ｊｕｎｋ
私はバスケが大好きだった。
小さい頃から体を動かすのが好きで、ミニバスのクラブに通うようになりバスケの楽しさを知ったのが小学生の時。ボールの感触、バッシュのスキール音、ネットをくぐる音、そのどれもが体に馴染むようで、たまらなくバスケが好きになった。好きで好きで、たくさん練習して、ぐんぐん力が伸びていく。それが嬉しくてまた練習して、結果が出て、その繰り返し。学校を終えたら誰よりも早く体育館に行ってボールを手に取り、時には男の子に混じってストバスを楽しんで、そんな私を見ては｢あなたは本当にバスケが好きなのね｣なんて母が笑う。後に同じ中学に通うことになる赤司と青峰に出会ったのは、ちょうどこの時期だった。
小学六年生の私は、ジュニアのバスケ界でちょっとした有名人になっていた。男の子にも負けない、周りよりも群を抜いて強い私。唯一私と渡り合えたのは男子のミニバスチームにいた赤司と、よく一緒にストバスをやっていた青峰だけ。当時は十年に一人の天才児だとはやし立てられていたけど、今思えばなんて皮肉な言葉なんだろう。
中学、当然のように女子バスケ部に入った。が、すぐに辞めてしまった。その学校は男子バスケ部の強豪校として有名だったけど、女子もそれなりの成績を残している。けれどなんだかあまり楽しむことが出来なかったのだ。退部してすぐ、私は男子バスケ部にマネージャーという名目で入った。しかし実際は男子と一緒にバスケをしていた。もちろん試合に出ることはできないが、練習でも強い男子とバスケをやるのは楽しかったからそれで良かった。前から仲が良かった赤司と青峰に加え、緑間や紫原に灰崎(こいつはちょっと気にくわない奴ではあったが)等、いろんな強い奴と戦えて一年の時はそれなりに充実していた。
軋みを感じたのは、進級する少し前だった。春休み、部活の時間に青峰と二人で１on１をすることになった。彼とやるのは久し振りで、どれぐらい強くなっただろうと期待に胸が膨らむ。それはきっと青峰も同じだった。強い奴と戦うこと、それが何よりも楽しくて私達はバスケをやっていたのだから。けれど、その日私は青峰に惨敗した。小学生時代から何度も青峰と１on１をしてきて負けたことも勿論あったけど、ここまで圧倒的に力の差を見せつけられたのは初めてだった。近くで対面した時の体格差に、違和感を覚えたのはほんの序章で。パワー、スピード、アジリティ、全てにおいて桁外れ。ボールを奪うことも守ることもできず、シュートされれば為すすべもなく立ち尽くすだけだった。あまりにも今までと違ったから、青峰も私もたまたま調子が悪かっただけだろうと思っていた。けど、次の日もその次の日も、何度やっても結果は同じだった。
『あー…お前、そんな弱かったっけ』
頭をボリボリと掻きながら、明後日の方向を向いて青峰が言う。私も同じ気持ちだった。どうしてこんなに弱いんだろう、今まではこんなことなかったのに。わけがわからなくて、悔しくて、私はより一層練習に励むようになった。
二年生になり、赤司を始めとした四人は十年に一人の天才、キセキの世代と称されるようになる。中学生になる前、私が呼ばれていた二つ名だった。それから間もなくバスケ部に同学年で同クラスのモデルで有名な黄瀬が入ってきた。彼はバスケを始めたばかりだというのにみるみるうちに成長して、あっという間に一軍入りを果たしてみせた逸材だ。若干うざいとこもあるが嫌いになれない良い奴、私もそれなりに仲良くしていたけど、いつからか上手く会話をすることができなくなった。なんで、こいつは、こんなに強いの。私の方が、もっと頑張ってるのに。青峰と１on１をする黄瀬は、勝つことはなかったがとても良い勝負をしていて。私の今までの努力が、全て踏み潰されたような気がした。
どんなに練習しても、どんなに頑張っても、彼らとの実力差は埋まらなかった。それどころか、どんどん距離は開くばかり。中二の全中を境に青峰の実力はさらに開花し、それを追うように他のキセキの世代も常人では到達しえない域にまで才能を伸ばしていった。もう気付いていた、けど気付きたくなかった。彼らとの間に、途方も無いほど高く決して越えられない壁があるということに。もう昔のように、肩を並べて戦うことは叶わないのだ。分かっていながらも、縋るように練習を続けていた。
気付けば、青峰は部活に来なくなっていた。緑間は試合中に笑みを見せることがなくなった。黄瀬も紫原もつまらなさそうにバスケをするようになった。赤司は、冷たい目をするようになった。
『…名前。これからもバスケを続けていたいなら、もう女子の方に戻れ』
君はもう、僕らには必要ないんだ。前とは違う口調で赤司が言う。私は俯くことしかできなかった。その日、退部届けを提出した。既に中三となっていた為、女子バスケ部に戻ることもなかった。
ボールの感触、バッシュのスキール音、ネットをくぐる音、そのどれもが体に馴染むようで、たまらなくバスケが好きだった。けれど、知ってしまった。どうしたって手が届くことのない、神様に愛された人達がいること。もしも男だったなら、私はあの人達の隣に立てただろうか。そんなことを考えては、馬鹿みたいだと自嘲する。たらればの話なんてしても無駄なだけ。生まれ落ちた瞬間から、勝者は決まっていたのだ。そのことに気付いた今、私は一体何の為に頑張れば良いのか。もはや悔しさを感じることもなく、ただただ悲しかった。ボールを地面に叩きつければ、バンッとドリブルした時よりも大きな音が響く。そのまま遠くに転がっていくそれに、どうしようもない虚しさを覚えた。
「楽しいだけじゃ駄目なんですか」
夕暮れ時の薄暗いストバスのコートに、決して大きくはないが凛とした声が響き渡った。はっとして顔を上げれば、同じバスケ部にいた淡い色の髪を揺らす彼がいて。さっき手放したボールをゆっくりと拾い上げると、その人は声と同じ真っ直ぐな視線で私を射抜いた。
「好きなだけじゃ、駄目なんですか」
何故だか、その言葉は彼が自分自身にも言い聞かせているように聞こえた。そして気付く。ああ、この人も私と同じだったんだっけ。天才の背中を追うばかりの多く者達の中で、誰よりもその辛さを知っている人。
楽しいから。好きだから。最初はそれだけで始めたバスケだった。小学生の頃からバスケが楽しくてしょうがなくて、男の子に混じってバスケ三昧の日々を送っていた。けれど才能の差を知って、彼らに追いつかなければと必死になって練習した。その分だけ力は上がったけどやはり追いつくことはなくて、バスケがちっとも面白くなくて、苦しくて苦しくて、ボールの感触もバッシュのスキール音もネットをくぐる音も全部全部嫌になった。
――それでもこうしてボールを持ってコートに来てしまった私は、やっぱり馬鹿みたいにバスケが大好きなんだ。
「苗字さん。バスケ、やりませんか」
黒子のその言葉に、私はぼろぼろと涙を流しながら頷いた。
奇跡に埋もれた橙の話≪｜≫