我慢なんかじゃない。



「え?栗田さん?帰ったんじゃない?」


 結論から言うと、尾行はうまくいかなかった。
 えっ、もう?と驚きを表すと私の目の前の彼女、たしか高木さんは、うぅん…、と唸ってから、最近授業以外はだいたい教室いないからなあ。と苦笑いする。高木さんは私の隣で難しい顔をしながら突っ立っている大ちゃんを見ると頬を少し赤らめていた。
 大ちゃんは運動だけはやけに出来るから、なかなかにモテるのである。それを大ちゃん自身が自覚した当初は事ある毎にどや顔をするもんだから、とてもしらけた気分になったのをよく覚えている。

 さて、なまえになんだか些細な、本当に些細な違和感を感じていた今日この頃。大ちゃんにそれを相談したのが昨日のことで、今日は謎の違和感の原因を暴こうと尾行を決行すると決めた日だった。しかし、結果は惜敗どころか惨敗も惨敗。なまえの去り際すら視界の端っこにも掠らなかった次第である。
 まあそもそも生徒を思って帰りの会を一瞬で終わらせるなまえの4年1組と、やたら連絡事項を繰り返す私や大ちゃんの4年3組とじゃうまくいかないのは当たり前の話だ。普通にしくった。
 頭を抱える私の一方で、大ちゃんはさもうれしそうに、残念だったな!と笑ってボールを片手に体育館へ颯爽と駆けていった。いつもなら私も後について大ちゃんのボール遊びを見に行くのだけれど、生憎そんな気分じゃない。今日は完全に尾行の気分だったのだ。まだ缶蹴りとかケードロとか、スパイ気分を味わえるものの方がやる気が出る気がする。

 今更とぼとぼ帰るのは、なんとなく気が向かなかったので、とっくになまえの去った教室に歩を進めた。なんだかこの教室に入るのはとても久し振りな感じだ。まあ実際、なまえが教室にいないんじゃ顔出す意味もなかったから当たり前と言えば当たり前なんだけれど。
 なまえの席は窓から4列目の1番前にあった。目がそこまで良くないのと視界の大半を黒板で占めることによって集中力がどうのとかいうので2年生の秋から指定席になっている。先生も先生で授業のためという生徒を推奨することはあっても、引き留める理由はないので了承しているらしい。後ろの方が先生の目が届きにくいから、そっちに行きたがる子の方が多いけれど、その代わり前の席の方が友達と合わせて席替えすれば席が近くなる確率が高いので私は割と前の席がすきだったりする。
 なんとなくなまえの席に座ってみた。窓からの夕日が眩しくて廊下側に顔を背けると、隣の席が田中くんだということに気付く。大ちゃんによると今年の梅雨前から2人は仲がいい、らしい。3年生の時に一緒だったけど、人柄の良さそうな印象が残っている。
 田中くんは、大ちゃんとは似ているようでちょっと違うタイプの人気者という感がある。どっちも運動神経がよくて、みんなを引っ張っていくような人柄だけど、大ちゃんがちょっと不良気味な人気者だとするなら、田中くんはちょっと優等生気味な人気者だろう。彼はまだ学校に残っているらしく、パーカーがイスの背もたれに掛かっていた。
 まさか、なまえのすきな人って、と頭の中で予想がもこもことふくらんでいく。まさかね、なんて思いながらひとりでくすくす笑ってしまった。


「あれー、まだいたのー?」


 ガラガラと音がして教室のドアが開く。高木さんをはじめとする4人が入ってきた。相川さんと渡部さん、あとうちのクラスのマユちゃんもいる。1人が廊下をキョロキョロと見回してからドアを閉めた。何かを探しているんだろうか?それにしてはだいぶ空気がピリピリしているような感じ。


「ヒロがやさしいからって上履き探すの任せっきりっていうのはないんじゃないの?」


 最初に口を開いたのはマユちゃんで、すると次々とあとの3人も尖った口調で話し始めた。はー?つーか上履きもう履いてんじゃん。綺麗だし。もう一つ持ってんならだったら先言ってよね。あーもー。自分の方が上手だーとか思ってんでしょ。ちょっと頭いいからって調子乗らないでよこのブス。とかなんとか、よくわからない。原因不明のナイフみたいに尖った言葉が胸にぐさりぐさりと刺さった。


「(ヒロって、なまえの隣の田中くんでしょ?上履きってどういうこと?)」


 おかしい。どうしてだろう。なんでなの。頭の中にいきなり予想だにしていなかった情報が雪崩のように入り込んで考えが追いつかなくなる。言いぶりからして、私の上履きは彼女らからしたら履いていないはずのものであるようだ。
 なんでそうなるのかわからなくて、怖くなってドアの方に飛び出した。すると、視界が回転して膝を強く打つ。足を引っかけられたんだと気付いたら、泣きそうになった。
 なんで、今、私、転ばされたの?


「…あっ、ごめ、桃井さんだ!ごめん!」

「…え?」

「間違えただけなの!ほんとごめん!」


 顔を上げるとみんながみんな、顔にやばいと書いてあって、必死になって私に謝っていた。逆光でさ、顔見えなくて、ほんとごめん!と相川さんが私を引き起こす。
 すると、誰かの足音と先生の、お前な、とちょっと呆れたような声が聞こえて、高木さん達はやばいやばいと慌ててランドセルを背負いこんだ。桃井さん、ほんとごめんね!また明日ね!と駆け足で教室を出て行く。まるで嵐のようで、口が開いてしまっていた。


「間違えた…?」


 たしかそう言ったのは渡部さんだった。間違えたって、なに…?誰と間違えたっていうの。この席はなまえの席で、そこに座ってた私の顔は逆光で見えなくて、つまり、私はなまえと間違えられたってこと?じゃあ、あの悪意のこもった言葉はなまえに向けられてたってことなの。
 そっとなまえの机の中を覗いてみると、お道具箱なんかなくて、死ねとだけかかれたノートの切れ端と一昨日の給食で出たレーズンパンが見えた。牛乳でびちゃびちゃに濡れていてふやけている。


「(なんで……、なんで言わなかったの。なんでこんな風になってるの。)」


 別に、私がされているわけでもないのに、喉の奥がきゅうっと締まった。再び教室のドアが開く音がしてビクリと肩が跳ねる。桃井…?と怪訝そうな声が響いた。田中くんが目を大きく開けて入口で立っている。


「なに、してんの…?」

「いや、その、なまえが最近おかしいから、すきな人でもできたのかなって思って、机漁ったら何か出てこないかなって、力になりたくて、あの、知りたくて、」


 今思えば、なんてバカな理由なんだろう。俯いて自分の上履きを見つめていると田中くんは、見たの?とだけ尋ねた。こくりと頷けば、そっか。と彼は自分の頭を困ったように引っ掻いた。


「あの、なまえは?」

「今、上靴洗ってるよ。ドロドロの上履きで廊下歩いたから先生に怒られてさ。」

「それって、高木さんとかマユちゃんがやったやつ、なの?」


 私が口をへの字にしてそう聞くと、何でそこまで知ってるの?と田中くんは驚く。先程のできごとを掻い摘んで話せば、すぐに気づかれてよかったね。それだけですんで本当によかった。怪我はない?と少しだけ安心したように笑った。


「ひろ、洗い終わった。」


 今度はなまえが入口から現れた。私を視界に入れた瞬間、かったるそうな顔から強張る。誰も喋らなくて、すごく居心地が悪かった。聞きたいことがたくさんあるのに、何から言ったらいいのかわからないし、何を言っちゃいけないのかもわからない。何も言ってはいけないのかもしれない。
 少し視線をそらすとなまえの大きなガーゼのあてられた手にはぐっしょりと塗れている上履きがぶら下がっているのがわかった。何度も何度も土とかゴミにもまれているのか、洗ったあとなのに灰色や茶色がこびりついている。
 田中くんがなまえの上履きを奪って、オレ屋上の見つからなさそうなとこに干してくる。と教室を出た。
 沈黙が、広がる。


「…今まで、毎日ずっと探してたの…?買えばいいじゃない。お母さんに言えばいいじゃない。」

「やだな、毎日買えっていうの?ママにどう言えって言うの。」

「そ、れは、」


 そんなことを返されるだなんて思っても見なかった。ずっと隠されてて、ようやく今日見つけたんだと思ったのだけど、まさか毎日隠されて毎日探してるっていうの?本当に、ただ困惑しているだけみたいな声色で言い得たことを、苦笑いなんかしながら言うもんだから言葉に詰まる。


「でも、お母さんに言えなくても、私とか、大ちゃんにだって言ってくれれば、私……どうして言わなかったの。」

「……やられないとわからないもんだけど……、知られたくないものなんだよ、案外。」

「なんで、へらへら笑ってられるのよ。なんでこんなことされてるの。なんで、なんでっ、こんな風になってるの?なんで…やめてって、」


 やめてって、言わないのよぉ…。と喉に詰まった塊を押し出すように声を絞り出したら、涙までぼろぼろとこぼれた。なまえは、驚くことはなくて、また困ったように笑う。一応、言ってるんだけど、ほら、わたし、こういうときほどへらへらしちゃうから、あんまりうまくいかない。ってわたしにハンカチを差し出した。


「困ったときほど笑っちゃうんだよなあ。だから余計に苛つかせるのかも。別に知ったことじゃないんだけどさ。」

「…あの、聞くけど、どうしてこんなことされてるの?だって、なまえはいかにもいじめられそうって感じじゃないじゃない。マユちゃんとか、高木さんとかは、何が気にくわないの?何がきっかけだったの?」

「さあ?ひろとかだいきの名前結構出すから、まあ、すきなんじゃないの?興味ないけど。」


 わたし、頻繁に羽交い締めされたりするから羨ましいのかも。あの人達よりも成績いいし、自分でも自覚はしてるけど、周りからしたら冷めてるし、そういうところが調子乗ってるって思われるんだと思うよ、きっと。
 そう言うなまえの分析は確かに的を得ている、と思った。実際、さっき私が間違えられたときもそんな感じだったもん。だからってそんな、そんなことしていいわけじゃないんだけど、私が怒りを表すと、まあまあ、となまえは私をなだめた。


「なんで我慢できるのよ。辛くないの?」

「わたし、お兄ちゃん(とらちゃん)いるけど、双子の弟(えいとこう)もいるでしょ?だから理不尽なことにも結構慣れてるし、大丈夫。」

「ムカつかないの?」

「向こうからしたら、変に言い返すより無視した方が利くんだよ。正直、わたし怒るの苦手だし、疲れちゃうじゃん。それに、向こうはわたしに嫌なところがあって、それで怒ってるんだと思うと、そこで逆ギレするのはなんだか申し訳ないかなって。」

「なんでそうなんの!」


 バカじゃないの?バカじゃないの?と繰り返したけれど、なまえは笑うばかりで何も言わない。バカじゃないの、そんなに泣きそうなら笑わないでよ。なんて、言えなかった。かわりに、なんで泣かないの?と問えば、なまえはちょっとだけ目を上に向けて、泣いたら負けだと思ってるから。と鼻を鳴らす。


「向こうはわたしの泣き顔を見たがってるから絶対泣かない。それに、わたしはわたしのやったことに申し訳ないなとは思ってるけど、悪いとは思ってないから謝らない。言うことなんか、聞いてやらない。」


 何を意固地になっているのかわからないけれど、こうなったら頑として突き通すんだから、先生に言えばいいとか、やり返しなさいよとか、これからは私にちゃんと教えてとか言うのは諦めた。たぶんきっとなまえは、頑張ってみるけど無理だと思うよ。なんて答えるから。
 なまえが、さつき、と私の名前を呼んで、そろそろ帰ろ。ひろのランドセル持って屋上まで迎えにいこう。と自分のランドセルを背負う。それに頷いて、うん。あ、田中くんのランドセル私が持つ。その手じゃ痛いでしょ。と隣の席のランドセルを腕にかけると、ありがと。とまた泣きそうな顔で笑った。


「……さつき、」

「なあに?」

「ありがと。」

「もーわかったってば。2回も言わなくていいわよぅ。」

「そうじゃなくて、あの、えっと…き、気付いてくれてありがとう。言いたくはなかったけど、気付いてほしかった。」


 あのさ、実は結構、辛いんだぁ。とうずくまったなまえの背中を撫でたら、すごくすごく熱かった。



思い描いていたのとずれた。たぶんこの話もうちょっと続く。ひな祭りに何書いてんだろ。
title by 金星
20140303
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