誰も彼もが天使をさがす日


「私が押して押して押しまくったからねー。今回は特別というか、例外というか。まだフローリストさんを自由に選べる環境が整ってないんだよー、うちのとこ。でもさ、aaaならってもうみんな期待してるよ」
「そ、そんなに期待されて大丈夫かな…。認めてもらえたのはすごく嬉しいんだけど…」
「大丈夫大丈夫!他のフローリストさんたちもぜひって言ってるから。だけど……」


お店の定休日、旧友とのランチは専ら仕事の話ばかりである。というのも彼女、例のブライダルの人であり私にとっては朗報も朗報、今度の結婚式の装花の話をもってきてくれたその人なのだから。

もともとおしゃべりな彼女の口からは時折世間話が零れるけれど、件のブライダルの話はそうして止まることのない川のように続いていく。ただ、ブライダルという表面上キラキラと眩く、煌びやかに見える世界は想像以上に過酷なものであるらしく、決して楽しい話ばかりではない。今度私も参加させていただく件のお客様は少し困った人のようだった。
これは彼女の愚痴、ないしは悩み事だが、そのお客様は装花に限らず多方面でオーダーが曖昧のようで、予算もさることながら装花の色さえいまいち決まらないのだという。
こうしたオーダーは具体的であればあるほどいい。具体的な提示があればスタッフとしてもプランを一緒に考えやすくなるからだ。しかしもちろんそうでない場合だってある。花を例にして言うなら、あまりにも季節外れな花を具体的にオーダーされても困る、という話だ。しかしそれならばこちらが代替案を伝えればまだ話は進んでいくだろう。だがそう言った希望すら話してくれないとなるとこちらとしても案を出すに出せないのだ。
そもそもからして結婚式の主役は新たなる人生を歩む新郎新婦であり、私たちスタッフはそれをサポートする脇役に過ぎない。私たちスタッフの提案で進む結婚式に疑問を抱くなという方が無理だろう。

そういうことから、目の前でカフェオレを静かに飲む友人は悩み考えあぐねいた。
つい昨日、本来ならば打ち合わせでない日だったにもかかわらず突然やって来て、結局は実のない話をして帰ったとも言っているし、お客様である以前に困ったお人のようでもある。

言い方は悪いけど、そういう人の時に力を借りちゃってごめんね。

そう言って両手を揃え、頭を下げる友人に私はただただこう言うしかなかった。大丈夫だから、どんな問題が起きても全力で向き合うから、と。それ以外、言葉が出てこなかった。そんな私の言葉を聞いた友人は重い荷物を下ろすように息を吐いて、そしてありがとうと笑った。
けれども私自身不安がないかといえばそんなことはない。お花のことは一通り学んだとはいえ、ブライダルの仕事と直接繋がるのはこれが初めてのことで。友人の後押しやフォローがあるにしても、初仕事にしてそうした困ったお客様が相手では自分の培ってきた技術や知識に頼み縋るしかないのだと、しかし果たしてそれが通用するのかと不安なのだ。
そう声に出して言ってしまいたい気持ちもないわけじゃない。それでも現場にいる彼女がそれ以上に悲鳴をあげているから、私は自分の中にある全力で応えるだけ。私の技術を認めてくれた友人と同僚の方々、そして人生の門出に立つ新郎新婦、そうした人たちの想いに報いるためにも精一杯向き合わなければならない。

私は、お花が大好きなんだから。お花は元気をくれるんだから。だから、きっと、大丈夫。

いつかそんなふうにいたわりや元気をもらったことを思い出して、それから彼女に倣い、私も紅茶の香りを楽しんだ。


「まあなんていうか、ブライダルは今自分たち幸せです、って人が大半だから自分に余裕がないと辛い仕事なんだよね。そこのところ花屋も似てない?」
「うーん…どうなんだろう。そもそも元が能天気だからなぁ」
「前向きだしねぇ。なんかいい知らせとかないのー?」


たまには知らん人の幸せより身近な日常話が聞きたい。
そう言って頤をあげた彼女を見ながらなにかいい知らせができるほどのことがあっただろうかと、運ばれた時より少し冷めた紅茶を飲みながら考える。
昨日食べた焼き魚が美味しかったとか、新しく買った本が思った以上に自分好みだっただとか、そんなことしか浮かばないがそれでいいのだろうか。
だいたい、他人の幸せに慣れ苦しんでいる彼女にいい知らせというのも考えものだ。余計苦しめてしまうのではと思いもするし、なんならその程度が幸せなのかと思われかねない。
結婚が幸せのすべてとは思わないけれど、常に眩く輝いている人たちと接する彼女に話せる良い知らせとはいったいなんだろう。
いい知らせ、楽しいこと、幸せに思ったこと。私の中にあるあたたかな記憶にひとつずつ触れ覗いてゆく。美味しい食べ物も胸を打つ小説も日々の中にあって小さな幸せの積み重ね。けれどきっとそれだけじゃない。もっともっと、たくさんの幸せがあるはずだ。決して独りよがりではないなにかが。

うぅむと唸る私に目の前の彼女はそんなに悩まなくていいよー、と晴れ間のような笑顔を浮かべて言う。それでもなお唸りを深くすれば浮かべた笑顔を崩して可笑しそうに笑った。からから、からからとあっけらかんとして笑う友は、私のことを前向きだと言ってくれたけれど、そうして笑う彼女だって負けず劣らずの前向きさんだ。この晴れ晴れとした、清々しい笑いに学生の頃は何度も励まされたっけ。お互い辛い時だってあった。それでも顔を見て、思いを打ち明けて、そしてどちらかが笑えばつられて笑ってしまう。そんな私たちだった。
たしかに私は前向きで能天気だけれど、ひとりではいつも、いつの日もとそんなふうに過ごすことはできない。ひとりよりもふたりであるほうが生きやすい時だってあるのだ。

そう、ふたりなら。


「そういえば…この前ジャム作ったよ」
「ジャム?あんた昔からそういうの作るの好きね。桃ジャムとかよく作って分けてくれたの、すごく覚えてる。みんなで何もつけずにそのまま食べたりさー!」
「うわっ、懐かしい!この前はね、薔薇ジャムを作ったの。初めてふたりで作ったんだけど、すごく楽しくてね、上手に出来たし今度持ってきて…」
「ふたりで、って……だれと?」
「えっ!? だ、だれ?誰って、その、えぇっと…」


つい先日の楽しい記憶が声を弾ませた。
料理もお菓子もいつもひとりで作っていたから、誰かと一緒にキッチンに立つのは初めてで、上手く教えることが出来ているのかもわからないまま、それでも会話が途切れることはなく、ずっと咲き続ける笑顔に頬が痛くて。
楽しいこと、胸を張って聞いてほしいと伝えられることを舌に乗せれば、思いもよらぬところをつつかれて話したいことの続きは忘れてしまった。
誰、と聞かれてなんと答えればよいのだろう。同僚ではないし友達とも違う。知人…でいいのかな。
名前くらいしか知らない彼とは、思い返せばそれなりに顔を合わせることもあったしご飯を食べに行ったり余計な世話を焼いてしまったり、名前をつけられるほどの関係性があるわけじゃないけれど、それにしてはただの知人という言葉で片付けてしまうのは寂しい気もする。でも、それしかないのだ。
強いて言うなら、心を寄せている人、なのだろうけれど。

どう答えようかと考える合間に友人を覗き見ると、まだ何も言っていなくとも思い悩む姿にどうやら察するものがあったらしく、大きな瞳を半分にまで狭めてニヤニヤとしている。どうして女性とはこうも鋭いのだろう。


「ふーん…付き合ってるの?」
「つつつ付き合ってないよ…!ていうか報告したいのはそういう事じゃなくて…」
「え、付き合ってないんだ。ふーん、へぇー。それで仲良くジャムをねぇ。で、いつ告白するの?」
「こ、告白!?しない!ま、まだしないから!」
「じゃあそのうちするんだ?」
「ひぇぇ……」


夏の嵐のような人。けれど薫風のような心地良さもあって。
もしも、初めて会ったあの日に声をかけることが出来なければ、心に吹き抜ける風なんて知ることはなかった。力強いのに清しく、あたたかな風。きっとこの風に吹かれた人はみんな、彼を好きになってしまうに違いない。恐ろしくて、自分に真っ直ぐなあの人を。
より関わりを深くしていけばいくほど、知れば知るほど彼はその根底に大きな光を宿していると知ることになる。その光にもしも名前をつけるとするなら、私は魅力と名付けるだろう。その光に彼が気付いているかはわからないけれど、たしかに見つけてしまったのだ。抗うことも、またその間を与えることもなく、心に降り注ぎ包んでしまう。風のように力強くて、光のように眩しい人だった。決して穏やかでなくとも満ち足りた日々がそこにあるのだと、そんな気がしている。

とはいえ。出会って数ヶ月、ふたりで出掛けたことがあるかといえばご飯に行った一度きりだ。ケーキをいただいたりスーパーの帰り道一緒に帰ったりジャムを作ったりと何度か顔を合わせたと言っても進展する要素どころか、片想いならまだしも彼に好きになってもらえる点があまりにもなさすぎる。
職場まで差し入れに行ってしまったことも果たしてプラスへ向かってくれるのかは分からない。
つまり完全なる私の片想いであり、成就するのは極めて難しい、と考える。

彼を想うとなんだか優しい気持ちが胸を満たすから、だから明るい未来を想像してしまうけれどそれはあくまで想像に過ぎないのだ。
悲しいがそれが現実であり、現状なのである。


「……私は、なにも出来ないと思うけど応援してるから」
「あ…ありがとう…!」
「うふふ、結婚式はまかせてね!その時はぜひうちで!」
「けっ…けっ…!ななななに言ってるの…!」


やっぱり気兼ねないわ。

そう言って席を立った彼女を追うため、一口残った紅茶を喉の奥へと流して腰を上げた。
彼女の最後の一言は疲れなのか、それとももっとべつのなにかなのか、まるで空に消えゆく煙のようで。別れ際に浮かべた笑顔はやはり雲の間から差す晴れ間のようであったけれど、どうにも雲が多く見えてしまった。

普段が明るい人なだけに、ああして余裕のなさそうな姿を見るのはなかなかにつらい。
私の恋路を、たとえ何も出来なくとも応援すると言ってくれたその優しさに私だって少しでも報いたいし返したいのだ。けれど、結局私ができることもないのだろう。であるから、今度の仕事だけは絶対にしくじるわけにはいかない。
近いうちに具体案を教えてくれると言うし、どんな要望にも答えられるよう知識を深めておかなければ。

頑張る時は今なのだと決意を新たにしたところである。
思考が深部にまで及んでいたのか、いつの間にここまで歩いたのかと思いつつも、気がつけば家は目と鼻の先となっていた。長年の夢が形となった、私のお花屋さん。
そのお花屋さんを見上げるように燃える髪を風に揺らして佇んでいる。


「キッドさん…!こんにちは!なにかご用でしたか?」
「あァ、この前作ったもん貰いに来たんだが…定休日だったか」
「ごめんなさい、ちょっとお休みいただきまして…。あっジャムは家の中にありますから、どうぞあがってください」


お仕事からの帰りだろうか、シャツに大きな作業ズボン、それとやはり頭に巻かれたタオルがよく似合っている。出会ったばかりの頃だったらきっともっと違うことを思っただろう。立派な体格と、眉がなくて鋭い目付きに迂回して家へと帰ったかもしれない。それがまさかこんなふうに喜びを噛み締めた笑顔を作ることなるなんて思わなかった。
今となっては会えるだけで、話ができるだけでその日一日がしあわせで、綿雲に寝そべっているかのような心地になってしまうのだ。まさしくこれは恋である。
と、しかし咲くも咲かぬもわからぬ花だが、いつかこうして歩く廊下の無言が、緊張が、ほどけて優しいものへと変わりますように。そんなことを願って。


「そういえばお前、今度花の展覧会あるの知ってるか?」
「知ってますよ、隣町で開かれるんですよね。いろんな展示があるのでずっと見てられるんですよ」
「行かねェのか?」
「そりゃあ行きますよー!……今年は一人ですけど」


年に一度、数日間、隣町で毎年開催される展覧会は切り花がただあるだけでなく、庭園を模した空間や生け花、ブーケなどのフラワーアレンジ、その他様々な装飾が展示されており、多岐に渡る分野はたとえちょっとした興味本位で覗いた人でも決して最後まで飽きることなく見て回ることが出来る。この近辺では最大規模の展覧会だ。
毎年友達と見て回っていたのだが、今年は生憎仕事が立て込んでいるようで行けないのだとひたすら謝られたのは記憶に新しい。それと同時に行けない悔しさも延々とダダ漏れであったけれど。
圧巻の展示品はそれほど花に興味のない人であっても充分楽しめるものであり、こと花好きともなれば行かないわけにはいかない。それに今度の仕事のことも考えると刺激やインスピレーションを貰うことはとても大事だ。本や映像でも得られるものはあるが、やはり実際に自分の目で見て感覚を掴んでおきたいところである。

それにしても、まさかキッドさんが展覧会について言及するとは思わなかった。おそらく「こんな催しがあるけど知っていますか。知らないとすればあとで後悔すると思うので教えておきますね。」ということなのだろう。お花への興味がない彼だけど、それを踏まえるとなんとも嬉しい気遣いだ。
もしかして、誘ったら一緒に見て回ってはくれないだろうか。万が一にでも楽しんでくれる可能性だって無きにしも非ずだ。いやでも興味のない場所へ連れてこられるのは暇なうえ、時間がもったいないと思われてしまうかも。よく考えてみればお花に興味がないことを知っていて誘うのは失礼にあたるのではないか。そもそも来てくれることを前提で考えてしまっているけど、こういう展覧会があるよと教えてくれただけかもしれない。でもそれならそれで誘っても断られるだけだろう。キッドさんは律儀な人だけど自分の意見を無闇に曲げたり、己の心に嘘をついてまで遠慮して話を合わせるようなこともしない、と思う。
それなら声をかけるだけでもしていいだろうか。


「キッドさん、あの…えぇっと…」
「…一緒に行くか?」
「…え。えっ展覧会?」
「あァ」
「い、行きます!行きたいです!」


あまりの声の大きさに自分で自分の耳を塞ぎたくなった。目の前のキッドさんにいたっては驚いたのか私の気迫に押されたのか、音が過ぎ去ってしばらく経ってから呆然と、そしてゆっくり片手を耳に当てて塞いでいる。その表情たるや、真顔もいいところだ。それから小さく「…いや、声でけェ」と冬の雪原のように静かで冷静な感想が聞こえてくるものだからいよいよもって耳を塞ぐどころか顔まで覆ってしまいたい気持ちになる。だというのに「こ、声が大きくて、ご、ごめんなさい…」と抜ける声は驚くほどか細くて。すると「今度は小せェな」と背を仰け反らせて笑われてしまった。こんなに笑っているのは見たことがないと、先程の羞恥も忘れ見入っていたが、しかしこれは笑いすぎである。
キッドさんの笑い声もかなり大きいです、とつい今しがた呆れられたあの大声で反論すれば謝られることはなかったものの笑いの波は引いてゆく。


「まぁなんだ、お前が展覧会に行きてェってのはよくわかった」
「ま、毎年行ってるので…」
「…今年は生憎、人相の悪ィ男が横にいるからな。覚悟しとけよ」


じゃあ来週迎えに来る。

そう言ってキッドさんはあの日作ったジャムを手に背を向けた。
少しずつ小さくなる人影を見つめ、あっという間の出来事を振り返れば、じわり、指先から頬まで隙間のない熱が広がってゆく。この熱を成すのは、喜びと嬉しさと、幸せで。
思わず前のめりになって行きたいと言ってしまったけれど、それでもあの人は笑っていた。笑って、受け止めて、隣を歩いてくれると言ってくれたのだ。
自分から声をかけてみようかと思っていたのに、まさか声をかけられ、迎え来てくれ、そして一緒に大好きな展覧会に行けるのだから嬉しくないはずがない。頬に留まる熱い想いに素直になってもよいと、そう思ってしまう。だって、プライベートで家でもなくお店でもないところへ彼と出かけられるのだから。
好きな人と、行きたい場所へ。

それだけのことがどこまでも尊く思えた。

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