きれいな背徳

「ちょっとマルコくん、いい?」
「あー、はい」


パソコンに向けていた顔を呼ばれたほうへ向ければ声の主はなにやら白いものをひらひらとさせている。ああまたか。


「この書類頼んでもいい?」
「まあ仕方ないですね」


またどこかのバカのしでかした失敗の尻拭いなんだろう。これで何度目になるのか。といってもそんなバカを繰り返すやつなんてだいたい決まってるようなものだから、そいつの顔を思い浮かべてはため息をついた。あのフランスパンにそばかすめ。今度何かおごってもらうか。

おれの一日はそうして過ぎていく。自分の仕事に追われながら、そして今のように誰かの仕事を頼まれさばいていく。自分の能力をかってもらえるというのはありがたい話なのだが、しかし疲れるのもまた事実なので、今のような休憩時間は自販機でコーヒーでも買いながらぼーっとするのが常だ。



「おい聞いたか、またエースのやつがaaaさんに雷落とされたらしいぜ」
「うわー可哀想に」
「aaaさん綺麗なんだけど性格が結構きついんだよなー」


こういった話もよく耳にする。aaaさんというのは先ほどおれに書類を渡してきた女性だが上司でもある。たしかに噂されるくらい性格はきつい。きついというか仕事にまじめで厳しいだけだが、ああいった軟弱な男たちは怒られるとすぐにあんな話をしだす。まったく困ったものだ。


「ふー…」
「あ、マルコ!」
「…お」


噂をすればなんとやら。ご本人様の登場というわけだ。おれを見つけるなり小走りで駆け寄ってくるのもいつものこと。


「私もコーヒーにしようかな」
「ほら」
「おーさすが仕事のできる男!頼む前に渡してくれるなんて」
「最初から頼むつもりだったのかい」


この上司が飲むコーヒーももう何年も変わらないからなんの疑いもなく差し出せば、またいつもと同じように笑う。ふーん、性格のきつい怖い上司ねぇ。
時計を確認すればまだ休憩時間もある。ただ目線を交わすだけだが、彼女はおれの言いたいことが分かったのか一つ頷いて「行こう」と言った。


「ここもいつもの場所だねぇ」
「人もあんまり来ないし静かだから好きなんだよい」
「マルコ、よいよい言ってるよ」
「そういうお前だって呼び捨てになってるぞ」


性格がきつく怖くて美人の直属上司。そんな彼女ももう何年も前からおれの恋人なのだが、とりあえずは付き合い初めにaaaの言った“みんなには秘密にしておきたい”を今日まで固く守ってきている。理由は知らない。前に聞いたことがあったが、たぶん言ってもマルコにはわからないよと言われてしまったのでそれ以来一度も聞かずにいる。


「そういえばさっきまたきつい性格だって言われてたぞ」
「そんなもん言いたい奴には言わせておけばいいのよ」


そう言ってaaaはぐいっとコーヒーを煽った。こういう毅然とした態度に惹かれていったんだっけなぁ。仕事もしっかりこなすしおれからすればぐうたらでメソメソした上司なんかよりずっといいと思うのだが。しかし。


「あー…でもちょっと疲れたから」


頭撫でてほしいな。

おれを見つめてくるその表情は上司の顔でも毅然とした女の顔でもない。なにも気取らないただのおれの恋人の顔をしている。周りの人間は知らない、おれだけが知っている顔だ。そこには多少なりとも優越感がある。きついだの怖いだの、そんな側面しか知らないやつらからは到底想像できないであろう甘えた部分。そんなところも気に入っている。


「ほら、もう少しこっちに」


そんな離れた場所では触れることもできないからこちらにおいでと、そう言おうとしたところでここへ繋がるドアの扉が開いた。そこから出てきたのは。


「なんだよ、こんなとこにいたのか。探したんだぞ」
「…サッチか」
「なんだそのイヤそうな顔は。あ、aaaさん。お疲れ様でーす」
「ハイお疲れ様」


この切り替えである。さっきまでニコニコしていたその表情をあっさり心の奥底にしまい込んで今では立派な能面顔だ。上司ともなるとそういったオンオフスイッチの切り替えが非常に上手い。ぜひ見習いたいところだ。


「で、なんだよい」
「そうそう、エースが探してたぜ?なんでも教えてもらいたい仕事があるって」
「あーわかったわかった。あとで行ってみる」
「おう。ちゃんと伝えたからな」


そしてaaaに頭を下げて消えていくフランスパン。残されたのはすっかり上司に戻った彼女とどこか不完全燃焼気味なおれだけ。やっぱりあいつには今度なにかおごっていただこう。



「あ、もう時間じゃない。早く戻らなきゃ」


たしかに時計を確認すればもう休憩時間も終わりだ。就業までの数時間は完全に上司と部下でしかない。それを不満に思ったことはなかったが、今は妙にスッキリしない。まだ物足りない。

先に行こうとするaaaを捕まえるため腕をとれば、怪訝そうな顔をされた。


「どうしたの?」
「…頭、撫でてほしいんだろい」
「…うん!」


本当に切り替えの達人だ。この一瞬でそんな子どものように嬉しそうに笑うだなんて誰が予測できただろうか。サラサラな髪の感触をたしかめるように撫でればついにその時が来てしまい、チャイムが鳴り響く。


「じゃああと少し頑張りましょうか」
「それはお互い様だよい」
「仕事終わりに…またね」


この瞬間いつも思う。残業にはなりませんようにと。まあだいたいどこかのバカが厄介ごとを持ち込んでくるのだけど。




Thanks:さむさま
Title:Rachelさま


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