04


春は麗らか。流れる風は穏やかで、射し込む陽はぬくく、触れる身体を心地よく温める。ここ数日降り続けていたこの時期特有の静かな雨は、この日ばかりは空気を読んだのか、すっかりと形を潜め頭上の空にはわずかな雲を残すのみであった。

自らの根城である学校の応接室にやってきた雲雀恭弥は、今日も今日とて学ランを羽織り、開けた窓の枠に寄りかかった。時刻は朝の11時15分。眼下には校門をくぐり外へ出てゆく生徒らと、それからその保護者。ちょうど見頃の時期を迎えた校庭に植えられた桜が、はらはらと花弁を落としながらそれらを見送っている。大勢が蠢くその光景に雲雀は思わず眉をしかめてしまうが、今日のところは仕方が無い。今日は、人が多くて当たり前の日なのだ。


(入学式…せめて保護者の出席は禁止にするべきだったかな)


そうすれば、この見苦しくてたまらない人の群れも少しはマシなものになるだろう。そうだ、そうしよう、来年からは。単なる好き嫌いと言われてしまえばそれまでの、そんな個人的な理由では普通は学校の規則を変えることなど出来るはずもないが、この雲雀恭弥という少年の場合は例外だった。それは彼がこの並盛中、もっと言えばこの町に君臨する支配者であるからだ。何人も彼に逆らうことはできない。彼はこの並盛という地においては言わば秩序そのもののような存在だった。


「………」


誰か、自分の牙を磨くに値するほどの奴はいないだろうか。周囲から最強だなんだのと呼ばれる自分を楽しませるほどの、強い奴は。そうは思うものの、式を終えて帰っていく新入生の中に目ぼしい奴はなかなか見当たらない。雲雀はつまらなさそうに目を細め、今日のところは良い獲物を見つけることは諦めるかと浅く息を吐き、窓の外から視線を外した。


「お母さん! ちょっと、待ってってば!」


ざわざわと賑わう窓の外で、一際よく通った声が響いた。その声につられ、雲雀は何とはなしに再び窓の向こうへ目を向ける。


「…!」


そして、静かに目を見開いた。普段の射抜くような鋭い眼差しがわずかに、けれど確かに揺らぎを帯びる。驚きだけではない複雑な表情が、その色白の顔に浮かんでいた。それは雲雀という少年を知る者の誰も想像がつかないような、悲しみとも不安ともとれる色を含んでいる。けれどそこさえ通り過ぎたもっと奥には、微かに、喜びの色が揺れているようにも見えた。

雲雀の視線の先にあったのは、横顔だった。横髪を吹く風になびかせたその顔は真っ直ぐに前を見て、遠くから自分を見ている雲雀の存在にはまったく気付いている様子はない。ぱちりと、まるで写真に収めた景色のように、その一瞬雲雀の時が止まっていた。その瞳が、その表情が、雲雀の中の"それ"と重なって、ある記憶が駆けていくように頭を過ぎていく。

もしかすると、その口許は震えていたかもしれない。


「か――…」

「お母さん、歩くのはやいってばー!」


雲雀がおぼろげに何かを言いかけたその時、目線の先の新入生らしき女子生徒が再び大きく声をあげた。その声にはっと我に返り、雲雀は口をつぐむ。


(何やってる….僕は…。そんなはずないのに)


自分がたった今口にしかけたことを思い出し、雲雀はまた眉間に皺を寄せる。さっきは彼の人の面影を感じたその横顔は、もう一度よく見てみれば、何てことはない新入生らしいただの幼い少女にしか見えなかった。当たり前だ。あの女子生徒が、あの人であるはずがない。


「………」


一緒に式に来ていたのだろう母親を追って校門を出ていくその姿を雲雀は見つめる。一つにくくった少女の馬の尻尾のような髪の束が、走る動きに合わせてゆらゆらと揺れていた。

雲雀は目線を今度こそ窓の外から外すと、窓の近くに設置された専用のデスクの上へ移動させた。そこには、高く積まれた資料の山が鎮座している。今年度入学の生徒の個人資料だった。雲雀はその資料を何枚か手に取ると、ばらばらとめくって確認する。式が始まる前に教師を経由して生徒から提出されたその資料には、顔写真や名前が上部に記載されていた。全てを見終えると、次の書類を手に取る。それが終われば、また次を。何度か同じことを繰り返した雲雀の手は、目的のものを見つけたところでぴたりと止まった。


「…草壁。今から言う生徒のことを、少し詳しく調べて」


学ランのポケットから携帯を取り出した雲雀は、部下を呼び出すなり早速用事を言いつける。片方の手には、先程見つけ出した資料が一枚。上部に貼られた写真に映るのは、ついさっき校門から出て行くのを見届けた女子生徒の顔だった。


「名前は、天宮ミナ」


並盛の支配者たる彼にとって、一人の生徒の個人情報を手に入れることは息をするほどに容易い。









うらがわ









「失礼します、委員長」


ノックの後、折り目正しい口調でそう告げた風紀委員会副委員長の草壁哲矢は静かに応接室の扉を開いた。デスクに向かい何がしかの資料に目を通していた雲雀は、目線を一度こちらにやっただけで何も言わない。よくあることだったので草壁は特に迷う素振りを見せず、軽く一礼をすると早速自らの行うべき職務を開始した。


「本日の遅刻者は二名。一人は体調不良による遅刻だったようなので警告のみに留めました。それから、もう一人ですが…」

「ああ…。また彼かい?」

「へい。一年の沢田です。彼は遅刻常習犯。そろそろ"罰"を与えるべきなのですが、ここのところ欠席がちなようでして、なかなか捕まらず…。どうも不登校寸前のようですが、どうしますか?」

「放っておいていいよ。登校してこない人間の面倒までは見るつもりないからね。もちろん、学校をサボってる間に町の風紀を乱すような真似をしようっていうんなら、別だけど」

「分かりました」


今朝行われた遅刻指導の報告が、草壁の仕事だった。この風紀委員会が執り行う遅刻指導の成果か、以前よりも劇的に遅刻者数は減っている。風紀委員長である雲雀が主導する暴力による取り締まり。その厳しい"罰則"故に、生徒は軽い気持ちで校則を破れなくなった。そんな中でも懲りずに遅刻を繰り返す生徒には、内心ではある意味感心さえしてしまうが、とてもじゃないが真似する気には到底なれない。そういう奴は、いつ雲雀に咬み殺されても文句は言えまい。


「トンファーは?」

「今日のうちに仕上がると先程連絡がありました」

「それなら、午後はここを空けるよ。取りに行ってくる」


雲雀はそう言うと、どこからか、これまで使い続けてきた愛用のトンファーを取り出した。対となる二つのうちの一つ、右に握ったトンファーにはその中央部に大きくへこみができている。様々なギミックが内蔵された鋼鉄製のそれに、素手で大きな損傷を与えた者がいたと聞いた時は驚いた。しかも、女子ときている。彼女の蹴りを受け止めた時にその衝撃でやられたらしい。「本人は気付いていないようだったけどね」そう言って壊れたトンファーを弄んでいた雲雀の表情は、しかし言うほど面白そうなものではなかった。トンファーを壊され、新調しなければならなくなったから。そんな雰囲気ではなかったと思う。そもそも雲雀は、そういった場合は強い相手に巡り会えたことで逆に喜んでしまいそうでさえあった。

草壁は、ほぼ強制的に風紀委員会に入れられて、つい先程まで一緒にいた少女の姿を思い出した。怪力の持ち主とは思えない細身な背格好に、大人しそうな顔付き。そのギャップは、どこか雲雀と通ずるものがある。


「…委員長。どうして天宮を、風紀委員に?」


普段は雲雀に意見することが少ない草壁が、珍しくそう尋ねた。雲雀が視線を上げて草壁を見る。ずっと、違和感を感じていたことだった。もしも彼女が雲雀のお眼鏡に叶う強さを持つ人間だったとしても、わざわざこの委員会に入れる必要はあるだろうか。群れ嫌いの雲雀は、無駄に委員の数を増やすことを嫌うはずだった。それに男ばかりの委員会の中に女子を一人放り込めば、多少浮わついた空気にもなってしまうかもしれない。それが分からない人ではないはずなのに、それでも自分の手元に置いたことには、何か理由があるのではないか。ひと月前の入学式の日、草壁は雲雀からとある少女について調べるように指示された。ごくごく普通の家庭出身の、卵が大好物で、恐ろしく怪力なスレンダーな体型の少女。それこそが雲雀のトンファーを壊した天宮ミナだった。つまり雲雀は彼女が怪力の持ち主だと知る前からその存在を知っていて、草壁に詳細を調べさせたのだ。喧嘩が強いという情報は、偶然ついてきたオプションに過ぎないのかもしれない。それなら、雲雀が彼女に興味を持った理由が、他にあるのではないか。


「何か不満かい? 副委員長」

「!」


びり、と突如として肌を刺した空気に草壁は思わず背筋を震わせた。穏やかな口調と表情。けれどその瞳は恐ろしく冷ややかで、強い視線は草壁を射抜いて離さない。それは、おそらく殺気と呼ばれるものだった。これ以上踏み込むことは許さないと、濃灰色の瞳が語る。草壁は、唾を飲んだ。


「…いえ。不満ではありません。すみません」

「そう」


こめかみを汗が伝うのを感じながらも、草壁がそう答えると、こちらへの興味を無くしたように雲雀は資料へと視線を戻した。草壁は密かに息を吐く。運が悪ければ、今のはトンファーが草壁の頭に直撃してもおかしくはなかった。へこんでいようと、ひしゃげていようと、重い鋼鉄の塊であることに変わりはない。脳震盪ぐらいは、恐らく免れないだろう。

――そうだ。何を気になっていたのだ、自分は。草壁は我に返ったような気持ちでそれまで頭を占めていた考えを振り払った。雲雀の考えが読めないことなど、何も今に始まったことではない。雲雀は、別に理解してほしいなどとは微塵も思っていないだろう。草壁の仕事は雲雀の考えを理解することではなく、雲雀が動きたいように動く、その手助けをすることだ。雲雀がどうして新しく入った委員のことを知っていたのかなんてことは、そこには関係ない。草壁が知らなくたって構わないことだ。他人と深く関わることを嫌う雲雀に、余計な詮索は禁物である。


「それでは、失礼します」


このままここにいても、雲雀の機嫌を悪くするだけだろう。無理矢理に気持ちを切り換えた草壁は大きな体を折り曲げて雲雀にまた一礼すると、応接室を出る。


「………」


その後ろ姿を見届けた雲雀が小さく溜息をこぼしていたことには、気付かなかった。

160608
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