「…何それ」

「え?」


今日も今日とて放課後に応接室にやってきたミナを目に留めると、雲雀は訝しげに眉間に皺をやるとぽつりとそう尋ねた。少ない言葉だったから何のことを言っているのか分からずに首を傾げるミナに、また一つ単語を付け足す。


「髪」

「髪? ……ああ」









あの子の髪の毛









その日、ミナは普段は後ろできっちりと結んでいる髪を背中に垂らしていた。雲雀がいつもと違う髪型のことを聞いていたのだの気付くと、鬱陶しそうに顔の横にかかる髪を払って溜息をつく。


「ゴム、さっき切れちゃったんですよ」


革張りのソファに中身の少ないスクールバックを放り投げて、それから思い出したように筆箱を取り出しているミナを雲雀はむっつりとした表情で眺めていた。下を向く度、するりと長い髪が頬にかかっては左手で耳にかけている。普段はあまり見えないが、ミナの耳は少し小さめでたいした髪の量はかからないように見えた。


「邪魔だなもう… 。お兄ちゃんが止めさえしなければこんな髪すぐにでも切るのに」


などと一人ごちてはいるが、それもまた心にもない言葉なんだろう。雲雀は、ミナが自分の髪を大事そうに手入れしているのを知っていた。髪を切るのを止めるというあの兄がいなくとも、きっと彼女は髪を伸ばし続けるに違いない。自分に女の子らしいものは似合わないと言ってミナがよく嘘をつく意味が、雲雀は未だに理解できていなかった。女らしいものも何も、曲がりなりにも彼女は女なのに。


「…鬱陶しい」

「え? ………痛っ!」


突然立ち上がったかと思うと、雲雀はバックの中身を漁っていたミナの髪を自分の方へと乱暴に引っ張った。右手にはどこからか持ってきた太めの輪ゴム。呻くミナのことは放っておいて、手でざっくりと適当に髪をまとめていく。


「ちょ、なにっ…? 何やってるんですか!」

「うるさい」

「いっ」


馬の手綱のように髪の束を引っ張ってやると、目元に涙を浮かべてミナは大人しくなった。校庭の方から聞こえる運動部の声に紛れ込むようにして、ぱち、ぱち、とゴムが小さく音をたてる。強張る肩を視界に捉えつつ、雲雀はやはり無言のままだった。


「っ」

「………」


目の前の小さな耳がほんのり赤くなっていることにも気付かないフリをした。しっかりと手入れしているだけあって、少し色素の薄い黒髪は指通りがよく、するすると手の隙間からこぼれていく。それをもう片方の手で押さえ、雲雀はあまり時間をかけずに長い髪を結び切った。


「あの、もう、終わりました?」

「………」

「輪ゴムじゃあ余計に切れやすくないですか?」


気になるのか、結び目を手で探っているミナを放って雲雀はさっさとデスクに戻っていった。先程草壁が淹れていった飲みかけの緑茶に手を伸ばして口に運ぶ。冷めてほとんど常温になっていたそれは程よく乾燥していた喉を潤して、雲雀は小さく息をついた。


「…あの、雲雀くん」

「うるさいな。その髪が、いつもと違うのがいけないんだろう」

「え」

「君じゃないみたいで変だったんだ。気持ち悪い」

「きも…!? 髪下ろしてるだけなのにっ、そこまで言わなくてもいいじゃないですか!」


キーキーと声を荒げるミナから面倒そうに視線を逸らし、雲雀はようやく事務仕事を再開した。元々髪を結んだことなどあるはずもなく、見様見真似でやったせいかミナの一つにまとめた髪はところどころほつれている。それでも、なんとなく雲雀は満足だった。


(…もしまた同じようなことがあったなら)


気が向けば、また、結んであげないこともない。百面相をするミナにちらりと目をやって、雲雀は人知れずそんなことを思った。

140607
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