久々に自分の城へ帰参すれば、いつも走ってくる小さな影が見当たらない。馬から降りて下男へ預け、適当なところで供の者と別れて自室へ足を向ける。
思えば中々に長く城を空けた。定期的にくる忍びからの知らせで特に大きな事件はないと分かっているが、先代から居てくれている者達が多いとはいえ、城主の帰りに間が空きすぎるといろいろとまずい。
大きな山場を越えた将軍家の立て直しが一段落着き、ようやっと帰ってこれた。
「あにうえ!」
鶯張りが気を利かせたか、ややあって少し先の障子が勢いよく開いた。転がり出てきた何かがそのままぴゃっと脚にくっつく。
「おや、顔が見えんな。この小さいのは誰だ?」 「nameです!おむかえがおくれてごめんなさい!」
顔を上げた妹の片頬には、耳から口元にかけて太いミミズ腫れが走っていた。
一一一一一一一一一一一一
なにかに引っ掻けたか、小姓と喧嘩でもしたか、もしやなにか得体の知れぬ病か何かか。一通り心配して、一生懸命話すnameの話が耳に届いたのはそれから暫くしてからだった。
「海月にか…」
盆を過ぎた海に出没するというのはあんまり常識であったし、海まで足を運ばせたことがなかったから、これこれに注意しなさいと言う機会がなかった。そもそも姫であるのだから、気軽に海までというのがまず有り得なかった。
と、いくら胸の中で言い訳しても頬の腫れが引く訳でもなし。本人は至って平気そうにきゃらきゃら笑っているのだから、心配しすぎかとも思うのだが、
「…可哀相になぁ」
産毛の残るいとけない頬に、ぽこぽこと歪な線が一本。幸い処置が手早かった為跡は残らないそうだが、どこもかしこも柔らかい妹に、うす赤く腫れたそれはひどく不釣り合いで。すっかりしょげたチャカにつられて、nameもまたすまなそうな顔をした。ついていった供の者は今すぐにでも腹を切ってしまいそうな形相である。
「どうしても、あにうえによろこんでもらいたくて、…ごめんなさい…」
そう言って差し出されたのは、小網一杯に入った何か。じゃらじゃら音を立てるそれを一粒摘んで、大きな手の平に転がす。つやりと黒く光る、
「…貝…?」 「わたしは、やさいだけでおなかいっぱいになりますけど…あにうえはからだもおおきいし、でも、おさかなはとれなかったので、」
それで、まだ潮の引かぬ海へ顔まで付けて採ってきてくれたのか。
貝と見るやその全部を拾ってきたのか、小さな巻貝(ヤドカリが住んでいた)やら、もう貝殻しかないものやらがところどころに混じっていた。nameが腰につけられる袋には限界があるから、量も大したものではない。
ただその色とりどりの小山に、どれだけの温かみが篭っているのかと思うと、
「………」 「…あにうえ…?」
兄の胸は潰れるばかりであった。
一一一一一一
結局あのささやかな戦果は、食べられるものをより分けて厨の女達にお願いした。愛おし気に受けとってくれた彼女達はきっと腕によりをかけて、至福の一品をこしらえてくれるだろう。そして、『食べられないもの』はと言うと…
「あにうえは、へたっぴですね!」 「男が針仕事が達者でどうする…いたっ」
小さな根付けに変身していた。
欠けていない綺麗な貝殻を二枚に合わせて、中に小指の先程の鈴を仕込む。口を縫い合わせ、全体に刺繍を施せば出来上がり。…なのだが。
手習いで慣れているのか、危なげなく針と糸を扱うnameに対し、指の規格からして違うチャカは苦戦を強いられていた。少し気を抜けばちっくり刺してしまう為、もう既に利き手の反対側は手遅れである。こういう仕事は同僚の白い男の方が上手い。
「あにうえもクラゲさんにさされたみたい」 「はは…」
やっとひとつ出来上がった、と顔を上げれば、nameの横には既にみっつ完成品が。それも歪な自分の作品と比べると、……まあ、あれだ。
「…上手いものだな」 「うふふー」
得意げに笑うnameはその時何か思い付いたようで、徐に髪紐を解き、貝の結合部に器用に通す。細い髪が口に入るのも気づかぬまま、紐の端同士をくるくる結び、こちらに差し出してきた。ちり、と鈴が鳴る。
「あげます!」 「えっ、…いいのか?」 「はい!」
お気に入りの髪紐であったのを、チャカは知っていた。だがここで『いらない』とはとても言えなかった。髪紐はまた買ってやればよい。今はこれをありがたく貰い、自分はこのなけなしの腕前で精一杯のお返しをこしらえなければ。
厨からいいにおいが漂ってきた。
夕餉までに、間に合うとよいのだが。
くらげのくれたもの
一一一一一 チャカ様と絡ませるのはちっちゃい無垢な女の子しかないなというのは前々から思ってたので…あと図体に似合わない作業させたかった。今日は貝の甘辛煮だよチャカ様。
>>>>>人間のご飯よ<<<<<
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