「見てください!」 突き出された紙に視線を這わす。学年、クラス、番号、氏名、そして数字とグラフがそこに羅列している。 「模試?すっごい上がったねえ。」 「はい、上がりました。英語以外ですけど。嬉しいです。悲しいです。でもやっぱり嬉しいです。」 学校では結果に一喜一憂するなとは言われているのだろうが、やはり嬉しいものは嬉しいらしい。褒めてと言わんばかりに期待した目で俺を見る。尻尾があったら、犬のようにブンブンと振っているに違いない。よしよしとその要領で撫でてやると目が嬉しそうに細められた。 げほげほ、綏ちゃんが咳をして紙が揺れる。 「大丈夫?」 「っ、…唾液が、気管、に、入り、ました。」 「はい、水。」 「すみません…ありがとうございます…。」 どういたしまして。と返して水を手渡す。喜ぶのはいいことだし、俺も嬉しいからいいんだけど、あんまり興奮すると熱上がるからなあ。そもそもまだ七度あるんだから、まだまだ安心出来ない。 「そうだ。これ、母にFAXで送ってもいいですか?」 「どうぞ。あ、使い方わかるよね?」 「わかります、けど、どこか行かれるんですか?」 「よくわかったねえ。綏ちゃんが風邪の時に申し訳ないんだけど、仕事で顔合わせなきゃいけなくてさ。」 「そう、なんですか…。頑張ってくださいね。」 「ありがと。なるべく早く戻ってくるようにするけど、結構大事な話でね。携帯切ってると思うから、緊急で何かあったら波江呼んで。」 ごめん。と両手の平を合わせると、え、いや、気にしないでください。あの、心配おかけしてすみません。と謝られた。 「あの、ほら、うちじゃいつものことですから。」 「わかってるよ。それでも心配なものは心配だってこと。」 「……え、あ、…えっと……、へへ、」 ありがとう、ございます。 コートに袖を通してから、わしゃわしゃと髪を撫でると嫌がらずに、ほんのり頬を赤くして擽ったそうに緩めた。 「いってらっしゃい。」 その笑顔は何時のものだったのだろう。本当に、数時間前の出来事だったのだろうか。目の当たりにした光景を、生まれて初めて否定したくなって危うく混乱に陥りそうになる。頭が、喉が、目蓋が、鼻が、胸が、痛い。 留守電があったのだ。彼女から、綏ちゃんから。初めて耳にした、か細くて、弱々しくて、震えた声で振り絞るような言葉だった。 多分、その時使われていたであろう携帯は画面が暗い状態で、リチウムと引き離されてゴミ箱に転がっていた。通りでかからないわけだった。俺も、馬鹿だ。繋がらないのをわかっていて、何度も電話をかけてた。 「綏ちゃん!!」 ベッドに駆け寄って、名前を呼ぶ。返事はなかった。息はまだ荒く浅いが、止まってはいない。一先ず、安堵するけれど、顔は屍みたいに白くて、指先なんて冷たくて、まさにそれで。俺の血も凍っているような気がした。隣には緑色の甘い香りを放つ液体がコップに注がれている。頭を目まぐるしく回転させた。多分、不凍液。なんてものを口に入れたんだ。誤飲でないことくらいはわかる。きっと手に入りやすくて、味も甘いから選んだろうなあ。よく高校生で知ってるなあ。と動ききれなかった俺のどこかが、そう呟いた。 一度、部屋を出て棚を探す。床に物が散らばったが気にしなかった。気にしてられるものか。酒、酒、酒。アルコール度数の高いものを体内に入れる必要がある。が、普段飲まない俺が、ウォッカだのウィスキーだのを持ってるはずもなく、確か粟楠あたりから送られてきた値の張るワインが精々だ。口止め料の代わりであっただろうそれに今日ほど感謝したことはない。未開封のボトルを片手に携帯を弄る。 『…なに、今何時だと、』 「よかった。波江さん、今すぐ事務所来てくれない?自宅に医療道具持ってたよね、それ一式持って来て。あと途中コンビニでもどこでもいいから一番アルコール度数の強いの買ってきて。」 『は?あなた何言って、』 一息で用件を済ませてやった。ブツッ、と通話を切って綏ちゃんの隣に腰を下ろす。物分かりのいい秘書は、事態の重要性を察知したのか、それとも無視を決め込んだのか着信が入ることはなかった。あの女も馬鹿じゃないのだから、恐らく前者だろう。そうでないと、予想外どうこうでなく本当に困る。残念ながら普段あれだけよく回る口なのに他の言葉が見つからない。困るとしか言い様がないのだ。 俺の隣に静かに横たわる彼女の手は、意識がないのにも拘らず、白くなるくらい強く、強く握られていた。手首に血液の混じった環状の痕があって、なんだか手錠みたいに見える。その手を無理矢理開かせた。 コルクを抜いて、片手は彼女の手を握って、ワインを口に含む。 「(二十歳になってないのにお酒飲ませちゃったら、綏ちゃん、怒るかなあ。)」 昼間に巻いたばかりの白い白い包帯に、俺の顎から伝った赤い雫が落ちて、ただでさえ酷い気分が落ちるところまで落ちていった気がした。 ♂♀ あの、おりはらさん、ですか…? ……綏、です。 あの、ごめ、ごめん、なさい。いそがしいの、しってたんですけど、なみえさんに、いえなくて。おりはら、さん、にしか、いえなくて……、…ごめ、な…さい。わたし、だめで、だめでした。もう、だめなん、です。 わたし、おとうさんとおかあさんが、わたしが、小学校のころから仲わるいのしってて、いままで、離婚したら、しんでやるって、おどしてたんです。そうすれば、いやでも、いっしょでいられ、るかなって、おもった。 きっと、そのときは、きず、つけた、とおも…い、ます。はんせいも、こうかいも、して、ますけど、やめるつもり、ありま、せ…でした。 でも、ばらばらになる、のが、いやで、ばらばらになったら、ふたりがすきあってなかったら、わたしがうまれ、る、意味なんて、あったのかなって、きらい、なのかなって、おとうさんとおかあさんがきらいなわたしを、わたしは、いやで、だいきらいで、それもいやで。 わた…し、わたしね、ふたりに、す…っき、すき、に、なってほしかっ、たの。ほめ、て、もらえ…た分、ふたり、な…かよくなる、きが、した。ふたりのあいだで、寝たかったの。だから、ふたりのけんか、あいだにはいって、とめて、きょ…っはく、みたいな、ことするしかなくて。それしか、わたし、おも…い、つか、なくて。 ほ…ほんとは、ね、あの日、あの、よる、ほんとうにしんでやろうって、おもった、です。おと、さん、とおかあさん、その日、すごくて、つきとばされて、目、みたとき、わたっ、し、わたし、だめ、だって、だめだって。わたし、が…、いなっ、い、ないん、です。いなくなっちゃ…っ、 ……ぅ…、…っく……、 …っだから、ほんとに、いなくなったら、後悔す、るかなって、ちょ…っと…でも、かんがえ…て、ほしかっ、たん、です。でも、じさつは、もうしわけなくて、こわくて、みんなでしぬのは、わたしがしぬのを後押ししたきぶんになっちゃうからいやで、ころしてくれたら、それがもし、ほんとうに、興味だけで、先を知れ、たら、あとはこうかいも、よろこびもしない、あたまのいいひとだったら、うまくいくとおもった。なにもできな…い、わたしなんか、いらない、とおもった。 おっ、お、りはら、さ…っ、おりはらさ、ん、ごめんな、さい。 でもいま、わた…し、ほんとうに、ほんとうに、おり…はらさんに、かんしゃ、して…ます。 はじめ、て、あったとき、アルバイトしてみない…かって、一瞬、ひつようと、されてる感じ、して、ほんとはうれしかった。いきてても、いいんじゃないかって、思えた。 ふく、いやな顔しないでかしてくれたのも、腕、けがしたときとか、じゅくのかえりがおそいときとか、きょうのかぜひいたときとか、しんぱいしてくれたのも、うれしかった。 あいしてるって、おりはらさん、言ったとき、わたし、最初、勘違いして、知らな、い人、だけど、あいしてくれてるんだって、そのあと、博愛だってわかったけど、それでもあいしてくれてる人もいるんだって、すくわ…っ、すくわれた。 ほんと、っに、わたしにとって、命の恩人と、おりはらさん、は同義、なん、です。 いっぱい、いっぱい、よくしてもらって、でもめいわ、く、かけて、部屋まで、かし…って、くれて…、だから、おりはら、さんに、は、言わな、きゃって。あの、わたしが、たぶん、家にあるとおも、ので、てきと、な理由つけて、親に渡してもら、えます、か…?お葬式、は、なくてもいいんです、けど、お墓には入りたいんです。さいごまで、すみません、あの、わたし、が、もらったぶんのお給料、デスクの封筒にお返し、しておきます。手、出してないので、あんし、ん、してください。ほんと、に、おせ…っわ、おせわに、なりました。 ♂♀ 「わたしは、どうすれば…、わたしをどうしたいんですか…?」 ごそりと音がして目が覚めた。目の前には、多分、ちょうど今起きたのだろう彼女が、横たわって天井を見据えている。ここがどこだと聞くわけでもなく、自分が生きていることを確認するわけでもなく、ただ電話口で聞いたのと同じ声でぼやいた。 体を起こす。ああくそ、座ったまま寝たせいでそこらじゅう強張ってしまった。軽く伸びをすると、俺の手に引かれて彼女の体が傾いた。 「……あぁ、握ったまま寝ちゃったのか。」 「……、………。」 「おはよう。」 一瞬合った大きく見開かれた目がすぐに反らされた。その途端に手もひき離れたのだが、反射的に繋ぎなおす。 「…ぉ、はよ、ございます…。」 「気分はどう?」 「…わかり、ません。」 「ここ、何処かわかる?」 「岸谷さんの、」 「そうだよ。新羅の家だ。どうしてそんなところに俺達はいるのだろう?」 「……。」 親に怒られた子供のように俯く。聞き流そうとでもしているのだろうか。自由な方の手が布団を摘んで網目をなぞった。 「…理由も知ってる。君の気持ちも、聞いた。よく言えたと思うよ。」 「………ほめられること…なんか、わたし、なにも…してない。」 「いいんだよ、口にすることに意味があるんだから。」 綏ちゃん。 頬を両手で包んで、交差しない視線を俺の目に合わせた。その目には、溢れんばかりの涙が溜まっていて、なんでもないというように彼女が瞬くとぱたぱたとためらうことなく落ちる。 一度零してしまったことで、抑えられなくなったのか、透明なそれが堰を切ったように頬を流れた。 「……、……かわれるかなって、思った。」 「……。」 「しぬ…って、すごい覚悟のいること、だから、よくも悪くも現状からぬけだせる、と…思った。」 おりはらさん、なぐってください。おもいっきり。わたし、たぶん、どうかしてる。こんなことしたって、どうしようもないのに、それしかないって、おもってる。 そんなことを言うもんだから、望み通り平手で頬を打った。思い切りすることはしなかったけど、少し赤くなっている。 「馬鹿じゃないの。ホント、どうかしてるよ。」 「…っ、」 「そのせいで俺なんか、心臓停まるかと思った。」 勝手に顔が歪むのがわかる。つられて彼女の瞳が大きく開かれた。驚きの中に、罪悪感と、それから期待が見えた。 なんてわかりやすいんだろう。単純にそう思えたのは、俺が彼女を前よりもずっと深く知ることが出来たからだと思いたい。 「諦めなよ、死ぬの。…これも、全然改善には向かないよ。痛いの嫌なんじゃないの?」 「いやだ、けど、」 「だったら尚更だ。君が生粋のマゾヒストだって言うんならもう少し考えるけど、……考えるだけで答えは変わらないかな。だって、嫌なんだ。俺が。綏ちゃんは痛くないって言うだろうけど、痛くないわけないだろ。放置すれば膿むし、跡残ったらどうするの。」 「べつに、どうでも…。」 「よくない。」 少し、声が硬くなったかもしれない。綏ちゃんが俺の顔色を窺って、それから逃げるように視線を落とした。 「両親が険悪だったからって、どうしてそんな二人の間に生まれたのだろうとか、自分の生は必要だったのかだとか、考え過ぎだよ。」 「………?」 「生まれたことに理由はあっても、死ぬことに理由が必要でも、生きていることに理由なんているのかな。」 「……。」 「…いらないよ。いらないんだ、理由なんて。」 確かに中には自分の人生に使命感を感じて生きている人間もいるけれど、俺に言わせてもらえば、他人に生かされているケースの方が甚だ珍しいと思うのだ。 楽しいからだとか、なんとなく生きてるなんていうのが大方の人間の生き方だろう。それだって理由と言える理由なんかじゃない。使命だって理由とは同一じゃない。 「それでも生きるのに理由が欲しいなら俺があげるから。」 「………あ、…あ、どう、いう、」 彼女は確かに他のとは違った。何でもない時に、あぁ、俺も人間なんだなあ。と思わされるのだ。 柄でもないのに真剣に悩みを聞いたり、することなすことに口をやたら出したくなったり、仕事を手伝わせてる癖に内容は教えないで、出来るだけアンダーグラウンドなことに巻き込まないように手を回したり、大人な対応しようと甲斐甲斐しく世話したり、むきになって無視を決め込んで、でも心配になって仕事に手が付かなくなったり。そういうのは自分に無縁だと思ってた。 思ってたのにそれが今では普通になっている。悪くは、ない。寧ろ、たった数時間前にそれらが失われようとしていた事実に未だ寒気がした。 「愛してる。」 そう言えば、奴こそああいう穏やかさを求めていたんだろうなあ。と宿敵を思い出す。 俺も大概だけど、暴力が服を着た様な奴が平穏の中にいるのは似合わない。理不尽の中で生きている男のくせに、今更道理に当て嵌まりたいだなんて滑稽な話じゃないか。 「…………あ、…あ…あぁ、そっか…えと、…あり、」 「違うよ。博愛なんかじゃない。」 先回りして言えば、綏ちゃんは硬直し、そのままになる。キャパティシーオーバーらしい。個人的な愛だの恋だのと言うものと離れて人生を今まで送ってきたのだったら無理はない。まあ、そもそも俺の人間に対する愛が博愛なんて言葉では片付けられないんだけど。 硬直したまま、俺を見上げていた綏ちゃんの睫毛が光って、再び大粒を溢した。ぼろぼろと流れていくそれを指で掬うと、顔が悲痛に歪められ、下に向けられる。 「うそだ。」 まあ、そう来るとは思っていたけれども。 思ったよりもずっと、いや、全くショックじゃなかった。別にその程度の恋慕しか持っていなかったわけじゃない。だって、俺は知っているからそれが彼女の精一杯の強がりだなんてことを見抜くのも容易かった。 綏ちゃんは確かに愛されたいと言ったのだ。それは両親に、というニュアンスが含まれていて、遠回しではあったけれど、確かにそう言った。 そして何故、嘘だ。と、そう口にしたのか。その理由も俺は知っている。 「嘘じゃないって、綏ちゃんくらい観察力のある子ならわかってると思うんだけどなあ。それにそんなに長い期間ではないけど、殆どの時間を共有したんだから、さ。思ってること当ててあげようか?」 「え、」 「本当は何が正解で何が嘘なのか、誤りなのかわかってる。でも、ずるいよねえ、わからない振りをするんだ。知らない振りをして、気付かない振りをして、他人ならまだしも自分自身に偽りの解答を与えるんだよ。さっき、嘘だって言ったみたいにね。」 「……ちが、」 「そしてそれが正しいと思い込む。だって君は傷付きたくないんだ。賢い君は何が自分を傷付け、痛みを与えるか、何が一番痛いのかわかるから。だから自分が傷付く前に、そうなり得るものが自分を傷つける前に先に自滅しておくのさ。そうすれば最小限の痛みで済むから。 まぁ嫌われたくないけど好かれたくないっていうのも矛盾してるけど、好かれるとそれ以上はないし、ましてやそれが永遠だなんて思っちゃいない君は、」 「…やめ、」 「……変化するとしたら嫌われるしかないって考えているのかなあ。だから普通でいてほしいと、好きと嫌いの間でいたいと考えてるんでしょ? 君は君の両親を、見、」 「やめて…!」 綏ちゃんが俺の口を塞いだ。勿論口ではなくて、手で。予想外にも両の掌を俺の口に密着させることで物理的に発声を塞いだのだ。 感情の栓が外れやすくなっていたからか、勢いがついたらしい。彼女に押される形で後ろから倒れこむ。急に動かしたせいで、綏ちゃんの包帯が外れた。きっと彼女は間抜けだから怪我をするんだろうなと少し庇えば、背の床に打ち付ける。流石に痛い。シズちゃんにゴミ箱当てられた時よりずっと痛くないけど。 「あ…あ、…ご、ごめんなさっ、」 少し焦った顔をした綏ちゃんが体を起こそうとするのを阻んで思いきり引き寄せた。ぎゅうぎゅうとあらん限りの力で自分に押し付ける。 「すきだよ。」 「…っ、」 「…ははっ、今日はよく泣くなあ。」 そう言って大人しくなった綏ちゃんの右腕を取って、口を付ける。塞がりきれてない疵から血が滲んでいたから、舐め取って、少し吸うと肩がぴくんと跳ねた。白い肌に簡単に跡が付く。 もっと、引き付けて、くっつけて、くっつけて綏ちゃんの後頭部を撫でると抑えられた声がそばで響く。温い雫石が耳を伝ってくすぐったかった。 「…おりはらさんも、あったかいん、ですね。」 「……。」 「あったかいなあ。」 あぁ、それに似た言葉を、俺は最近耳にしたっけ。本当はお前も人間なんだと奴に教えてあげるためじゃなくて、自分が寂しかっただけなんだ。 生きてるからね。と当たり前の事を当たり前に返せば、…はい。と、しとしと綏ちゃんが俺を濡らしていく。 「ほんとうは、しにたく、ない。」 「うん。」 「でも、たまに、…ひゆ、だけど、ひとりでたってられなく、なる。」 「うん。」 「つらくて、つらいっておもったじぶんがなさけなくて、きらいになって、」 「うん。」 「じぶんって、なんなんだろうって、かんがえたら、ふたりをつなぎとめるためだって、おもった。」 「…うん。」 「だから、もう、いらないと、おもった。」 小さくしゃくり上げながら、声を抑えて静かに泣いていたもんだから、もっと泣いてしまって、こびり付いた血液を、全部全部流してしまえばいいのにと思って、俺には綏ちゃんが必要なんだけどなあ。と呟けば、わんわん泣いた。 ♂♀ 「…あたま、痛いし、吐きそうなくらい気持ちが悪いです。」 調子はどうかな?と新羅が問うと綏ちゃんはそう答えた。新羅が俺の顔を見て苦笑うから睨んだのだけど、なんて事はないように話を続けるから、神経が太いなと思わざるを得ない。 「綏ちゃん、不凍液飲んだでしょ?」 「……すみません、でした。」 「あっ、いや、責めてるわけじゃないよ! 不凍液はさ、エチレングリコールっていうかなり毒性の高いもので作られてるのは知ってるだろう?あれ、吸収のされ方がアルコールと同じでね、応急措置に点滴で血中に流すっていうのがあるんだ。アルコール度数の高いものであればあるほど吸収される速さが速いから、より阻めるんだよ。」 「そう、なんですか…。でも、私、飲んでない、ですけど…。」 「君を死なせたくなくて、でも点滴がないから必死で飲ませた人がいるんじゃないかなあ。」 「へ…?」 「まあ、あの場には臨也くらいしかいなかったみたいだけど。」 「あ……。」 丸く目を開く綏ちゃんに、つまり君は二日酔いだよ。風邪ひいてたから余計辛いだろうねえ。と呑気に笑う。勿論こいつは確信犯なのだろう。 ばちりと彼女と目が合う。俺から反らせば、新羅が声を上げて笑うので軽く蹴った。一応、あれでも彼女の命の恩人だ。 急いでいたから金銭は持ってなくて、その旨を伝えると二つ返事で笑顔が返ってきた。今度は蹴らなかった。綏ちゃんの手を引いて、その場を後にする。 「ほんとうに、いいんですか…?」 「ん?何が?」 「だって、親権、変わるから、お部屋、引き続き借りるにしても、一回親元に戻って話さないと。」 「戻ってこなかったら嫌だから、いいよ。別にしなくて。」 「え?」 「ていうか、そういうと思って綏ちゃんが寝てる間に話付けといた。結婚しますって。」 「え!? あ、いたた…。」 頭を押さえる彼女に、大丈夫?と聞けば、大丈夫じゃ、ないかも、です。と微笑んだ。 「…それ、うそ、ですよね…?」 「さぁ?どうだろうねえ。」 「え、」 「え? あ、そうだ。新宿まで歩けそう?…に、ないよなあ。」 体調が悪いのを微塵にも見せないけれど、顔がやっぱり青くて、手首を掴めば脈が速かった。抵抗する前にさっさとおぶってしまう。 「え、ちょ、おりはらさ…!!」 「シズちゃんに出くわさないといいんだけど。」 暴れると落ちるよ。と言うと、直ぐ様大人しくなってピタリと俺にひっついて、腕を首に回す綏ちゃんがどうしようもなく可愛くて、あとどれくらい歩けるんだろうかと思った。 ポッカリあいた心の穴を 少しずつ埋めてゆくんだ。 (俺だけでいっぱいにしてやろうじゃないか。) 普通の心の動きを表現するのは難しいです。全部難産でした。 無理矢理感が否めないですが、これにて終わり。続きは需要があれば受験後にでも。 ありがとうございました。 20110725 |