二人だけの幻想


「骸様…」


元複合娯楽施設であった廃墟に佇む、一人の少女。隣には、先が三つに分かれた槍が壁に立てかけられていた。


「会いたい…骸様に…」


お願いです。私を、骸様に会わせてください。ぎゅっと手を握りながら、少女――…クローム髑髏は祈り続けた。


「………」


どんなに心の中で願っても、骸様は出てこない。胸が締め付けられるような、変な感覚をクロームは覚えた。


「骸様…骸様……」


まるで依存してしまったかのように、クロームはその名を繰り返し呟いていた。名前の主は、六道骸。彼は、今ここにはいない。ずっと遠くの場所に囚われているのだ。簡単には会えない、鉄壁の牢獄に。クロームは、そんな骸に救われた。身体も、心も。すべてを骸は救ってくれた。だからクロームは骸に恩返しをするために、骸に自分の人生を捧げた。クロームの命は骸のもの。骸のためならば、何だってやる。たとえ会うことが出来なくても、ずっと骸のために生きていく。そう誓った。だけど――…


「辛いです。骸様…」


会えないのが、辛い。クロームの心に芽生えたのは、骸を想う気持ち。どういった種類のものなのかは分からない。だけど、それは確実にクロームを蝕んでいった。そして、いつからかクロームは骸に会いたいと思うようになっていた。幻覚でも、有幻覚でもない。本物の骸に。


「………」


クロームの頬に伝うのは、涙。それはキラキラと輝きながら、地面にポツリポツリと落ちていった。いつか、会うことができるのだろうか。会うより前に、見捨てられるのではないのだろうか。もやもやと濁った思考が、クロームの中で蠢いている。クロームは、そっと目を閉じた。



―――……ム…僕の…クローム……――


「…むくろ…さま?」


花畑。小さな湖。空を舞う蝶。うっすらと霧がかかったようなその場所に、クロームは見覚えがあった。


「ここは…」

「貴方が僕に会いたいと願ったんでしょう?」

「…!」


目の前に立っているのは、誰よりも大切な人。その姿を瞳に映した瞬間、視界が潤んだ。


「骸様…会いたかった……」

「クフフフ…僕もですよ、クローム。いや、ここでは凪と言うべきですね」


凪とは、クロームの本名だった。骸に出会う前のクロームの名前。二人きりの時にだけ、骸はいつもこの名でクロームを呼んでいた。


「…骸様、凪はもう死にました。私はクローム。クローム髑髏」

「そう言わないでください。僕は君の本当の名前が好きですよ」

「………」

「おや、少し機嫌を悪くしてしまったようですね」

「いえ、気にしていません」

「そうですか?」

「…はい」


クロームは、その名で呼ばれるといつも動揺してしまう。何故だかは分からないけど、骸に呼ばれると胸の辺りがおかしく感じるのだ。


「凪。君は僕に会いたがっていたようですが、何かあったのですか?」

「…いいえ。何もありません。ただ…」

「ただ?」

「私、おかしい…最近、本物の骸様に会いたいと思うようになって…」

「ほう…」


骸が、見下ろすようにしてクロームを見る。その視線に、クロームはびくりと肩を震わせた。


「ご、ごめんなさい!私、やっぱり変…」


慌てて言葉を探すクロームの頭に、ぽふんと何かが乗せられた。


「骸様?」

「クフフ…嬉しいことを言ってくれますね。凪」


優しく、クロームの頭を撫でる骸。そんな骸に、クロームの頬が少しだけ赤く染まった。


「僕もおまえと会いたいですよ。凪」

「え…っ」


はっとした様子で、クロームが顔を上げる。丸く大きな瞳に映るのは、綺麗に整った骸の顔。まるで吸い込まれてしまったように、クロームは視線を外すことが出来なくなった。


「でも、今は会えませんね。僕は牢獄の中にいますから」

「………」

「いつか、おまえと会える日を楽しみにしていますよ。凪」

「骸様…」


ス…と、骸の手がクロームの頬に触れた。


「凪…」


骸の顔が、これでもかという程に近くにある。ドキドキと心臓が高鳴って、顔が熱い。


「実際に会うことはできません。ですが、僕とおまえはこうして交わることができる」

「むく…っ」


唇に、柔らかな感触。骸様のぬくもりを感じる――…なんて、心地良い――… 


「…ぁ」


気付けば、周りの景色は薄汚れた廃墟に戻っていた。変わらず、先が三つに分かれた槍も隣にあって、その矛先が鈍く光っていた。


――凪。


「!」


僕はいつでもここにいます。


「…」


また、寂しくなったら来るんですよ。良いですね?


「はい…!」


また、会える。大好きで、大切な人と。二人きりの、あの場所で。


「………」


こうして、クロームは骸に溺れていった。もう、戻れない。クロームは、本当に骸のものとなったのだ。


「また会いましょう、凪。二人だけで、また…」


霧に包まれた男は、小さく呟いた。その表情はどこか奇妙に歪んでいて。それでいて、儚くも見えた。






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