月明かりを受けてぼんやりと光る刃に、今となっては見慣れてしまった赤い血がべっとりと付着していた。剣先が下ろされると、その血がひとしずく、ふたしずくと地面に転がっている肉塊に雨粒のように落ちる。肉塊の頭部であった場所には生気の無い白髪が生えており、開きっぱなしの目は異質なほどに鮮やかな赤色をしていた。

刀を持つ男は、ただ黙ってその死体を見下ろしていた。暗くて大して見えないが、身に付けた袴はさぞや返り血で汚れていることだろう。現場に駆け付けてきた土方は、目の前に広がる光景にぎり、と強く歯噛みをした。


(綱道さんの娘の時の二の舞じゃねえか…)


いや、二の舞どころではない。今回は羅刹を部外者に見られてしまった上、自分達を差し置いて始末までされてしまったのだ。確かにその羅刹は元々処分するつもりでいたが、問題はそこではない。


(問題なのは…)


それまで動かずにじっとしていた影が、不意にゆらりとこちらを振り返った。その瞬間、ぴり、と肌を刺す鋭い空気に思わず表情が険しくなる。


(問題なのは、こいつが、羅刹を殺しちまうほどの強さを持った奴だってことだ)


土方が素早く刀を抜き放ったのとほぼ同時、男がぐんと目の前に迫り逆袈裟に斬りかかってくる。受け止めたその手の骨があまりの衝撃に軋みを上げた。


「こいつ…っ」


土方は目を瞠った。無駄のない身のこなしに、急所を確実に狙ってくる、細身な体つきからはおおよそ想像もできない強い剣撃。何度も人を相手に真剣を交わせてきた土方には分かる。この者の剣はいくつもの命を奪ってきた人殺しの剣だ。けれど、そんなことは最初から分かっていた。何せこいつはあの羅刹を倒したのだ。そこらに五万といる、道場剣術に毛が生えた程度の実力しか持たない輩と同じであるはずがない。しかし、


(まだほんの、餓鬼じゃねえか)


血濡れた刀を握っていたのは、土方より一回り近くも年下の少年だった。下手をすれば新選組内でも最年少の部類に入る藤堂平助よりも若いかもしれない。まだ発達途中の細身な体躯にあどけなさの残る顔は、剣客集団である新選組の隊士達にもまったく引けを取らないその剣と、あまりにもちぐはぐであった。


「てめえは…何者だ」


土方の問いかけに口角をあげると、少年は黒い瞳を持った切れ長の目を野生の獣のようにぎらつかせた。


「僕が何者かなんてどうでもいいさ。君はここで、死ぬんだから」


その言葉を聞いた瞬間、土方の視界から少年の姿が消えた。


「!」


違う。消えたのではない。ほんの一瞬の隙を見計らい、素早く土方の横に回り込んだのだ。振り向き様に刀を振るう少年の姿を捉えるが、体がそれに追い付ききれない。


「っぐ、」


辛うじて剣撃は弾いたものの体勢が大きく崩れてしまう。そこに油断してくれるほど、少年は甘くはないようだった。休む間もなくやってきた刃から、先程片付けた羅刹のものであろう血液が土方の頬に飛び散った。


(なんて奴だ)


土方は眉間の皺を深くしながら心中で一人ごちる。さっきのだって、土方は隙など見せた覚えはなかった。命のやり取りの最中で集中を欠くことなどあろうものなら、今頃新選組の副長として生き残ってはいられまい。死地を何度もくぐり抜け、危機回避能力はこれでもかというほど培ってきたはずである。しかしそれでも生まれる、ほんのわずかな間。生理的に生じてしまう小さな小さな緩み。それを見極め動いたのだ、こいつは。しかもこんなに安々と。口で言うには簡単だが、そうそう出来ることではない。

脳裏を小生意気に笑う部下の姿が過る。こいつもまた、戦うことに関して天賦の才でも持っているのかもしれない。だとしたら、なんて胸糞の悪いことだろう。


「!」

「うらぁっ」


じりじりと追い詰められる形で家と家の間の細い路地まで誘い込むと、土方はもう一度少年に向かって斬りかかった。避けるだけの空間はなく、少年は当然といった風にそれを刀で受け止める。軽々と土方の刀をおさえてみせて、わずかばかりに表情を緩めた少年のその背後で、きらりと銀色の刃が光った。


「…!」


少年の立つ向こう側から投げつけられた小刀は、急所からは遠く逸れて左腕を掠めるだけに留めた。それでも案外傷は深かったのか、着物を割いた中から血が溢れ、ぼたぼたと地面に染みが作られていく。ここにきて初めて、少年は顔を険しくした。


「あーあぁ、はずしちゃった。残念」


ちっとも残念そうでない弾むような軽い調子の声が、土を踏む音とともにやってくる。上背の高いその男は、手に持った小刀の鞘をその場に捨て置くと腰に差した刀を抜き放った。少年の腕を切り裂きそのまま土方の体すれすれのところを通り過ぎた小刀が地面に落ちている。ひくり、と一度口元を引きつらせた土方はそれを投げた張本人をきつく睨みつけた。


「総司…。てめえ俺のことまで狙いやがったな」

「やだなあ、土方さん。土方さんなら避けられると思ったからこそですよ。信頼の証じゃないですか」

「お前からそんな証を貰った覚えはねぇよ」


悪態をつきつつ刀を握り直した土方は、今度は追い詰められる形ではなく少年の前に立ちはだかるようにそこに構えた。正面は土方、背後を沖田がおさえた細い路地。少年の退路は断った。大方追い詰めることができたが、しかし油断してやるつもりはない。


「ねぇ、土方さん。どうします?これ。殺しちゃいましょうか」


沖田の問いに、土方は考える。この少年に、生かしておく理由はあるのか。偶然新選組の秘密に触れてしまったこと、放っておけばいつそのことを口外してしまうか分からないということ。その点についてはあの日の雪村千鶴とそう変わりはない。違うのは、千鶴には綱道という秘密に関わっていた父がいたこと、そして少年には千鶴にはない抵抗できるだけの力があること。もしここでこの少年を取り逃がせば、いつ秘密が外に知れ渡るかも分からない上に少年を再び捕らえるのは困難だ。偶然羅刹と出会ってしまったせいで殺されるというのは気の毒で、良心が痛むといえば痛むが――。

それでも、生かしておくべきか殺すべきかを両天秤にかければ、どちらの方に傾くかは明白だった。


「…総司。殺すぞ」




君の目は、なんて冷たいのだろうか
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