だって貧乏だから可哀想なんて思われたくはないだろうに、だからこそ開き直っていたのにわたしは彼女の人に見せたくない領域を心の奥で踏み荒らしていたから。
 まあ、悪いとは思っているけど、わたしが渡辺サツキのことを嫌っていることに変わりはない。

 さて、話は変わるけれども、さつきはわたしのことを嫌いな人が少ないってすごいことだよとか大ちゃんからあれだけやられてよく本気で怒らないねとか我慢強いんだねなまえはやさしいねって褒めることがある。割と頻繁に。それは違う、とわたしは思ってる。全然違う。嫌いな人が少ないのは確かだけど、わたしはただ、その人のよくないところがあっても、まあわたしには関係ないからどうでもいいやって思ってるだけなんだよ。だいきに本気で怒ったりしないのは、だいきのことをきらいじゃないから。すきな人に多少過激な絡みされたって、そういうコミュニケーションなんだって思えるでしょ?だいきじゃなくて、さつきやひろにされたって同じだよ。2人は本当の意味でやさしいからやらないだろうけど。我慢強いのは、まあ、友達にからかわれたって激怒する子もいるだろうからすこしはあるかもしれないけど、必ずしもやさしいわけじゃないよ。わたしにだって嫌いな子はいるし、苦手だなと思う子はもっといる。わたしにはそういう人が他の人に比べて極端に少ないだけだ。

 何週間か洗ってなさそうな黒っぽい上履きの猛襲がやっとやんだ。床から、そっと窓の外を見ると空はとっくに曇り空になっていて、ぱたぱたとトイレの窓を雨滴が打っていた。ほう、と息をついてそれを眺めていると、ばしゃりと上から冷たい水が降ってくる。4人はきゃーきゃーいいながら、これ絶対トイレの床拭いた水だって!ごっめーん手が滑ったー!虫のスープもそうとう笑えたけど、これはすかっとすんね!とケラケラ笑っている。確かに、ちょっと臭う。最悪。とは思ったけれど、頭はやけに冷静で、ボイスレコーダーの心配までできた。ちょうど外は雨だし、適当に取り繕える。体操着着たらいいや。
 黙っていたら、なんとか言いなさいよ。と高木カナが丸い目を釣り上げて、わたしの頬をぶった。やっぱり、ちょっとだけ痛かった。確かに、わたしの言葉がきっかけだったろうし、もしかしたら傷つけたのかもしれない。だから多少の嫌がらせは仕方ないと思う。けど、やっぱ、むり。痛い。なにが痛いのかわからないんだけど、どこかが痛い気がする。苦しいのかな。さつきにあとで聞かなきゃいけないな。


「きたないなあ。」


 笑って言ったら、お前がな。ともう一度お腹を蹴られた。苦しいと言えば苦しいんだけど、まだ泣きそうもないから平気だと思う。なんでこうなったんだとは思わないけれど、なんでここまでされなきゃいけないのかとは思った。けど、わたしがそこまでするくらい追い詰めたのかなと思うと反撃をする気は失せた。それに漬け込んで、もっと罵声を浴びせてくるあの子達も、それを甘んじて受けようと偽善者ぶってるわたしも、そうとう、きたない。




平気ってなんのことを言うの
title by 金星
20140317
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