蘭丸の部屋には、切ないベースの音が響いていた。

私が瞼を下ろしその音に耳を傾けていると、彼が「歌えよ」と呟く。
私はちらりと蘭丸を窺う。
彼の視線はベースの弦に降り注いでいた。
私は仕方ないと息を吸い、蘭丸の音にあわせ口を開く。

切ないラブソングだ。
蘭丸とは、かけ離れた歌。
だからこそ彼がこの歌を弾き始めた時、私は驚いた。

蘭丸は音楽に対して好き嫌いをしない。
それは分かってる。
でも彼自らラブソングを奏でるなんて。
私の記憶が間違っていなければ初めてではないだろうか。
彼の言葉を借りれば、「らしくない」。

それでも私は歌った。

蘭丸の音が好きだから。
激しくて、熱くて、でも、繊細で、胸を突くメロディ。

私は蘭丸とは違ってアイドルじゃないからうまくは歌えないけれど、思いは込められる。
蘭丸はそんな私の歌を好きだと言ってくれる。

歌いながら彼を見ると、少しだけ口角を上げている。
私の歌、喜んでくれてるのかな。
そうだったら嬉しいな。

「魂」に響く歌、歌えてるのかな。
蘭丸は楽しんでくれているかな。

「なに笑ってんだ」蘭丸のそっけない声が聞こえた。
私は歌を紡ぎながら首を振る。
なんでもないよって、唇を動かす。

蘭丸は鼻を鳴らした。
冷たく見えるけれど、笑ってくれるだけで充分。

ベースの音が徐々に静かになっていく。
私は余韻に瞼を下ろした。

完全に音が止み、瞼を持ち上げる。
その瞬間、双眸の光彩が違う蘭丸の瞳とぶつかった。

「なんだ」
「それ、私の台詞」
「別に、なんでもねぇーから」
「ああ、うん、そう」

私が短く吐き出せば、蘭丸は鋭く舌打ちした。
それが面白くて思わずクスリと笑みをこぼしてしまう。
蘭丸は一度目を見開き、また舌打ちをする。

今日は珍しく、蘭丸の仕事がオフ。
実に一ヶ月ぶりの、ちゃんとした休み。

蘭丸を好きになった時から覚悟はしていたけれど、思った以上に二人の時間は少ない。
それは、結婚しても変わらなかった。

蘭丸は私たちの仲を隠さない。
あの社長を説得し、シャイニング事務所初の既婚アイドルとなった。
世間にも大々的に報告し、一時期は盛大に叩かれていたが、しばらくすると蘭丸が本気ということに気付いたのか、騒ぎも収まった。
未だに蘭丸を非難する者もいるようだが、ごく少数なため、気にとめないようにしている。
更に、蘭丸はパソコンを持っていないので、ネットの評価も目にすることはない。

私は蘭丸が、私たちの関係を隠さなかったことより、貫き通したことが嬉しくて堪らない。
それが、ロックを信条にする彼らしかったから。

私は蘭丸が自由に生きられるのならそれでいい。
こうやって、少しでもそばにいられたら私は。

「ほら、もう一曲だ」
「強引」

そう呟けば、彼はなにも言わずにベースの弦を弾く。
私はため息を吐き、口を開く。
肺いっぱいにこの部屋の空気を吸い込む。
少しだけ、蘭丸の匂いがした。
長い間この部屋に住んでいたし、蘭丸のそばにいたから、匂いなんて、久しぶりに意識したかも。

私は歌うことも忘れ、ほっと息を吐く。
蘭丸はいっこうに歌わない私に疑問を思ったのだろう、弦を弾く手を止める。

「…………どうした?」

蘭丸は私の様子をうかがって来る。
首を左右に振れば、彼は訝しげに覗き込んできた。
至近距離に蘭丸がいる。
それが嬉しくて、ついつい口角を上げてしまった。

「ニヤニヤしてんじゃねぇ、気持ち悪ぃ」
「流石にひどいよ、蘭丸」

私は自分の頬を両手で包み、言い返す。
すると彼は「今更だな」と呟いた。

確かに、蘭丸がキツイことを言うのは当たり前で、少なくても私と出会った時にはこんな性格してたから今更だ。

「俺は自分がどんな奴かを分かってる。だから付き合う前にも、結婚する前にも聞いた、"俺はこんなんだから、お前を傷付けるかもしれねぇ"ってな」
「蘭丸が付けてくれる傷なら大歓迎だよ」
「…………………そうだった。お前は馬鹿だったな」
「し、失礼だぞ…!!」
「ハッ……!!」

蘭丸は鼻で笑う。
それから乱雑に私の頭を撫でた。
ぐしゃぐしゃと。

「ちょっと、蘭丸!! ボサボサになる!!」
「ああ?もともとちゃんとセットしてるわけでもねぇーんだ。いいだろ、別に」
「良くないよ!!」
「はいはい」

蘭丸は適当に流し、急かすようにベースにピックをかけた。
私は浅くため息を吐き、今度こそと息を吸う。

私たちの歌が輝き出した。