羨望恋愛 | ナノ

09 サッカーの神様

椿君を拒絶してから数日が経つ。
泣き疲れて寝てしまったが、翌日からいつもの日常が待っていた。
彼を・サッカーを拒絶したのだから、これまで以上にサッカーを日常から排除した。
そうして、ただなんとなく日々が過ぎていく。
心穏やかになったというわけではなく、心が欠落して穴が出来て、何もかもがその穴を素通りしていく。
講義にもバイトにも力が入らなくなっていた。
趣味のカメラを持ち出す気力も湧かなかったけれど、無理矢理でも何かアクションを起こさないと自分がダメになっていく気がして、重い腰を上げた。

「そこの嬢ちゃん、ちょいと手伝ってくれねぇか?」

とぼとぼと被写体を求めて近所の商店街を歩いていると、すごく胡散臭そうなおじさんに呼び止められた。
訝しげな視線を向けても困ったなんて表情をするでもなく、へらへらと笑っている。

「おじさん、腰が痛くなってよ。 この脚立のってこれ貼るの手伝ってくんねぇか?」

ひらりと見せられたのは、でかでかETUと書かれたポスター。
それを見て、身体はビシリと固まった。
やっとの思いで声を絞り出す。

「私、もうサッカーには関わりたくないから」
「そんな事言わないで、もう身体の節々が使い物にならなくなり始めてるおっさんを見捨てないでくれよー」

はははと笑う胡散臭いおじさんにいいように丸めこまれ、結局ポスター貼りを手伝う事になってしまった。
スカートだったらそれを理由に断固拒否してたのに。 この時ばかりはスカートが恋しくなった。

この商店街にもETUサポーターの店などあったのかと驚いたが、そんな気持ちを振り切るように手際よくポスターを貼りつけることに専念する。

「縁って不思議なもんだよなぁ」

突然下から話しかけられ何事なのかと首をひねれば、おじさんは笑っていた。
まさかこの出会いを運命だとか言っちゃうような人だったのか?
「はぁ…そうですか」と生返事を返すと、嬢ちゃんくらいじゃまだわかんねぇかもしれねーななんて言われた。

「例えば、サッカーなんて見たこともないってやつもいるのに、色んな場所でサッカーに関わっちまう奴だっている」

嬢ちゃんは後者だなと笑う彼を、心の中でののしる。
誰のせいだと思ってるんだ。
憧れだった椿君にもはっきりと拒絶の言葉を残して、サッカーとはこれっきり関わらないと思っていたのに。
ぶすっと表情を固め何の反応もしない私の事など気にもしない様子で、脚立の下で彼は続ける。

「俺はそういう奴らはサッカーの神様の愛した人間だと思ってんだ」

サッカーの神様という言葉に、心の蓋をぐんと突き上げられたような衝撃。
私のような奴をサッカーの神様が愛してる?
私はそんな言葉信じない。
私があんなに必死に努力しても、結局報われなかったじゃないか。
その本音は隠して、毒を吐く。

「…私は、才能ある人だけを愛するサッカーの神様しか知らない」

そういうとはっはっはっと軽く笑ってあしらった。

「嬢ちゃんのサッカーの神様は、大舞台でプレー出来るほんの一握りの人間しか愛してないのか。
俺が信じるサッカーの神様は違う。 もっとたくさんの人を愛してるさ。
例えば、プロになるのを諦めた奴」

その例えにピクリと身体が反応する。
この人は私の事を知っているのだろうか?と疑問が浮かぶ。
ETU関係者なら以前の練習後の事を知っていてもおかしくはない。
事の顛末だけではなく顔も見られていたら、それが私だとすぐにわかるだろう。
もしかしたら、彼が私を呼びとめたのは偶々ではないのかと、訝しげに彼を見た。

「日の当たる場所でプレー出来なくなっても、結局サッカーから離れられねぇって奴はたくさんいるんだよ。
俺は、そういう奴らもサッカーの神様が見込んで愛してると思ってんだ」

背中越しに彼の言葉を聞いて、応える声が震える。

「そう、ですか? サッカーの神様に愛されてるから、サッカーから離れられないんですか?」

あぁ、俺の持論じゃな。と笠野はへらりと笑った。
…それなら、私は、愛されてるの?
愛されてるなら、どうして私に才能はなかったの?
どうして、憧れの舞台に上がることも許されなかったの?
ぐっと下唇を噛むと、ぽんぽんと背中を叩かれた。
振り向けば少し困ったように眉を下げた彼が、まるで私の心の中を読んだかのような言葉を吐く。

「どんなに才能がある奴でも、一生表舞台でプレーし続けられる奴なんていない。 いずれは第一線から身を引く。
でも結局サッカーから離れられない奴らばかりなんだよ。
監督やコーチ・解説・レポーター…挙げりゃ切りがねぇけどよ、みんな離れられないんだわ。愛されてるからな」

遅かれ早かれ、最高の舞台に立てなくなる時は来るのだと彼は言う。
それでも離れられない彼らは才能があるだけじゃなくて、サッカーの神様に愛されてるのだと。

では、私のような。

「表舞台にも立てなかった存在は、どうなるんですか?」

「才能があってサッカーの神様に愛されてるなんて言われた子供でも、怪我で断念しなきゃいけねぇ奴もいる。
世間一般じゃ凡人だったとしても真剣にプロ目指してて夢が叶わなかった奴もそうだ。
その後もサッカーからどうやったって離れられない奴はサッカーの神様が愛してる。
最終的に、お前のプレーするフィールドはこっちだって、神様が導いてくれる」

と、これも俺の持論だけどな。と苦笑する彼の言葉は、私の心に優しく響く。
蓋が開く。
抉じ開けられるんじゃなくて、溶かすように柔らかく。

「嬢ちゃんは俺の信じてるサッカーの神様には大いに愛されてるんじゃねぇか?
サッカーに関わりたくないなんて言いながら、俺と出会って俺とこうしてサッカーについて話してるんだからよ。

・・・無理に関われとは言わんが、折角愛されてんなら、嬢ちゃんの持ってるもので何かやってみてもいいんじゃねぇか?」

「…私に、何か出来るんでしょうか」
「それは嬢ちゃん次第だなぁ」

なんでもいいのさ。 フットサルしてみたり、サポーターとして応援してみたり。
能力のある奴はスポーツトレーナーになったり、キッズのコーチになったり、目指すなら目標は高く1部の監督になるってのもいいんじゃねぇか?
嬢ちゃんは女の子だからな、母親になって息子・娘にサッカーをプレーさせてやるってのもありだな。

かかかと明るく軽快に笑いながらそう言う彼を見て、開け放たれた蓋の中にあった重く燻っていた心の蟠りがすっと晴れた気がした。
ふっと、頬が緩んだ。

彼の言うサッカーの神様が私を愛してくれているなら、私は一生サッカーから離れられないのだ。
それなら逃げ続けるよりも、なんでもいい、何かサッカーに関係しながら生きた方が、いい気がした。
数日前には考えられなかった答えにたどり着いて、心はざわついた。
何が出来る? 何がしたい?
2年間仕舞っていたサッカーへの情熱がほとばしった。
心に空いた穴がその情熱で瞬時に塞がれた気がした。


「おじさん、ありがとうございます。 またいつか会えた時にもサッカーの神様に愛された私でいられるように、頑張ってみます」


笠野は意志の籠った瞳に囚われた。
脚立を降り、ぺこりと頭を下げた彼女は急かされる様に商店街を駆けていく。
その後ろ姿を見て、笠野は2年前を思い出した。

(俺がもう少し女子の方にも影響力があれば、あの時の嬢ちゃんを引き上げてやれたのかねぇ)

ふっとため息をひとつ落とし、自身の手を見た。

「あーやめやめ。 あの瞳は何かやる時のやつだ。 嬢ちゃんは別のフィールドでプレーするべき人間だったんだよな」


先ほどのすっと浮かんだ微笑みを思い返して、彼女の未来にあの笑みが絶えないよう、駆ける彼女の背中ごしにサッカーの神様に願った。



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笠野さんじゃなくて雪野の持論です。ぇ
山形の佐倉監督みたいな人がサッカーの神様に愛されないなんて許さん。という思考。
●●恋愛シリーズはだれかが動かんと話が進展しねぇなやっぱ。
今回は笠野さんがサッカーにかかわって生きてけよと説得しに動きました。
上手く説得しきれてない気もするけれど、その辺はほら、ね。(何


捕捉というか裏設定という名の捏造。
笠野は高3のリカを試合会場で見てます(男子の方を視察に行ってて偶々)
プレーは荒いが気迫の籠ったプレーに好感。
その帰りに慢心することなく走り込みをするリカを見かけ、こいつは化けるかもしれんなという勘が働く。
女子サッカー関係者に口利きしたがリカの事を誰も知らず、そんな奴はダメだと一蹴される。(女子サッカーにはあまり影響力なかったので)
ひょんなことから大学進学するという事を知り、大学でもサッカーやるもんだと思っていたので数年後が楽しみだと思ったら、椿との件からサッカーから逃げているリカを知った。
なんて感じだと、捏造してみてる。


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