ある日
「………」
「雲雀くん」
「………」
「ね、雲雀くん。聞いてますか」
「………」
ダメだ、ガン無視である。どこに片付ければいいのか分からない書類を抱え、溜め息をついた。これでは仕事が進まない。そしてあたしは家へ帰れない。今は春休み期間、午後から咲ちゃんの家に行って一緒にホラー映画のDVDを見る約束してるから、午前中までには終わらせたいのに、まったくもう。
なんだか、今日の雲雀くんは変だ。ぼんやりしていて、いつもみたいにツンケンしていない。トンファーを振るってくることが少ないのはいいけど、いつもと違うと調子が狂ってしかたない。それに仕事をしてくれないのも困る。一体どうしたというのか。
「………」
窓の縁に腰かけて外を眺める雲雀くんの横顔はどこか物憂げで。なんとなく、その目線の先にあるのはあたしが今窓から見てる景色とは違うもののような気がした。それを寂しいなんて、思ってないけど、全然。
春の足音が聞こえた日
「…それは、もういらない書類だ。捨てておいて」
「はっ?」
突然口を開いたかと思うと、雲雀くんはそう言うなり立ち上がってどこかに行こうとする。ちょっと待て。まだ雲雀くんがやるべき仕事は残っているんだぞ。あたしだって春休み返上してまで学校に来てるっていうのに、これ以上委員長にサボられてはたまらない。おいこら。なんとか止めようと声をあげるけど、雲雀くんはあたしの言葉には耳を傾けることなく応接室を出ていってしまう。
「ま、待って!」
「…うるさいな」
それを追いかけて手を掴んで引き止めると、ようやく返事が返ってきた。その口調が思ったよりも鋭くて驚くけど、そんなことで怯むあたしではない。伊達に一年近く雲雀くんの側にいるわけじゃないのだ。
「もう、どうしたんですか。雲雀くん、なんか今日おかしい…」
ぱしん。乾いた音に目を見開く。少し遅れて手に痛みを感じて、強く手を振り払われたのだと気付いた。
「君には関係ない」
冷たい声だった。立ち尽くすあたしのことは気にも留めず、今度こそ雲雀くんは行ってしまった。また追いかける気にはなれず、仕方なくその後ろ姿を見送る。
「なんだあれ。感じ悪い…」
せっかく心配してあげたのに、あの態度である。むかっときたのは不可抗力だ。じりじりと痛む手首を撫でて、また溜め息をつく。まぁ、雲雀くんが感じ悪いのなんて何も今に始まったことではないけど。それでも、ほんのちょっぴり、一ミリぐらいは傷付いたのだ。
◇
「今日のところは許してやってくれ」
草壁先輩と一緒にホチキスをカチカチさせながら今年度の校則違反者リストをまとめていると、突然そんなことを言われた。許すも何も、あたしが雲雀くんに怒ったところで返り討ちに遭うのは目に見えてることなのに。結局雲雀くんが放り出した仕事もやる羽目になってDVD鑑賞会は延期になり、ぶすくれているあたしに草壁先輩は苦笑いする。
「毎年この日はあんな感じなんだ」
「? なんか今日あるんですか?」
「俺にも詳しいことはよく分からないんだがな」
「ふーん…」
三月某日。壁にかかるカレンダーには特に何も書かれていないし、草壁先輩も知らないんだから委員会関係というわけではなさそうだ。それなら雲雀くん個人のことなのかもしれない。…どうだっていいけど。
「あ」
ふと目を向けた窓の向こうを何かが通りすぎた。小振りで可愛らしい薄紅色。風に乗ってゆらゆらと宙をさ迷いながら落ちていく。どこから飛んできたものだろう。校庭に植えてあるのはまだ蕾だった気がするから、早咲きの種類なのかもしれない。
「………」
桜の花弁を見た時、さっきの雲雀くんの横顔が頭に浮かんだのはなんでなんだろう。
140313