掃除<前>


そこは、いたって普通のマンションだった。


「ここで、合ってるのかな…」


土曜の朝9時54分。約束の時刻の少し前。エレベーターから降りてきょろきょろと辺りを見回し、見慣れない景色に溜め息をつく。


(どうして、あたしがこんな所に…)


ポケットに入ったメモ紙を取り出して、書かれた文字を確認する。目の前には扉と、そこに装飾された3桁の数字。ああ、間違いない。ここだ。706号室。









おいてけぼり









まだ建てられてからそう間もないのであろう小綺麗な外観のマンション。その最上階である7階の一番奥に、雲雀くんが暮らしている部屋はあった。7階には他に住人はいないから、きっと意図的に人払いがしてあるんだろう。とはいえ、そのすぐ下には普通に人が暮らしていて、外からはベランダに干された布団やら洗濯物やらがよく見えた。ひどく浮世離れしたイメージの雲雀くんは、勝手に、豪華な一軒家だとか超高層マンションの最上階まるっと全部だとか、そういういかにもお金持ちなところに住んでいるんだろうなと、なんとなくと思っていた。ところが蓋を開けてみれば、なんとも平凡なマンションだったなんて。


「雲雀くんー?」


玄関チャイムのボタンを押してみるものの、電源が入っていないのか部屋の中まで音が届いている様子はない。声をあげても、いまいち本人にそれが聞こえているのかが分からない。少しの間待っていても、反応がない。


(どうしよう…)


もしかしてここにいないのかも。気まぐれな彼のことだから大いにありえる。まったく、自分から呼び出しておいて…。仕方がないと息をついて引き返そうとした時、ようやく扉の向こう側からがたりと物音がした。


「…!」

「…………」


鍵が開いて、扉の向こうから現れた雲雀くんは、いかにも寝起きといった格好をしていた。彼らしい真っ黒なパジャマに、あらぬ方向にはねた髪の毛。どうにか瞼をこじ開けた状態を保とうとしているのか眉間には深く皺が寄って、いつもよりもすこぶる目付きが悪い。


「お、おはようございます…」

「………」


何も言わず部屋の中へと入っていってしまう雲雀くんを、一瞬ためらいながらもついて行く。そうしてリビングらしきところまで来たとき、その生活感のない空間に思わず目が丸くなった。リビングにはテレビが置かれている他には何もなく、もう日はすっかり昇ったっていうのにカーテンは閉じっぱなし。途中通り過ぎたダイニングから見えた全く使われていなさそうなキッチンと、何も置かれていないテーブルとイス。埃一つ見当たらずどこも綺麗に掃除されているけど、それが余計に生活感の無さを際立たせていた。まぁ、なんというか、雲雀くんらしい。


「じゃあ、やっといてね」

「えっ、…ちょ」


そう言い残して雲雀くんはリビングの隣の部屋に入っていってしまった。ぴしゃりと閉められた扉に、なんとなくこれ以上は入ってくるなと言われたような気がして何も言えなくなった。


(やっといてね、って…)


そもそもあたしがここに来たのは、風紀委員達が週一で行うという雲雀くんの家の掃除当番が回ってきたからだった(完全に委員会の仕事ではないことはこの際放っておく。この委員会がおかしいのは何も今に始まったことではないのだ)。昨日草壁先輩からそのことを聞いてここまで来たのはいいものの、正直どうすればいいのか分からない。というか、掃除なんてしなくても最初から綺麗じゃないの。


「あ、あの! 雲雀くん! …ってうわああああ!?」

「何……」


このまま放っておかれても何も分からない。そう思って、意を決して雲雀くんが入っていった部屋の扉を開けば、そこにいたのは着替え途中の雲雀くんだった。下はすでに着替え終わっていたけど、上はワイシャツを羽織っただけで前が全開。そりゃあもちろんうちには兄がいるんだから男の着替えなんて見慣れているけど、それでも予想していなかった光景にびっくりしてしまった。カッと頬が熱くなる。雲雀くんは、呆れたような目であたしを見た。慌てて扉を閉めて、背を向けて、扉越しに話す。


「あっ、あの、掃除って言われても、何すればいいのか分かんないっていうか…」


しばらくの沈黙の後、扉が開いてそこに背を預けていたあたしは後ろに転び尻餅をついた。それを何食わぬ顔で避けると、雲雀くんはさっさとリビングを出て行ってしまおうとする。


「掃除用具ならそこの押入れにある」

「えっ、どっか行くんですか?!」

「…群れるのは嫌いだ。そのうち帰るからそれまでに部屋を出ておいてね」

「はあ!?」


雲雀くんは、他人を置いて家を出ることに抵抗とかないんだろうか。それに、そのうちっていつなのか分からないし、どれぐらい掃除すればいいのかも分からないし。結局分かったのは掃除用具がどこにあるかってことだけだ。いつものことだけどそんな無茶苦茶な!


「あー…あの! 朝ごはんは?」

「めんどくさい。いらない」

「え、ちょ、待っ」


なんとか引き止めようと咄嗟に思い付いたそれらしい話題を持ち出してみても、あえなく撃沈。ばたんと扉が閉まり、雲雀くんはとうとういなくなってしまった。呆然としつつポケットの中の携帯を見る。10時7分。いつ雲雀くんが帰ってくるのか分からないけど、とりあえずそれまでになんとしてでも掃除を終えてここを出なきゃならない。


「…もう」


寝癖、ついたまま出て行きやがった。というかこの頬の熱は一体いつになったら冷めるのか。

修正 150308
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