もやり
「んん…」
「なぁによ、なんか元気ないね」
「うぅん…」
5時間目と6時間目の間の休み時間。机に肘をついて手の平に頬を乗せるあたしを、咲ちゃんが呆れたように見る。聞けば、あたしが今日朝から心ここにあらずな態度をとるから、今度は何をやらかしたのか、と疑ってるらしい。やらかしたって、そんな。あたしってそんなに信用ないのかな。
「でも、なんかあったんでしょ?」
「あったっていうか…やらかしたっていうか…」
「結局やらかしてんじゃないの」
溜息をつく咲ちゃんはやっぱり見るからに呆れている。その表情から逃げるように、あたしは倒した腕の中に顔を埋めた。
「…あ、もしかして」
普段の落ち着いたものよりワントーン高い咲ちゃんの声が耳に届く。あたしの前髪の生え際のあたりを、咲ちゃんがつんとつついた。見えないけど、そのおちょくるような仕草になんとなく咲ちゃんはニヤニヤとしながらあたしを見てるんじゃ、と察知する。そしてそれは、この後続く言葉により間違いないと確信した。
「雲雀恭弥となんかあったの?」
ぴたりと当てられたその言葉に思わず反応が体に表れてしまったらしい。それを見逃す咲ちゃんではない。ははーん、なんてわざとらしく言ってみせる咲ちゃんに、なんだか居た堪れないような気分になってますます顔を上げづらくなった。これは、なんだか、話さなければいけない雰囲気だ。別に、嫌ってわけじゃあないけど。
こころよあけて
「…うわ、何それ、なんかもういろいろつっこみたいんだけど。何?あんたあの雲雀恭弥の家行ったわけ?」
「うん…。って、そこはもうどうでもいいんですってば!」
「それで掃除やらされたの?相変わらず意味分かんないわね風紀委員長」
「問題なのはそこでもなくってですね」
ずい、と何やら怖い顔で迫ってくる咲ちゃんに思わず仰け反りながら受け答える。なんでだろう。いつもはあたしに向かってドライな態度を崩さない咲ちゃんだけど、なんだか今日はやけに食いついてくる気がする。あたしの方から咲ちゃんに絡んで、それを受け流す咲ちゃんというのが普段の図だから、逆転気味な感じがちょっと嬉しいような。けども、それよりも心に渦巻くもやもやとした気持ちの方が大きくて、あたしの視線は自然、ずるずると机上に下りていく。
「へえ、それでお弁当作って持ってったんだ」
「そうなんです」
「あんまりに生活力のない雲雀さん見て、放っておけなくなったってこと?」
「…んん、そんな感じ、かなあ」
殺風景なリビングと、ガラガラの冷蔵庫が頭を過る。ゴミ箱の中の菓子パンの袋が、あの時のあたしにはとても悲しいものに思えた。あたしが毎日当たり前のように食べている暖かいご飯は、雲雀くんにとっては当たり前でないのかもしれない。そう思うと何もせずにはいられなくなった。あの日、慌てて家に帰るとあたしは使っていないお弁当箱に卵焼きとウィンナーと野菜炒めと、前の日の夕飯の残りの里芋の煮っ転がしと、温かいご飯を詰めてまた雲雀くんの家へと走った。そして、一言だけ書いた紙切れを添えて置いていったわけなんだけど。
「でも、それからなんだか、雲雀くん機嫌最悪で」
いや、機嫌が悪いどころではない。というか雲雀くんの機嫌が悪いことなんてもはや日常茶飯事である。だけども、今回は何か違う。雲雀くんが吐き捨てた言葉を思い出すと、つい溜息がこぼれた。
「君、もう来なくていいよ」
休み明けの月曜日、放課後いつものように応接室に向かうと、出し抜けに突然そんなことを言われた。あたしが何かを言うより前に、雲雀くんはあたしの横を通りすぎてすぐにその場を立ち去ってしまうから、もう何が何やらという感じだった。そしてその数日後、突然草壁先輩がやってきて、あたしに綺麗に洗われた空のお弁当箱を差し出してきた。あたしが雲雀くんの家に置いていった、あのお弁当箱だ。戸惑ったような表情を浮かべて、「どうやらこれは委員長のお気には召さなかったようだ。すまんな」と草壁先輩が謝るようなことじゃないのに、私に少し頭を下げていた。雲雀くんはあのお弁当が気に入らなかったんだろうか。それ以来応接室には行かずじまいで、雲雀くんともちっとも喋っていないから何も分からないままだ。
「もう、ずっと、行かなくていいのかな…」
机の上で組んだ指先を意味も無くもぞもぞと動かしてみる。これから始まる6時間目が終われば、もう放課後だ。雲雀くんと出会ってから今までは、放課後になれば応接室に向かうのが日課みたいになっていたけど、その雲雀くんから来なくていいなんて言われてしまった。だったら、もう、行かなくていいはずだ。なのにどうしてだか、それでは心の収まりがつかないような。そんな気持ちだった。
「あんなに風紀委員の仕事嫌がってたくせに、嬉しくないんだ?」
「え?」
「雲雀さん直々に来なくていいって言われたんでしょ? だったらもう、パシりなんてしなくていいのに。全然嬉しくなさそうだよね」
「そ、そんなことは…」
「雲雀さんに会えなくなって、寂しいわけ?」
「っは!?」
なんてことを言うんだろう、咲ちゃんは。思いもしていなかった咲ちゃんの言葉に思わず素っ頓狂な声があがる。寂しいとか、あたしはそんなこと全然、考えてるはずがないのに。このもやもやとした気持ちは、そんなんじゃない。ただあたしは…。あたしは、こんなんでも一応風紀委員だから、仕事のほったらかしは良くないかなとか、そういうことを思っっていただけなわけで。あらぬ方向に話を飛ばす咲ちゃんの誤解を解こうともごもごと口を動かしてみるけども、どうにも言い訳がましくなっている感じが否めない。…だって、自分でも言っていることになんだかピンときていないんだもの。
「も、もう! ほんとに違うんですからね!」
それでもどうしても咲ちゃんの言葉には納得しかねるから、あたしは頑なにそう言い張ることしかできなかった。咲ちゃんはじとりとした視線をこちらに寄越しながら、だけども口元は意味ありげに緩めている。それが、どうにもいたたまれなくてしょうがない。
「咲ちゃん、ほんっとに、違いますよ!? 違いますからね!?」
「はいはい、そーゆーことにしといてあげる」
「さ、咲ちゃん〜…!!」
咲ちゃんは聞く耳持たずな様子だった。私の前の席を陣取っていた咲ちゃんは立ち上がると、気が済んだのかさっさと自分の席に戻ってしまう。なんだかやりきれない。本当に、雲雀くんに会えなくなるからって寂しいなんて思うわけがないのに。むしろ、清々したって思っていたっておかしくないのに。だって、あんなにムカつく雲雀くんなんだから。――なのに。
「どうしよう…」
心のもやもやは、まだ晴れそうにない。
◇
「ああ〜もう…なんであたし…」
そして放課後。なんやかんやと言ううちに、あたしの足はそこに向かっていた。応接室の前、行き場がなくて仕方なく組んだ両手の指をまたもぞもぞと動かしながら、開けるに開けられない扉を恨めしいような気持ちで見つめる。来なくていいって言われたのに、だったらさっさと帰っちゃえばいいのに、結局身についてしまった日課通りにここを訪れてしまったことが無性に悔しい。だって、だって、突然訳も分からずにあんなことを言われたら、気になっちゃうじゃないですか。どうして? お弁当、おいしくなかった? 余計なお世話を焼いちゃった? そんなことが昨日からずっと頭をぐるぐる回って、もやもやして、うざったくてしょうがない。
「………」
いつもとどこか違った種類の刺々しさを感じた雲雀くんの目を思い出すと、扉をノックするのはためらわれた。かれこれ五分近く、扉の前でうろうろと手をさまよわせている。あたしの自分の嫌いなところ。こう見えて、変なところでウジウジしてしまうところ。何をあたし、こんなに気を揉んでるんだろう。ああ、やだやだ。はやくなんとかしたいのに。上げかけた手はまた扉を叩くことなく下ろされる。
あたし、雲雀くんのところを訪れて、どうしたいんだろう。何を言うつもりなんだろう。自分でもまだよく分かっていない。
(雲雀くん、きっと、怒ってた)
どうしてなのか分からない。本当にそうなのかも分からない。それでも、なんとかしたい。そんな漠然とした思いがあることだけしか分からなかった。
「…雲雀くん」
ぽつり。呟いた声が思ったよりもやけに情けなかったことにびっくりする。やだな、あたし、ムカつく雲雀くんのことなんて大っ嫌いなのに。これじゃあ咲ちゃんの言ってた通り、ほんとに寂しいって思ってるみたいだ。
170307