掃除<後>


他人の男の子の部屋に入るなんて初めてだ。押し入れから引っぱり出した掃除機を片手に、ちょっぴりどきどきしつつ部屋に足を踏み入れる。

どうせまた生活感ゼロの部屋なんだろうけどね、なんて高を括っていたけど、ところがどっこい。そこにはしっかりと人が暮らしている痕跡が残っていた。ベッドに、本棚に、クローゼットに、パソコンラック、小さなテレビ。無駄になりそうな物は一切無いけど、それぞれ使い勝手良さそうにセッティングされていた。あの、がらがらのリビングのことを思えば、家にいる時間の大半をここで過ごしているであろうことはあたしにだって簡単に想像できる。なんだか、お父さんの書斎部屋みたいだ。歳が近いはずの兄より父の部屋に似ているあたり、雲雀くんらしい。

ちらりと目を向けた先の、シンプルなシングルベッドの上に敷かれたいかにもさっきまで寝ていましたと言わんばかりの乱れた寝具に、訳もなくどきっとした。へ、へぇ〜、雲雀くんっていつもこんな布団で寝てるのね。何の変哲もない普通の布団に向かって謎の感想を述べる。掛け布団が半分だけべろんと持ち上がっていて、きっとそこからさっき布団の外に出たんだろう。枕元には携帯の充電器と文庫本が置いてあって、これがいつものあの携帯の充電器なんだな、と当たり前のことを思う。雲雀くんって本読むんだ、ふーん。学校じゃあんまり読んでる姿見ないけど、どんなのを読んでるんだろう。

なんとはなしに本に手を伸ばしかけて、はっとした。あたしってば何をこんな、じろじろ見てんだろう。こんなことしてないで、とっとと掃除をしなきゃ。慌てて作業に取り掛かった。









世話焼き









閉じっぱなしだったカーテンを全て開け放った雲雀くんの家は、薄暗くどこか鬱々としていた雰囲気からは見違えるほど明るい。フローリング、こんな暖かい色をしてたんだ。

窓からの太陽光を受けて温度を持った柔らかいベージュ色のそこに触れる。元からたいしてホコリなんて積もっちゃいなかったけど、一応フローリングワイパーで軽く掃除しておいた。おかげでそれはもうピカピカだ。


「ふー…」


なんだかんだ、あれやこれやといろんなところを掃除した。リビングだとか雲雀くんの部屋だとかはもちろん、台所とかお風呂とか。さすがにトイレは嫌だったから放っておいてあるけど。最初は面倒だったものの始めてしまったら途中からなんだか夢中になっちゃって。昔から、部屋の片付けとか掃除は結構好きだったから。でも、ベランダに干した布団が窓から見えて、あれって思う。


(あたし、本当に何やってんだろう)


せっかくの休日、半日近くを使って人の部屋を掃除してるなんて。これ、お金をとったって良いくらいじゃないの。

確かに、確かにだ。この委員会(もはや委員会と呼ぶのもおかしい気がする)が雲雀くんのための下僕集団なのはもう分かってた。分かってたし、しょうがないなと思ってたけど、たまに我に返る。本当にしょうがないのかな?だって、ただの掃除だよ。今日だって、すっぽかしたって別に良かったんじゃない?もし怒られたとしてもそんなの今更だ。何も無くたって殴られてばっかの毎日なんだから。


(あ、帰ろう…)


思い立ったら早い。そうと決まれば、こんなところに長居する意味なんてないのだ。早く帰って咲ちゃんから借りた漫画の続きを読もう。そう思ってそそくさと帰り支度を始める。

さすがに中途半端は良くないから、出しっぱなしだった掃除用具だけは片付けておこうと壁に立てかけてあったフローリングワイパーを手に取った。使い捨ての拭き布を取り払って、ゴミ箱に捨てる。ふとその中にいくつかの菓子パンの袋を見つけた時、ぐ、と息が詰まったのを感じた。


(そういえば、あの人、朝ごはんも食べずに出かけちゃったんだっけ)


まさかね、と思った。でもその予感は何故だか当たっているような気がしていた。雲雀くんが台所に立ってご飯を作る図なんてこれっぽっちも想像がつかないけど、でも、まさか。だってお母さんとかが作ってくれてるでしょ、ふつう。ほんとに、ちょっと気になっただけなんだから。誰に宛てているのかも分からない言い訳を唱えつつ、キッチンの隅にひっそりと置かれた冷蔵庫の取っ手に手をかける。人の家の冷蔵庫なんて勝手に開けるもんじゃないとは思うものの、一度ひょっこりと顔を出した好奇心は簡単には収まりそうになかった。


「……うわ」


ぱかんと扉を開けた先にあったのは、ペットボトルのミネラルウォーター数本とほとんど減ってない味噌のパックだけだった。卵とか牛乳とかケチャップとかマヨネーズとか、昨日の残り物とかあと卵とか、とにかくいろんなものがぎゅうぎゅう詰まった我が家の冷蔵庫とは大違いもいいところ。どう見たって普段まともに料理をしている家の冷蔵庫じゃあない。雲雀くんってば本当に、一体どんな生活をしているの。いつもいつも、あんな適当に買ったであろうパンばっかり食べているの。


「…………………あああ、もう!」


今日唯一の持ち物だった携帯だけ引っ掴むと、雲雀くんの家を飛び出した。鍵とかは特に貰ってないし、開けっ放しになっちゃうのは仕方ないだろう。元々家主が帰ってくる前に出て行けと言われてるんだから問題はないはず。


(もう…もう…! どうしてあたしがこんなこと!)



 ◇



「……?」


いつものようにエレベーターに乗り、そして7階へと降り立った雲雀は自宅の扉を遠目に捉えると、訝しげに目を細めた。何か、見慣れないものがドアノブに引っかかっている。

近付いてみると、それはどこにでもありそうなシンプルな買い物袋だった。白地に犬のようなキャラクターがプリントされた、持参用の、いわゆるエコバッグである。自分でスーパーなんぞに行くことがほぼ皆無である雲雀には縁遠いものだった。ということは、誰か別の者がここに置いていったのだろう。誰が、と考えるまでもなく犯人の顔が頭に浮かび、雲雀はわずかに眉間に皺を寄せた。今日雲雀の家を訪れた奴など、一人しかいまい。

左手に袋をとり、無造作に右手を中に突っ込む。すぐさま硬い感触がして、それを掴んで中から取り出した。


「…余計な世話」


ぽつりと呟いた声は当然、この階にたった一人の住人である自身以外には誰も聞き取っていない。鼻腔をくすぐるほのかな匂いに、腹の内がざわめくのを感じる。右手の指先にじんわりと温かみが伝わった。まだ、ここに置かれてからそう時間が経っていない、何よりの証拠だ。

あいつは、一体、何を考えてこんなことをするのだろう。頼まれたことだけやって、さっさと帰ればいいものを。


『パンばっか食べてると栄用かたよっちゃうんですよ』


一緒に入っていた紙切れには、雑だが丸みのある文字でそう書かれていた。栄養の養の字が、用になってる。知ってたけど、馬鹿だな、と思う。

ああ。彼女は、きっと同情したのだ。雲雀の生活する家を見て。普通の家とは違う何かに気付いて。これまでに同じ理由でここを訪れた奴も、そういう風に思ってたんだろうか。彼女みたいにこんな行動をしてきた者はいたことがないけど、それでも一丁前にこの僕に向かって同情をしてたんだろうか。

ぐっ、と"弁当箱"を持った手に力が入る。嫌いだ、そういうのは。そういう無駄なものは。


「……」


雲雀はドアノブにかかったままの袋をとると、手にしたそれを雑にしまいなおした。鍵のかかっていない扉を開けて中に入る。入ってすぐのところの足元に中の弁当ごと袋を適当に放り投げた。家を出る前より綺麗になったような気がしなくもないフローリングを叩く音。静かな部屋には思った以上にそれが響いて、雲雀はますます眉間の皺を濃くした。もしかしたら、中身はぐしゃぐしゃになったかもしれない。どうでもいい。どうにでもなれ。


(うざい)


一瞬怒るミナの顔が脳裏を過ったが、やはりどうでもいいと振り払った。

151011
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