「泣かないで。」

それはとても酷い言葉だなぁと思ったのだけれど、でもやっぱり彼には泣かれるよりも笑って欲しいと思うのだ。

この状況で笑うなどと酷なことを、と彼は言った。私もそう思います。

でもね、やっぱり私は貴方には笑って欲しいんです。

酷い事言う自覚はあった。けれど時間が残り僅かなことも自覚していたのだ。

溢れる血が暖かくて、身体が重い。身体中の血が外に出ようとしているようで、とても寒い。

ぎゅうと彼が抱きしめる。首筋に額を寄せると彼の匂いが鉄の匂いに混じっていた。

ごめんなさいね、ありがとう。

なにか、伝えるべき事がたくさんあるのだけれどどれも適切ではないようでどう言えばいいのか分からない。

なにも言うべきではないのかもしれないけれど、せめて感謝と謝罪は伝えたかった。

彼がつらそうに眉を寄せている。ごめんなさい、私のせいですね。そんな顔をさせたいわけじゃないのに。

重い腕をなんとか持ち上げて頬に添えると、その手を支えるように手が重ねられた。

ねぇキュウマさん。笑って下さいね。

今すぐじゃなくてもいいです。でもいつかは笑って下さいね。

そう言うとより一層つらそうな顔をしてしまった。申し訳ないと思う一方で嬉しいなどと思う自分がいる。

悲しんでくれる人がいる事はとても苦しくて、申し訳なくて、でもうれしい事だ。

貴方はそれで幸せでしょうか。

そう問うものだから、私は、もちろんと答えた。

これ以上の幸せがあるだろうかと思うほど私は幸せであり、そして、今もなお幸せなのだ。

彼はその言葉を信用しないだろうけれども、幸せですよ、と言った。

アティと彼が私の名前を呼んだ。呼ばれたので、なぁにと、掠れてしまったけれど返事をする。





「貴方が、とても好きでした。」





好きで、愛おしかった。愛しています。とても、とても。





ありがとう。

ありがとう。

私も、です。私も貴方がとても好きです。とても愛おしい。





柔らかな感触がくちびるにおとされる。





貴方の名前を呼べる以上の、幸福を、貴方はいつだって私にくれるのだ。










幸福なくちびるの持ち主
2008/03/18






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