「いらっしゃい……ませ…」


カラン…と店内に心地よく響く音。その来客を伝える音に顔をあげれば、目に飛び込むのはいつもの金色。時間もいつも通り。しかしいつも通りでない光景もあった。


「わぁー…!素敵な雰囲気のお店ですね!なんだか気に入っちゃった!」


栗色の髪を軽く結い上げ、ブラウスの襟をパタパタと遊ばせる彼女は、それまでの私の中の“いつも”をなんなく壊した。
マルコさんが誰かを連れて店にやってくるのは初めてだ。ましてや女性など。しかしここで思惑を巡らせるのは些か不粋だろう。彼女がマルコさんにとってどんな存在か、それを私が知る必要はないからである。だって私とマルコさんは他ならぬ店主とお客様の関係だから。


「メニューでございます」
「おう、悪いな。あ、おれはいつもので」
「かしこまりました」
「えー、いつものってことはマルコさんここによく来るんですか?」
「…問題あるかい?」
「んー…よく来るなら私も誘ってくれたらいいのに!」


見慣れぬ光景。聞き慣れぬ会話。
私の中に小さな小さな小石を投げた彼女の声はとてもかわいらしくて、まるで鈴を転がしたような声だった。よく通る声なのに決して煩わしくない、むしろ癒しを与えてくれるようなその音色に少しばかりうらやましくなった。私もそんな声があれば彼を癒して差し上げられたかもしれないのに、と。
だがそこまで考えて首を振る。なんて思い上がりだろう。私は…なんでもないのに。

よからぬ思考をなかば強制的に遮断しても、しかし料理を作る手は痺れたかのように動かなかった。いけないいけない。それでもプロなの。このお店に来てくださる皆様に最高の料理を、もてなしをしたくてお店を開いたのに。
私の自分勝手な気持ち一つで手を抜くなど考えたくなかった。何があっても精魂込めて提供しなければ、と。







「ん〜!おいしい!ここのお料理最高ですね!」
「ああ」


頬に手を当て本当においしそうに食べるその顔こそ私の生きがいだ。その顔を見るために心を砕いている。
彼女の作る表情はとびきりの満足感を与えてくれた。それくらいおいしそうに食べてくれたのだ。ああ、なんて可愛い顔で笑うんだろう。いろいろ思うところはあったけれど、作ってよかったと本当に心底思う。そしてこの店に来てくれたことも。

しかし、その可愛らしい笑顔を向けれられている当の本人は素知らぬ顔で黙々と食べ続けているではないか。そして彼女もそれをいさい気にすることなく話しかけている。そんな二人に思わず笑みがこぼれてしまった。


「ここのお料理とてもおいしかったです!初めての味でしたけど、おいしくて感動しちゃいました」
「ふふ、ありがとうございます。作った甲斐がありました。ぜひまたいらしてください」
「優しくて素敵な店主さんですねぇ…」
「……あなたも食べる姿、可愛らしかったわ。とても魅力的でした」


まぎれもない本心を伝えれば、もじもじと照れたような仕草をした後、小さな声で「ありがとうございます」と呟いた。その声は最初に聞いたように、やはり鈴を転がしたような心地のよい声で、思わずうっとりしてしまう。
マルコさんが女性を連れて来店したことに少なからず衝撃はあったものの、これはこれで良い出会いだった。見たい表情も見れたのだし。

すっかり話し込んでしまった私たちに若干存在感が遠くなっていたマルコさんがわかりやすく咳払いをする。じとりと目線を寄越され肩をすくめて見せるが、そもそもマルコさんがこんな可愛らしい子を連れてくるから悪いんですよ。


「さ!そろそろ仕事に戻りましょう!」
「戻りましょう、って…。お前が散々話し込んでたんだろうよい。おれはとっくに準備万端だっての」


どうやらやはり仕事関係の方だったらしい。
お店を出ようとマルコさんの腕にごく自然に触れた彼女を見て再び靄のかかるような感情に苛まれるが、それでも私は彼女がとても素敵な女性だということを知っている。

これで今日は彼の姿を見るのはおしまい。次はまた明日かな?そうして早くも明日のことを考えていると目の前で彼女に「先に出てろ」と指示をしているのが耳に入った。
そして私のもとに歩み寄る。


「どうかなさいましたか?」
「…ずいぶん仲良くなってたじゃねぇかい」
「……素敵な女性でしたので」


どこか不機嫌のようにも見えるが、なぜ彼が不機嫌になっているのかわからない。彼女との会話の最中なにか気に障るようなことを言ってしまったのだろうか。


「マルコさん?」
「今度は……」
「え?」
「ひとりで来る」


それだけ言うと、いつもなら“またな”の台詞が来るはずなのにそれもなく店を後にしてしまった。

私はといえば、マルコさんの言葉の一つ一つを噛みしめ、頭の中で繰り返しその意味を紐解こうとしいていた。ひとりで来る、という言葉が彼にとってどんな気持ちで吐き出されたものなのか。答え合わせなんてきっとしないだろうけど、それでも私はそれを明日までの宿題にして業務に戻ることにした。

私の頭の中にはまだかすかに鈴の音が鳴り響いている。






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