ただいま、と叫ぶみさきの声は船全体に響き渡るのではと思うほどには大きくて、その声に甲板に出ていたクルーたちは一斉に振り返った。
おれの腕から離れてみんなの中へ飛び出すみさきと、そんなみさきをもみくちゃにしながら笑って、涙を流すみんなの光景を何度夢見たことだろう。
本当はこんな光景を夢見ることを諦めかけたのは一度や二度ではない。どれだけ島を渡っても、海へ身を沈めても、この世に在った痕跡一つ残さず消えたみさきを思って泣いた夜は諦念を誘っても仕方のないものだった。
目の前に広がる光景は夢のまた夢と枕の上で見たものだ。

そして誰かが呼びに行ったらしい、オヤジが少し遅れてやって来るがみさきを見るなりとんでもない速さでみさきを抱きしめたから、あァオヤジもやっぱりこの瞬間を待ってたんだと、大粒の涙を流して再会を喜ぶふたりの姿におれもまた泣きそうになった。
この歳にもなってこんなに泣くことになるとは思っていなかったから、涙が零れそうになると少しばかり目が痛い。けれど、よもや喜びで涙を流すことになるとは。

船はいまだに鼻をすする音の大合唱の真っ只中だが、ふとオヤジの「体は悪いとこないか」という質問を皮切りにこれまでいろいろ疑問を抱いていたクルーが再びみさきを取り囲むと返事をする暇がないほどの質問を寄せた。
そういうのは明日落ち着いてからしてやれ、というおれの言葉もどうやら届かないらしい。
「今までどこで何をしてたんだ」という疑問はこの5分間の中で何度も飛び交った質問だった。
そんな疑問にみさきはしばらく顎に手を当て考え込んでいたがすうっと息を吸い込むと、涙で赤くした瞳を瞼の奥に閉じ込めて眉を下げる。やっとこの船で笑ってくれた。


「大切な人と星を見てたの」


頬を緩ませ伏し目がちに零すみさきの一言に遠いあの日に見た映像がぶわりと頭の中に流れ込んできた。藍々とした広大な夜空に広がる無数の星の美しさと、隣に座ったみさきの様々な想いが込められた奥深い瞳。
懐かしいと昔の記憶を手繰っていたが、そんなおれとは裏腹にクルーにとってみさきの発言はどうにも物議を醸すものだったらしく、1年間も?とか大切な人って誰?とかマルコのやつフラれたなとか好き放題言っている。
たしかに何も知らないクルーからすればただ星を見るためだけにこの船から1年という長い歳月も消えたのかと、しかも恋人であるおれを置き去りにした挙句、そこで大切な人と言われるやつと眺めていただなんて、言われてみれば疑問を禁じ得ない。
ざわめく船内に己の言葉が足りなかったのだと気づいたみさきは慌てた様子で弁明していた。ただそれも「大切な人が誰かは言えないけど大丈夫だよ!」だなんていう大して弁明にもなっていない弁明をするものだから、謎がさらなる謎を呼ぶ状態になっている。

そんな様子でさえ今のおれには可愛らしく見えるのだが、ニヤニヤにとだらしない笑みを浮かべて近寄ってきたサッチには眉間に皺が寄った。


「よォ、残念だったな」
「なにが」
「まぁフラれたからってそう落ち込むなよ。おいちゃんがうまいパイナップル料理を作ってやるから」


そう宣うサッチを思わずぶっ飛ばしてしまったが、それがサッチなりの労いの言葉ということもわかっているし、おそらくサッチもおれが戯れでぶっ飛ばしてしまったということはわかっているはずだ。たぶん。

よろよろと立ち上がったサッチはそのままみさきのところへと向かっていったが、耳元でなにか話したかと思うと途端にみさきが喜び始めたからおそらく彼女が好きだと言っていたケーキでも焼いてやるのだろう。そしてそのケーキはきっと今日の夜にでも開かれる宴に出されるに違いない。
みんな、ずっとみさきの帰りを待っていた。もう諦めなければと躓いたこともあったが、それでもわずかな可能性に打ち勝った時は、こうして喜ばせてやりたいと思っていたのだ。みんながそう思っていた。

そんなクルーたちの幸せに溢れた笑顔はたしかに安らぎを与えてくれるはずなのだが、それ以上の疲れが両肩にのしかかるのを感じて一言オヤジに断りを入れる。
みさきはちゃんとここへ帰ってきた。みんなの笑顔も見ることができた。この件に関してはもうおれのすべきことはない。恋人、それから一番隊隊長としての任務がようやく終わりを告げたのだ。
このあたりで少しくらい休んでも罰は当たらないだろう、宴までかなり時間もある。

みんなに囲まれ、いまだ目尻の隅に涙を溜めるみさきを一瞥し休むため自室へと戻ろうとすると、ふいにぐっと腕を引かれ疲れた体がぐらりと揺れた。
おいおい、勘弁してくれ。誰だか知らないが今は押し寄せる疲れに逆らう気はないんだ。
もしもサッチがまた性懲りも無く絡んできたのならどうしてやろうかとも思っていたが、幸いなことに腕を引いたのはみさきで。


「わ、私も…っ、行きます!」
「…おう」


その言葉に一瞬様々なことを考えたが、引く腕を振りほどく理由もないからみさきのしたいようにさせるけれど、後ろで囃し立てるうるさいバカたちよ。どうやら無粋という言葉を知らないらしい、早速かーとか夜は宴だからあんまり疲れるようなことするなよとか本当にうるさい。
そもそもすでに限界まで疲れているというのに、そんな妙な勘ぐりを実践できるほどの元気はないんだよ。
散れ、と言っても浮かれている奴らが素直に聞くはずもなくおかげでおれの腕に手を添えているみさきの頬は気の毒なくらい真っ赤になってしまっている。
帰って早々こいつらの微妙な歓迎の相手をしなければならないのだから、考えようによってはみさきのほうがはるかに疲れているかもしれない。


「…行くぞ」
「は、はいっ」


明らかに相手をする気のないおれと違ってみさきは律儀にみんなに手を振っていた。どうせあとで会うのだから放っておけばいいのにな。昔から何事も無視できない性格なのは変わっていないようだ。

そうして部屋へ向かうまでの道中はほとんどが無言であったがたまにみさきが「あんまり変わってないですね」と懐かしむように、嬉しそうに話していた。厳密に言えば変わったところもあるのだが、それもせいぜい古くなった窓枠を新しくするだとか、そういった些細なことくらいで。
ゆっくりとした歩みで向かった自室にはそれほどの時間もかからず着いたのだが、一年ぶりに訪ねたおれの部屋に緊張したらしいみさきが「ひぇっ」と変な声を出していたのには笑ってしまった。
疲れているのについつい肩を震わせて笑ってしまったものだから落ち着いた頃には腹も顔も先程よりずっと疲労感に苛まれていて、けれどもみさきが嬉しそうに眉を下げたから単純にも少しだけ心がやわくほぐれたのを感じた。

この心持ちならばゆっくりとした眠りにつけるだろう。そんな気持ちもまた一年ぶりだ。


「寝るか」
「う、うん」
「なんもしねェから心配すんなよい」


ベッドに腰掛け手を差し出しても戸惑うように瞳を揺らめかせるみさきにそう言うが、どうやらあまり効果はないようで音が聞こえそうなほど急に顔を赤らめるものだから気を抜けばこちらまでつられてしまいそうだった。
だがそれもそうか。一年とはいえ、まだまだ青臭い子供と親子のような触れ合いをしていたのだ。ここは無理にでもみさきの部屋へ送り届けてやるべきだったかもしれない。
しかし今からわざわざ送り届けるというのもおかしな話である。おれとしてもここへは単純に休みに来ただけなのだ。そばにいたい、というのも理由の一つではあるが。
もう一度大丈夫だから、と言えば赤い頬もそのままにこくりとひとつ頷いた。おれの胸に埋まりながら聞こえたのは「な、なんだか緊張しちゃって」という可愛らしい言葉で。もちろんただ純粋にそう思っただけだろう。クルーたちが冷やかしたような内容のことなど頭にないはず。ないはず。

久しぶりに同じベッドに入ってみれば、一人で越す夜がどれだけ寂しいものだったか実感してしまう。月の傾きが大きくなっても冷たいままだった布団がこんなにも温かいなんて。
初めこそおれも緊張して眠れないかもしれないと思っていたが、そんな温かさが考えていたよりも早く睡魔を連れてやってきた。


「…迷惑じゃなかったですか、マルコさん疲れてるのに」
「迷惑ならこんなに眠くなるはずねェだろい」
「そっか…そっかぁ…」


嬉しそうに呟いて胸に擦り寄るみさきのとろけた表情はあの頃の自分には知るはずのないものだった。
子供の頃、自分の夢や目標を理解してくれたのはみさきだけだったが、たしかにそんな穏健としたみさきにはいつの頃からか心からの信頼を寄せるようになっていて、けれどもそれはしっかりと親愛のものだ。
再会できることをずっと夢に見てきたものの、こんなふうにいつかみさきを抱きしめることになるとは思ってもいなかった。まだ子供だったからだ。

おやすみと声を落とすと間の抜けたおやすみが聞こえた。

それから空がすっかり青藍へと変わるまで眠ってしまっていたわけだが、名を呼び肩を揺すって起こしたおれに「マルコさんが普通に起こしてくれる…!」と本気で驚いていた表情は決して忘れない。


「普通って…」
「もう叩いたり蹴落としたりしないんだね…マルコさん大人になったんだねぇ」
「今さらそんな起こし方するか…!」


おいおいと微妙な涙を零すみさきに、この日過去の自分の行いを初めて悔いた。


Thanks すいせい



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