ミルキーウェイをひとくち




仕事も一段落した休憩時間。
父さん達はまだ片付けないといけない事があるそうで、研究に没頭している。手伝うと言ったのだが、クリスもトロンも何か裏があるのではと勘繰らずにはいられないほど俺に休憩を勧めてきたので、今は仕方無く一室で熱いコーヒーを啜っている。そろそろアイスコーヒーが欲しくなる時期だ。
俺の代わりにオービタルを置いていったら三人とも満足そうにして俺が休憩に行くのを見送った。加えてハルトとオービタルにその嫁と子供まで。一体何なんだ。はっきり言って不気味だ。

皆して俺を甘やかしているように感じる時は少なくないが、それはあまり嬉しくない。やはり、優しさを素直に受け取れない俺の方がいけないのだろうか。

空になったマグカップをテーブルに置いた瞬間、部屋の扉が無機質な音を立てて開いた。やっと誰か一人でも研究する手を止めたのかと振り返ると、研究員でも何でもない奴が笑みを浮かべて立っていた。やはり俺の勘は正しかったことを証明させられる。

「こんにちは、カイトくん」
「お前……学校は」
「よかれと思って早退してきちゃいました!」
「何が『きちゃいました』だ」
「突っ込むところはそこじゃないんですけどね」

悪びれもせずに笑っている目の前の少女――名前。俺より三つ下の名前は血の繋がりこそ無くとも妹みたいな存在だ。そう、妹。
俺は大きく溜息をついた。ここ最近の中で最も大きい溜息だっただろう。

「フェイカーさん達にカイトくんに会ってくれって言われて。頼まれたら断われないでしょう」
「断れ。断われなくても断れ」

父さんを始めとする全員が妙な気回しをしてきたのはこのせいか。つまり俺以外は名前が来る事を知っていたと。家ならまだしもどうして此処に呼んだんだ。
名前はいそいそと俺の隣に腰掛けて寛ぎだした。空のマグカップに鼻を近づけて顔を顰めている。何しに来たんだこいつは。本当にただ俺に会う為だけに学校を抜け出してきたというのか。

「大体何だその格好」
「なんだって言われても、制服なんですけど……」

遊馬達の影響でとっくに見慣れたと思っていた制服だが、いざ名前が着たとなると無性に目に入ってきてしまうのは何故か。
名前は最近ハートランド学園に転入したばかりだ。今までずっと研究室の手伝いに明け暮れていたからこれ程に肌を露わにする服を来た機会も殆ど無かっただろう。存外制服を気に入っているようだった。研究室に篭っていた名前の肌は透き通るような乳白色をしていて、青基調の制服によく映える。
駄目だ。何が駄目なのかは説明し難いが、駄目なものは駄目だと思った。

「その格好で彷徨かれると研究員達の目の毒になる。今後制服で来ることがあれば追い返すからな」
「め、目の毒!? そんなにひどいの!?」

嘆き混じりの名前の問いは無視し、俺は自分のマグカップを持ってシンクへと置いた。新たなマグカップを取り出して甘い飲み物を注いでやる。

「ほら」
「これ、ホットチョコレート!」

湯気を立てるマグカップを名前に差し出せば燦然と目を輝かせた。しかし、中を覗くや「さすがに暑くないですか」と意義を申し立ててくる。取り上げようとすると、名前は慌ててマグカップに口をつける。案の定熱かったらしく直ぐに口を離していた。

「でもやっぱりカイトくんは分かってますね」
「何をだ?」
「私の味覚が子供で、苦い物は飲めないってこと」

名前は学習したのかそろそろとホットチョコレートに口に運びながら言った。

「当たり前だ。俺に名前の事が分からないはずが無い」
「カイっ……!」
「兄だからな」
「…カイトくん、やっぱり全然分かってないです」

なにが不服かは知らないが、唇を尖らせた名前は打って変わって勢い良くマグカップを傾けた。まだ熱いだろうに、学習しない奴だ。
確かに俺は自分が思うほど名前のことを理解していないのかもしれない。

「あ、そういえば学校で」
「あぁ」
「皆に勉強教えてくれって頼まれて、すっごく嬉しかったんです」
「そうか。良い事だと思うぞ」

こいつは間抜けそうに見えて(実際のところ間抜けだ)秀才の部類に入る。その代償なのかありとあらゆる部分が凡夫以下なのだが。頭が回るゆえにデュエルの腕もそこそこだが特別強くはない。いずれにせよ天は名前に二物を与えなかったというわけだ。
屈託無く笑う名前に、強張っていた心が解れた。この笑顔だけは才能の一部として認めてやってもいいと密かに思う。

「良い事だし、嬉しいんですけど」
「けど……何だ?」
「頼られるのってちょっとプレッシャーかかっちゃいますね」

名前は困ったように笑いながら、ソファに凭れかかる。そもそも社交性があるとは言えない奴だったから、周囲から期待が掛かりすぎると疲弊してしまうのだろう。

「ブラックコーヒー飲んでそうって言われましたし」
「真逆だな」
「見栄張ってついつい飲めるよって答えたんですけど、今度飲まされたらどうしよう……」
「なんだそれは。つまらん見栄は張らなくていい」

あまりのくだらなさに笑いが漏れた。名前にとっては重大な問題だと思うとまた可笑しい。
「俺には、お前はいつまでもホットチョコレートを飲んでいそうに見える」と言って名前の頭をぽんと撫でてやる。驚かせてしまったのか、しばらく俯いて微動だにしなかった。
かと思うと、僅かに此方側に身を寄せてくる。
普段なら黙って押し除けるそれも今は好きにさせてやろうという気になった。ただの気まぐれだ。

「私、いまカイトくんに甘やかされてる……」

うわ言のように呟く名前の頭をゆっくりと撫でた。今ではハルトが甘えてくる事もめっきり無くなったから、こうして俺に無防備に身を預けてくるのは名前くらいだろう。こいつは以前に比べて子供っぽくなった。二人きり以外の時は歳不相応に大人びているのに。
必要以上に甘やかすのは嫌いだが、甘やかされるよりはこうしている方がどこか居心地がいい。それは相手が名前だから、かもしれない。

しばし沈黙を保っていたが、廊下に響く声と足音で俺は反射的に頭から手を退けた。
家族は愚か、名前も知らない研究員達にこんな姿を見られるわけにはいかない。あらぬ疑いをかけられるのは御免被る。
幸いにも声は遠ざかって行って、俺は短くため息をついた。

「そろそろ帰れ。もう十分だろう」
「それがなかなか帰りづらい雰囲気で…ゆっくりしていってくれと言われましたし」
「何?」
「ご、ごめんなさい」
「はぁ……全く。あいつらにはひとこと言ってやらないとな」
「フェイカーさん達は悪くないです! 私はカイトくんに会えて嬉しかったので、感謝してるくらいです」

名前は語気を強めて俺に詰め寄ってくる。
その感謝は俺ではなく奴らにしてくれ。

「…というかお前、青春を謳歌するだのどうの言っていただろう。こんな所で時間を浪費していても良いのか」
「別に浪費してなんか……有意義な時間ですよ」
「有意義…」
「はい。それに、学校に居ると何故かカイトくんに会いたくなってしまうんですよね」

そう言って名前は残りのホットチョコレートを一気に飲み干した。では本当に俺に会う為だけに来たのか。…暇な奴め。


「どうせ卒業したらここで研究の手伝いをするんだろう? そうなれば毎日嫌でも顔を合わせることになるぞ。だから今しか出来ないことをやっておけ」
「……ぷっ」

何というか、兄を通り越して親のような台詞を言ってしまった。同じ事を考えたのだろう、名前は小さく吹き出していた。

目が合う。俺は瞬きをすることなく、ただただその夜空のような眼を見つめていた。きょとんとした表情があんまり間抜けだったものだから、思わず口角が緩んでしまう。
そのまま見つめていると、名前の白い頬はみるみる薄桃色に染まっていき、瞳には潤んだ光が宿る。
こんな顔、見たことがない。
俺が何も言えないうちに、ふいと目を逸らされてしまった。

「名前……」

名を呼んでも目を伏せたままこちらを見ようともしない。赤みを増してきた桃色は耳にまで到達している。
徐々にではあるが、自身の顔にも微かに熱が昇るのを感じて、俺は指一本すら動かすことができなかった。


「やっほー」
「っ!」

妙な空気になったと思いきや、間延びした声が背後から室内に響きわたって新たな空気に塗り替えられた。
振り向かずとも声の主は誰か分かる。仮面を付けたあいつだろう。

「とっ、トロンさん!」
「あれあれ顔が赤いけどどうしたの? もしかしてお取り込み中だったかな?」
「なな何でもないです! 大丈夫です!」
「そう? 二人共、フェイカーが呼んでるよ。行こう」
「は、はい!」

分かりやすいからかいに名前は挙動不審になりながらもトロンの元へ向かう。

「あ、あれ? カイトくん?」
「行かないの?」
「……後で行く」

俺は背を向けたまま二人に答えた。「分かった。でも早くね」と言ってトロン達は部屋を出ていく。台詞こそ変哲ないものであったが、口調の節々から俺をからかっているのが感じ取れた。全てお見通しだとでも言うように。
悪意は微塵もないようだが、大人特有の余裕ぶったからかいはまたタチが悪い。


「……くそ」

耳がやたらと熱い。
まさか名前が、あんな顔をするとは思わなかったのだ。一瞬ではあったが、妹ではなく一人の女としてこの目に映ってしまった。

「俺としたことが、なんてザマだ」

俺は名前とは違うから、流石にこの顔で皆には会えない。もう少し冷めてから行こう、と決めたそばからトロンの笑い声を思い出し、俺はその考えを捨てて立ち上がった。父さんやクリスに何か告げ口されたらたまったもんじゃないからな。

なるべく気を落ち着けてから、甘い余薫の漂う部屋を後にした。



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六月様から一周年リクエストで頂きました!
私の中のカイトくんブームを更に後押しする結果になりましたwww
カイトくん大好きです!

素敵な作品ありがとうございました!






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