「お、さよちゃん前髪切った?」
「ええ、今朝思い立ったもので」
今朝、鏡を見ていたらふとなんとなく前髪が気になった。ちょっと伸びてきたそれは目の下を簡単に通り過ぎては揺れている。そういえば最近どこか鬱陶しいと感じると思ったら、伸びすぎた前髪だったのかと思い至る。
そうなれば気になったそれを放置することはできなくてサックリと切ってしまったのだ。
切ったのは目にかからない程度の長さまで。女性なら簡単に気づく変化。常連の方々では気づいてくださる人と気づかない人とそれぞれだった。やはり男性より女性のほうがそういうところに目がいくものだなあと思いながら、今日はまだ顔を見せない彼を思った。
果たして彼は気づくかしら。人の心情をあっさりと読み取る彼のことだから気づくかもしれない。でももしかしたらこういうことには疎いかもしれない。
気づいてほしいけれど、もし気づかれなくてもその顔を見ることができればそれでいい。
そう思ったときまさにその人が来店した。
「いらっしゃいませ」
「太陽もほどほどに仕事してほしいよい、まったく」
どうやら今日も外は暑いらしい。汗を流すマルコさんにお疲れ様ですと声をかければさよもなと労いの言葉をいただいた。今のところ前髪には一切触れてこない。
「…最近は前髪を上げるのがはやりらしいですよ」
「へぇそうなのかい」
「私なら切ってしまいますが」
「ああ、おれも切る派だな」
それからもそれとなく前髪の話題を出すがことごとく違う方向へ話が進んでいく。そうなの、マルコさんも前髪は上げるのではなく切るタイプのかたなんですね。一緒で嬉しいです。やはり切ったほうが気持ちもすっきりしますからね。ええ。
「なんだか今日はずいぶんそわそわしてるなァ」
「…ご冗談を。マルコさんがそわそわしていらっしゃるから私までそう見えるのでしょう」
「そうかい、てっきりおれは前髪を切ったから落ち着かないんだと思ってたよい」
「え?」
「前髪切ったんだな」
よく似合ってる。
そう言われれば白旗を上げるしかなかった。きっと彼は最初から分かっていたのだ。気づいたうえで知らん顔して、いつ気づいてもらえるかと落ち着かない私を見て楽しんでいたのだからひどい人だ。
それでもこの変化に気づいてもらえたのが嬉しい。
「マルコさんに気付いてほしくて待っていたんですよ」
「そうかい。そりゃあ待たせて悪かった」
「…待ちくたびれてしまいました。次からは素直におっしゃってくださいな」
「さよが喜ぶなら素直になるとしようかね」
誰よりも変化に気づいてほしい人に気づいてもらえて、似合うとまで言ってもらえたのだから午後からはもう少し落ち着いて仕事ができそうだ。ああでもやっぱり違う意味で落ち着かないかもしれない。