片目の来訪者


「………」


ずっと握ったままだった鉛筆を、雲雀は落とすようにしてデスクに置く。そのデスクには、目を通したプリントやら日誌やらが大量に積まれていた。…もう、こんなに仕事したんだ。ふぅっと小さく溜息をこぼして、椅子の背凭れに体を預ける。少し休もう。それで、起きたら見回りに行くんだ。疲れきった体に鞭を打って、そっと立ち上がる。ソファで寝たほうが気持ち良い。あぁ、屋上にしようかな。フラフラと歩きながら、何気なく窓の外を見る。今は授業中で、校庭には誰もいない。いるとしたら、遅刻やサボリをしている生徒だろう。そういう奴はあとで咬み殺して――…いや、今はそんな事どうでも良い。とりあえず体を休める方が先だ。そう思い至って、窓から視線を外す。


「…ん」


今、何かが視界に入った。もう一度、視線を窓の外に向ける。女だ。女が、校門から校内に入っていってる。…あれは、黒曜中の制服?


「はぁ…」


不法侵入者をこの目で見てしまった以上、見逃すわけにはいかない。これから寝るつもりだったのに。なんてタイミングが悪いんだろう。


「…咬み殺す」


運が悪いね、不法侵入者。僕の機嫌を損ねたうえに、黒曜中だなんて。前に赤ん坊がアイツ…六道骸はどこかの牢獄に連れていかれたって聞いたから、別人なんだろうけど。…でも、黒曜は大嫌いだ…!


「………」


愛用のトンファーを構えて応接室を出る。不法侵入者を咬み殺したら、絶対に寝よう。



 ◇



「…いた」


昇降口付近に見えた、深緑色の制服。上も下も制服の丈がかなり短い。並中なら校則違反だ。顔は物陰に隠れて見えないけど、さっきの奴に間違いない。


「ねぇ、君…」

「!」


黒曜の生徒の女が、バッと振り向いた。丸い大きな瞳が、大袈裟なまでに見開かれる。


「………」

「………」


ギザギザとした分け目。頭部から出る、フサフサの髪。特徴的な髪型に、ふつふつと怒りが湧いて出た。


「…雲の人」

「僕はそんな変な名前じゃないよ」

「………」


黙り込んでしまった黒曜の女は、もじもじとした様子で俯いてしまった。この女…そういえば前に見た気がする。学校で黒ずくめの奴らと戦った時にいた――…名前は忘れた。


「…君、不法侵入は許さないよ。出て行かないと咬み殺す」


最初は絶対に咬み殺すつもりだったけど、この女は弱そうだし、咬み殺しがいがない。それに、よく考えてみれば寝る方が優先だ。


「あの…」

「…」

「私、ボスを探してて…」


さっき言ったこと、聞こえていなかったのだろうか。僕の言葉は完全にスルーして、途切れ途切れに言葉を紡ぐ女。…ちょっと、ムカついた。


「ボスの教室って…どこにある…?」


そもそも「ボス」って誰?知らない奴の教室を聞かれたって分かるはずがない。ああ、もう…面倒くさい。いっそ咬み殺してしまおう。トンファーを取り出して、チャキッと構える。その様子が見えてるのかいないのか、女はぼーっと突っ立ったまま。頭を殴れば、一発で気絶してくれるだろうか。そんな事を考えていると、不意に、後から声がかかった。


「おい、ヒバリ」

「…赤ん坊」


後に立っていたのは、真っ黒なスーツに身を包んだ赤ん坊。いつの間にここまで近づいていたのだろう。やはり、彼は面白い。


「そいつをツナの教室まで連れて行ってやれ」

「嫌だよ。何で僕がそんな事、」

「骸とまた戦えるかもしれねーぞ」

「…はぁ」


赤ん坊はニッと笑ってその場を去っていった。…まったく、いつになったら僕は寝ることができるんだろう。


「………」

「………」


歩いている間は、ひたすら無言。そもそも、彼女自身に喋る気がないのだから当たり前だろう。え、僕?…馬鹿じゃないの。僕は他人と群れる気はないよ。


「…」


ちょこちょこと付いてくる女をちらりと見れば、見えたのはあの不愉快な髪型。六道骸の知り合い?妹か何か?…どうでもいいや。六道骸と知り合いだとしても、こいつは六道骸じゃない。他人になんか興味はないんだ。


「…何」


ぼそり。女が呟くように言う。どうやら、彼女のことを見つめすぎていたようだ。


「何でもないよ」

「………」


また沈黙に入る。そういえば、どうして彼女は眼帯なんかしてるんだろう。右目を覆い隠しているそれは、彼女の幼い顔にはあまりにも不釣合いで、違和感を感じた。


「(右目…)」


六道骸の右目を思い出す。不気味な紅色に「六」の文字が浮かんだ瞳。あれを見た時、認めたくはないが微かに恐怖を感じたのを今でも覚えている。彼女の眼帯の裏にあるであろう目と、六道骸の目がどこか重なったように見えた。


「私の顔、何か付いてる…?」


不審を感じているような視線で、彼女は僕を見た。ああ、また見つめすぎてしまった。


「別に。…ここ、草食動物の教室だよ」

「…ありがと」


小さな声で、女が言う。かろうじてそれを聞き取って、踵を返す。すると、不意に羽織っていた学ランの裾がぐいんと引っ張られた。


「まだ何か用?」

「…これ。案内してくれたお礼」


そう言って彼女が押し付けてきたのは、可愛らしくラッピングされた小さな包み。ぺこりと小さくお辞儀をすると、彼女は授業中の教室に堂々と入っていった。…非常識な女だね。まぁ、僕も人の事を言えた身でもないけど。今度こそ応接室に戻ろうともう一度踵を返した瞬間、大きな叫び声が女が入った教室から聞こえた。


「なぁっ!!なんでクロームがいるの――!!?」


応接室に戻ると、ソファに倒れ込むようにして座った。ああ、やっと寝れる。はやく寝よう。そっと瞼を閉じる。眠りの世界はすぐそこにまで迫っていた。


「………」


眠る直前、彼女にもらった包みを開けた。包みの中から香る香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。包みを手の上で逆さまにひっくり返せば、中から出てきたのは一口サイズのクッキーだった。


「…」


クッキーをぱくりと口の中に放り込む。眠気が味覚を勝って味なんて全然分からなかったけど、なんだか心地良い。ごくりと飲み込んだ瞬間には、意識はどこかに飛んでいってしまっていた。



 ◇



「ボス…これ、受け取って」

「何これ?」


さっき雲の人にもあげた包みと同じものを、ボスに渡す。周りにいた獄寺隼人…と、山本武にも配った。ふっと辺りを見れば、たくさんの人がこっちを見ていて驚いた。あ…今は授業中だったんだ。


「クッキー?これ、クロームが作ったの?」

「昨日…犬がクッキー食べたいって言い出して、千種が困ってたから作った。これは、その余り…だから、お裾分け」

「へぇ…クロームが作ったんだ!ありがとう、クローム」

「…私、もう帰る。…さよなら」

「うん。バイバイ!」


ボスがニコニコと笑いながら手を振った。それにつられて、私も小さく手を振る。獄寺隼人は不機嫌そうに舌打ち。山本武はボスよりも大きく手を振ってくれていた。教室を出ると、廊下はすごく静かだった。


「………」


そういえば、雲の人…ちょっと怖かった。ずっと見つめられていた気がする。やっぱり、私の顔に何か付いているんじゃ…。そう思って、顔をごしごしと擦る。…もう大丈夫かな。


「…」


ふと、クッキーを渡した時に見た雲の人の瞳を思い出した。意志が強そうな、真っ直ぐな瞳。骸様とよく似ている――…けど、どこか違う。不思議な瞳だった。今度また会う機会があったら、もう一度よく見てみよう。そんな事をひっそりと誓って並盛中を出る。

――ある、晴れた日の出来事だった。






片目の来訪者
似た者同士なのか 違うのか
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