少しパラレル気味
さっきまで一緒に喋っていた声がいつの間にか聞こえなくなった。不思議に思って後ろを見ると、随分離れたところでぼんやりと立ち尽くす彼。さっき昇ったばかりの太陽を見るともなしに見ていて、あ、目が焼けてしまう。そんな場違いなことをふと思った。
眠れよい子よ
内乱終結からこっち、ようやっと帰ってきた我等が英雄は時折こうして心をどこかに飛ばすようになった。医師の見立てでは、あの爆発の衝撃で負った損傷が関係してるのだとか。どうらや記憶とか、理性とか、なんだかそういうところがまだ復旧していないらしい。一時的な幼児退行みたいなものだと言っていた。
でも症状といっても、我が儘を言ったり行動が幼稚になったりはしない。ただこうして唐突に太陽を見る瞬間がくるだけなのだ。しばらくしたらぱっちり目の焦点を合わせて、何事もなかったように振る舞う。本人にその時の記憶は一切残っていないようだった。
「ね、ペル」 「……」 「いこ」
小指を摘んで軽く引くと素直にてくてく付いてきた。そのまま今は使われていない部屋に入り、扉に静かに鍵をかける。大事に抱えていた書類を貰って机の上に置き、ソファに座ると、朝のやわらかい陽射しにふあふあと埃が舞った。
「……」
アラバスタの民は皆余計な肉が付かない。それは男も女も同様で、ただ、やはり身体の造りを言えば女はわりかしふっくらしている。その女の一番柔らかな場所を開ければ、ペルは黙って身を預けた。すう、と深く息を吸う姿はさながら子供のようで、普段苛烈に激を飛ばす一面からはあまり想像がつかない。
「……ここから」
護衛隊副官のこういう姿は勿論、世間に知らせないほうが良いのだろう。いつまで続くかわからないけれどいつかは直るらしいし、それまではそっと隠してやるべきかな。ぼんやり考え事をしていたら、腹に顔を埋めたままペルが何事か呟いた。
「…ん?」 「……、……」
聞き取れなくて促したが、彼は緩く首を振ってまた静かになった。私は母親でないから言いたかったことはわからないけれど、あんまり優秀なペルが今無意識に子供をやり直そうとしているなら、どうぞ好きなだけと、許してしまいたくなる。
だって、膨大な命を護った彼を、あの時だれも守れなかった。
とんでもない悪意の塊を抱えて飛び立つ彼の背を、その孤独を、できるだけやわらかくほぐしてあげたい。 この不思議な時間が始まってから、私に芽生えた感情だった。偽善と言うならそうだろう。エゴというなら、そうなのだろう。それでも、彼が望むなら、でき得る限り沿いたかった。
「…name…」 「……」 「………」
上司には後で私から言っておくこととしよう。今はただ、この震える瞼をそろり閉じてやることが先決で、すべてである。
ここから、…生まれていたなら
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