手首ズタズタ丸


 沖縄某所、閉鎖された鉱山。ここでは"S"への参加及び視聴資格を持つスケーターたちが集う。
 "S"の秘密厳守のため、鉱山内のみで使用できるチャットやストリーミング再生を主とした動画サイトが整備されていた。チャットは誰でも立てることが出来るが、ログは実質一日で消える、一夜の電脳城である。
 このチャット上ではSネームがそのままユーザー名となり、自由に変更することができない。現在、このチャットではある謎の人物が大きな噂になっていた。

「手首ズタズタ丸の噂、知ってる?」
「ヤバいヤツなんだろ。関わったら、手首をズタズタにされて殺されるとか。」
「行方不明になるって俺は聞いたけど。」
「秘密保持のために、問題のあるスケーターを排除するバイトって話もあるぜ。それが手首ズタズタ丸。」

 手首ズタズタ丸という、奇妙な名前のスケーター。素性は誰も知らない。このスケーターが現れたのは昨日のことである。
 あるスケーターが"S"終了後に『愛抱夢の正体www分かったんゴwww』というチャット部屋を立てた。
 鉱山内では"S"に参加するスケーターの本名を暴露したり、素性を探る行為は厳禁とされている。つまり、このスケーターが行ったのは重大なマナー違反だった。
 チャットは大盛況だった。チャット主たるスケーターはヒントを出すだけで、肝心の答えを発表するのはかなり焦らしていた。
 とうとう他のスケーターたちが焦れに焦れ、急かし始めたところで、異変は起きた。

『−−て−く −−び−』

 チャットを立てたスケーター宛てにそんな書き込みがされた。
 Sネームは手首ズタズタ丸。珍妙な名前とその異様な書き込みから、今度はそちらが話題になった。
 以降、チャット主から書き込みされることは二度と無かった。それはスケーターたちの間で都市伝説めいた恐怖譚として、密かに語り継がれた。
 最初に手首ズタズタ丸なる人物が現れた事件は、『手首事件』と呼ばれ、書き込みをした人物は『手ズタさん』なる愛称をつけられた。

『手ズタさんはチャットを常に巡回できる立場にいて、マナー違反のスケーターを粛正するらしい。』
『全スケーターの素性を知っていて、いつでも殺しにいける殺し屋。手ズタパイセンは愛抱夢と繋がりがある。』

 チャットの盛り上がりは尋常ではなかった。憶測が憶測を呼び、粛正説から殺し屋説まで出ており、収集がつかない状態だった。
 手首ズタズタ丸を名乗る怪人物は何者なのか。その目的は何なのか。すべてが謎だった。



 先週起こった『手首事件』の騒動。それを"S"の創設者、愛抱夢こと愛之介は興味深く静観をしていた。
 この手首ズタズタ丸なる人物について、彼はまったく関わりがなかった。

「忠。この騒動とスケーターの素性について調べろ。」
「はい。かしこまりました。」

 忠は手持ちのタブレットを手際良く操作していく。管理者権限により、"S"でのチャットはすべて専用サーバーで無期限の保管をしている。スケーターの素性を特定するのに、"S"の実質運営者である忠の権限さえあれば実質、数分も要らなかった。
 
「……愛之介様、素性が判明しました。この者は昨日、騒動のきっかけとなったチャット主本人です。同一端末から別アカウントでアクセスし、一人二役を演じていたと思われます。」
「何だと……?」
「そしてこの人物は書き込み後に、失踪しています。また、自傷行為を頻繁にしていたようです。」

 忠は淡々と告げ、そう締めくくった。
愛抱夢の正体が分かったというチャット部屋を立てたスケーター本人が、手首ズタズタ丸なる人物を演じて一人二役をしていた。これが真相だった。

「正体が分かったと盛り上げておきながら、突然失踪するか?狂言や演出の内と見るべきだろうが、納得できないな。」
「では、このスケーターについて追跡調査をさせますか?」
「……いや、いい。ご苦労だったな。」

 愛之介は腑に落ちない表情であったが、片手を振って引き上げを指示した。忠は恭しく頭を下げて退室した。
 手首ズタズタ丸。その人物が引き起こした事件は、当人の自作自演ということで決着した。



 騒動は一件落着とはならなかった。次の土曜の夜、"S"の行われる日。手首ズタズタ丸なる人物は、再びチャット上に現れたのである。
 『スケーターの正体を探ろうぜ』と題されたチャット。そこで愛抱夢の正体について触れた瞬間、その人物はチャット主に向かってレスした。初めて登場した時とまったく変わらない文言で。

『−−て−く −−び−』

 チャット内は騒然となった。何人かがチャット主にレスしたが、反応は一切なかった。先ほどまで積極的に書き込みをしていたのが嘘のように、沈黙した。
 恐慌状態となった者、これは釣りだと強がる者、再びチャットは盛り上がりを見せた。

『マジでチャット主が息してない』
『愛抱夢について話しただけで?流石に釣りだろ』
『手ズタパイセン仕事早すぎ』
『かなりの恐怖を感じた』
『これかなりヤバいやつだろ。通報通報』
 
 リアルタイムで起きた事件に騒然となった。この時、愛之介は鉱山ではなく、自室でこの経過を眺めていた。手首ズタズタ丸なる怪人物は生きている。不気味なレスを残し、確実に息づいていた。

「……何者だ?失踪したんじゃなかったのか?」

 忠は鉱山でキャップマンとして仕事をしているため、不在であった。愛之介は彼に現地で可能な限り調査するよう、スマホで指示した。
 チャットには次々と書き込みされていく。活字は踊るようにモニターに映し出されていった。

『手首ズタズタ丸は、愛抱夢に心酔する信奉者で異常者』
『愛抱夢の正体を知ろうとすると×される』
『正体を知った者を消しに行く』

 最早、都市伝説の怪物のような扱いをされていた。
愛之介は目まぐるしく変貌していく画面に眩んだ。画面酔いをしたのだ。
 手首ズタズタ丸。その名前は愛之介に、叔母たちから受けた躾のことを想起させた。
 三十センチの定規でひたすら躾として、手首を殴打される。すると手首は細く短い傷が絶え間なく刻まれ、まるで剃刀でズタズタにしたように赤く腫れ上がった。

『愛してくださって、ありがとうございます……。』

 叔母たちに施しのような愛想を向け、躾に対して礼を告げたことを愛之介は覚えている。これは愛のある躾であり、虐待ではない。痛みを与えることこそが愛の証明。異様な情操教育を受けて育ってきた愛之介は、ふと手首ズタズタ丸という名前に親近感を感じた。

「手首ズタズタ丸。……丸が句点だとしたら『愛してる。』の意味か?まさかな。」

 渇いた笑いがこぼれた。どうやら相当疲れているらしい、と彼は自嘲する。叔母たちに『愛のある躾』を施されていたことを知る者は忠と妻の名前しかいない。忠は"S"でのアリバイがあり、妻の名前は"S"をまったく知らない。彼らがこの怪人物でないことは明白だった。
 彼は水を飲み、モニターを消して妻がいるであろう寝室へと向かった。



「名前、いないのか?」

 珍しく名前は寝室にいなかった。愛之介はシャワーを浴びているかと思ったが、浴室にもいなかった。彼はベッドに入り、彼女を待つことにした。
 妻が部屋に姿を現したのは、それからかなりの時間が経過してからのことだった。この時、愛之介はなんとなく寝たふりをした。疲れていて、そういう気分だったというのもある。

「愛之介さん、寝てるの?」
 
 優しい声色だ。最愛の妻の声はいつも愛之介に平穏と癒しをもたらす。本当は起きていることを彼が稚気を込めて告げようとした瞬間、名前がぽつりと呟いた。

「私は今日、愛するあなたのためにお仕事してきたんです。鉱山で。」

 愛之介は、背筋に氷塊を突き入れられた心地になった。今、この妻は鉱山のことを口にした。それが信じられない事実となって直撃した。
 同時に愛之介の脳裏に、スケーターたちの書き込みの内容が残酷なほど鮮明に蘇った。

『愛抱夢に心酔する信奉者で異常者』
『チャットを常に巡回できる立場にいて、マナー違反のスケーターを粛正する』
『全スケーターの素性を知っていて、いつでも殺しにいける』

 その条件に当てはまるのはこの世で、ただ一人だけ。すべての動機は『愛抱夢の正体を誰にも知られない』ため。愛を動機とした怪物は、愛之介と揃いの結婚指輪を光らせながら歌うように語る。

「愛之介さんが考案したあのチャットね。禁止ワードが設定されてて、私の言いたいことが直接書き込めなかったの。だから、モールス信号にしたんです。・の部分をひらがなにして。」

 名前は明るく解説していく。
 自らが書き込んだ『−−て−く −−び−』という怪文書、その真意を。

「『シ ネ』って書いたの。みんな愛抱夢の正体を暴露しようとしたんだから、当然よね。」



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