おかえり
今日は雲雀さんが帰ってくる日。仕事で世界中を飛び回ってる雲雀さんが家に帰ってくる、況してや一週間もこの家で過ごすことができるなんてすごく珍しいことだから、とっても嬉しい。だから私はさっきから、ウキウキ気分で大好きな夫を玄関で今か今かと待ち構えていた。
―――と、がちゃり、玄関のドアが開く音がした。嬉しさが最高潮に達して、何も考えずに慌てて傍に駆け寄る。
『…雲雀さ、』
「ん…」
『きゃっ』
突如真っ黒になった視界。しかし鼻を掠めた大好きな香りに、不安なんかを感じることはなくて、代わりに私の心を満たしたのは、この上ない安心感だった。
『大丈夫ですか?』
体に感じる重みと温もりに、半ば寄り掛るようにして抱き締められているのだと気付いた。でも雲雀さんは普段こういう抱き締め方ではなくて、まるで包み込んでくれるような、普段の鋭い雰囲気からは想像もできないような優しい抱き締め方をするから、もしかしたら怪我でもしたのかもしれない。だとしたら速く手当てをしなくては。そう思って、雲雀さんから離れようと雲雀さんの胸辺りを押すけど、雲雀さんの体は離れるどころか腕の力を込められて、ぎゅう、とさらに引き寄せられた。
「…大丈夫じゃ、ない……」
『やっぱり怪我したんですね!』
プライドの高い雲雀さんが大丈夫じゃない、なんて弱音を吐くぐらいだ、相当辛いはず。だけどどんなにもがいても、やっぱり雲雀さんは離れてくれなかった。
「ちがう…」
『?』
「怪我なんかしてない」
『え…』
「君は、寂しくなかったの?」
『あっ…』
さらに強く抱き締めて、ついでに私の肩に顔を埋めた雲雀さん。雲雀さんの顔は見えないけれど、きっとその頬はちょっぴり赤いはずだ。だって、ふわふわの黒髪から覗く耳がほんのり赤く色付いているから。
決して、寂しくなかったわけではない。彼の仕事上、戦闘はいくら避けようと逃れられるものではない。そして戦闘になってしまった以上、生きるか死ぬかの命のやり取りをしなくてはならない。私の知らない場所で彼が死んでしまったら――…そう考えるだけでも、不安で押し潰されそうになる。そういう時は無性に、彼の声を聞きたいと思うし、優しく頭を撫でてほしいし、抱き締めてほしい。寂しくて寂しくて寂しくて、何度も泣きそうになった。それでもこうして彼の帰りを大人しく待つことが出来るのは、私が彼を信じているからだ。彼は仕事に行く時、必ず"いってきます"と言う。当たり前のことだと思うけど、私達は約束したから。"いってきます"と言ったら、次の言葉は必ず"ただいま"だ、って。雲雀さんは昔から我儘で理不尽なところが多い人だけど、必ず約束は守ってくれる人。だから雲雀さんは何があっても、また私をこうして抱き締めてくれる。そう信じてる。
でも、留守番中に寂しいのはどうしたって変わらないことだから、雲雀さんが帰ってきたら、これでもかっていうぐらいに甘えてやるって決めている。それはどうやら、私だけじゃなかったみたいだけど。
『く、苦しいです…!もうちょっと緩めてくださいーっ』
「…ムリ」
『む、むりって…』
この苦しいぐらいの抱擁は、きっと雲雀さんなりの甘えなんだと思う。そう考えると、なんだか胸の奥がきゅっと締め付けられたような気がした。それを少しだけ心地好く感じてしまって、もしかしたら私はMなんじゃないかなんて、疑っちゃいそうになった。それを思い留まらせたのは、雲雀さんの細いけど筋肉質な力強い腕だった。抱き締められるのは嬉しいけど、こんなに苦しい抱擁はさすがに心地好いなんて思えない。このままじゃ真面目に窒息死するから、今度は本気で助けを求めることにした。
『しっ、死んじゃいます……雲雀さん…っ』
―――ぴたり。力強く回されていた腕の力が緩められて、思わずほっと溜息が漏れる。
『そうだ、雲雀さん。もう夕食もお風呂も準備できてますよ。どっちにしますか?』
「………」
『雲雀さん?』
「………」
『雲雀さんー?聞こえてますよねー?』
「………」
『?』
「………」
『??』
「………」
『あっ…………………………………恭弥さん?』
「…何」
そうか、名前を呼んでほしかったんだ。結婚した時に「君の名字はもう"雲雀"なんだから僕のことは名前で呼びなよ」って言われていたんだった。ああ、でも、慣れない呼び方はすごく恥ずかしい。それこそ私達が学生の頃から、私はひば…じゃなくて、恭弥さんのことを名字で呼んでいたんだし、当然と言えば当然だ。あれ、そういえばひば…じゃなくて、恭弥さんは昔から私のこと名前で呼んでたなあ―――…
「…名前」
『はい?』
「―――ただいま」
『!……はい、』
ああ、今回もちゃんと、約束守ってくれたんですね。
私も、今日もたくさんのありがとうの気持ちを込めて、大好きな貴方に伝えます。
願わくば、最後の時までこの言葉を貴方に届けられますように。
おかえり魔法の言葉 小さな約束 /
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