赤s1cк яぇcォrド


※タイトル及び本文に登場する一部の単語は演出上、文字化けのような表現にしています。


 これは20××年5月1日、神道愛之介が18歳の誕生日に体験した出来事である。
 彼は通学時、送迎車を利用していた。しかし今日は気分転換として徒歩で帰宅することを望み、送迎車を帰らせた。アスファルト舗装道をゆっくり歩き、街の景色や雰囲気を味わう。車窓から通学路を眺めていることが多かった愛之介にとって、それは新鮮な体験だったといえた。

「今日はいつもと違うルートで帰るか。」

 すこしばかり冒険心が芽生えた愛之介は、帰宅ルートを変更して裏通りへと進んでいった。繁栄を競うかのように並ぶビル。その隙間の細い路地へと何気なく視線を巡らせた、瞬間。
 『行かなくてはいけない』という強烈な欲求、強迫観念のようなものに彼は襲われた。時間が経つにつれ、進みたいという強い欲求に支配されていく。焦れた愛之介はとうとう欲求のままに、その道に足を踏み入れてしまった。
 細い道を抜けると、薄暗く寂れた雰囲気の商店街が彼を出迎えた。前方から黒いスーツを着た男女が歩いてくる。距離が縮まるにつれて、女の方の声が聞こえてきた。

「そろそろ今のが壊れそう。でも、とてもいいのが見つかってよかった。替え時だったから。」

 家電か何かの話だろうか、と愛之介は感じた。
 彼が女の右隣を通過しようとした瞬間、奇妙な言葉が聞こえてきた。

「赤s1cк яぇcォrd」

 機械音声が平坦に発音したような、奇妙な響き。愛之介は驚きのあまり、視線をそちらに向けた。すると信じがたい光景が広がっていた。
 女の隣にいた黒髪の黒服姿の男がぐにゃりと変形し、肉体が質量保存の法則を無視して、再構築されていく。生成されたのは黒い薄型の長方形。
 人が変形するという信じがたい現象を、愛之介は目の当たりにした。女は薄型の長方形の物体を手に取り、操作しながら独り言を呟いた。

「死nd0ゥ n0зкЕ……シンドウアイノスケ……神道愛之介。18歳……5月2日#事故死。生存я0utЕ構築……18歳……アメリカ単身留学……22歳……大学首席卒業……26歳……国会議員選出……27歳……結婚……28歳……赤s1cк яぇcォrd」

 不気味な未来予知のような言葉の羅列に、愛之介は一瞬で恐慌状態に陥った。
 その黒服姿の女は、愛之介の方を向いて話しかけてきた。どこまでも無機質かつ平坦な声で。

「神道愛之介。明日dieぬкA、幸福な10年をaliveきて過ごsh 、赤s1cк яぇcォrdになるか。どchiらがぃイ?」

 何か答えなくては、次の瞬間に想像を絶するような恐ろしいことが降りかかる。それだけは確かだった。
 絶望的な恐怖の淵に立たされながらも、愛之介は言葉を発した。

「死にたくない、」

 これ以降、愛之介の記憶はカットされたフィルムのように途切れている。彼は女の容姿も声も忘れたが、不吉な予言だけは脳裏に執拗に焼きついた。



 愛之介の人生は奇妙な女と出遭ってから、一変した。
 まずアメリカ留学のために乗るはずだった、5月2日の朝一番のNY行きの便。彼はなぜかまったく乗る気になれず、わざわざキャンセルして次の便にした。すると乗る予定だった便は整備不良で飛行中に空中分解、搭乗者は乗客と乗組員を含め全員死亡という、悲惨な航空機事故を起こした。

『18歳……5月2日#事故死。』

 女は最初にそう予言していた。あの便に乗っていたら確実に死んでいた。その事実に氷塊を全身に抱かされたような、ぞっとするような思いを彼は抱いた。

「……偶然だ。偶然でしかありえない。」

 愛之介の人生は女の予言した通り、恐ろしいほど順調に進んでいった。アメリカに4年間留学し、22歳の時に大学を首席で卒業。26歳の時に選挙で国家議員に選出され、27歳の時には最愛の女性と結婚した。
 "S"を創設した彼は、愛抱夢として多くのスケーターを"愛した"。中には大怪我したスケーターもいたが、裁判沙汰にも騒動にもならない。鉱山の極秘レースは規模が日々大きくなっているのにも関わらず、不思議なくらい秘密が徹底されていた。
 政治家としての裏金帳簿の問題、先輩議員に強いられた片棒担ぎ、すべてが労せず解決していった。恐ろしいほどの力が、愛之介のために働いているようだった。

「……あの女だ。あの女が僕に言ったこと、それだけが気がかりだ。」
 
 愛之介は社会的な成功を収め、プライベートも充実していながらも、あの予言のために常に不安がつきまとっていた。

『神道愛之介。明日dieぬкA、幸福な10年をaliveきて過ごsh 、赤s1cк яぇcォrdになるか。どchiらがぃイ?』

 明日死ぬか、幸福な10年を生きて過ごすか。そこまでは彼には分かったが、赤s1cк яぇcォrdになるということだけが分からなかったのである。
 1週間後の5月1日に愛之介は28歳となる。早急に手を打たなくてはならない、と彼は危機意識と焦燥に満ちていた。完全に行き詰まっていたが、唯一の手かがりである赤s1cк яぇcォrdを可能な限り、言語化していく。

「アカ……ク、レコ……ド……まったく意味がわからないな。」

 彼は大して期待せずに、サーチエンジンの検索欄に自分が聞き取れた言葉を入れて検索した。すると優秀な電脳世界は、途切れた言葉の羅列からでも予測し、情報を提示した。

『もしかして:アカシックレコード』

 愛之介は興味本位のままにクリックした。記事が表示され、彼は水が砂をむさぼるように目を通していった。

『宇宙開闢以来、すべての事象、想念、感情が記録されているというデータベース。アカーシャクロニクル。記憶領域。』
『宗教では神の記述、無限の記録、図書館とされる。書かれている記述はすべて確定事項であり、絶対に発生する。例外はない。』

 世に起こりうる全てのことが記録されたデータベース。それがアカシックレコード。科学的根拠のないオカルト的な概念だが、愛之介は納得してしまった。
 あの女は予言したのではない。アカシックレコードに記述され、確定された未来を読み上げていただけと考えれば辻褄が合ってしまうのだと。
 愛之介が神経を張り詰めて活字を追っていると、入室を告げるノック音がした。その音は心臓の鼓動を飛躍的に加速させた。彼はこれが恐怖映画なら非常に危険なシーンだとまで想像を巡らせたが、入室を許可した。

「愛之介さん、お茶にしませんか?」

 扉から出てきたのは不気味な女ではなく、妻の名前だった。27歳の時に結婚して以降、ずっと愛之介を支えてきた献身的で良き妻だ。
 彼女は15時過ぎに菓子や珈琲を持って、愛之介のもとを訪れる。本日も例外なく来た彼女は、手際良く茶会の準備をしていく。

「あなた、どうしたんです?そんな怖い顔をされて。」
「……いや、何でもない。」

 愛之介は努めて愛想良く微笑んだが、この妻は不満だったらしい。茶菓子を用意する動作を止め、正面から見据えて告げた。

「……もし何か悩んでいらしたら、出来るかぎり力になりますから。」

 名前の誠実な表情と声に、愛之介は胸を打たれた。1年足らずの短い期間でありながら、名前とは様々な困難を乗り越えてきた実績があった。政治家としての課題や叔母たちとの交流、辛苦を舐めさせられることも少なくはなかった。
 愛之介は培ってきた信頼と愛情ゆえに、妻にはあの予言のことをずっと話せなかった。しかし、彼女と一緒なら解決するかもしれない。そんな一縷の望みを抱き、彼は話すことにした。

「名前。実は聞いてほしいことがある。……僕のこれからの人生に関わる、重要な話だ。」

 真摯に頷く妻に、愛之介はすべてを話した。10年前の出来事、そしてアカシックレコードのことを。



「信じがたい話だけど、……私と結婚することもすべてその予言通りだった。そういうことよね。」
「ああ。」

 一通りの話を聞いた名前は理解が早く、すぐに状況を把握した。彼女はしばらく考えていたが、やがて自ら話題を提供した。

「アカシア紀というものを、愛之介さんは知ってる?」
「いや、知らないな。」
「それにアカシックレコードって単語が出てきて……ええと、これかな。」

 名前は茶菓子を入れていた鞄から薄型のiPadを取り出し、検索して愛之介に見せた。

『アカシア紀とは宇宙、世に起こりうるすべての事象を記憶したデータベースである。』
『10次元に住む者たちが、アカシア紀を閲覧、編集するためのツールとして3次元の人間を家電のように利用する。アカシア紀のデータベースを人間用にリサイズしたのが、アカシックレコードである。』
『彼らに選ばれた人間は、10年間の猶予が与えられるという。これは【3次元の人間に膨大なデータを移植するのに必要な期間】という説がある。』

 名前が提示した資料は、愛之介に更なる衝撃を与えた。10年間の猶予。例えるなら精密な家電を良好な状態に保つために必要なことだったのだ。膨大なデータを移植させる人間にはメンテナンスを欠かさず、常に幸福を感じさせる。すべては良好な状態で出荷させる、その時まで。

「……僕は飼われ続けていたのか。18歳で死亡する未来を捻じ曲げられ、10年間生かされていた。あの女のアカシックレコードになるために。」

 深い絶望を感じると人間という生き物は、全身から力が抜けてしまう。それを身を以って愛之介は体感していた。名前は椅子へと深く荷重を預けた夫へと近寄り、そっと身を寄せた。

「もう一刻の猶予もありません。……愛之介さん。あの時、誓いましたよね。『死がふたりを別つまで』と。私はずっとあなたと一緒です。」
「名前、」
 
 名前のその言葉は絶望の淵にいた愛之介に、水のように浸透していった。夫婦としての愛の絶頂が、束の間とはいえ深い絶望を和らげていた。
 この日、神道夫婦は寄り添った。夫婦として時間の許すかぎり、二人で過ごしたのである。



 時は経ち、5月1日まで後15分となった。愛之介の自室には妻の名前、そして秘書の忠が待機していた。張り詰めた神経と緊張感は、まるで国会における予算討論寸前のようだと愛之介は微笑んだ。
 
「まさか、こんなに緊張感のある誕生日前夜を迎えるとはな。」
「愛之介さま。その御身は私が刺し違えてでも、お護りします。」

 事情を知った秘書の忠は主人に仕える猟犬のように、愛之介の傍らに控えていた。忠実な仕事をする男の言葉に彼は感謝を込めて頷く。

「その心遣いだけは受け取っておく。……ありがとう、忠。」

 主人から告げられた労いに、忠は更に心身を締めつけられる心地になった。本当に主人がいなくなってしまう、それが真実味を帯びてきたからだ。
 妻の名前は情に満ちた美しい主従のやりとりを、見守っていた。そうして両手を強く握りしめ、審判の時を待った。
 やがて時は来た。5月1日の0時を告げる鐘が鳴る。愛之介の身に変化はない。部屋には沈黙と緊張感が弛緩せずに満ちていた。

「……何も起こらないな。」

 緊張を解くように部屋の主がそう呟いた。すべては悪い夢でも見ていたのか。あの不気味な女もアカシックレコードも。すべては夢の一端だったような、そんな気すら愛之介はしてきた。

「愛之介さん。」

 名前の声は安堵に満ちていた。まなじりには水の膜が張っていて、今にも溢れそうだった。

「お誕生日おめでとう。」
「ご無事で何よりです、愛之介さま。お誕生日おめでとうございます。」

 最愛の妻と忠実な秘書。大切な二人に祝われ、愛之介は口角を緩ませた。すべては思い過ごしだったのだと、祝いの言葉を彼は存分に噛みしめた。

「最高の誕生日だな。ありがとう。」



 28歳となった愛之介の顔は晴れやかだった。彼は誕生日の主賓として、名前や忠から過保護なくらい世話を焼かれていた。仕事面からプライベート面まで、愛之介がやるべきことを優秀な二人は先回りしてすべて行っていた。

「優秀な働きをしすぎるのも、困りものだな。」

 愛之介は微笑み、自室の窓から外の景色を眺めていた。腕時計の時刻を確認すると16時すぎを示している。穏やかな気分のまま景色を眺めていると、規則正しいノック音が響いた。愛之介が入室を許可すると、名前が部屋に入ってきた。

「今日は遅かったな。」

 いつもなら15時すぎに来る名前は、今日は1時間ほど遅れて来た。彼女は愛之介に微笑むと、近くに寄って甘えるように抱きしめた。

「名前、」

 限りない愛しさと嬉しさを込め、彼は名前を呼んだ。誕生日のせいか、いつになく積極的な抱擁をしてきた妻を愛之介は優しく受容する。すると名前が口を開いた。

「赤s1cк яぇcォrd」

 その言葉は、愛之介の脳裏に雷光のように瞬いた。続いて自己の意識を保つことができなくなっていく。膨大な情報量が次々と押し寄せ、意識や思考が塗り替えられていく。10年の歳月をかけて準備された情報がインストールされていく。まるで家電を新しくアップデートするように。
 10年前の5月1日。怪異に遭遇したのは帰り路、授業が終わった16時すぎだったことを愛之介は思い出した。

『幸福な10年をaliveきて過ごsh 、赤s1cк яぇcォrdになる』
『アカシックレコードに書かれたことはすべて確定事項であり、絶対に発生する。例外はない。』

 生涯で最も恐怖した女、そして最も愛した妻の顔を見つめたのを最期に、愛之介の自我は完全に消失していった。
 5月1日。時刻は16時13分37秒。愛之介と名前が初めて会った時刻から、一秒たりとも狂いはない。
 名前は抱きしめながら言葉を発した。新たな赤s1cк яぇcォrdと化した夫に向け、無機質かつ平坦な声で。

ррч вir hd ч」




×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -