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(ノーマルED後)


ある、春の日のこと。一人の年老いた女性が、家の縁側に腰かけ静かな眼差しを庭先に向けていた。その背中は細く、酷く弱々しくて――…。穏やかな風が、長く伸びた白髪を揺らした。


「おばあちゃん!」


快活な声が聞こえて、老婆はそっと背後を振り返った。そこには見慣れた少女がいて、不機嫌そうな表情で腰に手をあて仁王立ちしていた。


「もう、またそんな薄着で外に出て!春になったとはいえ、風邪ひいちゃうわ」


ぷりぷりと怒りながらも淡い色の羽織を着せてくれる少女に、老婆は優しく微笑んだ。年老いてなお美しいその表情は、彼女の心を映しているのか。少女は、先程まで老婆が見つめていたそれに視線を移した。


「また、桜を見ていたの?千鶴ばあちゃん」

「…ええ」


千鶴は、毎年この季節になるとこうして飽きもせずに桜木を眺める。目と鼻の先に幹があるはずなのに、どこかずっとずっと遠くを見るように。見えない壁でもあるのか、彼女は縁側に座したままそこに近付こうとしなかった。


「(もう座っているのも辛いはずなのに――)」


泣きそうな顔で桜を見つめ続ける千鶴に、部屋に戻って横になっていろとも言えず。せめて体を冷やしてしまわぬように、少女は温かい茶を淹れてやろうとその場を離れた。


「…う…っげほ、」


不意に強烈な吐き気に見舞われた千鶴は、咄嗟に口元に手をあてた。瞬く間に赤く染まる白い肌をぼんやりと眺めながらも、激しい咳と喀血は止まらない。もう幾度となく繰り返してきて日に日に血の量は増えるばかりだったが、今日は特別酷いのではないか。


「はあ、はぁ…っ」


千鶴は労咳を患っていた。発症しているのに気付いてから、もう数年が経つ。苦しい咳をする度に、あの剣士を思い出すことは少なくなかった。胸を強く押さえながら千鶴は再び桜を仰ぎ見る。散りゆく花弁を見る度、脳裏を駆ける大切な人達の姿。


『総司!!そいつを返しやがれッ!』

『嫌ですよ。こんな面白い句集なんだから大きな声で朗読してあげなきゃ』

『…総司。副長を困らせるなと何度も言っているだろう』

『ったく、二人とも毎回よくやるよなー』

『ありゃ一生続きそうだもんな。仲が良いんだか悪いんだか…』


人を斬りながら生きる彼らは怖いと思っていた。けれど共に暮らしていくうちに、その心の暖かさを知った。魂の強さを知った。辛いこともたくさんあったけれど、京で過ごした日々は何よりも愛しい時間だった。

桜の花弁が風に吹かれ散り散りになってしまうように、新選組も今は跡形も無く消えてしまった。それがどうしようもなく悲しくて、切なくて。けれどせめて彼らが宿した誠の魂だけでも、彼らを知っている自分が受け継いでいきたくて、病に体を蝕まれながらもしがみつくように生きてきた。

――はらり、千鶴の膝元に薄紅の花弁が舞い降りる。目を伏せれば、頬を冷たい雫が伝った。


「千鶴ちゃん」


千鶴ははっと目を見開いた。今の声は、私を呼んだのは、誰?ちがう、分かっているはずだ。最後に聞いたのはもうだいぶ昔だけれど、彼らの声を一度たりとも忘れたことはない。おそるおそる顔を上げる。瞳に映ったのは、何度も夢に見た姿だった。


「あーっ!おい、総司が驚かすから千鶴泣いちゃったじゃん!」

「え?平助、僕のせいにするの?千鶴ちゃん僕が声をかける前から泣いてたと思うけど」


なんで、どうして。頭が混乱して上手く考えが回らない。彼らはもう、この世界にいないはずの人達なのに…。涙ばかりがぼろぼろと溢れて、顔が熱くなる。先程とは違う意味で、胸が苦しかった。


「千鶴、今までよく頑張ったな」

「原田、さんっ…」

「あんたは、十分に務めを果たしてくれた。もう楽になっても良いはずだ」

「斎藤さ…っ」


二人の言葉に悟った。この人達は自分を迎えにきてくれたのだと。ずっと見守ってくれていたのだと。湧き出る想いがぐちゃぐちゃになって、なかなか言葉にならない。どうにか口を出た声も、酷く情けないものだった。


「私も、もう…そちらにいってもよろしいんですか…?」


その問いに、皆の笑顔が答えてくれる。私を待っていてくれる。ああ、やっと、いけるんだ。

ずっと、その背中を必死になって追いかけていた。けれど走っても走っても追いつくことはできなくて。もう、私の手も声も届かないずっと遠くに行ってしまったと思っていた。でも貴方達は、最初から私を置いていくつもりなんてなかったんですね。


「いつまで泣いてるんだ?…ほら」

「っ…」


大きな手を差し伸べてくれる土方さん。ぶっきらぼうな口調だけど、その表情は優しげで、変わらないと思った。土方さんだけじゃない。皆、京にいた頃と全く同じ。それがとても嬉しくて、また一粒の涙がこぼれ落ちた。


『千鶴』


懐かしい声に呼ばれて、そっと立ち上がる。満面の笑みを浮かべ、千鶴もまたあの時と同じ姿で桜の木の下に集う愛しい人達の元へ駆け出した。




















「おばあちゃん?」


眠る老婆の表情は、穏やかだった。

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