いとしいいとしい


『え…?別れる?』


僕が切り出したその言葉に、名前はきょとんと目を真ん丸くさせた。突然だったから、まだうまく状況が理解出来ていないのかもしれない。しばらくの間、名前は表情を固めていた。が、ようやく状況を理解したのか、いつもの柔らかい表情がゆっくりと悲しみに歪んでいく。思わず目を背けたくなったけど、それでは駄目だと自分に強く鞭を打った。


『冗談ですよね…?』


おそるおそる、といった感じで、名前は震える声で尋ねてきた。


「…、」


冗談だと言いたかった。


「君の反応が面白いから、少しからかっただけだよ。もしかして、本気にした?」


きっと普段の僕ならこう言えるのに、今は、言えない。何も言わない僕に、名前の表情が更に歪んでいった。胸が苦しい。どくどくと激しく脈打つ心臓を何かに握り締められてるみたいだ。苦しい、苦しい、苦しい。でも、今一番苦しいのは、きっと僕じゃない。


『どうして…?』

「知ってるだろう。僕はイタリアに行く。…君は連れていけない」


強さを求めて、戦う。それは僕の存在理由であり、僕そのものであり、絶対的な何かだ。この命が尽きるまで、戦いは常に僕の後をついて回る。戦いとは切っても切り離せない、そんな僕が(多少不満ではあるが)ボンゴレファミリーにつき仲間(と呼ぶのはすごく嫌だ)達と共にイタリアへ向かうことは本当に至極当たり前で、それでも尚、今もこの並盛町に留まっているのは、他でもない名前がいるからだ。どうしても離れたくなくて、ここに留まることで大好きだったはずの戦いから目を背けてきた。


『どうして、わたしを連れて行ってくれないんですか?』


泣きそうな顔をしていた。瞳には涙が溜まっていて、それでも必死に抑えているのか、それが一滴だって零れ落ちることはなかった。


『…わたしが弱いからですか?わたしが、足手まといだからですか?』

「…」


違う。その一言を言いかけて、飲み込んだ。君を置いていく無責任な僕に出来る唯一のこと、それは僕への未練を少しでも多く減らしてやることだ。僕にとって名前は最初で最後の愛しい人だけど、名前は違うから。マフィアでも殺し屋でも何でもない一般人の彼女は、マフィアの僕とは違う別の人と結ばれることが一番の幸せで、その為には、僕は汚れ役だって喜んで買って出る。


「…そうだよ。君は足手まといだ。役立たずなんだよ。だから、僕は――…」


我ながら、なんて酷い言い草だと思う。両手をきゅっと握り締める名前を見て、思わず「嘘だ」と叫びたくなった。瞳に浮かぶ涙を拭って、震える体を強く強く抱き締めたいと思った。だけど、


「君が嫌いだ」


胸の締め付けが、より一層強いものになった気がした。見開かれた名前の瞳が揺れている。どうしようもなく苦しくなって、顔を背けた。

でも、これで終わり。名前は普通の女の子として、僕はマフィアの幹部として、別々の道を生きていく。元から僕ら二人が結ばれるなんてあり得ないことだったんだ。遅かれ早かれ、別れる日は必ず来る。それが少し早まっただけ。いや、寧ろ今まで一緒にいれたことだって奇跡に近い。充分に幸せだったんだ、僕は。必死にそう言い聞かせて、無理矢理に納得させる。じゃないと、今にも決意が揺らいでしまいそうだった。


「………」


ああ、名前は今、どんな顔をしているだろう。泣いているだろうか。それとも愛想をつかして涙も出ないだろうか。どちらにしても、僕には振り返る権利なんて無さそうだ――…


『―――嘘です』

「!」

『嘘ですよ。雲雀さん、嘘ついてます』

「何を、…」


気付けば目の前にある、眉を吊り上げ口を一文字に結んだ不機嫌そうな名前の顔。僕の両頬には女の子らしい華奢な手が添えられていて、無理矢理に視線を合わせられているのだと気付いた。


『嘘なんてつかないでください!!!』


初めて見る名前の怒り顔。未だに涙を堪えている瞳は、潤みのおかげでぼんやりとしか僕の顔を捉えられていないだろう。


『自惚れかもしれないです。…でも、雲雀さん約束してくれました。ずっとわたしのこと大好きでいてくれるって』

「…名前」

『こんなこと言うの、鬱陶しいって、面倒くさい奴だって、分かってます…っ!でもっ、雲雀さんは、約束破んなくて、わたし、雲雀さん信じててっ…離れたくなくて、だい、すきっで、…』

「もういい…」

『わたし、雲雀さんと離れたくないっ…!!足手、まといだって…っ…、雲雀さんが、わたしの、ことっ心配して別れるって、言ってくれてるのも、分かる…。でも、わたし、雲雀さんがほんとに好きっ…で、だいすきでっ…あいして、る、から、わたし、わたしっ……っぅ、…』

「もういい…!名前」


胸の奥から溢れ出す思いを、これ以上、抑えることなど出来なかった。


『…ひばり、さ』


華奢な背中に腕を回して、頭まですっぽりと抱え込む。ぎゅう、と腕の力を込めてやれば、胸の辺りに小さな頭が乗っかる感触がした。

愛しい。愛しい。愛しい。頭から、胸の奥から、手のひらから、体全体から愛しさが溢れて、止まらなかった。どうしてこんなに愛しいんだとか、そんなことは分からないけど、ただ名前が愛しくて。僕は自分が思ってる以上に名前が好きなのだと、こんなにも好きなのに離れられるはずがないのだと、今更気付いた。


「名前…。付いてきてくれるかい?」

『っ、…はい!』

「マフィアがどんなものか知ってるよね?」

『わたしのことは…雲雀さんが守ってくれるって、信じてます』

「…そうだね」


―――そう。僕が守ってやればいい。守り抜いて、またこうして抱き締めてやればいい。そうすれば僕らはきっと、ずっと愛し合えるから。


『愛してます』

「ああ、僕も――…愛してる、名前」


そして僕は、最初で最後の愛しい人を抱き締める力を強めた。


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