辛くない、わけはない。
私は駆け出しのアイドルで、こんなことをしなくちゃ仕事を頂けないことも。自分の力だけじゃやっていけないことも分かっている。

私がやっていることは、いわゆる『枕営業』というものだった。

ドラマやバラエティのプロデューサーと肌を重ね、要望されたことは何でもやってのけて、それでやっと私は仕事を頂ける。
必要なのは分かっていたし、覚悟はしていたけれど、それでもやっぱり辛くて、何度も辞表を書いて、その度に思い止まって、それを破り捨てて来た。

私を思いとどまらせてくれたのはカミュがいたからだ。
傲慢で、嘘つきで、謎ばっかで。それでも私を包んでくれる唯一の存在。
彼だけが私の支え。

彼と私がであったのは彼がアイドルになる前だ。

私がとあるプロデューサーと肌を重ねた帰り、その時の私は酷く脆くて、人生に絶望を抱いていた。
家に帰るのも億劫で、街中の噴水に腰掛け、ぼーっとしていた時に声を掛けられたのだ。
噴水の邪魔だ、愚民が。と。

頭にきた。
なんて性格の悪い奴だと。
ムカついたから私は言い返した。お前に私のなにが分かる。と。
彼は鼻で笑った。興味ないな、そう一蹴して。

本当に癇に障った。
気付いたら私は彼に掴みかかっていて、知らず知らずの内に噴水に投げ込んでいた。

それからは壮絶だった。
カミュは私を噴水に引きずりこみ、そこで取っ組み合った。
初対面なはずなのに、遠慮なんて無かった。
カミュも、知らない土地に一人きりという精神面の疲労がつのっていたのだろう、その端正な口からは、今のアイドルである彼からは想像出来ないような悪態が大量に吐き出された。

言い合いは、一日じゃ収まらなかった。

何故か翌日も、同じ時間に噴水で喧嘩した。
まるで、今まで貯めてきたフラストレーションを、全てぶつけるかのように。

それからは毎日、カミュと喧嘩した。
数日もすればお互い冷静になり、自己紹介をしたり、普通に悩みを相談したりしていた。
私もカミュも負けず嫌いだけれど、今更隠すことなどなにもないと、弱みを見せ合った。
気付いたら、私にとってカミュは心を見せることが出来る、数少ない存在の一人になっていた。
カミュも、私の前じゃ何も飾らないそれが少し、誇らしくもある。

カミュがいてくれるから、私はまだこの世界にいれる。
辛くても、彼の役目に比べれば簡単だ。

「カミュ……」

私は今日収録のバラエティ番組の控え室で膝を抱えた。
この番組も、『枕営業』の賜物だ。
しかし、この番組にはカミュも出演する。
私とは違い、その実力とカリスマ性で芸能界を生きるカミュが。
私は、こんな汚い身で彼の隣に立つのが怖くて仕方ない。
いつもは気付かないようにしている輝きの違いに気付いてしまうから。
彼は純粋に輝いている。
比べて私は。
いや、比べること自体間違っているのか。
同じ舞台に立っているはずなのに、生きている次元が違う。
私にとってのカミュはそんな存在なのだ。

「名前、いるか」

カミュの声がした。私は短く返事をする。
ガチャリと、楽屋の扉が開いた。
ゆっくり顔を上げれば、いつになく真剣なカミュが視界に入る。
出来るだけいつも通りを装いながら、どうしたの、と問えばカミュは眉を潜めた。

「辛いならば、やめればいい。なぜそうもアイドルであることにこだわる」

冷たいのに、暖かな言葉だ。
カミュはつまり、私を心配してくれているのだ。
本当に不器用なやつ。

「強いて言うなら、カミュに負けたくないからかな」

カミュは眉間の皺を濃くする。
そして、まるで、俺が引き止めているようではないか、と呟いた。
ご名答。つまりはそういうことなんだ。
私は形だけでも彼と対等でいたいだけなのだ。

「ふん。ならば、言えばいいものを」
「何を?」
「アイドルをやめろ、と」
「誰に?」
「無論、俺にだ」

時が止まった気がした。
カミュは、何を言ったの?

「あはは、カミュは私が辞めてって言ったらアイドルやめるの?」
「ああ。俺は元々アイドルになりたかったわけではないからな。貴様さえ望めば、今すぐ辞表を書こう」

何てやつだ。
私は彼に何もあげてない。
一方的に、もらいすぎてる。

「私、カミュになにもあげられないよ?」
「初めから愚民の貴様には何も望んでいないが」
「厳しいなぁ、カミュは……」

呟くと同時に涙が出てきた。
弱くてもいいんだと、カミュが掌を差し出してくれる。

「シルクパレスに来るか?いい国だぞ」
「カミュの国だもんね」
「伯爵に嫁げば、生きて行くには困らんぞ」
「紹介してくれるの?」
「俺だ」

カミュは何も隠すことなどないと言いたげに胸を張る。
ついに涙が頬を伝い、膝の上に零れた。

「なに、それ……。新手の、プロポーズか何か……?」
「……嫌か?」
「まさか…。嬉しすぎて、カミュを噴水に突き落としたい気分だよ」
「それは新手の肯定か何かか?」
「うん、そうだよ」

私が頷けば、カミュは少しだけ楽しそうに笑い声を漏らした。
そして、私に差し出した手をさらに突き出して来る。

「さぁ、最後の仕事だ。これが終われば、アイドルは終わりだ」
「あはは、そう考えると感慨深いね」
「……そうだな」

私はその手を取り、立ち上がる。
これから私にはこんな心強い伯爵様がいてくれるんだと思えば、なにも辛くなくなった。

ああ、夢見ていた頃の私、バイバイ。
よわくてごめんね。
でも、私は幸せなんだ。
逃げてもいいって、カミュが教えてくれたから。