つめたいを言い訳にできない


夕方、スーパーの野菜コーナーで黄色くつやつやとしたとうもろこしを手に取り昼間の出来事をそのとうもろこし越しに思い出す。
なんとなくそのとうもろこし、彼に似ている気がした。


強面の彼がわざわざ訪ねてくれた翌日、つまり今日。とあるお客様が来店した。そこそこ贔屓にしてくださっている彼の名はホーキンスという。
ホーキンスさんがこれまでにお買上げになったお花はどれもご自宅用とのことで、誰かへのプレゼントにということは聞いたことがない。それは別にいいのだけど、彼が欲しがるお花は必ず風水や運勢、縁起などを担いだものと、ちょっと珍しいタイプだ。
時々そういうお客様はいるのだけど、来店時に必ずそういったお花を所望するので気がつけば私も風水や運勢といったあれこれにかなり詳しくなってしまったのである。男性の常連客というのもなかなかないので、そういったこともあり彼の見た目や名前をすっかり覚えてしまっただけでなく、時間があればちょっぴり世間話をするくらいには仲良くさせていただいている。

占いが得意という、失礼ながら意外すぎる特技に最初は胡散臭いだなんて思っていたものだけど、これが非常によく当たるのだ。それは明日の天気から始まり細かい日付の災難などと幅広い。正直お金が取れそうなほどに当たるので、彼の口から職業を聞くまでは占い師が生業なのだと思い込んでいた。
まさかホーキンスさんが建設業に従事していたなんて…!
美しい髪を靡かせる姿からはまったく想像ができない夏場の過酷な労働内容。汗一つかかなさそうなのに、とつい口をついてしまえば「おれをなんだと思っているんだ…」と言い返されてしまったあの日が懐かしい。それでも直接ホーキンスさんが働いているところなんて見たことがなかったから、昨日まで心のどこかでは嘘かもしれない、だってあんなに髪がさらさらだもの、とちょっと疑っていたというのに。

ホーキンスの野郎がうるせぇからな。

強面の彼はたしかにそう話していた。ホーキンスなんて珍しい名前、この辺りではあの常連さんしかいないはず。屈強で強面で、実は律儀なあの人が嘘を言うとも思えないし、世界って狭いなぁと思うしかない。
そんな折、ホーキンスさんがいつものように花を求めてやってきたのである。


「昨日キッドが来たらしいな」
「キッド?どなたです?」
「わからないか?赤い髪のいかつい男だ」


赤い髪のいかつい男、と言われて思い浮かんだのは一人だけだった。昨日の彼は頭にタオルを巻いていたから確認はできなかったけど、初めてあったあの日、たしかに見た。雨に濡れて水を落としていた赤い髪を。それに花屋とは縁遠そうなあの体格。

そっか、彼はキッドさんっていうのか。

思えば名前なんてお互い知らないまま世話を焼いたりお返しに来てくれたりしたんだっけ。本人ではなく常連さんを介して知ることになるとは思わなかったけれど、そもそも名前を聞くという思考に至らなかった。それは、想定外にも彼が生真面目で、気さくなとこがあって、失礼ながら外見によらないなぁという衝撃に引っ張られてしまったからかもしれない。


「見た目はああだが借りは返す男だ。悪いようにはしないだろう」
「…その言い方、不安を煽ってるだけって気付いてます?」


お買上げくださった福寿草の鉢を包みながら微々たる反論をすれば「身内には危険のない男だ」と言われるものの、ごめんなさい、私身内じゃありません。そりゃあ見た目はかなり怖いけれど乱暴なことされたわけでもないし、なんならだらしない友人よりもよほど礼節がなっている気さえしているが。あれ?それって普通にいい人なのでは?

最後にホーキンスさんは「あまり怖がってやるな」
と言い、なぜかもう一つ福寿草の鉢を手に取ると買うやいなやこちらへ渡してきた。
これは…どういうことなのだろう。えぇと、包みますか。そう尋ねても首を振られるだけで彼が何をしたいのかがいまいちわからない。
黄色くて可愛らしい小さなお花を見つめながら困惑していれば、「良縁も悪縁も縁は縁」と静かに凪いだ声が私と福寿草に降りてきた。そのまま彼は細い髪をなびかせて帰ってしまったけれど、私の目の前には福寿草の鉢が置かれたままで。
結局最後まで説明をしてくれなかったホーキンスさんの意思を汲むなら、これは私に贈ってくれたということでいいのかな。

私以外、無人となった店内にコポコポと水が循環する音が響く。
こじんまりとした鉢を掲げ、店頭に飾るかどうしようかしばし悩んだ末、個人的に贈ってくださったものだしと自室へ飾ることとした。
ホーキンスさんのことだから福寿草の花言葉も知っているだろうし、それならばやはりお店よりも自分の部屋へ持っていったほうがいいだろう。どうか、幸福を、と。

そうしてそれから数時間後、やってきたスーパーで大量のとうもろこしの購入に至る。本当は今日は大鍋でたらふくお肉も野菜も食べようと思っていたのだけど、とうもろこしを茹でて食べるのもありかもしれない。旬なものばかりではなくたまにはこういうのもいいだろう。なんと言ったって今の私は昼間のこととこの野菜が重なって当初のメニューより随分と比重が傾いてしまっているのだ。とうもろこしが食べたくて仕方がない。きっと今日食べるとうもろこしはいつもよりも美味しいに決まってる。

それからもう少しだけ店内を回って、すっかりとうもろこしで重くなってしまったカゴをレジの台へと置いた。
うぅ、重かった。徒歩できたというのにこんなに重くなってしまって帰りどうしよう。そんなことをちらちらと心配し始めていれば、ふとお会計をしている人に目が向いた。私の横でお財布を眺めている人を私は知っている。だって昨日も会った人だ。加えて今日だって名前を聞いて、その人のことでお客様とお話をしたんだもの。
ただちょっと様子がおかしい。声をかけようかと悩む思考を遮って耳に届いた言葉とは。

"100円足りねェ"。

どうやらキッドさんがお財布を覗き込んでいたのには理由があったようで、お金が足りないことを知ってしまった。
足りると思っていたら足りなかったのか、そもそもお金があると思っていたら思いの外なかったのか、そんなことはさすがにわからないけど、100円なら私が持っている。仮にそれを渡したところでこちらとしては後腐れのない金額ではある。お金の貸し借りは良くないことは承知だが、まったく面識がないというわけではない人が困っているのだ。ここでまた手を貸したら余計なお世話だと思われてしまうだろうか。

えーい、悩んでいる場合じゃない!
ホーキンスさんだって言っていたじゃないか。良縁も悪縁も縁は縁だって。


「こ、こここ、ここに100円ありますっ…!あります!」
「あ?なんだてめ…ってまたお前か!」
「ひぇっ…お、お節介だとわかってはいるんですけど、こ、こ、困ってたみたいなので」
「足りねェなら足りねェでどれかやめればいいだけだ。お前は別に…」


途中で途切れてしまった言葉に疑問を覚えながら、やっぱりまだちょっと怖いお顔を見つめるとキッドさんの視線が私の後ろへ向いていることに気づいた。倣って振り返ればそこには人、人、人。
列をなしてしまっているレジに再びひぇっと声が出る。合わさるじーっとした視線にビビる私の頭の中には先程のキッドさんとのやり取りはすでにない。

ど、どうしよう。やたらとうもろこしを買い込んでいる妙な女がなにかトラブルを起こしていると思われているのでは。
物理的にも精神的にも冷や汗を流しまくる私に、だいぶ高いところから長いため息が一つ吐き出される。
う、うわぁぁ…!あっちでもこっちでも呆れられてしまってる…。


「…悪いな。必ず返すから立て替えてもらえたら助かる」
「えっ?あ、はい、もちろん!もちろんです!」


私が渡した100円を今度は店員さんへ差し出せばお会計は打って変わってスムーズに進み、キッドさんはサッカー台へと歩いていった。少しだけざわめいていたレジ周りも別のレジが開放されたこともあってか段々と鎮まってゆく。あんなに連なっていたお客さんも今は二人しかいない。
けれど私事で時間を取ってしまったのだ。私のあとに待っていた人に、お待たせしてすみませんと一言謝罪するとぎこちなく会釈が返される。そうして他に注意が向いている最中にも店員さんの流れるような手捌きは、とうもろこしだらけだったカゴの中をあっという間に空にしてしまった。

お金を支払って私もサッカー台で食材をまとめたあと、この重たいとうもろこしたちを持って帰るんだぞと気合を入れたところで肩を叩かれる。
振り返って映ったのは揺れる真っ赤な髪。


「貸せ」
「えっ?えぇ?」
「そんな重てェ荷物持って帰る気か?腕が死ぬぞ」


こ、これは…!もしかしてキッドさんなりのお返しというか優しさなのだろうか。
もしもさっきのお返しのつもりで荷物を持ってくれると言ってくれているのならありがたいことだけど気にしないでほしい。
100円を馬鹿にするわけじゃないけど、だれかにお金を貸すと決めた時点でそれは捨てたものと思って貸しているのだし、なによりあれは私のお節介なのだ。キッドさんの言うように、足りないなら足りないでなにかを諦めるという選択肢もあった。それでも貸すと言ったのは私なのに。

けれどキッドさんのこの剣幕、ただでは引き下がってはくれなさそうだ。
荷物を持ってくれると言うのなら律儀な彼のことである。きっと家まで持つと言い出しかねない。キッドさんの家がどこにあるかは知らないけれど、もしも私の家と反対方向にあるとしたら、私がしでかした余計なお世話のせいでお釣りが来るほどの迷惑をかけてしまうことになるだろう。
気は進まないけど、ここは一つ嘘をつこうと思う。


「あ、あの、私車で来ているのでだいじょ」
「嘘だな」
「えっ!」


なに?なんでそんなすぐに看破できるの?私ここまで歩きできましたって言ったかな。そんな話した記憶ないけど。


「ここより遠い星野屋まで歩いていく女がより近いここへ車で来てるとは思えねェ」
「あ、あの時は…!偶然車が壊れていてですね、それで…」
「しかもあの日は雨だった」


え、すごい。この一瞬でそんなことまで思い出せるなんて…!
と、感心するが、車が壊れたという返答、もちろんこれも嘘だ。車は持っているけど歩くことが好きだから歩ける範囲かつ時間があるときはストレス発散も兼ねて徒歩で行動することが多い。
楽しいことを想像しながら空でも眺めて歩くことが好きなのだ。昼間の土や花から香る自然の匂いや、夜の緊張感漂う硬い、寂しさを含んだ空気に心を揺らしながら歩くのは楽しい。今日もそんなつもりでここまで歩いてきたのである。

嘘に嘘を重ねてしまったことは心苦しいが、見たところキッドさんも仕事帰りっぽいしきっと疲れているはず。それなのに余計に疲れせるようなことしたくなくて嘘をつきながら不細工に笑うもキッドさんはただじっと私の目を見るだけ。
ようやく視線が外れたと思えば「ここも混んできたからとりあえず外行くぞ」と言われてしまった。
言われて周りを見ると、たしかにキッドさんの言う通り、サッカー台はお会計を済ませた人たちで埋め尽くされてしまっている。
私の買い物袋を持ったまま外へ向かうキッドさんを追いながら、振り向くことのない彼の配慮にただただ感心するばかりであった。お会計のときも今も、彼はとても周りをよく見ている。私が鈍いだけと言ってしまったらそれはその通りなのだが、彼がそうして周囲を注意深く見られる人で本当に助かった。なんだか人に迷惑をかけてばかりでしょんぼりしてしまう。

すっかり落ちてしまった肩もそのままに、先に外へ出ていたキッドさんを見つけるが、なんというか…いかつい。わかってはいたけどいかつい。なにわからないけどすごく強そう。
眉のない白い顔色と、朝昼晩といつでも目立つ髪、そして群を抜く長身に合わせたような大きな体。加えて凶悪な表情がそれらに凄みを持たせていた。
彼の目の前を通り過ぎようとしていた人たちはそんな彼に気付くとギョッとしたように目を瞠ってそそそ、と迂回していく。きっと、いや絶対その風貌に怖がっているんだろうなぁというのがありありと伝わってきてしまって、笑えばいいのか慌てればいいのかわからない。

でもその彼が片手に持っているのは私の夕飯の食材で、私がそこへ行くのを待っていてくれてる。
誰も知らないかもしれないけれど優しい人なんだよなぁ、なんて。私だって彼のことは名前くらいしか知らないのに。そしてきっと彼は私の名前すら知らないのだろう。


「お仕事で…疲れているんじゃないんですか?私のことなら、本当に…」
「迷惑だったか?」
「え?」
「おれを気遣ってんならそんなものは必要ねェ。迷惑だって言うなら無理強いする気もない。ただ、さっき重そうにしてるように見えたから声をかけただけだ」


随分借りも作っちまってるしな。

キッドさんはそう言っているけれど、なんとなく貸し借りとかそんなこと関係なく彼本来の優しさのような気がしてならない。それはただ私がそう思いたいだけなのか。でももしも借りを作ったことが嫌だというのなら、こちらの迷惑なんて考える必要なんてないはずだ。力任せにでも私の腕から荷物を奪って待つことなく歩き始めてしまえばいい。
そうしないところに彼の優しさが見え隠れしているような気がするのだけど、これもやっぱり私の都合のいい思い込みなのか。
だけど、そうだとしても、私のちょっとした表情にも目を向けていてくれたことが嬉しかった。


「め、迷惑なんかじゃないです…!キッドさんが大変じゃないなら、お、お願いしたくて…!」
「…そうか、ならさっさと行くぞ。すぐに暗くなっちまう」
「はいっ…!」
「ところで…お前おれの名前知ってたんだな」
「うわわわわ…!」


思わず名前を呼んでしまったけど、お互い自己紹介なんてしていないにも関わらず一方的に知っていることを知られてしまって不審がられていないだろうか。私がホーキンスさんと顔見知りだなんてキッドさんは知らないだろうし、なぜ知っているんだと疑問に思うのは当然だ。第一、いきなり名前なんて呼んでしまって馴れ馴れしかったかもしれない。名前を知ってから当たり前のように内心では呼んでいたものだから自然と出てしまった。
あわわ、どうやって誤魔化そう…。

自然に呼んでしまったがためにまさかつっこまれるとも思わず、うっかり被弾したつっこみに慌てふためくものの、当のキッドさんは大して気にしているふうでもなく、それ以上の追及もなかった。
追及どころか始終呑気というか、気まずさのない空気が流れていて、時折見せる笑顔にやっぱり笑うと印象が違うなぁなんて思ったり。
まだこの前の借りも返せてねェのにまた借り作っちまったと嘆くキッドさんに、これは私が勝手に買いすぎたのを家まで持ってもらっているのだから私だって借りです、と被せてみる。そうすれば、そういうのを屁理屈って言うんだよとちょっとだけ笑ってみせて。

あの日、私の家の軒下で雨宿りしている彼を見つけなければ、雨宿りしたのが私の家でなければこんなふうにゆっくりと家路につく夕まぐれなんて来なかっただろうに。なに一つ接する線も、点もなかった私たちがふたりで歩くこの時間と縁が不思議でならない。
だけど、ゆりかごに揺られ眠るような心地だ。


「本当に家まで持ってくださって…ごめんなさい、重かったでしょう」
「重くもなんともねェから気にすんな」
「さすがですねぇ…。私だけだったらお夕飯食べそこなってましたよ」


お礼にとたくさんあるとうもろこしの中から綺麗なものをふたつ選んで差し出すけれど、笑っていらねェよと言われてしまった。


「キッドさん…!あの、本当にありがとうございました!」
「……またな、aaa」
「…え」


一緒に歩いていたときとはまったく違い、驚くほど歩くのが早い彼の背中はあっという間に小さくなってかわたれの中に見えなくなってしまう。

静かに去ってゆく背とは裏腹に最後に落とした事実の大きさよ。
…名前、知ってたんだ。

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