01


あたしがその人を初めて見た日。それは夜中に急にプリンが食べたくなってお兄ちゃんと一緒にコンビニに行った帰りのことだった。

家の近くにある小さな公園の前を通りかかった時、にゃあんと特有の愛らしい鳴き声が聞こえた気がして何気なくそっちに目を向けた。隅にあるベンチに腰かけた誰かが、足下に擦り寄ってきた猫の顎を指先でくすぐっている。古ぼけた電灯がその顔をぼんやりと照らし出して、薄く微笑む優しげな表情があたしの瞳に映った。

とても、きれいな人だと思った。









崩れ去った音









平凡な町にある平凡な学校、並盛中に入学してからしばらく経った頃、明日は朝から服装チェックがあるから身だしなみをきちんと整えておくようにと先生からお触れがあった。もし引っかかったら風紀委員の言うことは絶対聞くんだぞとか咬み殺される前にすぐ謝れよとか(…咬み殺される?)しつこいぐらいに何度も注意を促してくる先生だけど、あたしは元々そんなに制服を着崩したりしないから大丈夫。そう高を括っていたのが悪かったのかもしれない。



「ねーねー。学校サボってオレたちと遊ばな〜い?」

「ゲーセン行こうぜ? 楽しいからさ」

「…………」


寝坊していつもより十分ほど遅くなって、それでも時間にはまだまだ余裕があったから歩いて学校に向かってる途中。校門まであと数十メートルというところで、知らない人からなんだか意味の分からない誘いを受けた。これって、もしかして、ナンパ?同級生よりも体の大きなその人達は、たぶん先パイなんだろう。ニヤニヤと嫌な笑みを浮かべたその表情に、ひくと口元が引きつった。後輩をからかって遊んでいるんだと思った。


「…ごめんない。あたし、そういうの、いいです」

「なんだよノリわりーなー」

「良いじゃんよちょっとぐらい」

「や、あの、ちょっと…!」


…いらっ。

相手になんてしないでさっさとこの場から逃げちゃおう。そう思ったのに、なんだか思ったよりしつこい。ぐぐぐと距離を縮めてくる先パイたちに体が勝手に後退していく。通りすがりの他の生徒は面倒事には関わりたくないとでも言いたげにみんな見て見ぬフリだった。

(薄情者! 少しくらい助けてくれたっていいのに!)

心の中でそうやって悪態をついていると、もだもだしてるあたしに痺れを切らしたのか、先パイの一人が肩を強めに掴んでくる。

いらいらっ。

もう、なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだろう。あたしは行かないって言ってるのに。遊びでやってるんなら、断られたらとっとと諦めてくれればいいのに。


(やだ、もう、臭いし…)


肩を掴んできた先パイは、そのまま馴れ馴れしくも大胆に肩を組んでくる。それこそ息が顔にかかってしまうほど近い距離。怖いというよりは、気持ち悪い的な意味でヒッと上擦った声が出る。けれどそれを全く気にしていないように、いかにも軽い、ヘリウムのように軽い口調で、先パイは言った。


「一年のガキがぁ〜、先輩のありがた〜いお誘い断っちゃダメっしょ〜? ちょっと可愛いからって調子のんじゃ、」


ぷちっ。

頭の奥の方で、危なげに引きつっていた糸のような何かがとうとう音をたてて切れた。


「ぶっ!? がっ…!」


目の前の骨張った頬を右の拳で強く殴って距離を空け、次いで左足を高く振り上げて、胸元を蹴り飛ばす。勢いが強すぎたのか、先パイは体をごろりと一回転させながら後ろに倒れ込んだ。何が起きたのかしばらく理解しかねていたもう一人が、さっきまでの余裕たっぷりな態度から一変して怒鳴り声をあげながら拳を振りかぶってきたので、それがあたしの体に届く前に今度は顎に爪先を叩き込む。まだ固さの取れないローファーを履いていたから結構痛いだろうけど、先にちょっかいをかけてきた向こうが悪い。フンと鼻を鳴らして少し捲れてしまったスカートを直した。


「…はっ」


そこでようやく、辺りの空気がかちこちに固まってることに気付いた。ここは通学路、しかも学校付近なので人はそれなりにいる。みんな完全にドン引きしていた。爽やかな朝に似合わない暴力沙汰。それもあたしみたいな一年生の女子が先パイを蹴り飛ばすなんておかしな光景にもほどがある。


(また、やっちゃった…)


突き刺さる視線に身を小さくさせつつ、伸びている先パイをこのままにしておくわけにもいかないから、とりあえず保健の先生を呼ぼうと今度こそ校門に足を向けた時だった。視界に入る黒。カツリと音をたてた革靴。俯かせていた顔を上げれば、そこには黒髪を風に揺らした、あの時の。


「君、強いのかい?」


いつか野良猫に見せていたものとは明らかに別種の、それはそれは嬉しそうな笑みを浮かべたその顔に、ぞくりと背筋に冷たいものが走った。

修正 160317
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