不安と温もり



自分で言うのもなんだけど、あたしはかなり足が速い方だと思う。あたしが今まで通っていた学校では陸上部に所属していたし、この前参加したばかりの初めての陸上大会では一位になれた(これって結構凄いことだよね)。そんな足の速いあたしは、誰もいない授業中の廊下を全力で駆け抜けていた。何故って、それはあたしが昨日から居候させてもらっている家の主、雲雀くんに呼び出されているからだ。普通それだけではここまで一生懸命走らないだろうと思うけど、今は少し事情が違う。あたしは雲雀くんの「5分以内に来なきゃ咬み殺す」の言葉に何故か生命の危機を感じてしまったのだ。「咬み殺す」が具体的にどのような内容なのかはあたしにはまったく検討はつかないのだが、それでもこの嫌な緊張感は抜けなかった。


「しっ、失礼します!」

「ワオ。早かったね。3分28秒だ。絶対5分は過ぎると思ってたんだけど」


―――過ぎると分かってて5分を指定したり、しょっちゅうあの鉄の棒みたいなので殴ってくる雲雀くんは絶対ドSだと思う。


「あ、あの、何かご用でしょうか」

「うん。調べておいたよ」


何を、とは聞くまでもなかった。昨日、あたしが雲雀くんに調べておくよう頼んでおいたのだ。あたしが住んでいた町がどこにあるのかを、あたしがどうやって元の場所に戻るのかを。この際、どうしていきなりこの町に来てしまったのかはどうでも良かった。ただ、一刻も早く帰りたかった。今頃、お父さんや兄ちゃんや親友は、すごく心配してると思うから。


「それで、どうだったんですか?」


逸る気持ちを抑えて尋ねる。雲雀くんは無表情のまま小さく口を開いた。


「見つからなかったよ」

「え?」

「だから、見つからなかった」

「なっ…そ、それはどういうことですか!」


思わず声を荒らげてしまう。でも次の瞬間にはっとして、雲雀くんに小さく謝った。雲雀くんは相変わらず無表情。それがなんだか少し怖くて、あたしは肩を竦めた。


「……君の言ってた町の名前をインターネットで検索しても、全くそれらしきものが引っ掛からなかったんだよ」

「え…」

「つまり、その町は存在していないことになる」

「そんな…」


町が存在していないなんて、そんなことがありえるの?だって、あたしは昨日の夕方までそこにいたんだよ?でも、雲雀くんが嘘をついてる様には見えない。うう、なんだか頭が混乱してきた…。


「あたしは、これからどうすれば良いんでしょう…」

「知らないよ、そんなの」

「う…」


ぴしゃりと返す雲雀くんに、あたしはまた肩を竦めた。確かに、他人である雲雀くんがそんなこと知るわけないよね。でも、あんな言い方はちょっと酷いような…。


「そんなことより、言われた通りしっかり調べてあげたんだから、君も僕の言うこと聞いてよね」

「そ、そんなこと…!?」

「君、風紀委員になりなよ」

「(しかも無視―!!)………って、え?」


ふうきいいん?って、あの風紀委員?このタイミングで何を言うかと思えば。っていうか、この有無を言わせぬ視線は―――…


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……わっ、分かりました!なります!なりますから、そんな目で見ないでくださいっ!」

「分かれば良いよ」


すると雲雀くんは、どこからか赤と黄色でできた小さな布を取り出した。そこには丁寧に刺繍された「風紀」の文字。ずいっと手渡されたそれをまじまじと見つめる。


「腕章…ですか?」

「そう。なくさないでね」

「分かりました」


続けて安全ピンも渡された。今すぐ付けろってことなんだろう。何故だか嫌に緊張してしまって、ごくりと唾を飲んだ。


「風紀委員会に入ったからには、しっかりとこの中学の――…、並盛の風紀を正していくようにね」


その言葉を聞いた瞬間、腕に通したただの布切れなはずの腕章に、鉛のような重みを感じたのはどうしてだろう。


「……草壁」

「はい」


どこに潜んでいたのだろう。どこからかぬっと現れた男の人に、あたしは息を飲んだ。―――濃い顔立ち、口にくわえられた木の枝、そして、頭上にそびえる長い―――…


「フランス、パン…」

「ぶっ」

「な…!」


雲雀くんが大きく吹き出したのが聞こえ、草壁と呼ばれた人も顔をひきつらせた。あたしは一瞬頭に疑問符が浮かべたけど、すぐに自分が何を言ってしまったのかを思い出して、慌ててフランスパ…じゃなくて草壁さんに向かって大きく頭を下げた。


「すっ、すみません!」

「い、いや、良いんだ。だが、この頭はフランスパンではなくリーゼントと呼んでくれ…」

「はいぃ…!ほんっと、すみませんっ」

「ぶっ、くく…草壁の頭…フランスパン…クスクス」

「な…」


雲雀くんは尚も爆笑していた。しっかりツボにはまってしまったらしい。しかも、なんていうか笑い方すごいムカつくんだけど。あたしでさえムカついているんだから、草壁さんはどれほどのダメージを受けているのだろう。考えるだけで申し訳なさが溢れてくるようだった。


「…ゴホン。い、委員長、そろそろ彼らを呼びましょう」

「クスクス……ああ、そうだね。…ぶっ」


あ、雲雀くんが草壁さんの顔(ていうか頭)を見て吹き出した。草壁さん…可哀想に。いや、原因はあたしなんだけどさ。


「あの、その…"彼ら"って一体誰なんですか?」


とりあえずこの変な空気をなんとかしなきゃと思ったあたしは、話題の転換を図った。その策略はなんとか成功したみたいで、草壁さんはもう一度大きく咳払いをしてキリリとした表情に戻った。雲雀くんも、少し笑いが収まってきたみたい(まだ口許を手で抑えているけど)。


「"彼ら"とは、俺達風紀委員の仲間のことだ。新しくこの委員会に入るのだから、挨拶ぐらい済ませておいた方が良いだろう」


草壁さんの説明を受け、あたしはなるほどと頷く。背後では雲雀くんがまたクスクスと声を出して笑っていた。また笑いの波が訪れたのだろうか。


「君、少し覚悟しといた方がいいかもね」

「…?」


小さく耳打ちされた雲雀くんの言葉にあたしはまた頭に疑問符を浮かべた。その時草壁さんが苦笑いをこぼしていたのを、あたしは知らない。


「皆、入ってこい」


草壁さんがそう言った瞬間、応接室の外から聞こえた「うっす!!」という大きな声にあたしは思わず肩をびくりと震わせた。ガラリ、と扉が開く音がして、そこからぬっと現れた手に、一体何が出てくるのだろうと固唾を飲む。そして、


「―――風紀委員、全18名、参りました!」

「…っひ、」


上擦った声が出てきてしまったのは、不可抗力としか言い様がない。―――何故ならば、今、あたしは頭に立派なリーゼントを携えた強面の男18人に囲まれているからだ。


「こ、ここここの人達が、ふ、風紀委員の方々ですか…?」


あまりの恐怖に腰が抜けそうになりながらも、なんとか言葉を紡ぐ。あたしの質問に、さっきまで笑いが止まらなかった雲雀くんは得意気に頷いた。


「そうだよ。ここにいるのは全員、僕の下僕だ」

「(下僕…!?)そ、そうなんですか…」


明らかに中学生の口からは出てきちゃいけない言葉が出てきた気がしたけど、ここはあえて無視しておく。なんとなく聞いたら厄介なことになりそうだと思ったからだ。………ていうか、あたしも今日から風紀委員ってことは、やっぱりその下僕とやらにあたしは含まれてしまうのか。そんなの、嫌すぎる。


「……天宮」

「え、あ、はい!」


いつの間にか思考の波に呑まれていたらしい。草壁さんに肩を叩かれて、はっと我に返る。慌てて頭数個分は高い草壁さんの顔を見上げる。草壁さんは、濃い顔で優しげに微笑んでいた。


「話は聞いていた。家が見つからないのだったな。…いろいろと辛いだろうが、俺達はお前の仲間だからな。何かあったら俺達を頼るといい」

「草壁さん…………あっ」


辺りを見回せば、風紀委員の方々皆が草壁さんと同じ暖かな笑みを浮かべていた。静かにあたし達を見守っていた雲雀くんの表情も、心なしか緩んでいる。なんだか瞼の裏がジンとした。


「見た目はアレだが、皆良いやつばかりだ。よろしくしてやってくれ」

「は、はい!これから、よろしくお願いします!」


ひとしずく零れ落ちた涙が、あたしの頬を濡らした。草壁さんはあたしの頭を優しく撫でると、「失礼します」と一言告げて、応接室を出ていった。残りの風紀委員の人達も、ぞろぞろとその場を離れていく。応接室には、あたしと雲雀くんの二人きりになった。


「あたし、風紀委員として、がんばりますね」

「………そう」


窓から吹き抜ける風が、スカートを揺らしていった。






不安と温もり
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