春の夜のことだった。真夜中を過ぎ、おおよその人々は寝静まる時刻。月明りと、時折見かける風体の悪い酔っ払いが持つ提灯だけが照らす京の街並みはどこか不気味さを帯びていた。木造の家々が、冬の名残りがある冷えた風を受けてごどごどと音をたてる。


「どけ」


色街帰りで、白粉の匂いを纏った千鳥足の男を誰かが突き飛ばした。不機嫌そうに顔を上げて男は声を荒げようとしたが、寸前のところで踏みとどまる。


「探せ」

「なんとしても見つけ出せ」


酔っ払い男のことなど見向きもせず、焦ったようにその人物は指示を出していた。深く酔っていた男はそれまで気付かなかったが、何やら数人の集団が明かりも灯さずにあちらこちらを走り回っている。どの者も身に付ける着物は手の込んだ装飾が上品に添えられた、少なくとも男が着ている着流しよりもずっと高価なものだった。どう見ても町人のような身なりではない。明らかに自分よりも上の身分の人達だった。彼らの切迫が詰まったような面持ちに、男は酔っ払いなりにただならぬものを感じてそそくさと身を引く。


「――決して、若様を取り逃がしてはならぬぞ」



 ◇



「なんでしょうね。こんな月が綺麗な夜は、何かが起きそうだ」

「もう起こってんだろうが。ちんたらしてねぇでとっとと探せ」

「はいはい。…それじゃあ僕はこっちに行きますから、土方さんは奴に会ってもせいぜい死なないように頑張ってくださいよ」

「…うるせえ」


夜の暗闇の中を真昼の空のような浅葱色が動く。長い黒髪を一つに束ね、眉間に深く皺を寄せた土方歳三は辺りに注意深く目を光らせた。別れて"奴"を探しに行った生意気な部下に舌打ちをしつつ、自分もまた探しものを見つけるべく走り出す。


(…なんだ?)


しかし土方が見つけたものは自分が探していたものではなく、灯りも無いままにこそこそと何かを探す妙な連中だった(もっとも、人目に付かないように何かを探しているのは土方も同じだが)。物影に隠れ、様子を伺う。――もしや、彼らも同じものを探しているのではないか。嫌な考えが頭を過るが、どうやら違うらしい。彼らはしきりに若様、若様と口にしていた。見るに、どこかの商家の若旦那を探しているようである。が、安心もできない。これだけ町に人がいては、"奴"の存在が自分達以外の者に露呈してしまうかもしれないのだ。それだけは是が非でも避けなければならない。


「…ちっ」


腹立たしさを乗せた舌打ちを土方がした、ちょうどその時だった。常人があげるには些か不自然な叫びが、わりに近い通りの方から聞こえてきた。なんだ、とそちらの方角に目を向けた例の連中達に、土方はそれ見たことかとさらにきつく舌打ちをする。あの叫びは間違いようもなく、土方達の探しものである『羅刹』のものだった。


「不逞の輩かもしれぬので、私が様子を見に行く。斬り合いになった場合に誤って斬ってしまうといけないから、決して近づかぬように」


物陰から出てきて彼らにそう告げると、土方は浅葱色の羽織を翻して駆け出した。京では壬生狼と恐れられる新選組の脅しは多少なりとも効いているはずだが、それでいつまでも足止めをできるとは思えない。脱走した上に、あんな叫びをあげていた羅刹が正気を保っているとは考えにくいから、やはり奴のことは始末しなければならないだろう。騒ぎになる前に、早急に、済ませなければ。


――グギャアアアッ


聞こえた断末魔にも似た悲痛な叫びに、土方ははっと目を見開いた。総司が、先に見つけたのだろうか。確かあいつは、こことは逆の方角へ向かったはずだったが…。嫌な胸騒ぎを感じて、土方は現場へと向かう足を速める。


『こんな月が綺麗な夜は、何かが起きそうだ』


勘弁してくれと、土方は思う。既に身に余るほどの面倒を背負っているのだ。普段はあてになどしないどこにいるかも分からない神仏に、この時ばかりは縋りたくなった。これ以上、厄介事を増やされては堪らない。そう思いつつ、頭のどこかで彼の勘が教えていた。これから出くわすことになるのは、大層に面倒な厄介事であると。




君の終わりが僕の始まり
140516
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