そして時は過ぎ



「どりゃああー!!」


とある日曜日。雲雀家に響く大きな足音と雄叫び。その音をたてているのは言わずもがな、この家の居候人であるヤミである。ヤミは今日、学校の休みを利用し(ちなみに風紀の仕事も草壁等に任せてある)、家事に専念している。今行っているのは床掃除で、雲雀家の長い廊下を寺で修行中の小僧よろしく雑巾片手に駆け回っていた。一方の雲雀はというと、


「…………」


縁側の陰でゆったりと読書に明け暮れていた。最初は若干カチンときたヤミだったが、これも居候させてもらっているのだから致し方ないと割り切っている。そんなことを気にするよりも、とっとと家事を済ませてゆっくり休んだ方が得策だと考えたのだ。


「よし、床掃除はこれで終わりっと。洗濯もそろそろ終わる頃だし、それを干せば今日の仕事完了!」


ヤミは傍らにあったバケツの水で雑巾を洗うと、その雑巾とバケツを持って、洗濯物を取りに家の奥へと消えていった。読書をしていた雲雀は、本から視線を外す。さっきまで騒がしかった家は、途端に静かになった。はあ、と雲雀は溜息をついた。ヤミがこの家に住むようになって、今日で一ヶ月だ。一ヶ月――…長いようで短い期間だが、いつの間にかヤミのいる騒がしい空間に慣れてしまった自分がいる。今までずっと一人で生きてきたはずなのに、こんなにもあっさりとヤミを受け入れている。そんな自分が恐ろしくて、そしてどこか安心していた。意味の分からない感情だった。


「お洗濯、お洗濯ー!るんるーん」


――また、騒がしくなった。訳の分からない歌を歌いながら、ヤミは洗濯物を運んできた。そして雲雀の横を通りすぎると、サンダルを履いて庭に出る。洗濯籠を地面に置いて、竿に洗濯物を干し始めた。雲雀はその様子をじいっと見つめていた。考えれば考えるほど、ありえない光景だと思う。最強最凶と恐れられる自分のすぐ目の前でおかしな鼻歌を歌いながら呑気に洗濯物を干す女がいるだなんて。そしてそんな光景に見慣れてしまった自分の目玉もどうかしている。でも、不思議とそれでもいいと思えた。


「今日も良い天気だなあ」


なんて呟いているヤミだが、なんだかんだでよく働く女だと思った。風紀の仕事も家事も、最初は嫌そうな顔をしていたが手を抜いていたことは一度もない。書類整理は完璧ではないにしろ、雑な奴らが多い風紀委員がやるよりはよっぽど効率が良い。掃除も洗濯も今の通りだし、料理に関しては(本人には言わないが)◎をあげたっていい。群れるのは嫌いだが、彼女なら傍に置いといても構わないと思った。



―――――――………

――――……

――…



「…………」


ありえない。雲雀は自らの隣で眠りこけている少女を睨みつけると、再び溜息をついた。

―――最初はこんなことになるとは思ってなかったのだ。ただ、洗濯物を干し終えたヤミが突然隣に座ってきて「並盛の魅力ってなんですか」なんて聞いてくるものだから、少し我を忘れながらも語っていただけ。なのにこの馬鹿は話を静かに聞いていると思ったら、すやすやと寝息をたてて熟睡しているではないか。雲雀は思わずトンファーでその顔面を殴りたくなったが、何故だか彼女の寝顔を見てたらそれも出来なくて。終いにはヤミの顔が肩に寄りかかってくる始末。…本当に、ありえない。


「玉子かけ、ごはん…」


夢の中でも玉子かよ、というツッコミはさておき。雲雀はぷに、とヤミの柔らかい頬をつついた。その行動はまるで、小さな子供が得体の知れないものの存在を確かめるような、そんな微かな無邪気さが含まれていた。実際、雲雀にとってヤミは恐れなく自分に近付いてくる、ある意味未確認生命体のような存在だったのだが。


「ぅー…」


ヤミが唸り声をあげるのもお構いなしに、頬をつつき続けた。雲雀は目を細める。今はこんな風に呑気に眠っているヤミだが、その瞳が悲しげに潤んでいる時があるのを、雲雀は知っていた。無理もない、彼女は家族とも友とも会うことが出来ない状況にあるのだから。何故か突然、見知らぬ土地に来てしまったヤミ。草壁達を使っていろいろと調べている雲雀だが、未だにめぼしい情報は手に入らない。雲雀は心のどこかで直感していた。彼女は、遠い遠い――…それこそ奇跡でも起きなければ帰れないような場所から来たのだと。ありえない話だと分かっているが、そうだとしか思えなかった。ああ、なんというのだろうか、この気持ちは。今まで感じたことのないもの。そう、これは、


「…心配、か」


本当に変な女だ。雲雀は頬をつつくのを止めて、そのままぐいっと引っぱった。ヤミはさらに唸り声を大きくするが、それは逆に雲雀の加虐心を煽るだけだった。戦い以外のものでここまで雲雀を楽しませ、そして心配させる人間が今までいただろうか。答は否、だ。少なくとも雲雀の記憶にそんな変人はいない。初めての感情に、なんだか胸の辺りがむずむずする。気持ち悪いけど、心地よい。そんな変な気分。


「ふわあ…」


雲雀を襲う睡魔。どうやら、傍らで寝ているヤミに影響されてしまったらしい。普通は僅かな音でさえも気になって眠れない雲雀だったが、自分の耳元で聞こえるヤミの寝息も今は気にならない。何から何まで、彼女は他とは違っていた。何故なんだろう。頭の片隅でそんなことを思うが、既に雲雀は眠りの世界に足を踏み入れていた。


「――…」



 ◇



―――そこにいるのは、幼い子供達だった。二人、手を取り合い仲良さげに笑っていた。その光景は"幸福"をそのまま絵に描いたような微笑ましいものだった。


「ずっと一緒にいようね」


白い花が一面に咲き誇る野原の真ん中で、小指を絡めそう約束した。何の根拠もない小さな約束だったが、二人は永久を信じて疑わなかった。

不意に吹く強い風。それによって舞い上がった花弁が視界を覆う。風が止んだ時、二人の姿はどこにもなかった。



 ◇



「…うん?」


ヤミは閉じられていた瞼を開いた。視界に入ったのは、鮮やかなオレンジ色の空。幻想的な景色に、しばらくの間ヤミは見入っていた。しかし、ふと気付く。眠る前の一番最新の記憶では、確か日はまだてっぺんにも到達していなかった。それが今は、空がオレンジ色に染まる程に傾いている。


「あたし一体何時間寝てたんだ…!」


慌ててヤミは干されている洗濯物を取り込みもうと立ち上がる。――と、その時、何やら黒い物体がヤミの視界に映り込んだ。そしてその直後に感じた膝の上の重み。音で表すなら、こてん、とでもいうのだろうか。とにかくそんな感じで膝の上に乗ったものを確認したヤミはぎょっと目を見開いた。


「ひ、雲雀くん…!」


なんとそこには眠っている雲雀が。しかも、この体制はもしかしてもしかしなくても、膝枕である。恐らく隣で座って寝ていたのだろうが、ふとした瞬間にこちらに倒れ込んできてしまったらしい。立ち上がるに立ち上がれなくなったヤミは、仕方なくそのままの体勢でいることにした。


「それにしても綺麗な寝顔」


かれこれ雲雀と暮らすようになって一ヶ月が経つが、雲雀の寝顔を見たのはこれが初めてだ。その寝顔がこんなに綺麗だなんて。あまりこうしてまじまじと見てなかったから知らなかったが、かなり端正な顔立ちをしている。きめの細かい白い肌は、女であるヤミをも魅了する程。


「もう少し眺めていても良いよね。減るものでもないんだし」


こうして小一時間程雲雀の寝顔を眺めていたヤミだったが、後に起き出した雲雀にトンファーで殴られたのは言うまでもない。






そして時は過ぎ
少年少女は 夢を見る

 
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