魔法使い
「ねえ、入るよ」
返事はない。けれどそんなのはいつものことで、溜息をつきながら扉を開けた。部屋は薄暗く、きりきりと奥の方から物音がした。そこで光る小さなスタンドの明かりだけが周囲を照らし、赤い髪の頭がぼんやりと浮かぶ。
「今日もまた人形作り?飽きないね、ほんと」
「………」
工具と作りかけのパーツを持って作業に勤しむ彼は私の存在なんか無いみたいに背を向けたまま何の反応も示さない。まるでおまえなんかに構う暇はないと言われてるみたいだった。これもいつものことだから、たいして気にしていないけど。
「また、ここしばらくずっと学校サボってるんでしょう?」
「………」
私の幼馴染みであるこの男、サソリは、昔から芸術がどうのこうのだとか言って手作りのからくり人形(傀儡というらしい)を作るのが趣味だった。いや、もう趣味という範疇はとっくに越えているか。一度作品を作り始めるとこうして部屋にこもりきりになって、食事もろくにとらないまま作業に没頭してしまう。加えて、大概そういう期間は一日や二日じゃ終わらない。ひどい時は4ヶ月もかかった。おかげで単位数が足らずにもう今年は留年が確定だという。そのうち退学するとか前に聞いた気がするけど、本当なんだろうか。
「チヨばあちゃんも心配してるよ。せめて部屋から出て顔見せてあげなって」
「うるせえな…」
ああ、ようやく喋った。サソリはチヨばあちゃんの話を出すといつも不機嫌そうな顔をする。今は反抗期なのかあまり話したがらないけど、なんだかんだで昔からおばあちゃん思いなことを幼馴染みの私は知っている。昔はまんまるい目を輝かせてチヨばあちゃんに甘えていたというのに、一体いつからこんなひねくれ男になってしまったのか。チヨばあちゃんもさぞかし寂しい思いをしているに違いない。
「おい、用事があるんだろう。さっさとしろ。で、早く出ていけ。作業の邪魔だ」
「…もう、ひどい言い草」
言いながら、鞄の中から大きめの封筒を取り出した。この前受けた模試の結果が入っている。学校で預かってきて、本人に渡すのが今日の用事だったのだ。サソリはそれを受け取ると、しかしどうでもよさそうに傍らのベッドの上に放り投げた。
「サソリ、また順位良かったって、先生言ってたよ。すっごい面白くなさそうな顔してた」
「…だろうな」
無表情でそんなことを言うサソリに、私も多少むっときてしまう。サソリは授業なんて全然まともに受けないくせに、何故だか成績はとびきり良い。特に、いつも模試ではとんでもない成績を叩き出していて。学校に来てないのにこんなに頭が良いんだから、真面目に毎日授業を受けてる私がなんだか馬鹿みたいだ。
サソリは人形作りの最中はそれこそ完全にヒキニートだけど、普通の時はちゃんとそれなりに友達はいるし(金髪ロン毛とかオールバックとかピアスとか怖そうな人が多いけど)、その整った容姿から女の子にはモテるし、勉強も運動もできるし、本当に完璧超人だ。だというのに、この人形作りという趣味が全てをぶち壊している。残念なイケメンって、こういうことを言うのかな、なんて。
正直、こんなヒキニートのことなんて見捨ててやろうと思ったことは何度もある。こんなことを言ったら、きっと彼は誰も頼んでないと返してくるんだろうけど。それどころかさっきのように邪険に扱われることもしばしばである。だからこれは、完全に私の独りよがりだった。それでも私がこうしてここに頻繁に訪れるのは、きっと、
「………」
年齢よりも少し幼く見えるきれいな横顔と、人形をいじる節くれた指。なんの変哲もないただの木材が、その手によって形造られ命を吹き込まれる。こんな陳腐な言葉じゃ申し訳ないけど、そう、魔法使いみたいで。昔から、人形を作るそんな彼の姿を眺めるのが好きだった。
「おまえ、いつまでいるんだ…」
「あ…」
用は済んだだろう。そう言ってじとりと睨んでくるサソリに苦笑いした。本当に、せっかちなんだから。もうちょっとくらい眺めさせてくれたっていいのに。
「…じゃ、帰るね。ちゃんとご飯食べるんだよ」
「うるせえな」
せっかちで、そのうえ短気だ。チィと舌打ちが聞こえて思わず肩をすくめる。これ以上いたら本当に怒られてしまうかもしれない。また明日もこよう。そう心の中で呟いてサソリに背を向けた。
「……おい」
「?」
向こうから呼び止めてくるだなんて珍しい。何事かと振り返ると、サソリがこちらに背を向けたままちょいちょいと手招きをしていた。どうしたんだろう。
「なあに?」
「…」
「…?」
相変わらずそっぽを向いたまま、サソリは何かを私に差し出した。受け取ると、かしゃり、と軽く小さな音がしてまさかと思い見てみる。
「これ、どうしたの…?」
「おまえ、この前誕生日だったろ」
「もしかして…プレゼント?」
「…他になんだってんだ」
ぶっきらぼうにサソリは言う。渡されたのは、たいしたものじゃなかった。くまのキーホルダーだ。かわいいけど子供っぽい。木製で、手足が自由に動くようになっているみたいで、それが揺れるたびにかしゃかしゃと音が鳴る。首に巻かれた赤いリボンの切れ端をサソリの机の隅に見つけて、みるみるうちに自分の頬の筋肉が緩んでいくのが分かった。
ああ、これ、だって、サソリが。
「っ、大切にする!!」
「…そーかよ」
うるせえな。本日三度目、小さく聞こえた声には目をつぶることにした。ついでにいえば、こちらから見える耳が少し赤いのも、さっきから没頭していると思っていた作業がよくよく見るとたいして進んでいないのも、全部全部、気付かないふりをしておいた。代わりに彼の見えないところで、意地悪な幼馴染じゃなくて良かったわね、なんて笑ってみせる。
今度こそサソリには部屋から追い出されてしまったけれども、私はすっかり有頂天だった。もうしばらく、ここに通うのをやめられそうにはない。
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